彼女の演奏はゆっくりとしたテンポであることが特徴だ。いそぐということがけっしてない。一音一音丁寧にすべてに感情意味をこめる姿勢からこれは必然的だ。この姿勢にもとづくのであるから、けっしてたんにスローなのではない。スローだと実感することはじつはないのである。よほど何回も聴いているうちに、ああ、こういうところは他の人だったら勢いにまかせて弾き飛ばす人もいるかもしれないな、と最近気づくようになったにすぎない。彼女の場合、この〈弾き飛ばす〉ということはいかなる場合でもまったくかんがえられない。そういう演奏は絶無である。それをやったら彼女が彼女でなくなる。彼女の演奏を聴いていて心底感心するのは、自分を失うようなことが絶無だということである。忘我状態あるいは自己陶酔になって衝動的・他律的に弾きまくることが絶対ない。それでかぎりもなく情感世界を完璧に現前させて伝えている。これはすごいことだと僕は思うのだ。すべてに自分の責任意識が浸透している。「感性」と「理解」が乖離することがかんがえられないということは、この乖離は男でもありがちと思われるのに、女性である彼女が自己本性的な確かさでこの乖離をまったく感じさせないということは、演奏と曲のロマンティスムにかかわらず実に古典主義的で、ぼくがクロード・ローランの〔古典的理想主義の〕画のうつくしさに重ねたことはけっしてゆきすぎではない。そもそもローランの馥郁たる精神美こそ真のロマンティスムの完成そのものではないか。彼女の音楽創造は本質が古典主義性格であることを、ぼくは彼女への最大の賛辞として贈りたいと思う。よほど精神が安定ししっかりしていなければこういう音楽づくりは不可能だとぼくは思う。繊細で夢見ることを知っており、しかも芯がそうとう勁い。やはりこういう女性こそ、まず人間としてぼくは愛する。 ゲーテは、「女性というものは銀の皿で、われわれ(男)がその上に黄金の林檎を盛るのだ」と言ったと憶えるが、ゲーテの真意がどうあれ、彼女のような女性こそ黄金の林檎そのものであり、男こそ、どんなに奮励しても、愛という実体(黄金の林檎)を、せいぜい銀の受け皿として空無のなかに想い慕うことしかできない淋しきロマンティケルである。
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機械がどんな学習力を獲得しようと、「品格」を学習し計算的に引出すことはできないだろう。 「品格」は人間のみのものであり、現代にあっては反現代的なものである。
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機械がどんな学習力を獲得しようと、「品格」を学習し計算的に引出すことはできないだろう。 「品格」は人間のみのものであり、現代にあっては反現代的なものである。