ぼくが今でも「人間」として言動しているのは、繰り返すが、「人間」というぼくの内にある想念にもとづいているのだ。自律的に培ってきた想念(理念)なのであって、断じて自然に生じてきたものではない。「神」とは、人間という自律的想念の極限象徴なのであって、これを「自然」原理と同一視することは常に「人間」そのものを不純にすることだ。自然崇拝も造物主崇拝も自然保護主義もすべて巧妙な全体主義への道である。自然美への感動は、それに感動している人間の魂への感動にと還元されるべきことを知るがよい。人間精神のみが音楽をつくった。これは人間の魂の自律性の証である。その極北に「神」を感じる。それに「賭ける」のが本当の信仰なのであって、デカルトもパスカルもその純粋真意においては照応し合っている(彼らで権威づけることではない)。この「態度」に忠実であれば「人間」は再び目覚める。