私の読者は誰も何も心配する必要はないのですよ。解ってます。信頼していますからね。私は今自分に集中したいだけなのです。ご無沙汰の意味はそれしかありません。 お元気で。

星空のきらめきのなかに
春風の微風のなかに



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付記
これは稿をあらためて書くほどのことでもないと思う(読者はすでに充分察しておられるであろう)のでここに付帯的に書くが、私が創造主という、意志を有する此の世の原因存在をまともに思惟するようになり、かつ、この存在の品性をきわめて低く評価するようになったのは、私自身の、後で「集団ストーカー」現象と世で既に言われているのを知るようになる、不自然現象体験を介してである。当初私は、これは間違いなく未知の裏社会組織による、何処かからの依頼を受けての工作現象であると判断していた。ところがその後の経緯を経験した私は、これはとても人間技で起こせるような現象ではないと判断するに至った。どんな科学装置を使うと仮定しても無理がある。自然界そのものを抱き込んでいる。私は、私へ危害を与える行為・作用を指令した者があきらかに存在すると断定していた。この断定は不変である。ところがその後の経緯経験により、この推定される者は人間から霊的存在へ、遂には此の世の創造主そのものへと、私の思念の中で拡大せざるを得なかった。この不自然現象には、執拗に意志的な原因が実感され、責任存在が認められた。これまでの経緯を経て、いまや、この現象に責任をとるべき存在は、宇宙あるいは地球を生んだ意志そのものではないかと私はかんがえている。理論的には、全くそうだと断定しきるにはまだ幾分或る距離がみとめられる。この宇宙創造の意志の手前に、何らかの夜郎自大的な霊的存在(集団的・集合的な)の広範囲の跳梁跋扈が想定され得る。そしてこいつらが創造主然として振舞っている悪魔なのかも知れぬ。ヨブ記やゲーテ「ファウスト」の神と悪魔の取引会話を勿論一応は想起させる(そんなものであったら良いのだが!)。ともあれ、結果としては、現実に此の世を支配している存在の品性を私が経験したことに変りはなく、それを経験したのだと私が判断せざるを得ないのは無理もないことなのだ。そしてこの存在にたいする私の感情を、私は「殺す」と表現しているのだ。もうこれ以上くどくど述べる必要はあるまい。責任存在を人間から創造主にまで遡らざるを得ない状況に立ち至ったことは、私にとってALS以上に「あってはならない悪夢」である。これを〈とかく人は自分の責任を他者に転嫁しがち〉などという〈人生訓〉で処そうとする者は、無知だから仕方無いが、瞬間感情的にはぶん殴るしかない。