なんかここ数日きゅうにコメントをおおくいただいて、挨拶程度とおもうのでお応えはしませんが、いちおう謝意をのべます。

いまおやすみしてます。報道もとおざけています。ほかの欄をほとんど訪問もしません(いつもですが)。 ひさしぶりにタルコフスキーの「ノスタルジア」を、意識感覚の調整のためにみていますが、ロシア人の故国への郷愁は、普遍的なほど根源的であるようです(固有の根源性が人間的普遍性をしめすほどに)。しかし何といってもこの映像作家の〈時間感覚〉こそ、日本人が忘れているものでしょう。これをよびおこしてくれます。舞台はイタリアですから、欧州的時間感覚といえるでしょう。ロシアとイタリアのふしぎな融合。さいきん紹介したロシアの木造聖堂は、よく撮れましたが、前景の樹木と家屋が不可欠的によいのですよね。「ノスタルジア」に、そっくりの風景がでてきます。それをこんどみていてたしかめました。ふしぎなことですね、これも。「ノスタルジア聖堂」とぼくはかってによんでいます〔正式名称はしらべればすぐわかりますが、めんどうで・・本質ではないし〕。

それでは



(ほかに言い方が思いつかなかったから〈時間感覚〉といいましたが、〈存在感覚〉と言っても〈生きて在る感覚〉と言ってもよいですね。「生きて在る感覚」というのは辻さんの生涯かけていた主題であったことをおもいだします。そこからの疎外と復帰という主題です。)








これは日本の風景

裕美さん撮影

2009.11.11(水) hiromi