自分に向き合うといまのぼくには君しかいない。君の演奏によってしか君を知らないからね。高田先生に向き合うことによって自分と向き合うこととはまた違うことなんだろう。君しかいないということはそういうこと。先生に手紙を書くときは先生への態度になっている。いまのぼくは安らぎがほしい。きみに書きたい。どうしてああいう演奏ができるのかぼくには不思議だ。君はよい技術を持っているけれども、技術ではない、あの演奏を生み出すのは。きみが息を詰め力を溜める瞬間、あの沈黙。そこから一気に感情の瀑布がなだれ落ちる。同時に一つ一つの小さな音を繊細に心を入れて歌わせる。きみは彼方にしっかりと心を向け、そこに或る風景をありありと描き、それを音で再現している、そのようにぼくは思えるよ。独りで弾いている時、きみは観るべきものを観ているね。自分の世界をはっきりと観ている。美は愛を生み、愛は情感を生み、情感は規範を生む、最近ぼくはそう思っている。内部の秩序というものをそうかんがえている。美とは何だろう。それ自身愛の思い出なのだろうね。また来ます、きみの世界に身も心もよこたえるために。たぶん、きみの感性がぼくのと同じ質なのだろうね。水晶の様に透明なのだ、と思う。これはきみだけに書いた手紙だよ。
 Fより