「道」とは弱い言い方である。精神的創造においては「現在」の不断の蓄積(層化)と深化があるだけである。それをものすごく横から見て仮に「道」と言ってみる。高田さんにおいても同様だろう。



すっかり涼しくなりましたね。もう九月後半ですものね! 秋はぼくの本来の季節といっていいでしょう。春、夏、冬、それぞれよいですが、ですからこれはどの季節とくらべてよいということではありません。それじたいがよいのです。暑いのがすずしくなったという落ち着きはありますね。この落ち着きがぼくほんらいのものです。ぼくは聴き上手なところがありましてね、誰にも言えなかったことを抱えている子でも、ぼくが傍に座っていると、「あれ、わたしどうしてこんなことまで話してしまったんだろう、誰にもはなさなかったのに・・」ということがあるのですよ。ぼくが隣にいると安心してこころが開くらしいのです。わかっていますよ、ぼくの雰囲気よく自覚しています。こんな優しい青年は世界のどこをさがしてもいないでしょうからね。あなたを空気の精のようにやさしくつつんで自由にしてあげることを知っています。生まれついてのぼくの本質ですからね。もう細やかに優しくしてあげるのだいすきなのです! この思いやりにあふれているのは母ゆずりで、母は周りにとって春のお日さまのようにあたたかくかがやいているひとでした。学校などにおとずれると、同級生の男子たちは、「わあ、古川のお母さん、きれい・・」と、あとになっても感嘆して言うほど神々しい印象を残しました。本気で慕情を懐いたのもいたみたいです。先生がたのなかにもいたようですね。にこやかに笑うと誰もそのかがやきに抵抗できませんでした。ぼくもそれを受け継いでいます。もうすぐ母の命日です。




      











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いま確認した。こういう場で言いたくないが自分の気持を固めるために敢えてここに真赤に燃える思いで記す。あの現象を起こす原因存在は、たとえどういう霊的、創造主的存在であろうとも、本物の悪だ。ブレイヴ・ハートをもって殺すしかない。この意図的存在には神聖なもの真面目なものなど一つもない。僕が最初から感知した通りのである。僕は「無底の怒り」をもって意志を固めた。この判断を誰も曲げられない。



自分の本質を、魂を凝視する。そこにいまの僕の健康はある。

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チェリスト青木十良が気になることを言っている。「今の人たちは、人間の崇高さを知らないんじゃないか。いびり合い、ねたみ合いばかり習ってくる。ありゃ、ひどい。」高いものを本気でめざすことをくさす心性は戦時体制前はなかったのだろうか。教養人をふくめ今のようにだらけていなかったのだろうか。それなら今は戦時体制心性の延長か。或る人は戦後の品の無い米国化の要素を挙げていたが、かならずしもそれだけではあるまい。高貴なものを観念的でなくめざす心性が日常的なものにならなければならない。