今日は西郷隆盛(南洲)の命日であることを偶然知った。それで彼についての著を久しぶりに繰った。征韓論で〈悪名〉高い西郷であるが、われわれの今日における各々の立場は置いて、この人物の「直言」を聞いてみよう。彼の当時の見識、「人物」が直接伝わってくる。そのうえでこの人物、その物事への態度をどう受けとめるかは各人の自由である。(特に昔の帝政ロシアへの西郷の見方は、今日もちろん全く場違いである。)彼もまた人間度量と現実の合理とを、矛盾を承知で稀な覚悟をもって生ききった人物であるということは言い得よう。 ―「南洲百話」山田準著 明徳出版社 より(征韓論の真相)―

   明治六年(月日不明)内閣記録による
 太政大臣ナ、篤ト聞イテ下サレ、
 今ノ太政大臣ナ、昔ノ太政大臣デナク、王政復古、明治維新ノ太政大臣デゴハス。
 日本ヲ昔カラノ小日本デ置クモ、大神宮ノ御神勅ノ通リ、大小広狭ノ各国ヲ引寄セテ、天孫ノウシニキ給フ所トスルモ皆、オハンノ双肩ニカゝツテ居リ申スデゴハス。
 日本モ此侭デハ何時マデモ島国日本ノ形体ヲ脱スルコトハ出来申サヌ、今ヤ好機会好都合デゴハスノデ、欧羅巴ノ六倍モアル亜細亜ノ大陸ニ足ヲ踏ミ入レテ置カント、後日大ナル憂患ニ遇ヒマスゾ、
 朝鮮ト清国トハコゲ威シデ決シテ恐ルゝニ当リ申サン、魯西亜ハ国民ノ耳目ヲ外国デソラサンコトヲ始終致シ申サンデハ、自己ノ身体ガ危ブナイニゴハス。
 大兵ヲ出シテ日本ヲ征スルナンチウコトハトテモ出来マセン。
 今オイドンガ言フ事ヲオ聴キニナラント、後日此ノ倍モ、骨ガ折レ申ス、ソシテドウ骨ヲ折ツテモ、オイドンガ今言フコトヲセンバナラントゴハス。ドウデモコウデモ日本ノ神慮転職デゴハスケン、結局朝鮮ヲ外垣トシテ、後ニ朝鮮ヲ策源地トシ申シテ、魯西亜ト手ヲ引キ会フコトニナリ申ス。
 然シ一度ハ戦争ヲシマセント相手ノ事情モ本当ニ呑ミ込ミマセンカラ、例令仲好クナリ申シテモ皮相ノ同盟デ、誠意ノ同盟ハ出来マセンカラ、一寸ノ利害デ直グ崩レマスゾ、此ノ通リナリ行クコトハ此ノ隆盛ガ判断シタコトデハナカ
 実ハ天祖ノ御神旨日本ノ国命ガ此ノ通リデゴハスカラ、イヤデモ遅カレ左様ニナリ行キマス
 オハンナ、オイドンヨリ年下ジヤケン、オイドンヨリ後ニ生キ残リマセウデ只今申シタコトハヨウ覚エチヨツテ下サレ。




 この人物をいまのわれわれの基準で推し量ることはとてもできない。この無私の度量と徹底した仮借なきリアリズムはいまのわれわれのものではない。歴史とともにある人間、近くに思えそうで遠い人である。歴史を、人物を知るということはこの感覚を要する。