疲れて昏睡状態だった。夜中しか静かでないので起きている疲れが溜まって、薬を飲んで寝るぼくも自然に眠れるらしい。ぼくの「自然」は破壊されていて、自然体での生の充実感などないから、何かしていなければならない。行為において生の現実を忘れるためだ。海と空を眺めていたい。そのなかに溶けていってしまいたい。そういう音楽を聴いていた。先生がドイツの抑留生活を終えて最後にフランスへ離れた駅がマインツだったという。そのときの描写がいましきりと思いだされる。『薔薇窓』だが、ぼくがはじめてヨーロッパの地を足許に踏んだのがマインツだったのはぼくにとって奇遇に思える。そこで先生はドイツで最後の、「もっともまずい食事をとった」(戦直後敗戦国の一般事情を象徴)という。送ってくれた相手と橋のたもとで別れ相手が対岸へ吹雪のなかに消えてゆく描写がなぜか鮮烈な印象となってぼくにのこっている。同じ川の橋を見たと思っているせいか。いま気づいたが、ぼくがさいごにドイツを離れた時も、ぼくの前を見えない吹雪のようなものがすでにぼくとドイツとの間を隔てていた感覚を鮮烈に覚えている。読んだ先生の文章からの連想ではない。あの意識は何だったのか。自分をドイツから絶とうとするぼくの、あるいはぼくを超えたぼくの起こした作用だったのか。「もういい、ここから離れよ」と告げていた。その後かなりの期間ドイツ語を思い出すのも拒絶していた。こんなに自分と縁の無い土地があったとは日本ではまったく想像することも出来なかった。「国境」とはものすごいものである。欧州がほんとうに「統合」したらヨーロッパは消滅するしかないだろう。とりとめもないイマージュと思い出を書いた。