ヴァレリーの著名な詩を自分で訳すことは、自分の理解を現出させることそのものである。しかし他者の詩であるから、やはり自分の世界を造るために、この登山を早く終了させたい。それにしても彼の経験の結晶がずっしりしていて一足ひとあしが重たい。結晶の意味がはっきりしなければ訳せないのだから。数式の意味をかんがえるようにかんがえている。


集合容喙現象の本体は悪魔そのもので、絶対に反省しない、魂的価値の否定者であり、此の世の最も卑しい品性の人種達を手足として働かせる、あの世とこの世を貫いている力である。創造主そのものか、創造主が眠っていることをよいことに勝手をしている存在である。私の誇りは、こいつを殺すことである。

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ヴァレリー「海辺の墓地」を 621節で結構よい具合で訳せています。これまでの日本におけるこの詩の訳に不満を持っておいでの方も、ぜひこの私の対訳をご覧になってみてください。私の錯覚でなければ格段に素直で明晰な解りやすい訳になっていると思います。近日中に訳し終えるつもりで、一生懸命理解しながら訳していますので応援してくださいね
(僕がこういう記号を使ったらぜったい〈外応〉があるにちがいないと思っていたら、悪魔のやつやっぱり引っ掛って途端に外で軋み音を立てた。これが僕の日常だ。)




le 22
形而上的な想念は、われわれの日常の平和な想念のなかにみちみちているのだと思う。それを幼いときから知り、それになじんできた。クリスマスが近づくたびにそれを想う。とりちがえた誤りは、それを地上のものだと錯覚してきたこと。いまそれに気づく。通りを歩いているおろかな学童たちに未来を託することはできない。生まれながらに〈平等〉の発言権があると思い込んでいる者たちにも。ぼくが復活しなければこの世は闇である。 「人間」はこの世の光である。この世に抗わない者、妥協する者はすでに闇である。


2010.12.9





訳文を作るとは、拙速を自らに禁じ、ほぐしにほぐして作ることを拒むことだ。気がつくと訳文はできあがっている・・・ というふうでいつもあるといいな  くりっくするのを覚えたら何かいっぱい出てきた。これに気づくのに9か月かかったんだな・・