謹啓 高田博厚先生

はじめてお便りいたします。パソコンという機械からですが。そのまえに鍵を掛けてきました。ポストに余計なチラシが入らないように。いえ、ちゃんとした便りならよいのですがね、心のこもらないビジネス広告はうんざりですから(そういうものが圧倒的に多いので)。此の世‐常識的な意味で‐にいらしたときはお会いする機会がなかったのは残念です。芸術家はめったに此の世に再生せず彼の世でもっと純粋に道を窮められつづけるということを読んだことがあります。きっと先生もそのようにしておられるであろうとぼくは確信しております。此の世は芸術家ももうどの分野も小物ばかりでほとほとつまらないです。時代錯誤的な変わり者が現れないとどうしようもありませんね。このさき人間はどうなってゆくのでしょう。ぼくぐらいが頑張らなくてはどうしようもないのですが。夜郎自大なのはまだいい。問題は花も実もない夜郎自大です。花も実もある夜郎自大というのはそのうち本物になってゆきますよ。本物のヴィジョンも懐けないのがいちばん困る。そういう本物感覚の無いのが。そういう感覚がちゃんとあれば先生の研究もいまごろもっと発展深化しているはずなのですが、こちらのほうは人材不足なのでしょうか、それとも狭い次元での政治的策動でしょうか。先生の帰国後の発言でプライドを傷つけられた人物達が案外多かったらしいというはなしを裏で伝え聞いたときは意外でした。先生のお話を理解出来る精神前提を欠いていた日本では、ショックで無礼と感じた向きが多かったのでしょうね。いまでもその手の人はいるみたいですから。残念なのは、先生の思想の手堅い研究者が育たなかったこと。ぼくは成否を度外視してできるかぎりのことをするつもりです。先生の御力添えを宜しくおねがいいたします。
 今日はここまでにします。先生のますますの御深化を念じつつ。
  敬白

 2014年6月22日 日曜日  古川正樹