環境の力というものはおおきいですね。ぼくは感応力がつよいから、裕美さんの落着いたゆたかな優雅さとぴたりと一致することがすぐわかりました。 まさに神への戸ですね。 東京など非文化の瓦礫だ(おまえらは人の心をけがすことしかしていないからな。死ね )。


東京との縁が忽然と解けてきた。おもえば野蛮で品位の欠けた、落着きのない処で、実質より言葉でうごいている処だった。しかも実質・言葉を導く志が虚を向いている。もう東京は卒業だ。 神戸であたらしいぼくらしい生活をはじめよう。日本でもっともヨーロッパ文明の落着きと優雅さにひたされているところだという場の力が伝わってくる。裕美さんのゆたかな音楽世界を生む人間的環境が直感される。裕美さんの雰囲気と完全にかさなる神戸の空間を裕美さんとともに想うだけでゆったりとした気持になる。これこそぼくに必要なこと(もの)なのだ。ぼくらしくあることがゆるされるところだ。日本にもこういうところがあったのだ。

いま真夜中、もう未明だ。しきりに風音が立っている。生きることを試みなければ。生きることは創造することだ。(4:25)

きみのひびきは、東京からはぜったいうまれないひびきだ。あのコマーシャリズムの地からはありえない。 神戸の世界を感じたことできみを納得できるのにちかづいた気がしてほんとにうれしい。文化の地だね。人間のありようを肯定できる。
〈ヨーロッパの洗練と くつろぎあふれる 極上の時間(とき)が ここに流れています〉 という言葉を神戸について見つけました。これをぼくはうけとめます。きみがわかるから。
 きみの世界の優美の秘密がわかりかけてきたんだ、土地を環境を感じることによって。 東京人が感じるように感じちゃいけないんだ。東京との訣別。
 
 すぐに寝てたらこういう発見はなかった。長い夜を、想ってしずかにすごすことによってこそ… 夜が明ける ぼくたちの夜が まだ暗くて静か
 
 きみの世界は神戸の洗練されたみどりの風とともにある


神戸の街をゲットン