舘野泉という左手のみで弾くピアニストの演奏を聴き、いまどきまっとうなクラシックの演奏を聴けたと満足した。あらためて確認したのは、音楽はやはり究極のところは「人間」だということである。技術や勢いで聴き手を昂揚させる演奏は多いが、そういう演奏にいまの私は本心において全然不満足である。いま私が音楽において本当に求めるものはそういうものではない。そういうものがわるいとは言わないし私もその昂揚はよく了解する。しかしその奥に求めるものは「人間」なのである。そのような意味で舘野氏の演奏には孤独の実質とそこからのみありうる品格を感じた。情感と知性、これは芸術者においてつねにひとつのものである。このひとつのものを一語で「孤独」という。窮極のところまでいった人のゆるぎなく押し出てくるものを感じた。これのみが本当である。こちらに迫ってくるもの。ほとんど彫刻的な、内部の力が外に押し出てつくるフォルム、ヴォリゥムを感触する。自分が何処にいるか、何処に向っているかを感じている演奏。そのまま伝わってくる。所謂エネルギーはあってもどこをめざしているか聴手が気遣ってしまう大方の演奏とは違う。







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大衆評価と真質とはまったく関係無い。この電子欄世界でもそのことをばかばかしいほど明瞭に再認した。

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前節最後と関係するが、「世間社会」そのものが〈ストーカー集団〉で潜在的にあるのである。専横で残酷な社会、それがその本質に応じて戦争に見舞われようと、私は一片の同情もしない。