気持ちが守りに入ったら負けである | 「働く人」と「働く場所」をより良くするために

気持ちが守りに入ったら負けである

ここ数年、なかなか評価されるような結果を残せないでいる。その要因として大きいと思うのが、仕事に向き合う上で「自分を何とか脅威から守ろう」とする気持ちであるように思う。

守りに入ると、何とか上位や周囲の意向に従う仕事のやり方、最低限且つ目の前の小さな結果にばかり気が向いてしまう。

求められている仕事の成果よりも、2つくらいスケールの小さな仕事しかできなくなる。

まあ、担当者としての合格レベルだったりすると、そもそも管理者層の仕事としては失格だよね、という捉えられ方をされる。このスパイラルに入ると、悪い流れを断ち切るのが難しい。

何というか、堂々と、自信を持って、社内の第一人者としての意識でチャレンジするくらいで普通なんだよね。

そして、それで結果が出て、中の上くらいだろうし、失敗して手痛いフィードバックをされても、落ち込んでいる場合じゃないんだよね。

自分がイメージしにくい仕事をポンと投げられ、期限が切られると、どうしても気持ちが受け身に、守りになりがち。どうやったら、とりあえず乗り越えられるんだろうか?と考えはじめる訳だけど、この時点で成果は中以上になり得ない。

ピンチになる前に自分から切り拓き、他人が感心するレベルのアウトプットを出してやろうという気持ちなれれば、時間も濃密になり、夢中になれる。

守りに入った時は、やる気が起きず、時間ばかり経過し、どんどん自分自身が嫌になる。そして、なんとか最小限の労力で乗り切れないかと。もう、小学生の夏休みの宿題における8月31日状態である。

自分が駄目出しされてもいいや、何とかなるさという開き直りが必要なことが一つ。

それから、アイデアをメモ帳に書き留めていったり、マインドマップで思考の構造化を行うなど、小さく少しずつ面倒な仕事に手をつけていくというのが二つ目。

三つ目は、常に自分よりも二つくらい上の役職の視点で仕事の狙いや成果を考える。

こうしたことで、常に攻めの心を持って仕事をしていきたいものである。

ペタしてね