此の世を社会の意味にとるなら此の世は生きるに価しない。
此の世を個人生活の意味にとるなら此の世は生きるに価する余地(可能性)がある。
社員に奴隷労働させる組織企業が顧客を人間的に遇するはずがない。社会とはこれら組織の総体である。戦争が終わるはずがない。責任者の人間性の責任は重い。
社会改革とはこの必然悪への絶えざる殆どむなしい闘争である。この限界状況を直視しないあらゆる楽観的精神主義はそれ自体この悪に与するものとして利用される。


ぼくは此の世の非人間性の犠牲なのだ。たとえ〈神〉が異を唱えようと判断するのはぼくでしかないのだ。自分の判断つまり自分に即して生きること以外、人間は責任ある生を生きることはできない。そのほかはたとえ〈真理〉に従ったとしてもその分だけ虚偽の生となる。〈真理〉をもおそれぬぼくがそのほかのなにをおそれるのか。「彼以上に自分に即して思惟し生きた者はいない」というのがアランのデカルトへの最大の頌だろう。端的に言えば、客観的な正誤よりも主体の判断の仕方、〈判断の自覚的方法〉こそが問題であり、このゆえにデカルトは合理主義の祖と言われるようになったことの深い意味に気づかなくてはならない。人間に機械判断(もう判断ではない)を強いることではない。この意味で、アランは畳みかけて「この判断を経験しないなら、彼(デカルト)から受け売りの幾何学を恥としなければならず、この意味で彼は今でも我々の遙か先を歩んでいるのである。」とだめを押している。これが「人間」だ。


新年早々いい度胸のやつがいるじゃないか、ちっこいの。ぼくの生きかたに文句は言わせない。表面だけ見た通常人の反発があるのはわかりきっている。きみたちと状態・状況がちがうのだ。わたしの偉大な良識にまかせろ。きさまは自分の遊びに集中しておれ(やはりこいつはただのがきだった。処分終了)。


プロというのは何でもその分だけ尊敬すべきだ。「プロ」の実体は蓄積された習慣機構であるが、その習慣機構を自らに形成するために敬服すべき自己克服を積み重ねてきたのだ。その証である自らの技量を本人が自分の内で得意に思うのは当然の権利。それがおのずと外の様子に現れることがあっても他者があれこれ言うべきではない。ぼくも自慢すべきものをさいわいに持っている。自分の努力・自己克服の賜だから。その価値を周りから卑怯な仕方で徹底的に否定嘲笑されたのだから復讐するのは当り前、自己肯定してみせるのは当り前。謙虚な自覚はぼく自身の内のみのぼくの秘密であって、他者に示すものではない。ぼくは完全に意識的に自尊の確信犯をやってみせているのだ。もっとヴォルテージを上げてよいくらいに。忘れるなかれ自尊の確信犯は虚栄ではない。完全にぼくのほんとうの本質を隠さず外に出すことなのだ。



ぼくはやくざの生き方など関心無いが、やくざ物語がどうして〈人気〉があるか、いやむしろ社会で出回っているかの理由は、ほんとうに〈悪い奴〉は描けないからであることくらいはわかっている。やくざを否定した黒澤明も真に隠れた悪は暴けなかった。やくざが社会悪の象徴のように扱われるが、まだ安全に扱えるからで、真の悪から眼を逸らさせる効果のゆえに公認されているという見方もできる。わたしはその正真正銘の被害者にほかならない。やくざを話にするつもりはなかったが、何か、あんまり魂に対する悪が平気面しているので、自称やくざ力をこちらも分有する必要を覚えないでもない気持だ。やくざに同情する人の気持もわかる。隠れた巨悪、社会の公然の悪は完全に人情のかけらも無いことくらい人は知っているから。


以前東京で電磁波的なものによる人身攻撃を受けた時、自民党政権に直接伝えたのに僕を助けなかった。「人」を大事にする人に政権を担当してほしいと思い、思い浮んだ鳩山氏に直接、「あなたを支持したい」と伝えた。人間に感じるものがあったからだ。そのときから氏の支持率は想像をこえて伸び、本当に政権を取った。僕の伝言と関係があったか僕が知るはずがない。僕の言葉が彼をインスパイアーしたかもしれない。共時現象の類とも解し得るが、僕が本気で念じたのは事実である。生命が掛かっており、それ以上に怒りがあったから。闇の勢力から危険人物と〈誤解〉されて本当に殺されることになったという経緯は充分想定できる。嘘のような話だが、僕の念の可能性は僕にもわからない。以来、いろんな方面から〈期待〉されて様々サジェスチョンを受け、殆ど翻弄されたという実感がある。僕は個人的には誰とも関係しないが、アナログ手段で国民として意見することはできた。僕は仲介者を必要としない。直接に伝える。僕は目立ったようだという感触がある。こういうことも公開しておこう。 僕の本業は勉強なのに、日本を見るに見かねて国民として意見したことが僕には裏目にでた。世の利害勢力が、ぼくを利用しようとしつつ、一方でぼくの、彼等の方で勝手に思い込んだ〈力〉の故に、ぼくの力と自信・価値意識を破壊しようと企んだことは充分感ぜられる。実際その通りだったとぼくは確信している。これが、どこで情報を仕入れたか、居たマンションの住人がぼくを見つつ「事件に巻き込まれたのね」と口に出したことの意味だと思う(居たマンションの画像をここで公開もできる)。ぼくが長年の自民党政権を転覆させたという〈神話〉が蔭で広がり、一部勢力から恨まれたとも推している。この連中は〈神秘的〉な作用を平気で信じるらしい。伴侶などは、「ゆきつけの近くのスーパー、デパート、どこに行っても店の人が『あれだ』と私を指して言う。店員達がみんな私のことを知っている。時々ものすごく気の毒がって私を正視できない様子をする店員さんもいる。」と、外出から帰る度に僕に繰り返し伝えた。(リビングの壁の向こうからいつも視線を感じて落着かないと伴侶は家でも訴えていたことは既に言った。同時期である。)ぼくが直に訴えたのに政権も警察も動かなかった。ぼくは自分が右からも左からも綱引きの具にされたと実感している。ジャンヌ・ダルクと同じことが起ったに等しい。どうやって自宅にばかり居る僕に諸勢力が示唆を送ったか、それを読者が推測されるのも面白いだろう。
 新年早々、ずいぶん思いきって真相に迫ったことを公にした。その時期になったのだろう。(その後、まだまともなところが充分あった伴侶は完全に遠隔洗脳され元の性格ではなくなり、相手にならなくなった。おそるべし。)