へんだな、きょうはものすごくゆううつ。2月も後半。季節の変わりめの影響か。ぼくは秋冬型人間だから、寒いのはじつはだいすき。純白の雪の光景をいつまでもながめていたい派で、やはり北方にあこがれる精神遺伝子があるのかな・・・ ゆううつが ぼくに すべての存在を愛したいとおもわせる 死者も生者も みなおなじ

ねえ、ぼくはあらためて想到してるんだ どんなにこころゆたかななぐさめや癒しをあたえてくれるひとだって、みずからは郷愁をおぼえなぐさめられることをもとめていないひとはいないってことを だからゆたかな創造をうむ この逆説によく思いをこらすべきじゃないだろうか リルケの秋の詩をおもう* 芸術家のゆたかさと貧しさ 〈なぜなら貧しさは内からさすひかりである・・・〉 どうしても出典がみつけだせない みつける必要もおぼえない きざまれたことば
 ぼくのような生者のなかの死者も 生者の生者をなぐさめ元気づけることがきっとあるかもしれない そういうとき、ぼくを支えているものはいったいなんなのだろうとおもうんだ


 周囲の者達とは、まものの容喙による精神断絶がつづいている。もとからあったのだろう。それを、まものが、連中の魂を意識して麻酔にかけると同時に、「このひとはきみたちとはちがうのだよ」という、それ自体は正確な情報を吹き込んだのだ。ぼくが此の世を実効支配する世界観にとっては敵だということがはっきりわかったから。

 生れてくるところをまちがえた。




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アルバム「君に逢いたくなったら…」の接続数が飛躍的に伸びている印象を受けます。







さびしいね きみとふたりだけになりたい