ぼくはこう思うのだ、ぼく一人が此の世から外れで消滅するにせよ他の世界に行くにせよ、このまだ眺めている世界はこれまでそうであったようにこれからもそのいとなみを続けて存続してゆくだろう。なにも変わったことはない。ぼくとは無関係でいつもどおりだ。東京もいつもどおりだし、パリもいつもどおりだ。かつてぼくが経験したままのものであろう。これがぼくにはとうてい信じられないことに思えるのだ。ぼくとこの世界の間になにも繫がりが無い。死んでいるのにまだ生きてこの世を眺めて、時々それなりに反応したりしている。しかし根本のところではもう終わっているという感覚がある。周囲の者達ともなにもかつてのような心底からの繫がりを信じていない。いま、途中で、科学の世界における人間関係の同じような現象の報道を見たが、少なくとも今この瞬間の当事者の孤立感がぼくには痛いようによく解る。あの当事者は日本を出て外国で活動・仕事をすればよい。日本は「人間」を窒息させる。何かほかの原理で動いている。個人ではどうしようもないような。ぼくも体が達者だったら日本に戻ってはこなかっただろう。高田先生や親友の片山敏彦さん(彼らも「日本のよさ」は充分に知っていた)が嘗て抱いていた日本への絶望感をもたらした実体は何も変わっていないのだろう。すこし吐き気がする。ぼく自身のことにもどれば、自分の信仰とともに死ぬのみだと思う。