KEN筆.txt

プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

【イベント情報】
「Road to 7・24RYOGOKU~大日本プロレスchライヴVol.2」
★7月7日(木)新宿・ロフトプラスワン(開場18:30/開始19:00)
〔入場料金〕前売2000円、当日2500円(飲食別)
【第1部】グレート小鹿会長×登坂栄児社長禁断の公開大日首脳会談(MC:鈴木健.txt)
【第2部】小鹿会長退場後、登坂栄児×鈴木健.txtによる第1部の90分ノンストップ検証
〔イベント特典〕20名様に二大首脳陣とのスリーショット権が当たる抽選会を実施
〔会場販売〕大日本プロレス東京大会会場売店
〔一般発売〕イープラスにて発売中
Roadto 7・24RYOGOKU
〔通信販売〕大日本プロレスウェブショップBJ-SHOP
〔取置予約〕kenpitsu.txt@gmail.comに氏名、イベント当日に連絡が取れる連絡先、希望枚数を送信。チケットを確保し、当日受付にて前売料金でお受け取りできます。なお、入場は整理番号順となります。e+分と会場販売&取置予約分の2列入場となりますので、どちらで購入しても条件に差はありません
〔問い合わせ〕ロフトプラスワン(TEL03-3205-6864)



【編集&執筆媒体情報】
〔携帯サイト名〕週刊プロレスモバイル
〔コーナータイトル〕「EYEコラム」月曜更新「週モバ野郎NOW」
〔6月27日更新〕なぜハヤトと卍丸の関係性は濃いものになったのか――かけがえのない人と出逢うためのプロレス

〔書名〕月刊スカパー!2016年7月号
〔発行〕ぴあ株式会社
〔価格〕500円
〔内容〕連載「鈴木健.txtの場外乱闘」33回のゲストは新日本プロレス・棚橋弘至。「100年に一人の逸材は来年の優勝も宣言!」※欠場前に取材した記事です

〔サイト名〕中日新聞プラス 
〔コラム名〕達人に訊け!「鈴木健.txtの文化系名古屋プロレス講座」
〔URL〕http://chuplus.jp/blog/list.php?category_id=237
〔6月14日更新〕ひき逃げ事故にあったマンモス半田の支援イベント開催

〔サイト名〕FIGHTING TV SAMURAI公式サイト
〔コーナータイトル〕鈴木健.txtの場外乱闘番外編
〔URL〕http://www.samurai-tv.com/jougai_full/
〔6月8日更新〕第13回ゲストはプロレスリングNOAH・丸藤正道選手です。ルチャワールドカップに向けての意気込みを聞く取材でしたが、後半はNOAHの現状と自身のやるべきことについて語っています

〔サイト名〕女子SPA!
〔記事名〕人形レスラーもインタビュー プロレスマスコミの底力【鈴木健.txtインタビュー】
〔URL〕http://bit.ly/1LOka6s
〔取材・執筆〕尾崎ムギ子さん
〔内容〕プロレスマスコミがどんな思いでプロレスに携わっているかをインタビューしていただきました。ありがとうございます

【TV出演情報】
〔本放送〕
■サムライTV「DDT7・3博多スターレーン大会」:7月10日(日)22:00~24:00/リピート放送:7月11日(月)20:00~22:00、7月12日(火)8:00~10:00、7月12日(火)24:00~26:00、7月16日(土)18:00~20:00、7月17日(日)20:00~22:00、7月20日(水)18:00~20:00、7月27日(水)13:00~15:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt

■サムライTV「DDT7・17後楽園ホール大会」:7月21日(木)22:00~24:00/リピート放送:7月22日(金)20:00~22:00、7月23日(土)13:00~15:00、7月24日(日)26:00~28:00、7月25日(月)15:00~17:00、7月28日(木)18:00~20:00、7月31日(日)20:00~22:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt
http://www.samurai-tv.com/

■GAORA SPORTS「WRESTLE-1 6・8後楽園ホール大会」:6月25日(土)19:00~21:00/リピート放送:6月29日(水)23:00~25:00、6月30日(木)26:15~28:15
※実況:高橋大輔、解説:鈴木健.txt

■GAORA SPORTS「WRESTLE-1 7・1後楽園ホール大会」:7月20日(水)23:00~25:00/リピート放送:7月29日(水)23:30~25:30
※実況:高橋大輔、解説:鈴木健.txt

■GAORA SPORTS「WRESTLE-1 8・11横浜文化体育館大会」:8月24日(水)18:30~22:00/リピート放送:8月27日(土)13:30~17:00
※実況:高橋大輔、解説:鈴木健.txt
http://www.gaora.co.jp/wrestling/1776080

〔リピート放送〕
■サムライTV「みちのくプロレス6・10後楽園ホール大会」:6月30日(木)13:00~15:00、7月2日(土)10:00~12:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt

■サムライTV「DDT6・12エディオンアリーナ大阪第2競技場大会」:6月28日(火)18:00~20:00、7月4日(月)13:00~15:00、7月8日(金)18:00~20:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt

■サムライTV「DDT6・26後楽園ホール大会生中継」:7月2日(土)24:00~27:30、7月14日(木)22:00~24:00、7月15日(金)20:00~22:00、7月16日(土)13:00~15:00、7月17日(日)24:00~26:00、7月20日(水)10:00~12:00、7月21日(木)18:00~20:00、7月28日(木)13:00~15:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt

【WEB番組出演情報】
■【全編無料】大日本プロレスch http://live.nicovideo.jp/watch/lv265964538 7月1日(金)まで公開
※出演:登坂栄児、鈴木健.txt。7・7大日本プロレスchライヴVol.2お試し版として配信

■【全編無料】SUCCESS TV! #2「マンスリーリンドリ」
abema TV:https://abemafresh.tv/success_channel/16097
ニコニコ生放送:http://live.nicovideo.jp/watch/lv265179740
※同番組内「リング☆ドリーム」のコーナーにて7連戦イベント「ライジングアクセラレーション」を試合リポート。0:36:50から原作者:でいしろう先生と出演しています

【ニコニコプロレスチャンネル出演情報】
ニコニコプロレスチャンネルは月額税込540円ですべての番組を視聴できます→http://ch.nicovideo.jp/nicopro

〔鈴木健.txt出演予定〕
■【全編無料】ニコプロ一週間6月29日号:6月29日(水)22:00~23:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv265387208
※レギュラーコメンテーター:高山善廣&週刊プロレス・佐藤正行編集長

■アイスリボン6・25北沢タウンホール大会中継:6月30日(木)20:00~22:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267678381
※実況:鈴木健.txt、ゲスト解説:世羅りさ

■WRESTLE-1 6・26市原臨海体育館大会中継:6月30日(木)22:30~24:30 http://live.nicovideo.jp/watch/lv266609533
※コメンタリー実況:鈴木健.txt

■ニコプロ一週間7月6日号:7月6日(水)22:00~23:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv266001373
※レギュラーコメンテーター:高山善廣&週刊プロレス・佐藤正行編集長

30時間ニコプロ~プロレス愛は地球を救う3<1枠目>:7月8日(金)18:00~7月9日(土)16:30 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267506461
〔7月8日(金)〕
18:00~19:30 オープニングノンストップインタビュー:三田佐代子
20:00~22:30 プロレステーマ曲グランプリ前編(1&2回戦48試合)
23:00~05:30 G1クライマックス予想会
〔7月9日(土)〕
06:00~08:30 早朝試合中継(決定次第発表)
09:30~11:00 希月あおいのモーニングハッピー
11:30~13:00 俺たちの週刊プロレスNOW
13:30~15:00 視聴者発案企画番組 団体フロント&スタッフインタビュー(出演者決定次第発表)

30時間ニコプロ~プロレス愛は地球を救う3<2枠目>:7月9日(土)16:30~24:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267506668
〔7月9日(土)〕
15:30~17:30 夢の興行を妄想せよ~業界識者によるプロレスドラフトPART2
18:00~20:00 ベスト・オブ・ザ・スーパー技(1回戦~決勝64試合)
20:30~22:00 G1クライマックス出場選手(予定)インタビュー
22:30~23:30 プロレステーマ曲グランプリ後編(3回戦~決勝16試合)
23:30~24:00 30時間ニコプロEDトーク

■ニコプロ一週間7月13日号:7月13日(水)22:00~23:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267206893
※レギュラーコメンテーター:高山善廣&週刊プロレス・佐藤正行編集長

■ニコプロ一週間7月20日号:7月20日(水)22:00~23:00 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267206952
※レギュラーコメンテーター:高山善廣&週刊プロレス・佐藤正行編集長

〔タイムシフト視聴可能番組〕
■河野真幸の「どーのこーの」第8回 http://live.nicovideo.jp/watch/lv266579229 7月5日(火)まで公開
※MC:河野真幸、アシスタント:鈴木健.txt

■長井満也インタビュー http://live.nicovideo.jp/watch/lv266581725 7月4日(月)まで公開

■KAIENTAI DOJO K-UP IMPACT 6・19Blue Fild大会中継 http://live.nicovideo.jp/watch/lv267206825 7月2日(土)まで公開
※コメンタリー実況:鈴木健.txt

■【全編無料】【プロレステーマ曲CD制作第一人者!キングレコード・大槻淳さん出演】鈴木健.txtのオールナイトニコプロ http://live.nicovideo.jp/watch/lv266577972 7月2日(土)まで公開

■WRESTLE-1 6・18横浜ラジアントホール大会中継 http://live.nicovideo.jp/watch/lv266599955 7月1日(金)まで公開 
※コメンタリー実況:鈴木健.txt

■ニコプロ一週間6月22日号 http://live.nicovideo.jp/watch/lv264210149 6月29日(水)まで公開
※レギュラーコメンテーター:高山善廣&週刊プロレス・佐藤正行編集長

■KAIENTAI DOJO6・19Blue Field大会中継 http://live.nicovideo.jp/watch/lv266915802 6月28(火)まで公開
※コメンタリー実況:鈴木健.txt

テーマ:
ジプシー・ジョーさんの訃報が海外から伝わってきた。6月15日(現地時間)、82年間に及ぶ放浪の旅を終えたという。哀悼の意とともに、最後の来日となった2010年12月に取材したリポートを加筆・修正しここに再録する。SMASH公式電子書籍『SMASH×SMASH No.2』に掲載されたものだが、ジョーさんの伝説を一人でも多くの方に知っていただくべく編集を担当した佐久間一彦・元週刊プロレス編集長から承諾をいただいた。



★   ★   ★

「おい、昨日は凄かったよ! ジプシー・ジョーっていうやつがいるんだけどさ、そいつがイスで背中をバンバン叩かれても全然平気でさ、相手に向かってに気をつけするんだぜ」

曖昧な記憶をたどっていくと中学生の頃、クラスメイトのそんな言葉に突き当たる。当時、私はジャイアント馬場とアントニオ猪木、そしてジャンボ鶴田。“ガイジン”ではアブドーラ・ザ・ブッチャーにミル・マスカラスといった名前を知る程度のプロレスとは縁のない日々を送っていた。

教室の中で男子が繰り広げるプロレスごっこを横目で見ているような生徒だったのだが、そのうちのひとりが会場まで足を運ぶほどのファンで、前日に見てきた報告を始めたのだ。彼は「マスカラスが来る!」と興奮していたが、第一声で聞かれたのは別のリングネームだった。

ジプシー・ジョー――顔や姿を見ていないのに、名前のインパクトは強烈だった。それまでの知っていた外国人選手のリングネームとは明らかに匂いが違った。

「おまえさあ、マスカラスが見たいからいったんじゃないの?」「マスカラスもカッコよかったけど、驚いたのはジプシー・ジョーの方だよ。ありゃあ、本物のジプシーだな」

くだんの友人は、その後もジョーについて熱く語り続けた。口に鉈(ナタ)のようなものを加えて入場してきたこと。髪はおよそ手入れなどされていなさそうで、小さい体を猫背にして見上げるように相手をにらむこと。そして背中をイスで叩かれるや一転して背筋を伸ばし、今度は頭を殴ってみろと言わんばかりにアピールすること…。

数日後、全日本プロレス中継にチャンネルを合わせると、ジプシー・ジョーを名乗る男がブラウン管の中にいた。友人の言っていた通りの風貌で、この日は脳天をイスで一撃され流血しながらも、やはり気をつけしてみせた。

現在、30代後半から40代後半にかけた年代のプロレスファンは、みな同じような原体験を持っているはずである。ブッチャーは毒針エルボードロップ、マスカラスは空中殺法を連想するのに対し、ジョーは自分の技ではなくやられる姿がサムネイルのように植えつけられた。

当時、そうした価値観で認知されたプロレスラーは、ジョーだけだったように思う。みんなが相手を攻めることで地位を確立していた日本のプロレスシーンにおいて、まったく逆の方法で記憶に刻まれた。

時は流れ、私は週刊プロレスの記者としてリングの神々たちを追うようになった。もう、すっかり過去のスターとして思い出の中の住人と化したジョーの実像を目の当たりとしたのは1991年8月、W★INGの旗揚げシリーズだった。

6年ぶりに来日する直前、ジョーはテネシー州ナッシュビルのバーで腹部を銃撃されるアクシデントに見舞われるが、手術で縫合した箇所を写真に撮り、それをW★INGへ送りつけ「俺は大丈夫だ。試合に出るとファンに伝えてくれ」とアピールしてきた。イスはおろかピストルで撃たれてもリングに上がろうとする彼を、人は不死身と表す以外になかった。

W★INGと、その後のW★INGプロモーションにも上がり続けたジョーは、10年ぶりの金網デスマッチに身を投じ“極悪魔王”の異名をほしいままにするミスター・ポーゴと激突。敗れたものの、ここでも脳天へのイス攻撃を何発も受けてはマニアのファンを狂喜させた。

ボサボサに痛んだ髪と、血でグシャグシャになった顔面。まさにボロボロなその姿には、昭和のレスラーからしかにじみ出ない哀愁があった。こうしてジョーは平成のインディーシーンにも名を刻み、2002年8月のIWAジャパン川崎球場大会にて引退セレモニーをおこなう。

ジョーを招へいしていた故ビクター・キニョネス(プエルトリコのプロモーターで、当時はIWAジャパン代表)のはからいによるものだった。これを最後に来日は途絶えたが、アメリカ国内ではインディープロモーションのリングにスポットで出場しているとの話は風の便りで伝わってきていた。

とはいえ77歳となった今、約8年ぶりに来日するばかりかプレイヤーとしてリングに上がり、しかも現役バリバリのTAJIRIとシングルマッチで対戦すると発表された時はさすがに驚いた。誰よりも、ジョー自身がこのトシになって日本に来られるとはまったく考えてもいなかったという。

「俺が今までやってきたようなスタイルからレスリングは変わった。今のボーイズには、今のレスリングがある。そういう中で自分が呼ばれて、いったい何ができるのだろうかと考えたよ。でも、気持ちだけは18歳の頃とまったく変わっていない。周りはそのトシでできるはずがないと言うだろうが、俺に言わせれば年齢は関係ない。むしろレスリングが移り変わってしまったことの方が俺にとってはクリアすべきテーマなんだ。俺の血の中にはレスリングが染み込んで体中を循環している。体を血が巡るかぎりは、レスリングを続けるのが当然だと思っている」

無事日本へ着いた翌日、新宿歌舞伎町にあるホテルのロビーへ現れた放浪の殺し屋は、Tシャツ一枚にスソのあたりが破けたジーンズ、そしてキャップというスタイルで取材に臨んだ。そして、こちらが聞くよりも先に77歳の現在もプロレスを続けている理由を口にした。

年老いたからやめるのではなく「自分がサンタマリアに抱かれる時まで」当たり前のようにあるもの。それがジョーにとってのプロレスだった――。

ジプシー・ジョーこと本名ヒルベルト・メレンデスは1933年12月2日、南米の楽園プエルトリコにて生を受けて、5歳の時に家族でニューヨークへ移住したというのが“史実”とされている。本人に確認したところ「記憶が曖昧」とのことだったので、一応それに基づいて話をたどるようにした。

家族でアメリカへ移ったのは、極貧だったからにほかならない。このままプエルトリコへいるよりも大国の方が、まだ可能性があると思った。

「何しろ家にテレビがないほどだったから、テレビでレスリングの番組を見るという習慣がなかった。はじめてレスリングを見たのは、ガキの頃に地元の鳥小屋みたいなところでやったのを覗き見した記憶がある。きっかけは忘れたが、会場にいったらドアが少しだけ開いていて、そこから覗くことができたんだ」

それが原風景として残ったため、ジョーの中にプロレスはスモールビジネスという認識がこびりついてしまう。貧困からの脱出を夢見る少年にとって、大金をつかむ夢の世界は野球だった。

16歳になると、ジョーはフロリダへ移りプエルトリカンが働くトマト農園で生計を立てるようになる。来る日も来る日も枝についた実を収穫し、いつしか大リーガーになって裕福な生活をすることだけが希望だった。

でも、なんのきっかけもつかめぬまま時間だけが過ぎていく。いつまで経っても赤いトマトは白いボールに変わらなかった。3年間、農園で働いたジョーは環境を変えるべくニューヨークへ戻る。

「そこに団体名さえ忘れてしまったプロモーションがあって、レスラーになるためのトライアウトを実施するという話を聞いたんだ。試しに受けてみたら、合格してしまった。力仕事をやっていたから、それが役に立ったんだろうな。そうでなければ、俺のような小さな体で受かるはずがない」

プロレスラーになりたいとの願望はまったくなく、むしろ少年時代のイメージがあったからとても稼げる職業ではないと思っていた。けれども、またトマト農園で働くよりはいいだろうと、とりあえずやってみることにした。

同じプエルトリカンのペドロ・モラレス(第4代WWE王者)やカルロス・コロン(カリートの実父で、プエルトリコの団体WWC=ワールドレスリングカウンシル主宰者)とトレーニングを積み、1963年にのちの名物マネジャーであるルー・アルバーノを相手にロングアイランドでデビュー。ただ、リングへ上がるようになってからもどうにも芽が出ない。

技術云々以前に、当時のレスラーたちの中に入るとジョーは小さかった。今のようにジュニアヘビー級が独立したクラスとして認知される時代ではなかったから、闘う相手はみんな自分よりもビッグガイばかり。

当然のごとくプロレス一本では食っていけなかったため、ジョーはレストランでコックをやりながらリングへ上がっていた。その後、オクラホマに移りダニー・ホッジへレスリングを学ぶ。

ホッジも小さい体ながら、ヘビー級の相手とやっても負かしていた(NWA世界ジュニアヘビー級王者として有名)。だからなのか、いつもデカい男にコテンパンとされていたジョーに目をかけた。

オクラホマにいた2年間で、ジョーはレスリングのベースを身につけた。そしてホッジに別れを告げてこの地を出たところからプロレスラーとしての放浪の人生が始まったといえる。

「俺の足跡は鉛筆で書いた文字のようなものだ。大して活躍しなかったから、何も記録が残っていない。“ジプシー・ジョー”という名前が書かれても、消しゴムで消されて何も残らない。だから、100%正確なジプシー・ジョーのヒストリーを追うのは誰にも不可能なんだ。『おい、昨日までいたジョーがいないぞ。どこにいったんだ?』『知るかよ。あいつは家もないから連絡がとれない』…そんな会話がドレッシングルームではおこなわれていたんだろうな」

どこかに定住せず、リングを求めてアメリカ、カナダ、メキシコ、そして日本を50年近くも流浪してきた。今でもジョーは、実生活もジプシーそのもの。

18歳のひ孫に一番下の弟が生まれ、この1月で1歳になった。4世代に及ぶ家族たちがいながら、一緒には住まずにいる。そもそも、自宅にあたるものを持っていないのだ。

現在は「マイ・ガールフレンドとルームシェアして」テネシー州ナッシュビルの郊外にあるライルスという街に住んでいるそうだが、3カ月前までは別の友人宅に居候していた。こうして、知り合いのところを転々とするジプシー生活を続ける。

「一個所でジッとしているのは性に合わなくてな。俺はトラディショナル・ジプシーだ。それにしてもアメリカの政府は立派だ。俺のようなジプシーにも年金をくれるんだから。ハッハッハ」

少年時代に夢見ていた億万長者にはなれずとも、食うには困らぬ環境の中で好きなレスリングを続けていられるのはしあわせだとジョーは言う。

消しゴムで消した鉛筆の文字には、いくつものリングネームが記されている。最初のうちは、テリトリーを移るごとに“ジョー”は同じでもファーストネームの方を替えられた。

「メキシコではアズテック・ジョーを名乗れと言われた。アラスカでは“チーフ”ツナ・ジョーと名づけられた。俺が魚? おかしな名前をつけるなと思ったんですぐに飛び出した。ボボ・ブラジルが『ツナ、ツナ』って俺をからかった。あの時は今よりも金がなかった。その後、どこかのテリトリーで“ジプシー”を名乗れと言われた時、今までの俺の足跡と合っているなと思って定着させた。そこからカナダに渡りモーリス・バションというタフ野郎に出逢った。彼との出逢いが、俺の運命を変えた」

元AWA世界ヘビー級王者マッドドッグ・バションとして知られるモーリスの当時の主戦場は、少年時代に過ごしたカナダ・モントリオールだった。そのライバルとして、ジョーは名を馳せるようになり、地元のタイトルであるGWA世界ヘビー級王座を獲得する。

激しい抗争を繰り広げながら、小さくとも無類のタフネスさに手こずったバションは「こいつとなら日本のファンが驚くような試合ができる」と、国際プロレスへ売り込んだ。初来日となった1975年9月に、その後のジョーの運命を決定づけるイス攻撃との邂逅は訪れていた。

「あの頃、場外戦でイスを使う時はみんなが相手に投げつけていた。それを見て、投げるよりも叩く方が凄いだろうと思った。でも待てよ、叩くよりも叩かれてそれでも平気な方がプロレスラーらしいじゃないか。そう思って、仲間のレスラーに『俺の背中を叩いてみろ』と言って叩かせた。そのあと、トーキョーでモーリスとビッグマッチを闘った時、俺がイスで叩かれたことを当時のマガジンのライターが大きく扱ってくれた。そうか、俺はこれが評価されているのかとわかったんだ。それでカナダに帰ってからも同じことをやったら、案のじょう大ウケさ」

それからのジョーは、毎日のように背中や脳天をイスで殴られ続けた。なぜ耐えられるのかという素朴な疑問を向けると「俺は叩かれるのが好きだし、叩かれても平気なんだ。耐えているのではなく、まったく苦痛に思わない。なんで頑丈なのかと聞かれたら、それは俺にもわからないがな」が返答だった。

国際に来なければ、もしかすると自分の体をイスで叩かれるという“見せ場”に気づかぬままのレスラー人生だったとも考えられる。もっとも、殴られるばかりでは勝てない。そこで得意技として使うようになったのがコーナー最上段からのダイビング・ニードロップだ。

「ニードロップを使い始めたのがいつだったのかは…思い出せないな。ただ、ひとつ確かなのは、当時は誰もそれをフィニッシュに使っていなかった。キラー・コワルスキー? 確かに彼もニードロップを使ってはいたが、あれはスネやカカトが当たる時がある。俺のニードロップは、必ずヒザを相手に突き刺す。その意味では別の技だと思っている。

ヨシワラカンパニー(国際の社長は吉原功氏)でキムラさん(ラッシャー木村)とケージマッチをやった時も、コーナートップからニーを落としたら観客が大興奮した。ほかにもへッドバットを多用してみたんだが、どう見てもニーの方が興奮している。そのうちジプシー・ジョー=ニードロップというイメージができたから、それはもう使い続けるしかないだろう。客はそれが出るのを見に来ているんだから」

彼を知る者であれば誰もが代名詞と認識するイス攻撃受けとニードロップは、いずれも日本における試合が大きく影響していた。このような過程を経てジョーは全日本の常連外国人となり、記憶に残るレジェンドの仲間入りを果たした。

ここから先は、TAJIRI戦をリポートした私のブログに加筆・修正したものを転載することで、ジョーの過去と現在を結びつけさせていただく。2010年12月11日、我々がSMASHで聴いた、放浪の殺し屋が奏でるボヘミアン・ラプソディーを――。

☆   ☆   ☆

大会前々日の記者会見で、ジョーさんは右ヒザの負傷と右足小指の切断について明かした。まず、TAJIRIもいきなり見せられ息を飲んだ足の小指は2年前に化膿した。試合中のケガによるものではなく、なんらかの原因でばい菌が入り、年齢による免疫力の低下で思いのほかヒドい状態となってしまったらしい。

ジョーさんがジョーさんらしいのは、大きく腫れあがった指を見て「これは中に血が溜まっているんだな」と思い、病院へいかず針で小指をグリグリとやったこと。想像しただけで痛みを覚えるが、それで治るならばと無茶をした。

ところが、血も膿も一滴たりと出ない。おかしいと思いようやく病院へいくと「これはとんでもない状態ですよ! 小指を切断しなければ、ここから全身にウィルスが回って確実に死にます」と診断された。

さすがの放浪の殺し屋も、まだプロレスを続けたいのに死ぬわけにはいかない。「OK、ひと思いに切ってくれ」と言って、切断手術を受けた。現在もその個所が痛むらしく、一日1粒の鎮痛剤を常用している。

ジョーさんが痛み止めに頼るもうひとつ理由が、右ヒザだ。韓国での試合中に攻められてジン帯がイカレてしまった。それは、十八番であるダイビング・ニードロップを打つ方。常識的に考えたら、もう出すのは不可能となる。

にもかかわらず、今もニードロップをフィニッシュとしている。「観客が“ジプシー・ジョー=ニードロップ”というイメージを持ち続け、見られるのを期待するかぎりは出さなければならない」が、そのプロレス哲学だからだ。

「そうはいっても、ヒザの負担をできるかぎり抑えるために今はセカンドコーナーからしか出せなくなった。ヨシワラカンパニーで試合をした時、ケージの最上段からニーを落としたが、今の俺にはハッキリ言って無理だし、それどころかトップコーナーからもやれなくなっちまった。でも、客がそれを望んでいるならば、たとえ最上級のものではなくとも現時点での最高なものを出さなければならない。タジリとの試合で俺は、セカンドコーナーから最高のニードロップを突き刺してやるよ」

日本のファンはダイビング…つまりはコーナー最上段からのニードロップを見たいと思うだろう。その願いに応えるべく、ジョーさんは狙う気でいた。

TAJIRIとのレスリングによる会話に何かを感じ、セカンドではなくトップまで登り出したら…もう、その時点で観客は涙腺が決壊するに違いない。

プロレスのリングは、そしてファンの声援は時として選手自身が想像し得ない力を与える。ジョーさんだって、あの頃のようにトップコーナーからニーを落とせたらと願っている。TAJIRIと観客と、本人の思いが結集した瞬間、奇跡は起きる。

たった数十センチの違いであっても、ジョーさんが登るセカンドコーナーとトップコーナーの間には、これほどの大きすぎる違いが存在する。1992年2月、W★ING後楽園ホール大会でおこなわれたポーゴとの金網デスマッチのタイトルは「ジプシー・ジョー10年ロマンス」だった。

TAJIRI戦でジョーさんが、トップコーナーまで登ってダイビング・ニードロップを成功させれば「77年ロマンス」が現実のものとなる。放浪の果てに、ジョーさんは夢を見るか――。

そして当日。開始前にSUNAHOリングアナウンサーが「ジプシー・ジョーさんの試合を見たことがある方はどれぐらいいらっしゃいますか?」とアンケートをとったところ、手を挙げたのは600人(主催者発表)中20~30人ほどだった。つまり、新宿FACEへ足を運んだ方のほとんどは放浪の殺し屋を情報でしか知らない。

まさに伝わった説…伝説としての対象であり、深い思い入れを持たず「いったいどんなものなのだろう」という感じで臨んでいたはずだ。だからこそ、そうしたジョーさんを知らない現在のプロレスファンが見た時に何を感じるのか、さらに興味が増した。


TAJIRIの入場後、流れてきたのは5月に他界されたラッシャー木村さんが国際末期と新日本に乗り込んだはぐれ国際軍団時代、そしてファミリー軍団でも使っていた『Rebirth of the beast』だった。このチョイスは素晴らしい。

私は、W★ING参戦時の曲を予想したのだが、TAJIRIは当時を知る識者にいろいろとリサーチした結果、この曲をかけようと思ったのだという。確かに、木村さんのテーマであると同時に国際プロレスのイメージにも合っている。アントニオ猪木と抗争を繰り広げていた頃、毎週金曜の夜にかかっていたほどだから、そうした印象が強く残っているのも当然だった。

木村さんと金網デスマッチで壮絶なる激闘…イマっぽい言い方をすればハードコアな試合を繰り広げたジョーさんは、そのテーマが流れる中を放浪の殺し屋よろしくしばしリングサイドを徘徊し、ロープをくぐる。イスを1脚持ちながら姿を現した時点で、腕や脚が少年のように細くなっているのがわかっても、たたずまいはプロレスラーのそれだったから観客はどよめいた。



77歳の肉体ながら眼光は鋭く、構えにスキがない。そして開始のゴングが鳴らされると軽く体の前に伸ばしていた両腕でロックアップにいき、TAJIRIの腕をむんずとばかりにハンマーロックで捕える。そこからグラウンドに移行するとアームバーへつないだ。



29歳でデビューし、48年間もの歳月をかけて体に染み込ませてきたレスリングによって、ジョーさんはTAJIRIと時空を超えた会話をしていた。2日前に取材したさいは少しばかり耳が遠くなり、古い記憶が消えていて言葉が出てこないところもあったのだが、声を発するより何倍も雄弁に見えた。



スタンドに戻るとTAJIRIの胸板にチョップを放ち、その後は場外戦へ。SMASHでは旗揚げ以来、欠かさずキニョネスさんの遺影が本部席へ飾られている。

そのビクターが微笑む背中越しに、TAJIRIとジョーさんが乱闘を繰り広げている。SMASHだから、3人が同じ空間に集えた。

場外戦から戻ると、ジョーさんはコーナー下に置いてあったイスを持ち込み、振り上げる。TAJIRIが距離を広げ攻撃を受けないようにすると、すべてを理解しているかのごとくスペシャルレフェリーを務める遠藤光男さんがそれを取りあげ、相手に渡した。

ジョーさんにとって、イスは使うのでなく使われるためにある。そしてTAJIRIは…思いっきり振りかぶり、その脳天へ振り下ろした。



「世界に一羽しかない朱鷺(トキ)を扱うような緊張感でした。やっぱりそれ(イス攻撃)によって死ぬ可能性があっても、ジョーさんはやると思った。だから僕も、覚悟を決めないといけない」

考えてみてほしい。誰が愛してやまぬ77歳の頭をイスで貫けるだろうか。たとえジョーさんがプロレスラーであり、今なおそれをウリにしていると理解はできても、ためらいがあって当然だ。

それでもTAJIRIはイスでぶっ叩いた。そこで手を抜いたら、ジョーさんの伝説に泥を塗ってしまうからだ。文字で書けば「プロレスラーがプロレスラーの頭をイスで殴った」と簡単に済まされてしまうが、言葉などでは表せぬ凄みが、2人にはあった…そんな瞬間だった。

ジョーさんは、2脚のイスの底を抜いてしまった。それでも倒れることなく「もっとやって来い!」とばかりに身構えた。



「この前、試合をやったばかりなんだが、その時もアタッシュケースの角で頭を殴られた。でも、血は出なかった。それで大丈夫だったのかと思って頭をかいたら、バラバラッと肉片のようなものが落ちてきやがった。頭を殴られること自体は耐えられるが、さすがに最近は歩く時に体のバランスがとれなくなってな」

取材時に私へ見せた頭頂部の傷はこの攻撃によりパックリと開き、血が湧き出てきた。長年のダメージが脚の神経に来ているのと、右ヒザの負傷によって歩くのもシンドい現実を、TAJIRIは前々日の会見へ向かうさいに偶然目撃してしまったと言っていた。

「ジョーさんはニードロップをやるって言っていたんですけど、ヒザがボロボロで…サポーターも僕が貸しました」

「トップコーナーは無理だが、セカンドコーナーからだったら…」と言っていたものの、TAJIRIの話を聞くと本当はそれさえも出せる状態ではなかったのだと思う。しかし日本のプレスの手前、観客が期待してやまぬニードロップを打てませんとは、口が裂けても言わない。

最後の最後まで、放浪の殺し屋の得意技はニードロップだと言い張るのだろう。

イス攻撃を受けきり驚愕させた直後に、ジョーさんはグリーンミストを浴びて丸め込まれた。ニードロップ・ドリームは見られなかったが、TAJIRIの呼びかけによってリング内へ上がってきた選手たちがスタンディングオベーションで称えるその空間には、77年ロマンスが確かに在った。



私は、プロレスが好きでもレスラーになろうと思ったことはない。あんなに厳しくて辛い練習など、自分のような人間には到底不可能であるのがわかっているからだ。

そんな私でも、プロレスラーが心底羨ましく思える時がある。この日のTAJIRIのように、自分が愛したり影響を受けたり、あるいは心の底から尊敬したりする先人と直接肌を合わせることによって会話ができる特権。

こればかりは、数えきれぬほど試合を見てこようが、フロントとして団体に携わろうが不可能。同じプロレスラーだからこそ、このような形で敬い、輝ける舞台をプレゼントできるのだ。

TAJIRIは、SMASHという自分の器を作ったことでファンの頃に感動を与えてもらった神々たちを迎え入れられるようになった。2008年のレッスルマニア24で引退したリック・フレアーを、翌日のロウにおけるフェアウェルセレモニーで進行役を買って出て盛大に送り出したのは、トリプルHだった。

心を揺さぶられてたまらなくなるぐらいに愛する人間国宝級のレジェンドに対し、そこまでやれるのはプロレスラー冥利に尽きる。あの日のトリプルHが、ジョーさんを抱き締めるTAJIRIと重なった。

サポーターが施されていない方のヒザをキャンバスにつけて、ジョーさんはTAJIRIとSMASHと、日本のファンに感謝の意を述べた。そして、まだまだやれると言わんばかりに、か細くなった右腕で力こぶを作ってみせた。



本当にカッコいい人間とは、こういうことをいうのだろう。この日、有明コロシアムで開催されたK-1グランプリでは、40歳のピーター・アーツが決勝戦まで進みファンを熱狂させた。西の大阪府立体育会館ではIWGPヘビー級王者の小島聡が、中邑真輔と激闘の末に防衛を果たした。

それぞれに、それぞれの満足感や感動があったと思われるが、ジョーさんが奏でたボヘミアン・ラプソディーを聴けたのは、新宿に集った600人だけのかけがえのない宝物だ。肩車されるとスポットライトが浴びせられ、スクリーンには放浪の足跡をイメージした映像が流れる。TAJIRIは、マイクを握らなかった。

思いのたけはいくらでもあったはずなのにアピールをグッと抑えた。観客のひとりから贈られた花束を受け取ると、ジョーさんは座り込んで両手を合わせ、天を仰いだ。 

「日本のファンは、もう俺がサンタマリアのところへいったと思っていただろう?」

2日前の取材における第一声がそれだった。この時も同じように、ジョーさんは手を合わせていた。

どうやら、長きに渡るジプシー人生をこのトシになっても続けていられるのは、マリア様のご加護を受けているからだと信じているらしい。家族のもとにさえ留まらずに流浪を続けたジプシーが、最後の安住の地として選んだのはSMASHだった。

バックステージでのコメントを終えると、報道陣から自然発生的な拍手を贈られた放浪の殺し屋。それから30分ほど経って、会場を出るべく控室のドアが開けられたままとなっている前を通り過ぎようとしたところ、こちらへ気づいたジョーさんはイスに座ったまま寄りかかっていたカベに後頭部をガンガンと打ちつけ始めた。

慌ててスタッフがやめさせたが「俺はまだ耐えられるぜ!」とのアピールだったのは明白だった。観客が見ていないところでもジプシー・ジョーであり続けようとするそのプロ意識…世の中にはこんなにもカッコいい77歳がいることを、プロレスというジャンルは誇るべきなのだ。

☆   ☆   ☆

「今のレスリングスタイルがベストだとは俺は思わない。何よりオリジナリティーがないな。俺が若い頃は手本となるものがあったとしても試合の中でほかにないものを求めたものだった。高い服を買っても似たようなものだったら個性など出ない。俺なら自分だけ安い服を買う。その方が目を引くからだ。レスリングがショービジネスなのは理解しているが、ショービジネスはグッドとバッドの2つで測れるようなものではないのだ」

ジョーが滞在した間に聞いた言葉の中で、なんとなく引っかかった一節が今も脳内でゆっくりと旋回し続けている。彼は、オリジナルであり続けるために人生を放浪してきたのではないか。

そんな結論めいたものが浮かんできた。かくしてジプシー・ジョーは、他の誰にも描くことができぬ一代限りの壮大な大河ドラマとなったのである。サンタマリアの御加護を――。
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6月2日より花まる学習会王子小劇場にて劇団「柿喰う客」が、10周年イベントとして「柿喰う客フェスティバル」を開催。26日までの25日間(うち3休演日)、5作品を計54公演おこなうというもので、演る方と見る方の双方が別の意味でたまらない状況を満喫している。

演る側は言うまでもなく、5つの作品を同時進行させるのだから時間との闘いをまず強いられる。出演者は分けてあるが、中にはフェス中に複数出演する役者もいる。柿喰う客の看板俳優・玉置玲央は一人芝居『いまさらキスシーン』で必要以上に熱苦しい(暑苦しいではない)キャピキャピな女子高生をTモロ(Tバックモロの略)で熱演する一方『フランダースの負け犬』ではドイツの将軍様と、ほぼほぼ真逆の役作りを同時進行でこなす。劇団を主宰する中屋敷法仁にいたっては稽古においてすべての演出を手掛けなければならず、よくもまあこんな過剰な試みをやろうと思ったものだと、それだけで称賛したくなった。

こうした企画は、ファンであれば一度は考えるもの。たとえば音楽のライヴにて「100曲演ってほしい」と絵空事を思いつつも、おいそれと形にできるものではない。だからこそ昨年9月に2日間で、今年3月には1日で100曲を演りまくったPOLYSICSは、いい意味でどうかしているのだ。

柿喰う客が作品を積み重ねる中で、同じような願望を持ったファンも多かっただろう。今回のフェスは、私のような過剰好きな人種にとってドストライクな企画であった。2011年に女性のみで演じる『女体シェイクスピア』シリーズをスタートさせた以後は、そちらの方がクローズアップされるようになったし、柿喰う客もおそらく意図的にそのイメージを前面に打ち出していたと思われるが、オリジナル書き下ろし作品にこそこの劇団の神髄があると思っているので、それらが集められた現在形のオムニバスは嬉しかった。

初めて見る者をまたたく間に引きずりこむグルーヴ感あふれるセリフ回しと、体のパーツごとに意思を持ったかのような演技、そして剛速球とスローボールを使い分けたリズムによる表現…劇団のキャリアとともに表現の幅を広げつつ、こうした“らしさ”はいつまでも持ち続けてほしい。過去にとらわれぬことなく進むのは大切だが、その中で新たに得たものや感覚の変化によって作品が生まれ変わる魅力も捨て難い。

ましてや10年も続けていれば客層も入れ替わっており、リアルタイムで体感していないファンも増えている。着実に観客動員を伸ばしている柿喰う客だからこそ、最近のスマートさとは一線を画した近い距離感から投げつけるような刺激が強みとなるはずなのだ。

まずは前述の一人芝居を観劇した。2010年に今はクローズした新宿2丁目の小劇場・タイニイアリスで初めて柿喰う客と出逢った時、玉置は当時在籍していた村上誠基との二人芝居『八百長デスマッチ』を演じた。

「暗転してから舞台に照明がつくや、そこにいた若者2人は早口言葉よりも早口なスピードでまったく同じ台詞をシュルシュルと流し出した。それは、話すとも語るとも言うとも違うし、喋りまくるでも追いつかない。それほど速く、そして完ぺきなまでに“同期”していた」

当時のブログで、そのように書いた。とんでもない役者が世の中にはいるものだと…案のじょうというべきか、その後の作品においても玉置は突出した存在感を誇るようになった。今回のフェスでも再演されている『露出狂』は14人の出演者全員が女優なのだが、2012年にその男版がパルコ・プロデュースでおこなわれた。そこでも肉体の演技にとどまらず、声量・声質から滑舌、間のとり方までが“別モノ”だった。

速ゼリフを覚えたとしても、聞き取れずに伝わらなかったら本末転倒。今回の一人芝居においても玉置演じる恋に生きる女子高生の心情が、言葉とリズムと顔芸によって描かれていた。“男が演じる女の子”と“女の子に見えてしまう男”を場面によって演じ分けられるから、とても1人の人間によって表現されているとは思えなくなる。

何よりも頭、顔、手、腕、腰、脚などパーツごとの表現があり、セリフがある。つまり多勢でやることを1人で演っている感覚に見る側は陥ってしまうのだ。それは一人何役というスタイルとは異なる、玉置ならではの表現力なのだと思う。

ああ、この疾走感だ――いまさらキスシーンを見て、少しばかり懐かしい感覚にとらわれた。そして2回目に足を運んだのが露出狂。同じ王子小劇場でおこなわれた初演、そして前述の男性版に続き、これが3回目の観劇となる。

女子高のサッカー部が舞台で「女子14人のプライドと痴情が絡みあう不朽の大迷作! 強豪サッカー部で巻き起こる壮絶で下劣な泥試合!? こんな青春に誰がした! 愛憎×群像×スポ魂活劇!」というのがオフィシャルなあらすじ。サッカーのシーンはほとんど描かれず部内の人間関係が物語を紡いでいくのだが、90分間を一気に駆け抜けるためそのスピード感はスポーツ観戦と相似している。

前回まではステージ上に螺旋階段からつながる高い台がドンと置かれていたのに対し、今回は柿喰う客のイメージカラーであるピンクで彩られた鉄骨がコの字に囲んでおり、そこへ登ったりしがみついたりする。加えて足場には傾斜が施されている。2011年公演のオリジナル作『愉快犯』ではもっと急な角度でつけられていて、そのアフタートークで中屋敷は「それによって普段は使わない筋肉を使った表現を出すのが狙い」と言っていた。

セリフは速いわ、音に合わせて動かなければならないわ、感情を表現しなければならないわに加えて必要以上に筋力を使うわで、よく頭と体がバラバラになることなくシンクロしているなと感心しさせられてしまう。にもかかわらず14人の女優陣はキャラクターを被らせることなく、登場人物と自身の色を印象づけていくのだ。

柿喰う客メンバーからは4人が出演。劇団の副代表を務める七味まゆ味は6年前のタイニイアリスで『いきなりベッドシーン』という一人芝居を怪演。その鬼気迫る表情は、身内の中屋敷をして「七味さんが怖いんで再演はやりたくない」と言わしめるほどで露出狂には唯一、初演に続きキャスティングされた。

女異形(いぎょう)職人と言うべきその表現力は、舞台上の世界がシェイクスピアになろうがケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲『フローズンビーチ』を逗子の砂浜に建てられた小屋の中で演じようが、不変のオリジナル・オブ・オリジナル。そんな七味が狂言回し的なセリフを担うことで、全体を引っ張る。

その役・佐反町(サソリマチ)は初演時、コロという当時の柿喰う客に在籍した女優が演じた。退団したいきさつなど知る由もなければ観劇する上で必要な情報とも思わないが、それでもあとに残った七味が務めるという事実に、ささやかな物語性を描いてしまった。

また、葉丸あすかは初演の時点で入団しておらず、今回が“初露出”となる。何度も舞台で見ているはずなのに、途中まで彼女と気づかなかった。それほどいつもとは違う顔をして役・白峰(シラミネ)になりきっていた。

さらに今回の舞台で新メンバー2名がデビュー。ボーイッシュなルックスの長尾友里花はハマり役だった。というのも、初演時に同じ役・御器(ゴキ)を演じた熊川ふみ(範宙遊泳)もショートカットで、アフタートークにて観客から「そこは狙ってキャスティングしたんですか」と質問が飛んだほど、強く印象が残っていたからだ。

同じく柿喰う客のメンバーとして初舞台を踏んだ福井夏(役名・比留)は、対照的に適度な変態性を人形のような顔で演じるアンバランスさで、オーディエンスの目を惹きつけていた(P-MODEL時代のことぶき光のような、アレ)。世代が変わっても、この劇団に集うべき人材がちゃんと入ってくるものなのだと嬉しくなった。

「オール女の子…といっても女子高のサッカー部が舞台とあり、ほぼ全員が血中おっさん濃度の高いキャラ。十分にきれいどころとしてやっていけるような女優たちが怪女、あるいは快女になりきるサマこそが、彼女たちにとっての露出…さらけ出すことなのかもしれない」

初演を観劇した時に書いた印象は、今回にも当てはまる。きれいな顔立ち、あるいはあどけなさを残した女たちが制服を振り乱しながら自分を露出させ、チームと個の間で価値観を蹴飛ばしてはシュートし合う。

サッカーの実力がない人とは一緒にやりたくない→その結果、人数が足りなくなる→新入部員を入れて増やそう→人が増えれば誰が誰のことを好きという話になる→結果、すこぶるややこしくなる→それぞれが自分を露出した揚げ句、待っていたのは――複数の人間が集って勝負を争う世界であればじっさいに起こりそうなあれやこれやに、女子高生たちが直面したらどんな人間模様となるかが描かれているものの、それだけで終わらせるような柿喰う客ではない。

七味と葉丸の柿陣はともかく、ルーキーの2人と他の客演10名にとっては高いハードルだっただろう。その中の1人に、葉枝(ハエダ)役の山口ルツコがいた。

プロレス方面では女子団体・アイスリボンの元選手であり、現在はリングアナウンサーを務めることで知られている。今回、5作品を同時上演すること以上に衝撃的だったのは、プロレス関係者の中から“あの”柿喰う客の作品に出るという嬉しすぎるニュースだった。そして本人も…。

「1月ぐらいに七味さんから『6月って空いてる? じつは…』ってLINEをいただいたのがきっかけでした。もともと青蛾館の『星の王子さま』という作品で七味さんとご一緒させていただいて、私が大学を卒業して初めて外部の舞台に出たのが中屋敷さんの演出だったのでもともと知り合いではあったんです。でも、なんで自分を選んでいただいたのかは聞いていなくて…私は演劇での夢が3つあって、そのうちのひとつが柿喰う客の女体シェイクスピアに出ることだとずっと言っていたんです。なので今回、夢の半分がかなったことになります。その連絡をいただいた時は歌の録音中で、携帯を見た瞬間『うわーっ!』って叫んで喜びたかったんですけど、スタジオで録音していたのでいったん外に出てから叫んで、泣きました」

洗足学園音楽大学在学時に教わった演劇の先生が桜美林大学でも講師を務めており、そこの生徒だった中屋敷がミュージカルコースで書き下ろしを提供。その関係で、山口は存在を知った。

卒業後、中屋敷が演出を担当する流山児事務所『アトミックストーム』のオーディションがおこなわれるとの情報をキャッチ。「大学を出て一発目の舞台がこれだったらいいな」と思い、その前に柿喰う客の舞台を見ておこうと思い立ち目の当たりにするや、それまであまり観劇はしていなかったにもかかわらずハマってしまった。

オーディションにも合格し、山口は中屋敷の演出を受けた。だが、それでも今回の露出狂は大いなるチャレンジだった。

「セリフのテンポが速いのはもちろんですけど、この音楽がかかったらパッと動くみたいな“きっかけ”が多いんで、最初はそれとテンポをつかむのに必死で感情を表現するどころではなかったです。頭の回転が追いつかずに、みんなで稽古中ギャーギャーのたうち回っていました。声のトーン、体の動き、感情などすべてのコントロールが倍に求められる作品なので、いっぺんにたくさんのコントロールを要する。そういう演出は今まで俳優として経験がなかったので、柿喰う客さんに出られる喜びも束の間でしたね。密に稽古をやったのは…9日間ぐらいかな。普段はもっと長い期間で稽古をやるそうなんですけど、今回は5作品をやるので作品ごとに時間を分けなければならなくて。だから決まった時間よりも早く会場が空いていたら、みんなで集まってやっていました」

作中はチームワーク支持派と否定派に分かれていたが、当然ながら演劇はフォア・ザ・チームの精神がなければいい作品とはなり難い。同じ喜びで気持ちを支えつつ、同じ壁にぶつかることで10名の客演組は柿らしくなっていった。

山口は14人の中でもっとも長身のため、それだけで存在感がある。そこに加えて柿喰う客の表現方法を武器として使えるようになれば女優として飛躍的な成長を遂げられる。話を聞いた時は、いっぱいいっぱいだと泣きそうな顔をしていたが、ステージ上の彼女はアイスリボンのリングでコールをしている時と同じように堂々と、そして他の誰よりも大らかに演じていた。

全体的なテンポが速い中で、山口がアクセント役を担っている(もちろんだからといってセリフがほかと比べてイージーというわけではない)。緊張と緩和のバランスを配慮する上で、重要なポジション…本人はどうして選ばれたのかと言っていたが、客席から俯瞰してみると、なんとなくその理由がわかる気がした。

「お客さんの反応が毎回新鮮で、稽古場でやると演者たちの間で面白いと盛り上がっても客席がそれほど反応しなかったり、その逆があったりで。集中力を途切れないようにしないといけないんですけど、必死になりすぎて感情ばかりでいっちゃうと、きっかけが飛んだりするので毎回ドキドキしています。それでも中屋敷さんの楽しい演出と、細かなチェック、そして劇団員の方々がキャストをまとめてくださることでグルーヴ感ができていった。柿さんに出演して、改めて中屋敷さんの演出と作品、柿喰う客の空気感が大好きになりました」

見る側だけでなく、柿喰う客には演じる側も夢中になれるものがある。プロレスに携わっている人間が、このハイレベルかつエンターテインメント性に満ちた劇団で輝いているのは本当に感慨深い。ちなみに劇中、プロレスファンなら知っているフレーズが出てくる。しかもそれが山口のセリフなのだ。

念のため確認すると本人がそういう言い回しを持ってきたのではなく、台本に書かれていたのだという。でも、そのセリフこそが柿喰う客という劇団の方向性を的確に表していると思った。いったい、どんな“プロレス用語”なのかは、会場で拾っていただきたい。

「露出狂というインパクト大なタイトルなんですけど、どの部分がどういう形で露出されていくのかというのと、真剣に熱い感じにフザケて楽しんでいます。見ていて快感になるテンポの速さ、グルーヴ感、凄まじいエネルギー量といった柿喰う客特有のものを、プロレスファンの皆様にも体感していただきたいです」

そう言い残すと、山口は3公演目に向かっていった。回を重ねるごとに自分の言葉と体と感情で夢を形にしている実感も膨らんでくるだろう。目まぐるしい展開の中からにじみ出る彼女の喜びを共有するべく残りの舞台に足を運び、柿喰う客を脳内にある“面白フォルダ”にファイルしていただきたい。早口で言わなくてもいいから。(文中敬称略)


柿喰う客『露出狂』
6月11日(土)14:00/19:00
6月12日(日)14:00【完売】
6月13日(月)15:00/19:30【完売】
6月18日(土)19:00【完売】
6月19日(日)14:00
※購入可能なのは4公演(6月11日現在)
〔入場料金/全席指定〕
極楽:5800円※特典:最前列保証+特製缶バッジ+Tシャツ(非売品)+メンバーの直筆メッセージ付きポストカード+めこちゃん(柿喰う客イメージキャラクター)ショップバッグ付き
一般:4300円
学生:2800円
高校生以下:1400円
なかよし割引(3名以上で観劇する場合のみ適用/表示金額は1人あたりの料金)
なかよし一般:3300円
なかよし学生:2000円
なかよし高校生以下:1000円
〔作・演出〕中屋敷法仁
〔出演〕七味まゆ味、葉丸あすか、長尾友里花、福井夏、太田ナツキ、加藤紗希、角島美緒、清水みさと、高島佑香、西村由花、藤咲ともみ、松永渚、松原由希子、山口ルツコ
〔チケット購入・詳細〕柿喰う客フェスティバル https://kaki-kuu-kyaku.com/next.html
ほか4作品『サバンナの掟』『いまさらキスシーン』『フランダースの負け犬』『へんてこレストラン』の情報もこちらから
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音楽は記録としてアーカイヴされていくものだから、リアルタイムで体感せずとも作品のよさに触れることはできる。だが出逢えたことの悦びを味わうならば、ライヴに勝るものはない。人生において何度となく自身の幸運を噛み締めるシチュエーションは訪れるが、夢中になれるアーティストが目の前で奏でる現場へ身を置くたび「この時代に生まれてよかった」と思うのだ。

数年ズレていたら出逢わぬままだったかもしれないし、時代が違えば嗜好を構築するバックボーンも変わる。それによってまったく違った人生を歩んでいた可能性もある。さまざまな物事のタイミングが合致して今、自分はこの場所で音楽を聴いていられるんだという感慨――。

プラスチックスが活動していたあの時代、私は中学生でようやくYELLOW MAGIC ORCHESTRAによって音楽が自分を形成するひとつになり始めた頃。そこから派生したものを聴くにはもう少し時間を要したため、リアルタイムで見ることができなかった。

3枚のオリジナルアルバムからフライパンの上で踊るポップコーンのごとく弾き出される音にまみれては体が揺れ、そしてその後には必ず「もっと早く知っていればよかった_| ̄|○」とため息をついたものだった。もっとも、出逢ったところで中坊だから財力もなく、ライヴハウスに足を運んで夜な夜な先端のカルチャーを満喫するなどというのは別世界のオハナシである。

初めてプラスチックスのライヴにいったのは1988年11月で、今はなきINK STICK芝浦FACTRYでおこなわれた2日間限定の復活ライヴ。ようやく見ることができたというのに、不思議なほどその時の記憶が抜けている。自分の中にあったイメージは佐久間正英が生ベースを弾く前のサウンドであり、CR-78の「ポッポコポッポコ」とTR-808「タンタカタンタカ」の違いが「あれれ? こういうものなのか」との思いを生じさせたのか。

何よりも、プラスチックス解散後ソロになった立花ハジメの「LIVE TAIYO-SUN」があまりに衝撃的すぎた。おびただしい数のモニターを並べ、自作の楽器「アルプスシリーズ」をガンガン打ちならしながらRADICAL TVのCGとライヴ映像を混ぜ合わせて出力するそのアイデアは、斬新かつカッコよかった(特に青山スパイラルホールではなくその前年、ラフォーレミュージアム赤坂で演った統一感を崩したステージングの方)。もしもタイムマシンあるならば、YMOの“凱旋公演”や解凍P-MODELの1992年渋谷公会堂ライヴと並んでその場にいきたいと思う、夢のようなテクノショーだった。

限定復活ライヴよりも前にそれを見ていたため、立花ハジメソロの方がプラスチックスと相似形に映ったのだ。一方のMELONは、自分にとって“歌モノ”。この時から、私にとって生涯のベストヴォーカリストは中西俊夫となり、あれから35年が経った今もその認識に変わりはない。

MELONもそうだが、WATER MELON GROUPとして色気を漂わせた「SEXSANOVA」や「FLY ME TO THE MOON」に、あるいは『ピテカントロプスの逆襲』でスネークマンショーのギャグにはさまれながら、ファンキーな唸りで渡り合ったナンバー「TRANCE DANCE INTERNATIONAL」にシビレたクチだった。また、NHKでも放送された日本青年館ライヴにおける「THE GATE OF JAPONESIA」のギターソロは、人間の使う言語よりも雄弁な音による歌声だった。

まったく違う個性を立花ソロとMELONがすでに発揮し、それをキャッチできていたから自分の中でプラスチックスの限定復活はお祭り的位置づけの域を脱しなかったのだろう。ライヴに関しては一期一会と受け取る性分なので「一度でも実体験できたんだから、これ以上は望まない」となり、そのままプラスチックスは追憶として血中テクノ濃度の高い私の体内を循環し続けた。

時は流れ2007年。人生の年輪を重ねたメンバーたちが集い、プラスチックスは19年ぶりにステージへ立つ。そこへチカがいない代わりに、生ドラマーの屋敷豪太が参加。その時点における限りなくベストに近い布陣。MELONで中西と一緒だったことから、オリジナルメンバーのように思えたファンも多かったはずだ。

生ドラムによるサウンドは、言うまでもなくあの頃のプラスチックスとは違う。そもそもその他の機材も同じではないのだから再現するにも限界がある。ならば、2007年時点の現在形を見せた方がいい。4人のメンバーが一堂に会しプラスチックスの楽曲を演っているだけで「生きててよかったー」と思えたのだから、それ以上は望まなかった。「ここにチカがいれば…」を口にするのは、キッチュとはほど遠い野暮な言い草だ。

2010年5月のライヴはUSTで見て、布袋寅泰のサプライズ登場に驚いた。その後は、断続的に掘り起こされるお宝映像や音源に触れては喜び「TOP SECRET MAN」と「PATE」をヘビーローテーションするうちに時は流れていくのだろう…そう思っていた。

昨年出版された『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』を読み、岡崎京子の描く時代が明確に浮かんでくると同時に、どこかおとぎ話のような感覚にも見舞われた。これほどの月日が流れてから明かされるエピソードの数々はお宝アイテムと変わらぬキラめきを放っていたが、すべては戻らぬ情景だから…との思いに帰結するのだった。

そんな中、プラスチックスは今年で結成40周年を迎えた。例によって再発やお宝のラッシュとなり、ファンにとってもそれはそれで嬉しいわけだが、合わせて5月10日にライヴもおこなわれるという。最初は2007年のような形式かと思ったものの、会場がBLUE NOTE TOKYOと聞き、なんとなく「今回はちょっと違うのでは…」と直感した。

ジャズクラブのBLUE NOTEでテクノバンド(とされる)が演る――その場にいたわけでもないのに、フュージョン色の強かったYMOが六本木のPIT INNに出演していた頃のような味わいが得られると勝手な思い込みをしながら、光の速さで予約。「今後、当店に出演してほしいアーティストは?」の項目に“POLYSICS”と入力したので、結成40周年で実現するかもしれない(来年20周年です)。

ジャズとはあまり密接していない自分だが、やはり音楽を聴く者としてBLUE NOTEはいってみたいと思っていた。今でもオールスタンディングのライヴには足を運ぶものの、どちらかというと積み重ねられた歳月の分、じっくりと味わいたい。

テーブルに座り、運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら徐々に落ち着かなくなってくるのがわかった。むしろ2007年のスタンディングの時の方が、平常心で待つことができた。この高鳴りはいったい何なのだろう。


▲BLUE NOTE TOKYOの入り口。みんなこの前で記念撮影をしていた

第1部のほぼ定刻に、これといった前触れもなくスーッとステージに現れたのは中西俊夫&立花ハジメ。まるでリハーサルの音合わせのように、ふわっという感じで「TOP SECRET MAN」が始まる。2人編成のプラスチックスである。

サウンドはスネア、バスドラ、ハイハットのシンプルなリズムと、ツインギターのみ。間奏のキーボードソロのメロディーを中西が口ずさみ、立花もリフで続く。意表を突かれたオーディエンスがリアクションを忘れる中、続いて「COPY」へ。

こちらも同じ編成だが、何十年経っても頭に染みついている歌詞が体よりも先に喉を反応させる。先ほどまで料理を食べてモグモグしていた大人たちが「アッチモコッチモコピーダーラケ」と、アッチデコッチデ中西の口の動きをコピーする2016年のTOKYOというのも、なかなかの光景である。

2曲を終えたところでキーボードのmomo、ヴォーカルのリンダdada、そしてオリジナルメンバーの島武実が呼び込まれる。3曲目「I AM PLASTICS」からリズムボックスの音がよりチープになるや、全体がタイムスリップしたかのような空気の動きを覚えた。当時は生ドラムと比べて軽い音とされたが、CRのサウンドは一気にその場の時代性を変えてしまうほどの音圧を誇っていた。

「これ、あの時代に聴いていたらあまりのカッコいい音に息もできなくなっていただろ!」すごいものへ触れた時に生じる体の反応が、すでに口の奥までこみあげてきていた。心臓がバクバクと音を立てながら、血液に乗せて体中へテクノ特有の快感を巡らせている。

リズムボックスによるフィルはなく、一定のパターンを繰り返して曲が終わったところでボタンを押し止めるという、じつに人力な手法だった。そのため、演奏や歌とともにピッタリ決まるのではなく、少し鳴り続ける。でも、それを気にする者などいない。ドラムの代わりというよりも、メトロノームの豪華版的位置づけ…それが、現在形のプラスチックスには合っていた気がする。


▲左よりmomo、リンダ、中西、立花、島のプラスチックス(PLASTICS_officialツィッター @PLASTICS_TYO より)

4曲目の「WELCOME PLASTICS」では始まってすぐに中西がストップ。「あがってるの、ハジメちゃん?」と突っ込んだあとに「俺か、あがってるのは」とテレ笑いを見せてからリスタート。キーボードのmomoは当時の佐久間スタイルで、左手でベースラインを、右手でシンセのメロディーを弾く。

打ち込みに馴れきった耳で聴くと、そのズレによって生じるうねりがたまらない。機械では再現できぬテイストを、見事なまでに蘇らせてくれた。

「世界の街の みんなのアイドル 輝く栄光 5人の若者」の部分を「5人の老人」と歌詞を変えるトシに、笑いが起こる。「5人じゃなくて3人だろ!」と誰もが頭の中で突っ込むと、2番では「5人の若者」とオリジナルのまま歌い、喝采。演奏を終えると「できたー!」と一息つく中西に替わり、5曲目はリンダのヴォーカルで「DIAMOND HEAD」がスタート。

このあたりから中西のヴォーカルにも艶が増してくる。そして、ギターと歌声を包み込んでからめとるようなベース音が心地よい。

曲と曲の合間に喋りを入れる中西とは対照的に立花は言葉を発さず、ギターを刻むことに没頭している様子。黒のワイシャツとズボンにアルミホイルを巻きつけるだけでカッコよく見えるあたり、センスの賜物だ。

プラスチックスのリリックは、歌詞そのものの意味合いよりも韻によって奏でられるリズムが重視されたもの。英語の意味がわからなくても体感で覚え、そして今でも魔法のようにスラスラと出てくる。6曲目の「IGNORE」は口ずさむオーディエンスが多かった。嗚呼、トシのヴォーカルがあまりにプラスチックスしていて…。

7曲目はノリのいい「DELUXE」。冒頭に漂っていた慎重ぶりもどこへやら、フリーダムに歌い、奏でる4人。リズムだけが島とともにクールな顔をしながら全体を引っ張る。このナンバーのラストは、ピッタリと決まった。

「I LOVE YOU OH NO!」はリンダの「ノーノーノーノー アイドンニージュ」とベースラインが合唱しているかのよう。チカの不在を補ってあまりあるパフォーマンスもまた、現在形のプラスチックスだ。

続く「DELICIOUS」でも女性ヴォーカルがフィーチャリングされたあと、一転して「PARK」ではトシ節が脳に染みる。テクノ色の包装紙に包まれた極上のバラードは、まさに中西俊夫の真骨頂。

11曲目の「DIGITAL WATCH」は手弾きによる低音のシークエンスフレーズが、いかにも80年代。そうか、曲を聴くとメインのフレーズより先にベースラインを拾ってしまう自分の音感は、プラスチックスやYMOのシンセベースによって植えつけられたものだったのかと、今さらながら気づいた。

1980年の時点で来たるべきネット時代を予見していた「TOO MUCH INFORMATION」に続き「CAN I HELP ME?」はリズムのBPMをやり直し。ハモンドオルガンチックなシンセの音が軽やかに踊る。そして――。

言葉にすると陳腐なものになってしまうが、14曲目の「COMPLEX」は…ヤバすぎた。これほどチープな音にまみれていながらしっかりと疾走感があるのはどういうことなのか。

momoが両手で奏でるシンセとベースによって水を得た中西の歌声と、立花のセンス奏法ギターがカシャッと無機質な音を立ててハマった。この日演奏された中では、もっともあの頃のプラスチックスに近かったように思う。気がつけば横向きにステージの方へ向けていた体が、より前のめりとなっていた。

「GOOD」のトキメキなギターの音色によるイントロが、さらに気持ちを引きずり込む。このあたりになるとオーディエンスも声を出さずにはいられなくなったようで、中西が「次、PEACE」と言うと「イエーッ!」とレスポンスが。その男性いわく「一番好き!」らしい。そういうことを、よい大人になっても言えるこの空間が素晴らしい。

ギターだけでなく間奏からハーモニカも吹いて忙しい立花。すでにホイルは服から剥がれてしまっている。17曲目は「ROBOT」。「IBM NHK TDK FBI」とアルファベット3文字の名称を連呼するだけでこのグルーヴ感! そのままラストナンバーの「CARDS」へと突入。

当時も、そして2007年の再結成ライヴでもクライマックスに演奏されタテノリとなった曲。さすがにこの時だけは立ち上がりたくなったが、我慢して座ったまま体を揺らす。間奏からはリンダがCARD代わりにチェキを客席へ投げるパフォーマンスも。さらに終盤の“怒濤パート”では中西の「CARDS!」連呼と立花のサックスがセッション。その瞬間、プラスチックスは世界で一番BLUE NOTEが似合うバンドとなった。

「CARDS」が終わったあと、立花がソロ曲である「ROBINS EYE VIEW OF CONVERSATION」のフレーズをサックスで演りドッと沸く中、メンバーはいったん退場。しかし、すぐに戻ってきて中西が「島ちゃんトイレいっちゃった」と言い、4人でアンコールの「恋の終列車」を始める(すぐに合流したが)。

そしてオープニング曲の「TOP SECRET MAN」を5人ヴァージョンで。このナンバーをCRのリズムで披露するのはいつ以来になるのか。やはりこちらの方がしっくりくる。間奏のシンセソロ&ベースラインは、テクノを語る上で不滅のフレーズと言いたい。

1時間25分で20曲を演奏したプラスチックス。アーカイヴとは違う、生の息づかいと独特の空気感に満ちた至高のひとときだった。自分は人に誇れるほどのいいことなんてしていないから、こういうライヴを見た時は「前世でよほど世のため、人のためになったんだな」と思うようにしている。

そして2枚目のアルバムタイトル“ORIGATO PLASTICO”を、そのままメンバーに返したくなった。もう一度集まりたくてもそれがかなわぬところへいってしまった佐久間正英、そしてライヴと前後し発刊された『情報過多 TOO MUCH INFO』のインタビューで「プラスチックスの佐藤チカ。それは終わってることだと思うんですよ」と、自身の立場を明確にしたチカ。

あのステージ上にはいなくとも「5人の若者」は現在も、そしてこれからもプラスチックス――それが、影響を受けた者たちのコンセンサスなのではないだろうか。「WELCOME PLASTICS  いつまでも  走り続ける 僕らはプラスチックス」と聴いたからには、その呪縛から永遠に逃れたくはないのである。(文中敬称略)


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ザ・グレート・サスケの大予言最終回
~ムーの太陽信者の集い“信じる者は救われる”~

★12月14日(月)東京・新宿ロフトプラスワン(開場18時、開始19時)
〔出演〕ザ・グレート・サスケ(ムーの太陽)
〔進行〕鈴木健.txt、村田晴郎
〔お布施代〕前売2500円、当日3000円(税込/飲食別)
※当日は整理番号順の入場となります
〔発売場所〕イープラス(http://bit.ly/1ZMZLap
〔取置予約〕KEN.txtメールアドレス(kenpitsu.txt@gmail.com)にて受付中。お名前、イベント当日に連絡が取れる連絡先、希望枚数を送信してください。チケットを確保し、当日受付にて前売料金でお受け取りできます
〔特典〕手売分チケット購入者及び当日取置予約をされた方にはたこ焼きマシンさん提供「ローカルプロレスラー図鑑+2016」お試し版(サンプル)を贈呈
〔INFORMATION〕
ロフトプラスワン http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/
鈴木健.txtツィッター  @yaroutxt

今年も年末恒例の大予言が開催! 2016年のプロレス界はおろか、政治、経済、世界情勢、発明機器など世の中で起こることがわかってしまうありがたいイベント。ロフトプラスワンにおける演目の中でも屈指の腹筋崩壊率を誇り、6年連続満員に。昨年に続き、ムーの太陽信者参加イベントとして予言を超越したザ・マスターのお告げがこれでもか!とばかりにサク裂することが予想される。進行はサムライTVみちのくプロレス中継の実況コンビ。



前半は昨年の予言の“答え合わせ”で、後半は2016年の予言をおこないます。ちなみに2015年に起こることとして出た主な予言は以下。これが的中したかどうかをザ・マスター本人に問い詰めます。



・公立高校が軒並み廃校に
・一流大学の学費が18%一気に値上がりする
・12月12日から消費税が10%に
・同じく12月より安楽死が法律で認められる
・トヨタ、ソニー、京セラ、JALなどの大企業が週休3日制を導入
・ネットカフェが24時間営業ではなくなりネットカフェ難民で新宿西口が溢れ返る
・日本のロシア大使館が年に3回、テロに遭う。理由は言えない
・インドネシアのクラカタウ火山が噴火する
・ポルトガル、イギリス、フランス、スペインなどのヨーロッパ主要国が干ばつに見舞われる
・世界的に気温が上昇し、日本は最高気温48℃を記録
・暑さのゆるキャラ「暑いんだゾウ」が登場
・水の都・ヴェネツィアが水没する
・空と地盤に電磁波を送り、重たい雲を生成して人工的に雨を降らせる装置が12月より一般発売される。値段は1650万円で全世界同時発売。ただし免許制
・STAP細胞がやっと見つかる
・iPhoneが2度に渡りヴァージョンアップ。7月にiPhone777(トリプルセブン)が、12月にiPhone8マン(エイトマン)が発売。777は尺定規のように細長い形状で、縦二つ折り。8マンは超薄型で丸めることができる
・プロ野球は阪神と楽天が優勝
・ブレイクするプロレスラーは長瀬館長、山本SAN、力。長瀬館長と山本SANは週プロの表紙に
・ボウリングが大ブームになる
・DDTが株式上場。高木大社長がヴァージョンアップ
・7月13日前後にプロレスオールスター戦開催。大会名は「日本プロレス」
・G1クライマックスは中邑真輔が優勝。理由は「いいやつだから」
・2015年に引退するプロレスラーは佐野直
・アカデミー主演男優賞はマシュー・マコノヒー、主演女優賞はアン・ハサウェイが受賞
・佐野魂両国大会の観衆は7650人
・プロレス大賞MVPは飯伏幸太
・ムーの太陽はサークルなのでお気軽に参加できる。強制・強要はしないが、サークルに入らないと末路は地獄に堕ちる


なお、ウルトラマンロビンさんはイベントに出演いたしません

〔追加情報〕11月26日、水道橋の「
広島焼き・鉄板焼おっこん」にて開催されたサスケを囲む会月例会にお邪魔し、その場にいる皆様向けに“予言お試し版”をしてもらったところ、今後の「ザ・グレート・サスケの大予言」についてマスターから「今年で終わる!」との予言がありました。マスターの予言は必ず当たりますので、今回が最終回となります。これにともないイベント名を「ザ・グレート・サスケの2016年大予言」から「ザ・グレート・サスケの大予言最終回」に変更させていただきます。私以外の誰かが企画し、続けていただけるならば歓迎ですが現体制ではラストとなります。マスターの予言芸を見納めしたい方は当日ぜひいらっしゃってください。
https://youtu.be/2YAwjukmPUY


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鈴木 FMWを離れてW★INGを設立するとなった時、どうやって選手を集めたんですか。
茨城 関川から始まって、ビクターがくっついてきて…齋藤(彰俊)クン以外は多かれ少なかれFMWにいた選手じゃない。(木村)浩一郎にしても徳田(光輝)にしても。
鈴木 それはイバラギさんの方から声をかけたんですか。
茨城 サブミッションアーツまでいって、麻生(秀孝)さんに会って保坂(秀樹)と浩一郎をあげるっていう話はしました。齋藤クンは…。
高橋 松永(光弘)の知り合いだったんじゃなかったっけ?
鈴木 同級生です。なんで旗揚げから参加しなかったんですか。
茨城 わからない。金村(キンタロー)は…そうだ、齋藤クンが「こういうやつを知っているんです」っていうんで電話をしたんだ。
鈴木 金村選手、誠心会館所属だったんですよね。
茨城 でも1試合やっただけでしょ?
高橋 アニマル浜口ジムにもいたんだってね。この前聞いた。
茨城 えーっ!? 金村なのに?
鈴木 そんなに驚くことじゃないでしょ。
茨城 戸井(マサル=現・克成)はカルガリーにいて寿司屋でバイトしてた。
高橋 イバラギさんも寿司屋やってたよね?
茨城 いやー…(口ごもる)。
鈴木 ハワイでやっていました。自分で握らず全部機械に任せるという。
茨城 大剛鉄之助さんの紹介で来た。茂木(正淑)も最初、FMWに入るって言ってたんだけど、有刺鉄線はできないってなって入らなかった。
鈴木 あと、旗揚げ戦のみ出たジェット・ジャガーとモンゴルマンはどうやって呼んだんですか。
茨城 なんでだか憶えてないけど、新宿にあった(ジェット・ジャガーの)道場にいってんだよね。モンゴルマンは…わかんない。
鈴木 ヘッドハンターズとか、よく見つけてきましたね。
茨城 日本に来る前はまだ痩せててね。ムーンサルトができるっていうから呼んだら、じっさいはできなかったんだって。
鈴木 ええっ!? だって旗揚げ戦でヘッドハンターAの方が出したじゃないですか。
茨城 あれ、ぶっつけ本番だったんだって。
鈴木 本当ですか!?
茨城 やらないと呼んでもらえないぞって言われて。でもBの方はできなかった。度胸がなかったのかね。
鈴木 ものすごく食べるという事前情報はなんだったんでしょう。
茨城 あれはホントだったでしょ? そっち、週プロで企画したじゃない。
鈴木 来日してすぐ渋谷で連れ出ししたんですよね。大食漢というか、2人ともすぐにお腹が減ってくるんですよ。それが腹いっぱいになったら30分ごとに続く感じでした。
茨城 ウチのマンションに金村とかデブチャンズ(ヘッドハンターズをこう呼ぶ)とかジプシー・ジョーが居候していたんだけど。
鈴木 気まずいマンションですね。
茨城 同時期じゃないよ。まあ、食べたよね。
鈴木 そうやって元同僚がライバル団体を設立したわけですが、フロントとしてはどういう思いだったんでしょうか。
高橋 イバラギさんがジャパン女子をやめた時と同じだけど、自由にできていいなあって思っていましたね。W★INGって、なんであんな名前にしたんだろうって。
茨城 俺の知り合いがつけてくれたんですよ。全女で一緒だったんです。そいつと横浜で会った時に。
鈴木 それまでの団体名は○○プロレスとかレスリングとつくものだったのが、いきなり“ウイング”なわけですから、斬新すぎます。
茨城 団体名がコールされたのって、W★INGが最初だったでしょ。
鈴木 “シンニッポン”“ゼンニッポン”というコールはまだ発生していないですね。
茨城 コールはしやすかったよね。言いやすいっていうんで思いついたんじゃないかな。
高橋 僕も何かが違っていたらいっていましたよ。
茨城 営業力があれば、もっとやっていたのに。
鈴木 W★INGが潰れたのは自分のせいではなく、営業がいなかったからと言いたいんですか。
茨城 そうじゃなくて、営業力があればお金が回るじゃない。
鈴木 大迫社長から離れてからは代表取締役になったんですよね。それまでは2番手が合っていると自分で思っていたのに、トップになってでも続けたいと思ったわけですか。
茨城 それでやめましょうとはできないでしょ。それで選手も本当に出るかわからない状態で12月の後楽園(W★INGプロモーションとしての再スタート)をやることになったんだけど、何か目玉になるのが必要っていうんでメキシコにいってさ、知り合いだったからマスカラスを呼ぶことになったんだけど、これもすんなりとはいかなかった。本人は来るつもりでいたんだけど、大迫和義があなた(筆者)と同じ苗字のマスコミからマスカラスの電話番号を聞いて「イバラギの方は中止になったから」って連絡した。マスカラスがこっちに確認してきたから来られたけどね。
鈴木 デスマッチ路線でやるからと分裂したのに、マスカラスを呼ぶという。FMW以外にデスマッチをウリとする団体ができたことを、大仁田さんは意識していたんですか。
高橋 してたと思うよ。それでファイアーデスマッチを兵庫県の三田でやったんですよ。中山香里のお父さんがプロモーターの売り興行だったんだよね。僕としては、興行という分野においては負けたくないっていう意識だった。
鈴木 W★INGとしてはFMWに勝たなきゃという意識だったんですか。
茨城 いや、全然。
鈴木 カクン。
茨城 だって向こうは会社として確立しているし、こっちはそんな余裕ないもん。
鈴木 選手はFMWよりすごいデスマッチをという感じでやっていたじゃないですか。
茨城 アイデアは出していたけど、そんなさあ、大仁田厚を見返したいなんていう思いはない、ない。
鈴木 FMWにはなくてW★INGにあったのが怪奇派の外国人選手でした。ジェイソン・ザ・テリブルはどうやって見つけてきたんですか。
茨城 ジェイソンは…写真を2人分提示されて、ウチのカラーだったらこっちだと。その時点では実力なんてわからない。今みたいにネットに情報が出ているわけじゃないから。でも、その前にプエルトリコで関川と話していたんだって。もちろん、その人間がジェイソンだとはその時点では知らなかったんだけど。


▲トークショーの日に、イバラギさんが小脇に抱えていたW★INGパンフに掲載された週刊プロレスの広告。ポーゴ様と若き日のハイテクノロジースーサイドを自社の広告に持ってきたのを思い出した。後列一番右に注目! 上段にはおどろおどろしい怪奇派のオチとしてどんぶり飯をかっ食らうビクターが。当時は、広告でけっこう遊んだ

鈴木 イバラギさんがW★INGへいってしまったあとのFMWは、どうやって外国人を呼んでいたんですか。
高橋 どうだったっけかなー。営業だったからわからないんですよ、そっちの方は。
鈴木 シーク様やサブゥー、プロボクシング世界王者のレオン・スピンクスまで呼んで巡業に参加させていましたからね。
高橋 すごいことだよねえ。
鈴木 当時、スピンクスが残した名言で「俺は東京にはいったことがあるが、日本にはいったことがないんだ」というのがあったの、知ってます?
高橋 へぇー!
茨城 どういう契約で来たんだろうね?
鈴木 そういう問題ですか! グレゴリー・ベリチェフとかソ連勢は?
高橋 ソ連は…売り込みがあったんじゃなかったかな。
山本 それ、荒井さんから聞きました。フランスベッドのコネクションだったそうです。
鈴木 フランスベッドといえば、旗揚げ初期にFMWをバックアップしてハヤブサ選手やミスター雁之助選手たちがアルバイトをやっていましたよね。その関係だったんですか。
茨城 大仁田が香港かどこかにいった時、たまたまフランスベッドの会長が隣に座ったんだって。ということはだよ?
鈴木 はい。
茨城 これはさ…。
鈴木 なんでしょう?
茨城 ビジネスクラスだったっていうこと?
鈴木 どうだっていいですよ!
茨城 何回もソ連の大使館にいったよ。
鈴木 よくイバラギさんが大使館の中に入れましたね。門前払い食らいませんでした?
茨城 誰がよ。
鈴木 では、このあたりから質問も兼ねて。あの選手はどうなったとか、この選手はどうして参戦したとか、聞きたいことがあれば…。
――ボツワナ・ビーストが来日して浅子さんとアフリカンデスマッチで対戦するという発表があったのに来日せず流れましたよね。あのデスマッチはどんな形式だったんですか。
鈴木 ボツワナ・ビーストは、全日本に来たジャイアント・キマラ2号ですね。
高橋 ネーミングが先にありきだったと思う、たぶん。なんで来なくなったのかもわからない。
鈴木 大仁田さんの頭の中にしかアフリカンデスマッチの試合形式はないということですので今度、大仁田さんに聞いてみてください。ほかには?
山本 ミスター珍さん。
茨城 ジャパン女子の時に1回、レフェリーやりに来たんだけど選手の反発食らったんだよ。
高橋 高齢で全日本プロレスでは使われていなかったですよね。そこに大仁田さんの高齢レスラーをあげようという考えが合致したんじゃないですか。
鈴木 それまで珍さんは週プロで連載を持っていたんです。「ミスター珍のThat's談」という、外国人選手にインタビューするコーナーだったんですけど、スタン・ハンセンが「オー、それは恐れ入谷の鬼子母神」とか、ブルーザー・ブロディが「ナールホド・ザ・ワールド」とか言うんですよ。
高橋 あとはジャージーもほしかったんじゃないですか。珍さん、キャピタルのジャージーを卸していて、それであの時期にFMWのジャージーがよくなったんです。
鈴木 オレンジのジャージーから、ブルーに赤のラインが入ったものに変わりました。
――1周年記念大会に来る予定だったソウル・キングと、後楽園×2で来たパンディータについて。
鈴木 パンディータもよく発掘しましたよね。ああいうコミカルなものを呼べば受けるという目論みはあったんですか。
茨城 どうなんだろうねえ…。
鈴木 なんか、さっきから答えを濁しますよね。
茨城 そういうわけじゃないよ。昔のことだから憶えてないんだよ。ゴングが都下の森林に連れていって撮ったのは憶えている。
鈴木 週プロは新宿で放し飼いにしたんですよね。アルタ前の交差点をパンダのマスクにジャンパー姿で歩かせたのはまだいいとして、全身パンダの着ぐるみになってもらって都庁の前で撮ったという。今だったら捕まるかも。
茨城 俺もやったよ。
鈴木 あの時、立ち会ったんですよね。
茨城 それじゃなくて、アンドレ・ザ・ジャイアントを明治神宮に連れていった。
鈴木 関係ない話じゃないですか。ソウル・キングは、先ほど話に出たゴールド・ウイリアムスというのが来日しなくなって、代わりに送り込まれた弟子という。
高橋 売り込んでくる外国人の中にけっこういたんですよ、アメリカで空手をやっているといってプロレスをやりたいんだと。でも、本当に空手家だったのかどうかは怪しい。
鈴木 呼ぶ前に確認しなかったんですか。
高橋 そうだよねー、しなきゃダメだよね。
鈴木 山本さんは印象に残っているFMWの外国人はいますか。
山本 外国人じゃないんですけど、旗揚げ戦で当時は大宝さんがリングアナをやっていて「サンボ対空手!」とか言い出してビックリしちゃって。何が始まるんだ!?って思いましたね。
鈴木 それまでの異種格闘技戦では考えられない組み合わせですもんね。
山本 話がさかのぼるんですけど、実は僕も大仁田さんに誘われたんです。「レッスルマニアをやりたいんだよ」って言われましたね。要は通常のプロレスもあって、女子もあって、ミゼットもあってと。FMW旗揚げ時のコンセプトですよね。旗揚げ前から考えていて、それでリングアナやってくれないかって言われたんですけど僕はその時、婚約していて。婚約中に会社をやめるわけにはいかないじゃないですか。
鈴木 じゃあ、少し時期が違っていたら…。
山本 僕がFMWのリングアナをやっていたかもしれません。大仁田さんのことが大好きでしたから。
茨城 サンボ対空手ってコールしてたかもね。
鈴木 当時はサンボ対空手っていわれたらUWFの世界観で受け取ってしまうから、どんだけすごいのが始まるんだってなったんです。それがサンボ・キッドvs松永光弘だったり、柔道対サンボといって徳田光輝vs浅子文晴だったり。ボートピープル・ジョーは誰のアイデアなんですか。
高橋 ボートピープル・ジョーって…●●でしょ?
鈴木 いやいや、正体じゃなくて。ベトナムから難民が日本に漂流してきて、そのまま上陸しプロレスラーになって参戦したという触れ込みでした。
高橋 その感性はウォーリー(山口)さんじゃないの。
鈴木 そうだったんですか。というわけで高橋さん、超戦闘プロレスFMWでボートピープル・ジョーを出してください。中身は誰でもいいんで。
茨城 あれさ、後藤クンがアレするんでアレだったんだよね(小声)。
鈴木 アレするんでアレじゃまったくわかんないです。
茨城 日本に帰ってきてアレ(フード)を被ったんでしょ。
鈴木 旗揚げ戦の名古屋ではボートピープル・ジョーの試合があって、4日後の後楽園ではジョーの試合で後藤さんが入場して「帰って来たぞー!」って正体を明かすというサプライズでした。
茨城 あれ、俺が連絡したの。ジャパン女子時代にデスピナ・マンタガスを呼ぼうとしたんだけど、俺がやめたんでキャンセルになって、それで電話番号を知っていたんで連絡がとれたんだよ。
鈴木 イバラギさんが出したミラクルのビデオで、大仁田&後藤&ドラゴン・マスター(ケンドー・ナガサキ)&栗栖正伸のバックステージでのやりとりが収録されているんですけど、そこでFMWに不信感を抱いた後藤さんが大仁田さんと別の控室へ閉じこもっちゃうんですよ。大仁田さんが「後藤はどこへいったんじゃーっ!」って錯乱していて、後藤さんが控室で「教えてください。俺はいったいなんのためにFMWへ帰ってきたんですか」ってつぶやくんです。そこまでは収録されているんですけど、実はそのあと後藤さんに振られて、週刊ファイト紙のベテラン記者だった松下正雄さんが「そんなこと言われてもわしゃ知らんよー」っていうグンバツな返しをしたのに、なんでカットされているんですか。
茨城 そんなことあったっけ?
鈴木 ありましたよ、その場にいたんですから。プロレスラーが抱いた疑問を知らんのひとことで片づけるマスコミって、すごいと思うんですよ。マスターが残っていたら、今からでもYouTubeにアップしてください。ほかに質問はありますか。
――徳田光輝はどうして途中でW★INGからいなくなったんですか。
茨城 わかんない。
鈴木 代表なのにわからないってどういうことですか!
茨城 関川がかわいがっていたんだけど当時、ガイジンが泊まっていた池袋のホテルに集合して巡業にいくはずが、来なかった。やめますっていうのもなかった。何年か前に電話でちょこっと話したけど、あんまり表には出たくなさそうだったな。
鈴木 高橋さん、中牧昭二さんが突然、FMWをやめたのはなんだったんですか。
高橋 やっぱりこの世界は先に入れば年下でも先輩だから、中牧さんも年下の人間に下扱いされていたじゃないですか。だからだと思いますよ。中牧さんを紹介した●●さんも、そういう位置で使われるとは思わなかったんじゃないですかね。あとは家族もいたから生活もあったんだと思う。
鈴木 某誌の編集長もやられた●●さんの紹介だったんですか。
茨城 あれ? 俺のところ(W★ING)に来た時は別の人の紹介だったよ。あれは参ったよね。お客さんが入団を認めてくれないんだもん。
鈴木 戸田で金村選手がテストマッチをおこなって、玉砕する姿を見れば観客も認めてくれると思ったら3回ぐらい延長しても認められなかったという。


▲同じくW★INGパンフより。中牧さんと所ジョージさんが大学時代の同級生であることが晒されている。1段目左から2番目が所さんで、3段目左から2番目の堀内孝雄チックな髭面がナカマッキー

――一時期、FMWにグレート・カブキさんが上がるという話があって、実現しなかったのはなぜだったんですか。
鈴木 SWSに所属していた頃のカブキさんが、FMW後楽園大会へ来たことがありました。
高橋 あれはカブキさんの方から上がりたいっていう話があって、それで僕も交渉にいったんです。本人は乗り気だったんですけど…やっぱり大仁田さんも後藤さんも先輩にあたるじゃないですか。使う立場としてはやりづらかったんでしょうね。それで話が立ち消えになってしまった。
鈴木 じゃあ、そこで参戦させようとなったらカブキさんはSWSをやめていたのかもしれないですね。
高橋 そうですよね。
鈴木 はい。それでは部屋を借りている時間も近づきましたので、最後の質問を。
――なんでW★INGをたたんだんですか。
鈴木 ウハハハッ! 直球すぎる質問が最後に来ました。
茨城 いや、俺はさあ、時間も時間なんで(会場内の)イスをたたんでたんだけど。
鈴木 そんなネタはいいですから、早く答えてください。
茨城 要は地方の売り興行のお金が回収できなかったんですよ。支払いが何千万単位で滞って。そこにきて父親が亡くなったんで…もともとこんなに長くやるとは思っていなかったから。やむなく(代表に)なったわけだし。
鈴木 あまり自分のせいとは思ってないようです。
茨城 そんなことよりもさ、今日Tシャツ持ってきたから。これから販売を…。
会場係員さん すいません、お貸しする時間が過ぎましたのでお早めに退室をお願いします。

FMWのルーツは新宿駅ホームのベンチ~高橋英樹×茨城清志トークバトル前編
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