ほんとうにみんな自分のことばかり考えているのだなあ。
エゴイスト・自己中心主義者っていうのはね、自分が幸せになるための世界観の保持を、魂の同情より優先するあらゆる者達のことなのだ(既に言った)。
意識は繋がっていても生命は繋がっていない。繋がっていない生命に直面して意識が自らその生命と繋がろうとする努力が魂の実質を生むと言っていい。生命は受け継がれない。魂は個別的であるがゆえに共鳴し合い、繋がりへの信仰を生む。意識の連絡はまだ何の価値あるものでもない。価値をそこに生むのは魂の努力である。ぎりぎりの信仰の生はつねに背理的状況の直視とともにある。〔精神病理学者・実存哲学者ヤスパースの〈限界状況〉経験・我有化の思想の意味はそこにある。〕意識・生命・魂、ことばを使うのなら自分の経験蓄積からその都度意味を定義し得ていなくてはならない。自分の安定のための心の気やすめ操作なら何の人間真理でもない。他者はそれこそ「勝手にせよ」と言うだろう。
魂の自己愛のみが魂の他者愛につながると経験は教える。文字通りのエゴイズムは魂という深淵を素通りするあらゆる態度工夫・学説の中に潜んでいる。
それにしても、〈相手の死を自分が受け入れ得る〉ために、〈命は受け継がれる〉という心境に達するとは、何といういい気な自分勝手さだ。自分の魂も死んだ相手の魂も問題にされていない。それで済むのなら自分も相手も本当の問題から逃げているからだろう。外国人が感心したその数の多さをいまどき評価基準にして何になろう。日本文化は感覚・情感美がそれ自体として評価されてきた(それはそれでよい)。その伝統的連続に思想があぐらをかいてよい謂われはない。