__________
__________
__________

今日は起きてずっとうっとうしく気分が普通(今のわたしなりにいつものよう)でなかったが、いま(2日午後10時前)、自民党最大派閥の町村氏が亡くなったことを知った。昨日亡くなられたらしい。ここのところ外界報道にぱったり接しない日々だったので知らなかった。いまは隠す要がなくなったが、彼はわたしに便りを寄こした人だ。「人脈」などというものではない。「人間」が「人間」に書いたと好意を持っていた。結果的には、彼がわたしに直に書かなければ、わたしはこの欄で問題にしているような妙な現象に巻き込まれなかったのだ。因縁の人があまりに急に亡くなった。彼のせいにはしないが、すこし責任を果たしてほしかったと主観的には思う。妙な感じだ。
 
 合掌


______

町村氏に触れている部分をほかの節から つぎに写した(9.21):

8月21日

※〔天地神明に誓って言うが、ぼくは問題の新宿区内マンションの隣室戸口での訪問者の会話をドア越しに聞いている。それは、暗闇にあったものがいきなり白日の光のなかに現れた経験だった。既に記している。ぼくが一度も面会・接触をすることが出来なかった(つまり全く付き合えなかった)隣室住人と、こともあろうに ぼくのこと、ぼくの引越し日のこと等を話していた。これははっきり聞いてしまったのだよ。さんざん死ぬほど苦しまされた、正体不明だが発信源は隣室としかしかかんがえられない〈作用〉のために、強制的にぼくが引越しをさせられることになった、その隣室の住人のもとへ、ぼくのことを話題にしに外から訪問者があったのだ。既に記したように、経緯から、NHK関係者以外の誰だというのだ。
 この件は、どのようにしてだかわからないが、同マンション住人達の識るところになっていたようだ。同マンション内の主婦らしき人が、建物内でぼくとすれ違うときにぼくを横から見ながら、「事件に巻き込まれたのね。」と、この通りはっきり連れと語っていた。ぼくは近くの交番へ相談しに行ったが行く度に留守だった。国会議員の町村氏(直筆の便りをいただいたことがある)にいくら連絡しても、有効な処置をとってくれたとは確認できなかった。この「事件」のために国も警察も動かなかった。〕
 〔奇妙なことに、ぼくがこのマンションに入居した当初から、住人の一部に、初対面のぼくにたいするおかしな反応があった(これも既に書いた)。この意味をまともに推するなら、あの部屋がすくなくとも不審の目でみられるような何かがあったのだ。或いは、ぼくへの罠として予め準備していた部屋だったのか?こちらの場合がいちばん不可解だ。特定の組織に目をつけられるような言動などそれ以前にぼくは一切したことはなく、郷里では大学の講師として哲学を教え、上京したのもここの大学で哲学演習を引き受けた仕事の為以外ではなかったのだから!〕


8月24日

だんだんわかってきた。ぼくがどうしてこういう状況に入っていったかということ。日本に帰り、まだ郷里にいた頃、日本について思うところがあって、ぼくの勘で、素人の意見に素直に耳を傾けてくれそうだと思った町村氏に、国のひとつの問題を述べた手紙を書いた。氏からは、自分への連絡先を記した便りが来、丁重な礼が述べてあった。それから、ぼくは気づかなかった(というより、そういうことがあるはずないと否定していたと言ったほうが正しい)が、何らかの関係の人々から、気づかれないように注意されていたらしい、と、いま思っている。人物を確かめようとする人々がいたのだろう。いまはこのくらいにしよう。


異変後、ぼくが何の政治的関係も無い一市民だと認めると、ぼくを解放するどころか殺しにかかった。この経験から、日本も平和憲法だけなら滅ぼされただろうと思う。あるいは、憲法を捨てて自衛戦争をしただろう。どちらも経験せずに済んだのは、米国との政治関係の力による。無力で、一切政治力など関係無く、自分の生活を平和に営む者だと宣言したとたんに、ブレーキの効かない憎悪と攻撃の対象にぼくはなった。力背景無く平和に生きる者を解放せず攻撃することをぼくは許さない。しかし日本も無力平和であればぼくと同じ目に遭っただろう。現実とはそういうものだとぼくは学んだ。内乱の無い日本内で、ぼくは無力の故に殺され、罪まで負わされた。


この社会の裏にはとんでもないものがある。ハイテクと妖術が融合した力を操る人間達が神の力を使って無力な個人の生を勝手に監視・破壊する。ぼくはそれを全的に受けた。ぼくの、誰の害にもならない、ぼく自身にとってかけがえのないぼくの精神生活を勝手に破壊した力、責任をとらない力をぼくは許さないぼくをもとの状態と状況に戻さないかぎり。もしもそれが神そのものであったら、その神を同様に許さない。ぼくの精神生活を破壊しておいて、その責任者を生かしておく気はぼくには無い。創造的なものを想うが故の、創造的殺意・死刑を、いまこそぼくは認める。真に思い遣りのある者は、その、暴力によって失われたものへの思い遣りの故に、死刑を肯定する


不真面目な者が一番嫌いだ。真面目なものを壊すからである。悪が高貴なものを壊すのを助けるからである。天使の笑いと悪魔の笑いが同じ「笑い」という語で呼ばれているのは凄まじく問題である。これによって広範に心術の倒錯・錯覚が起こるからである。民衆は不真面目な笑い即ち悪魔のそれに余りに迎合的であり、悪を拡大伝播させている。聖なるものが壊されると あとは最終破壊たる戦争へ如何なるブレーキも無くなる。民衆は日頃の態度からして如何なる戦争の防壁にもならない。常に最大の戦争協力者であった。


この国、日本、は、「人間尊重」などでできてはいない。個人の自由生活の価値を何ら尊ばない神経には戦慄すべきものがある。尊ぶべき自由の意味・価値は、自由が「神」に関わるような個の圏にしかない。日本権力者にはそれに想到する教養感覚が無い。つまり、権力者もその一人である民衆にそれが無いということである。権力者も民衆も、非(反)創造的な動機から人を殺すことを好むのである。すべてが人命殺傷に至らないだけで、われわれはそれを日常いつもみている。そんな民衆が何で平和の砦になるものか。