音楽は記録としてアーカイヴされていくものだから、リアルタイムで体感せずとも作品のよさに触れることはできる。だが出逢えたことの悦びを味わうならば、ライヴに勝るものはない。人生において何度となく自身の幸運を噛み締めるシチュエーションは訪れるが、夢中になれるアーティストが目の前で奏でる現場へ身を置くたび「この時代に生まれてよかった」と思うのだ。
数年ズレていたら出逢わぬままだったかもしれないし、時代が違えば嗜好を構築するバックボーンも変わる。それによってまったく違った人生を歩んでいた可能性もある。さまざまな物事のタイミングが合致して今、自分はこの場所で音楽を聴いていられるんだという感慨――。
プラスチックスが活動していたあの時代、私は中学生でようやくYELLOW MAGIC ORCHESTRAによって音楽が自分を形成するひとつになり始めた頃。そこから派生したものを聴くにはもう少し時間を要したため、リアルタイムで見ることができなかった。
3枚のオリジナルアルバムからフライパンの上で踊るポップコーンのごとく弾き出される音にまみれては体が揺れ、そしてその後には必ず「もっと早く知っていればよかった_| ̄|○」とため息をついたものだった。もっとも、出逢ったところで中坊だから財力もなく、ライヴハウスに足を運んで夜な夜な先端のカルチャーを満喫するなどというのは別世界のオハナシである。
初めてプラスチックスのライヴにいったのは1988年11月で、今はなきINK STICK芝浦FACTRYでおこなわれた2日間限定の復活ライヴ。ようやく見ることができたというのに、不思議なほどその時の記憶が抜けている。自分の中にあったイメージは佐久間正英が生ベースを弾く前のサウンドであり、CR-78の「ポッポコポッポコ」とTR-808「タンタカタンタカ」の違いが「あれれ? こういうものなのか」との思いを生じさせたのか。
何よりも、プラスチックス解散後ソロになった立花ハジメの「LIVE TAIYO-SUN」があまりに衝撃的すぎた。おびただしい数のモニターを並べ、自作の楽器「アルプスシリーズ」をガンガン打ちならしながらRADICAL TVのCGとライヴ映像を混ぜ合わせて出力するそのアイデアは、斬新かつカッコよかった(特に青山スパイラルホールではなくその前年、ラフォーレミュージアム赤坂で演った統一感を崩したステージングの方)。もしもタイムマシンあるならば、YMOの“凱旋公演”や解凍P-MODELの1992年渋谷公会堂ライヴと並んでその場にいきたいと思う、夢のようなテクノショーだった。
限定復活ライヴよりも前にそれを見ていたため、立花ハジメソロの方がプラスチックスと相似形に映ったのだ。一方のMELONは、自分にとって“歌モノ”。この時から、私にとって生涯のベストヴォーカリストは中西俊夫となり、あれから35年が経った今もその認識に変わりはない。
MELONもそうだが、WATER MELON GROUPとして色気を漂わせた「SEXSANOVA」や「FLY ME TO THE MOON」に、あるいは『ピテカントロプスの逆襲』でスネークマンショーのギャグにはさまれながら、ファンキーな唸りで渡り合ったナンバー「TRANCE DANCE INTERNATIONAL」にシビレたクチだった。また、NHKでも放送された日本青年館ライヴにおける「THE GATE OF JAPONESIA」のギターソロは、人間の使う言語よりも雄弁な音による歌声だった。
まったく違う個性を立花ソロとMELONがすでに発揮し、それをキャッチできていたから自分の中でプラスチックスの限定復活はお祭り的位置づけの域を脱しなかったのだろう。ライヴに関しては一期一会と受け取る性分なので「一度でも実体験できたんだから、これ以上は望まない」となり、そのままプラスチックスは追憶として血中テクノ濃度の高い私の体内を循環し続けた。
時は流れ2007年。人生の年輪を重ねたメンバーたちが集い、プラスチックスは19年ぶりにステージへ立つ。そこへチカがいない代わりに、生ドラマーの屋敷豪太が参加。その時点における限りなくベストに近い布陣。MELONで中西と一緒だったことから、オリジナルメンバーのように思えたファンも多かったはずだ。
生ドラムによるサウンドは、言うまでもなくあの頃のプラスチックスとは違う。そもそもその他の機材も同じではないのだから再現するにも限界がある。ならば、2007年時点の現在形を見せた方がいい。4人のメンバーが一堂に会しプラスチックスの楽曲を演っているだけで「生きててよかったー」と思えたのだから、それ以上は望まなかった。「ここにチカがいれば…」を口にするのは、キッチュとはほど遠い野暮な言い草だ。
2010年5月のライヴはUSTで見て、布袋寅泰のサプライズ登場に驚いた。その後は、断続的に掘り起こされるお宝映像や音源に触れては喜び「TOP SECRET MAN」と「PATE」をヘビーローテーションするうちに時は流れていくのだろう…そう思っていた。
昨年出版された『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』を読み、岡崎京子の描く時代が明確に浮かんでくると同時に、どこかおとぎ話のような感覚にも見舞われた。これほどの月日が流れてから明かされるエピソードの数々はお宝アイテムと変わらぬキラめきを放っていたが、すべては戻らぬ情景だから…との思いに帰結するのだった。
そんな中、プラスチックスは今年で結成40周年を迎えた。例によって再発やお宝のラッシュとなり、ファンにとってもそれはそれで嬉しいわけだが、合わせて5月10日にライヴもおこなわれるという。最初は2007年のような形式かと思ったものの、会場がBLUE NOTE TOKYOと聞き、なんとなく「今回はちょっと違うのでは…」と直感した。
ジャズクラブのBLUE NOTEでテクノバンド(とされる)が演る――その場にいたわけでもないのに、フュージョン色の強かったYMOが六本木のPIT INNに出演していた頃のような味わいが得られると勝手な思い込みをしながら、光の速さで予約。「今後、当店に出演してほしいアーティストは?」の項目に“POLYSICS”と入力したので、結成40周年で実現するかもしれない(来年20周年です)。
ジャズとはあまり密接していない自分だが、やはり音楽を聴く者としてBLUE NOTEはいってみたいと思っていた。今でもオールスタンディングのライヴには足を運ぶものの、どちらかというと積み重ねられた歳月の分、じっくりと味わいたい。
テーブルに座り、運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら徐々に落ち着かなくなってくるのがわかった。むしろ2007年のスタンディングの時の方が、平常心で待つことができた。この高鳴りはいったい何なのだろう。
▲BLUE NOTE TOKYOの入り口。みんなこの前で記念撮影をしていた
▲BLUE NOTE TOKYOの入り口。みんなこの前で記念撮影をしていた
第1部のほぼ定刻に、これといった前触れもなくスーッとステージに現れたのは中西俊夫&立花ハジメ。まるでリハーサルの音合わせのように、ふわっという感じで「TOP SECRET MAN」が始まる。2人編成のプラスチックスである。
サウンドはスネア、バスドラ、ハイハットのシンプルなリズムと、ツインギターのみ。間奏のキーボードソロのメロディーを中西が口ずさみ、立花もリフで続く。意表を突かれたオーディエンスがリアクションを忘れる中、続いて「COPY」へ。
こちらも同じ編成だが、何十年経っても頭に染みついている歌詞が体よりも先に喉を反応させる。先ほどまで料理を食べてモグモグしていた大人たちが「アッチモコッチモコピーダーラケ」と、アッチデコッチデ中西の口の動きをコピーする2016年のTOKYOというのも、なかなかの光景である。
2曲を終えたところでキーボードのmomo、ヴォーカルのリンダdada、そしてオリジナルメンバーの島武実が呼び込まれる。3曲目「I AM PLASTICS」からリズムボックスの音がよりチープになるや、全体がタイムスリップしたかのような空気の動きを覚えた。当時は生ドラムと比べて軽い音とされたが、CRのサウンドは一気にその場の時代性を変えてしまうほどの音圧を誇っていた。
「これ、あの時代に聴いていたらあまりのカッコいい音に息もできなくなっていただろ!」すごいものへ触れた時に生じる体の反応が、すでに口の奥までこみあげてきていた。心臓がバクバクと音を立てながら、血液に乗せて体中へテクノ特有の快感を巡らせている。
リズムボックスによるフィルはなく、一定のパターンを繰り返して曲が終わったところでボタンを押し止めるという、じつに人力な手法だった。そのため、演奏や歌とともにピッタリ決まるのではなく、少し鳴り続ける。でも、それを気にする者などいない。ドラムの代わりというよりも、メトロノームの豪華版的位置づけ…それが、現在形のプラスチックスには合っていた気がする。
▲左よりmomo、リンダ、中西、立花、島のプラスチックス(PLASTICS_officialツィッター @PLASTICS_TYO より)
▲左よりmomo、リンダ、中西、立花、島のプラスチックス(PLASTICS_officialツィッター @PLASTICS_TYO より)
4曲目の「WELCOME PLASTICS」では始まってすぐに中西がストップ。「あがってるの、ハジメちゃん?」と突っ込んだあとに「俺か、あがってるのは」とテレ笑いを見せてからリスタート。キーボードのmomoは当時の佐久間スタイルで、左手でベースラインを、右手でシンセのメロディーを弾く。
打ち込みに馴れきった耳で聴くと、そのズレによって生じるうねりがたまらない。機械では再現できぬテイストを、見事なまでに蘇らせてくれた。
「世界の街の みんなのアイドル 輝く栄光 5人の若者」の部分を「5人の老人」と歌詞を変えるトシに、笑いが起こる。「5人じゃなくて3人だろ!」と誰もが頭の中で突っ込むと、2番では「5人の若者」とオリジナルのまま歌い、喝采。演奏を終えると「できたー!」と一息つく中西に替わり、5曲目はリンダのヴォーカルで「DIAMOND HEAD」がスタート。
このあたりから中西のヴォーカルにも艶が増してくる。そして、ギターと歌声を包み込んでからめとるようなベース音が心地よい。
曲と曲の合間に喋りを入れる中西とは対照的に立花は言葉を発さず、ギターを刻むことに没頭している様子。黒のワイシャツとズボンにアルミホイルを巻きつけるだけでカッコよく見えるあたり、センスの賜物だ。
プラスチックスのリリックは、歌詞そのものの意味合いよりも韻によって奏でられるリズムが重視されたもの。英語の意味がわからなくても体感で覚え、そして今でも魔法のようにスラスラと出てくる。6曲目の「IGNORE」は口ずさむオーディエンスが多かった。嗚呼、トシのヴォーカルがあまりにプラスチックスしていて…。
7曲目はノリのいい「DELUXE」。冒頭に漂っていた慎重ぶりもどこへやら、フリーダムに歌い、奏でる4人。リズムだけが島とともにクールな顔をしながら全体を引っ張る。このナンバーのラストは、ピッタリと決まった。
「I LOVE YOU OH NO!」はリンダの「ノーノーノーノー アイドンニージュ」とベースラインが合唱しているかのよう。チカの不在を補ってあまりあるパフォーマンスもまた、現在形のプラスチックスだ。
続く「DELICIOUS」でも女性ヴォーカルがフィーチャリングされたあと、一転して「PARK」ではトシ節が脳に染みる。テクノ色の包装紙に包まれた極上のバラードは、まさに中西俊夫の真骨頂。
11曲目の「DIGITAL WATCH」は手弾きによる低音のシークエンスフレーズが、いかにも80年代。そうか、曲を聴くとメインのフレーズより先にベースラインを拾ってしまう自分の音感は、プラスチックスやYMOのシンセベースによって植えつけられたものだったのかと、今さらながら気づいた。
1980年の時点で来たるべきネット時代を予見していた「TOO MUCH INFORMATION」に続き「CAN I HELP ME?」はリズムのBPMをやり直し。ハモンドオルガンチックなシンセの音が軽やかに踊る。そして――。
言葉にすると陳腐なものになってしまうが、14曲目の「COMPLEX」は…ヤバすぎた。これほどチープな音にまみれていながらしっかりと疾走感があるのはどういうことなのか。
momoが両手で奏でるシンセとベースによって水を得た中西の歌声と、立花のセンス奏法ギターがカシャッと無機質な音を立ててハマった。この日演奏された中では、もっともあの頃のプラスチックスに近かったように思う。気がつけば横向きにステージの方へ向けていた体が、より前のめりとなっていた。
「GOOD」のトキメキなギターの音色によるイントロが、さらに気持ちを引きずり込む。このあたりになるとオーディエンスも声を出さずにはいられなくなったようで、中西が「次、PEACE」と言うと「イエーッ!」とレスポンスが。その男性いわく「一番好き!」らしい。そういうことを、よい大人になっても言えるこの空間が素晴らしい。
ギターだけでなく間奏からハーモニカも吹いて忙しい立花。すでにホイルは服から剥がれてしまっている。17曲目は「ROBOT」。「IBM NHK TDK FBI」とアルファベット3文字の名称を連呼するだけでこのグルーヴ感! そのままラストナンバーの「CARDS」へと突入。
当時も、そして2007年の再結成ライヴでもクライマックスに演奏されタテノリとなった曲。さすがにこの時だけは立ち上がりたくなったが、我慢して座ったまま体を揺らす。間奏からはリンダがCARD代わりにチェキを客席へ投げるパフォーマンスも。さらに終盤の“怒濤パート”では中西の「CARDS!」連呼と立花のサックスがセッション。その瞬間、プラスチックスは世界で一番BLUE NOTEが似合うバンドとなった。
「CARDS」が終わったあと、立花がソロ曲である「ROBINS EYE VIEW OF CONVERSATION」のフレーズをサックスで演りドッと沸く中、メンバーはいったん退場。しかし、すぐに戻ってきて中西が「島ちゃんトイレいっちゃった」と言い、4人でアンコールの「恋の終列車」を始める(すぐに合流したが)。
そしてオープニング曲の「TOP SECRET MAN」を5人ヴァージョンで。このナンバーをCRのリズムで披露するのはいつ以来になるのか。やはりこちらの方がしっくりくる。間奏のシンセソロ&ベースラインは、テクノを語る上で不滅のフレーズと言いたい。
1時間25分で20曲を演奏したプラスチックス。アーカイヴとは違う、生の息づかいと独特の空気感に満ちた至高のひとときだった。自分は人に誇れるほどのいいことなんてしていないから、こういうライヴを見た時は「前世でよほど世のため、人のためになったんだな」と思うようにしている。
そして2枚目のアルバムタイトル“ORIGATO PLASTICO”を、そのままメンバーに返したくなった。もう一度集まりたくてもそれがかなわぬところへいってしまった佐久間正英、そしてライヴと前後し発刊された『情報過多 TOO MUCH INFO』のインタビューで「プラスチックスの佐藤チカ。それは終わってることだと思うんですよ」と、自身の立場を明確にしたチカ。
あのステージ上にはいなくとも「5人の若者」は現在も、そしてこれからもプラスチックス――それが、影響を受けた者たちのコンセンサスなのではないだろうか。「WELCOME PLASTICS いつまでも 走り続ける 僕らはプラスチックス」と聴いたからには、その呪縛から永遠に逃れたくはないのである。(文中敬称略)
プラスチックスWiki
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