KEN筆.txt

鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

【高山善廣選手の応援よろしくお願いします】
プロレスラーの高山善廣選手がDDT5・4豊中大会試合中にケガをし、頸髄損傷および変形性頚椎症という診断が下され現在、首から下が動かない状況の中、厳しいリハビリ、ケガと闘っております。そんな高山選手を応援する会「TAKAYAMANIA」が起ち上げられました。今後、各プロレス団体協力のもと、試合会場にて募金箱の設置、応援グッズ販売、チャリティー興行などがおこなわれていきます。今後の活動は高山選手の公式ブログ https://ameblo.jp/takayama-do/ にて随時更新されていきますので、当ブログを閲覧された皆様のご協力を心よりよろしくお願い申し上げます。皆様からご協力いただきましたご厚意は、高山選手の治療費等に寄付されます。ご賛同いただける方は、下記口座及びクレジットカードに募金をお振込いただければ幸いです。



〔銀行振込〕
★三菱東京UFJ銀行代々木上原支店
店番号137
口座番号:普通預金 0240842
口座名義:TAKAYAMANIA タカヤマニア
★みずほ銀行渋谷中央支店
店番162
口座番号:普通預金 1842545
口座名義:TAKAYAMANIA タカヤマニア
★三井住友銀行渋谷支店
店番654
口座番号:普通預金 9487127
口座名義:TAKAYAMANIA タカヤマニア 代表・高山奈津子
※通帳は高山選手の奥様がお持ちになられています
〔クレジットカード〕
日本語:https://secure.koetodoke.jp/form.php?to=13
ENGLISH:https://www2.donation.fm/takayamania-en/
〔TAKAYAMANIAお問い合わせ〕
takayamania.staff@gmail.com

【Web出演情報】
大日本プロレス公式YouTubeチャンネル「bjwmovie」:アンドレザ・ジャイアントパンダ単独インタビュー
URL https://youtu.be/VRmpdKtWPqc
大日本プロレス11・17上野大会に登場し、話題沸騰となった身長3mを誇るアンドレザ選手の40分以上にも及ぶロングインタビュー。生態、足跡、プロレス観、ガールフレンド・ティンティンとの仲、果てはケニー・オメガvsクリス・ジェリコ戦の勝敗予想まで語っていただきました



【編集&執筆媒体情報】
〔書名〕WRESTLE-1 2017 OFFICIAL GUIDEBOOK No.6
〔発行〕GENスポーツエンターテイメント
〔定価〕オールカラー28ページ/1000円
〔発売場所〕WRESTLE-1大会会場売店
〔通信販売〕WRESTLE-1 OFFICIAL WEB SHOP
〔内容〕熊ゴローインタビュー「ハッピーを防衛する」、アンディ・ウーインタビュー「皆さんもドランクの素顔が見たいでしょ?」、伊藤貴則インタビュー「すごく早くて充実した一年。原動力は“覚悟の決め方”」を執筆

〔サイト名〕FIGHTING TV SAMURAI公式サイト
〔コーナータイトル〕鈴木健.txtの場外乱闘番外編
〔URL〕http://www.samurai-tv.com/jougai_full/
〔11月1日更新〕第27回ゲストはプロレスリングNOAH・石森太二選手。「セーラーボーイズの黒歴史から始まったディファ有明と自分。出たかったディファカップにギリギリで出場できる幸運」と題し、ディファカップとディファ有明の思い出、セーラーボーイズ時代のエピソードに今後のNOAHにおけるヴィジョンを語っています

〔書名〕実話ナックルズ2017年12月号
〔発行〕ミリオン出版
〔価格〕580円
〔内容〕「ドキュメント男の生き様 高山善廣~帝王は死なず」を執筆

〔書名〕月刊スカパー!2017年11月号
〔発行〕ぴあ株式会社
〔価格〕500円
〔内容〕連載「鈴木健.txtの場外乱闘」第47回のゲストはプロレスリングNOAH・石森太二選手。「10年ぶり開催ディファカップ。思い出の地で最後の試合を」と題し、11月28日に開催されるディファカップ出場について語っています

【TV出演情報】
〔本放送〕
■サムライTV「DDT11・23後楽園ホール大会生中継」:11月23日(木)12:00~15:30/リピート放送:11月23日(木)18:00~21:30
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt
http://www.samurai-tv.com/

■GAORA SPORTS「WRESTLE-1 11・5後楽園ホール大会中継」:11月21日(火)22:00~24:00/リピート放送:11月29日(水)14:00~16:00、12月8日(金)22:00~24:00、12月20日(水)25:00~27:00
※実況:高橋大輔、解説:鈴木健.txt

■GAORA SPORTS「WRESTLE-1 12・10後楽園ホール大会中継」:12月24日(日)20:00~22:00/リピート放送:12月27日(水)23:00~25:00、12月29日(金)17:00~19:00
※実況:高橋大輔、解説:鈴木健.txt
http://www.gaora.co.jp/wrestling/1776080

〔リピート放送〕
■サムライTV「DDT10・22後楽園ホール大会中継」:11月21日(火)13:00~15:00
※実況:村田晴郎、コメンテーター:鈴木健.txt

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BGV:フラワーカンパニーズ 『感情七号線』

 

古巣である週刊プロレスモバイルの連載コラム『週モバ野郎NOW』が8月28日更新分をもって最終回を迎えました。遅れ馳せながら、2011年4月より355回分もの長い間、ご愛顧いただきました皆様へ改めて御礼を申し上げます。

 

終了が伝えられた時点で、ラストは高山善廣さんのことを書こうと決めていました。5月4日の事故から4ヵ月が経ちなかなか続報が伝わない中で、それでも思いを持ち続けようという呼びかけです。あの時点では、誰もが力になりたいと思っていながら待つしかない状況でした。

 

最終回がアップされた1週間後に記者会見が開かれ、高山さんの容態報告とTAKAYAMANIA設立が発表され、ようやく私たちは動けるようになりました。各団体・関係者の間でも募金活動が始まり、またたく間にその輪は広がっていきます。

 

それは設立から1ヵ月が経過した今も、変わることなく続いています。今回の支援に関しては、本当に長期的な活動として継続する必要があります。呼びかける側も、そして支援をする側も一過性ではなく、高山さんに対する思いを持ち続けるのが何より大切なのだと考えています。

 

これはコラムの最終回で書いたことでもあり、そして今後も変わらぬ姿勢として自分の中で位置づけられています。連載が終了し、現在もアーカイヴとして閲覧はできますが、もっとファンの皆様の目が届きやすいところで感じてもらうことはできまいかと週刊プロレス編集部に相談したところ、特例としてブログへの全文転載を認めていただきました。

 

ご理解と、そして高山さん支援へのご協力をいただいた湯沢直哉編集長、相談に乗っていただいた奈良知之記者へ心より感謝申し上げます。高山さんが我々のもとへ戻ってくる日までこのエントリーをトップに固定し、皆様へご協力をお願いする次第です。

 

何が正しくて何が正しくないのかの正解は一つではありません。人によって、価値観によって状況や環境、立場によっていくらでも変わってきます。その上で、心へ芽生えた自分を突き動かす"動機"に対し、正直になってください。それが信念を育みます。そして、良識のもと信念に基づいた言動であればあなたにとっての正解です。

 

皆様の正直な思いや気持ちを、支援募金という形で我々はお預かりしているにすぎません。大切なのは一人ひとりの思いを高山さんへ届けることだと思っています。それを忘れることなく、今後もご協力をお願いするべく呼びかけていきます。

 

 

☆        ☆        ☆

 

2013年1月に「ニコニコプロレスチャンネル」が開設されて4年間、高山善廣さんはもっとも顔を合わせ、時間をともにしてきたプロレスラーでした。週一番組「ニコプロ一週間」の司会進行とレギュラーコメンテーターの関係で、そこに本誌前編集長の佐藤正行さんを加えた3人で毎週水曜に1週間ごとの主な大会やニュースを紹介し、それについて掘り下げていくというものでした。

 

高山さんと私は昭和41年生まれの同い年、佐藤さんは1つ上なのでプロレスもそれ以外のジャンルに関しても蓄積が共通しており、当初は出来事をなぞっていくだけだったのが回を重ねるごとに会話が膨らむようになって、やがてグルーヴ感を覚えるほどの絶妙な呼吸ができあがっていきました。天然の佐藤さんに私が突っ込みを入れ、帝王が「ガハハハッ!」と豪快に笑いながらさらに突っ込む。自分の活動範囲だけでなく、あらゆる団体の話題について論客らしいコメントをし、そして楽しめるネタに関しては小学5年生へ還ったかのごとくウヒャウヒャする。

 

テレビの方はどちらかというとおカタいコメンテーターのポジションでしたが、こちらではプロレスならではの幅広さを心から楽しんでいるようで、水曜に試合があっても極力休むことなく大きな体でスタジオへ飛び込んできたものでした。「編集長っていうシンドい立場にいるとさ、この番組で好きなことを言えるのが心のオアシスみたいなものなんだよ」当時、佐藤さんはそう言っていました。おそらく、高山さんも同じような気持ちで出演されていたのだと思います。

 

だから視聴者の皆さんはもちろん、共演するお二人にも楽しんでもらえるよう私は番組の内容をナビゲートしているつもりでした。高山さんの誕生日が来ると、いいトシした二人のプロレスマスコミが生歌と生演奏で「ハッピーバースデー・ディア帝王」と祝福し、それを生番組でファンに見てもらい一緒にお祝いしていました。

 

▲2013年9月18日、高山さんの誕生日前夜の生番組中にロールケーキとシャンパンで帝王を祝う

 

また高山さんが地上波のドラマへレギュラーでキャストされた時には毎週触れて、それさえも話のネタにしともに笑い合いました。プロレスによって鍛えられているので、どんなジャンルでも膨らまして楽しめるのが我々三人の強みだったのです。

5月4日のアクシデントがあった以後、ニコプロ一週間から帝王の姿が消えました。私の左隣へ当たり前のようにあった大きな大きな体の存在感は、あれから4ヵ月が経とうとしている今もかすかなぬくもりのように残っています。

 

休みに入った以後も、ニコプロはオープニングVから高山さんの箇所を抜いていません。出演時には毎週豊富なコレクションの中から着てきたTシャツを紹介していたのですが、それも私が引き継いでいます。高山さんほど多くは持っていないので、ネタが尽きた頃には戻ってきてほしいという願かけでもあるのです。

 

でも…今の我々には、それぐらいのことしかできません。本当にたくさんの選手、関係者がなんとか力になりたいと思っています。でも現時点では、まだその段階ではありません。力になれる日が来るのを待ち続けるしかないのです。

 

あれ以来、一日で高山さんのことを一度も思い浮かべなかった日はありません。私のような人間でさえそうなのですから、ご家族の辛さを察すると心が痛みたまらなります。そして何より、今なお孤独な闘いを続けている帝王の気持ちを想うと、何もできない無力さが情けなくて情けなくて。

「高山は帝王です! 僕だってここまで回復してリングに戻ることができたんです。高山、絶対大丈夫だからな! 負けるなよ!」

 

8月14日におこなわれた「カッキーライド」のエンディングで、垣原賢人さんは何度も帝王の名と「大丈夫」の言葉を口にしました。それは挨拶という形式的なものではなく、とめどなく体のそこからあふれ出てきて抑えきれぬ思いのたけでした。悪性リンパ腫と今も闘いながら、奇跡的な回復を遂げ夢にまで見たリングへ還ってきたのに、自分のことではなく盟友の力になりたいと泣きながら叫んでいる。

 

 

私はプロレスを通じて「人間は他者のために動いた時、とてつもないパワーを発揮する」ことを教わりました。これまで自分のために闘ってきた垣原さんは、その強さを高山さんへの思いに乗せて使おうとしています。思いは無形のものであるからこそ、時空を超えて伝わる…そしてそれこそが今、私たちにできることなのだと信じています。だから皆さんも――。(2017年8月28日・記)

 

 

【高山善廣選手の応援よろしくお願いします】
プロレスラーの高山善廣選手がDDT5・4豊中大会試合中にケガをし、頸髄損傷および変形性頚椎症という診断が下され現在、首から下が動かない状況の中、厳しいリハビリ、ケガと闘っております。そんな高山選手を応援する会「TAKAYAMANIA」が起ち上げられました。今後、各プロレス団体協力のもと、試合会場にて募金箱の設置、応援グッズ販売、チャリティー興行などがおこなわれていきます。今後の活動は高山選手の公式ブログにて随時更新されていきますので、当ブログを閲覧された皆様のご協力を心よりよろしくお願い申し上げます。皆様からご協力いただきましたご厚意は、高山選手の治療費等に寄付されます。ご賛同いただける方は、下記口座及びクレジットカードに募金をお振込いただければ幸いです。

 


 

〔銀行振込〕
三菱東京UFJ銀行代々木上原支店(店番号)137
口座番号:普通預金 0240842
口座名義:株式会社 TAKAYAMANIA タカヤマニア

※通帳は高山選手の奥様がお持ちになられています 
〔クレジットカード受付〕
https://secure.koetodoke.jp/form.php?to=13
〔TAKAYAMANIAお問い合わせ〕  
takayamania.staff@gmail.com

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BGM:坂本龍一『Broadway Boogie Woogie』

 

本日より『ブレードランナー2049』が日本公開される。のちのち話のネタとするべく初日に足を運ぶつもりでいる。歌舞伎町の上映館であるバルト9、ピカデリー、TOHOシネマズはいずれも35年前に描かれた2019年のロサンゼルスっぽいので、どこを選ぶか現在検討中。普段は勘弁してほしい雨も今日ばかりは降ってもらって傘をささずにいきたい気がする。そう、元WWEスーパースターのバティスタも出演しているので、プロレスファンにも観賞いただきたい。

 

さて、その公開初日から多くの方々のレビューがアップされると思われるが、同じことをやってもアレなのでここで過去に書いたブログを引っ張り出してみた。今思うと、あれも歌舞伎町のうどん屋さんだったんだよなあ。まあ、こういう作品の楽しみ方もあるということで。おそらく今日の晩飯も、観賞後にうどんだろう。

 

☆      ☆      ☆

 

映画『ブレードランナー』の冒頭に出てくる主人公・デッカード(ハリソン・フォード)とスシマスターのやりとりは、マニアの間でさまざまな説が飛び交うシーンとして有名だ。2019年11月のロサンゼルスは曲解された東洋の文化がはびこる街と化し、空を飛ぶ車のような近未来の乗り物(スピナーと呼ぶらしい)が見られるかと思えば、大型ヴィジョンには「わかもと」という日本語と舞妓と見られる女性が映し出される。いかにも酸性がキツそうな雨がひっきりなしに降りしきる中、デッカードは和風屋台の席が空くのを待っていた。

 


 

東洋人のスシマスターに空いたことを告げられたデッカードは、道と面したカウンターへ駆け込みながら何かを「4つくれ」と英語で注文する。だがスシマスターは「2つで十分ですよ!」と日本語で忠告。それでもデッカードが「ノー、4つだ!」と念を押しても「2つで十分ですよ! わかってくださいよお」と譲ろうとせず、最後はデッカードが渋々従いつつ「ヌードルも」と加える。

 


 

リドリー・スコット監督によるアメリカ映画にもかかわらず冒頭から日本語が聞かれるため、ストーリー的に重視されるシーンではないにもかかわらず強く印象に残る。問題は、デッカードが4つもほしがったのは何かということ。

 

私は勝手にうどんの中へトッピングするエビ天だと解釈したのだが、あとになっていろいろ調べると「うどんはあとから頼んだものだから、エビ天丼だ」という説が浮上。さらに近年になると本編ではカットされた注文の品が映っているヴァージョンが出回った。

 

それを見たかぎりでは、どうやら丼の上に2匹の魚らしきものが乗っている。しかも揚げてはおらず、生っぽい。食材とするには少しばかりグロテスクに見えるため「あれは深海魚だ」と主張する声もあった。

 



いずれにせよ、どう見てもエビではなさそうなので少しガッカリしてしまった。ハリソン・フォードがエビを4つも食いたくてムキになるからおもしろいのだ。確かに、映像で確認された謎の魚が4つだとしても十分気持ち悪いが、ここはエビであってほしかった。

 

このスシマスターとのやりとり後、デッカードを連行するために現れた組織の者が架空の言語で何やら言うのだが、それが聞きようによっては「エビうまいよ」と聞こえる。これでデッカードがエビを頼んでいたら完ぺきではないか。

さて、じっさいのところ1杯のうどんにエビ天を4本入れたらどんなものなのか。先日、歌舞伎町にある楽釜製麺所へいったさい勇気を振り絞りやってみた。歌舞伎町とブレードランナーに出てくる街並みは大型ヴィジョンがあって雑多に人々が行き交うあたりが似ている。

 

楽釜製麺所ではうどんを店員さんへ注文し、トッピングは揚がったものを自分でセレクトして皿へと移す。そこで私は、デッカードになった気分でエビ天を4本取った。
 

この時、店員さんが「2つで十分ですよ!」と言ったら「おお! わかっているじゃないですか!!」とハグをするところだったが、さすがに世の中そこまではうまくできていない。ひとりで4本のエビを取ったにもかかわらず、特に何も言われることなくレジで「○円です」と機械的に言われた。



 ▲「エビうまいよ」「はいっ!」

というわけで、これが幻のエビ4本うどん…名称をつけるとすれば「ブレランうどん」である。食べてみたら、食えないことはないのだがやはり2本食べたら飽きる。あとの2本をほかの揚げ物にしておく方がどう考えても賢明だ。2つで十分…おっしゃる通りだった。ちなみにこのスシマスターを演じたのはロバート・オカザキさんという方で、ロスで日本人向けの観光ガイドをやっていたそうな。(2011年8月29日・記)

 

【関連ブログ】イリヒカタムク/映画『BLADE RUNNER』

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BGM:アンドレ・ザ・ジャイアントテーマ曲『ジャイアントプレス』

 

25日、小池百合子都知事が都庁で会見し、6月に上野動物園で生まれたジャイアントパンダの赤ちゃん(♀)の名前を、32万2581通の公募の中から「香香(シャンシャン)」に決定したと発表。存在自体が無条件で人間をしあわせにさせるパンダ案件らしく一日がその話題でいっぱいとなった中、そんな世間の向こうをムダに張るかのごとく同日夜、大日本プロレスが10月4日の北海道・釧路青雲台体育館大会においてスタン・小林vsアンドレザ・ジャイアントパンダの一騎打ちをおこなうと正式にリリースした。

 

▲大日本がリリースしたアンドレザ・ジャイアントパンダのファイティングポーズ写真。これだけではどれほどの大きさかは伝わらないが

 

この日の新木場1stRING大会で第1試合タッグマッチにスタン・小林名義で出場したアブドーラ・小林は、伝家の宝刀ウェスタン・ラリアット(西部式投げ縄打ち)で菊田一美をしとめるとマイクを持ち、テキサスではなく日本訛りの英語でカード決定をアナウンス。直後に団体からプレスリリースが流されるという、必要以上の手際のよさだった。

 

アンドレザ・ジャイアントパンダ(アンドレ・ザ・ジャイアントパンダは誤表記)とは、北海道のアマチュアプロレス団体・新根室プロレスが中国から発掘した身長3メートルのパンダ。ニューカマーのため『ローカルプロレスラー図鑑2017』にも載っていない。

 

さる7月30日に別海町ぷらと前多目的広場にて開催された「商工青年夏まつり2017~ビアガーデンマッチ~」に初来日し“超暇人”ハルク豊満を2階からのヘッドバットで失神へと追い込み、レフェリーストップによる秒殺TKO勝ちという圧倒的な強さとデカさで鮮烈日本マットデビューを飾った。その試合の世にも貴重な映像はコチラ。

 

▲アンドレザの試合は12分あたりから。見ただけで博多スターレーンに登場させたくなる

 

一般的に成獣となったジャイアントパンダの体長は120~150センチ。直立しても170センチほどとされるので、やはり動物業界的にもアンドレザは長身の部類に入り、一人民族大移動ならぬ一匹民族大移動と言っていい。サイズがデカすぎるがゆえ、雑なリングインをしてしまい入場時からダウンをとられるピンチとなったが、スタンドになるや野性味あふれる俊敏な動きで場内をどよめかせた。

 

この大きさながら吉野正人やヨシヒコばりのスピードを誇るのは驚異的で、パワーだけでなくかわいい顔してテクニシャンであるところもうかがえる。あの“人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントも大巨人などと言われる一方、そのじつ相当の技巧派であったのは識者の間で知られているところ。そのアンドレより77センチもデカいのだ。

 

▲別海町大会ポスターにもデカデカと載せられ、大々的に宣伝された。にしても、それ以外の出場選手のキャラクターも総じてたまらない

 

現存するプロレスラーとしては、同じ中国の団体・新北京プロレスに所属するロングリバー黄河が計測不能ながら人を踏み潰すほどの大きさのため世界最大とされている。だが、黄河はあまりのデカさのためじっさいに全長を見た者はおらず(それは死を意味する)、ライヴで見られるプレイヤーとしてはあらゆるスポーツの中でもこのジャイアントパンダがホフ専用ズゴック(浪速区民センターVer.)らと並び最大級と言っていい。

 

SNS上では光の速さで話題となったアンドレザを「ネットプロレス大賞」主宰者のブラックアイさんがとりあげたのは9月24日のエントリー。遅れ馳せながら私もその記事で知ったのだが、とにかく今一番生で見たいプロレスラーの座を瞬時に獲得。これは飯伏プロレス研究所の研究対象としても申し分ないなどと思っていたところ、なんでもくいしんぼう仮面がオファーをかけてみたそうなのだが、ケガで療養中との回答が新根室サイドからあったらしい。

 

くいしんぼうさんが招へいは諦めないとツィートする一方で「俺は7月の時点で目をつけていた!」と豪語する男が水面下で動いていた。プロレス界の全部乗せこと、アブドーラ・小林である。

 

▲レフトハンドで出す場合は本家よろしくウェスタン・ラリアットであるのに対し、右腕の場合はイースタン・ラリアット(東部式投げ縄打ち)になるという。テンガロンハットを被りビッグテキサンを気取りながら、凶器シューズのままというツメの甘さまでも含めてのスタン・小林

 

ただでさえアブドーラ・ザ・ブッチャーなのに棚橋弘至や中邑真輔、オカダ・カズチカらを一方的に乗せまくることでノシ上がってきたアブ小プロが、この夏はスタン・ハンセンをオマージュしスタン・小林を名乗るようになった。それと時を前後してアンドレザの存在がアンテナに引っかかるというのだから、これはもう田園コロシアムの神様が微笑んだとしか思えない。

 

「もともと新根室プロレスさんは日本に数ある団体の中で私がもっとも上がりたいところでした。キャラクターがみんな面白いから。それで3年ぐらい前からずっと新根室に上がりたいってツィートしていたんですけど、そんな中であのジャイアントパンダが現れた。そのタイミングで自分がスタン・小林をやっているということは、これは今やるしかないなと。スタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントの田園コロシアム決戦もこれぐらいの時期だったじゃないですか(1981年9月23日)。

 

新根室さんのリングではないけど、ウチが北海道巡業にいくんで根室から一番近い釧路なら…ということでオファーしたら通ったんです。ファンの皆さんの共感が後押ししてくれたようなものですよ。聞くところによるとプロとの交流はしないようにしていたらしいんですけど、みんなの声が動かしてくれました」

アマチュアプロレス団体であるゆえ、プロへのリスペクトから交流はしないようにしてきたと思われる新根室。だが、ジャイアントパンダが業界に与えたインパクトはあまりに大きすぎた。プロの方から食いついてくるというのは(外野からワッショイしている鈴木秀樹を含め)、さすがに想定外だったはずだ。

 

アブ小のなんでも面白がる熱意に応えるかのごとく、アンドレザも“ジュッテンヨン”に向けての復帰を決意。おそらくその風体からして、白黒をハッキリつけないと気が済まない性格なのだろう。かくして田園コロシアムがあった田園調布からは遥か離れた北の大地で、勝手に伝説の一戦がオマージュされることとなった。

 

とはいうものの相手は野性のパンダであり、なんといっても3メートルの長身を誇る。「すでにハンセンvsアンドレ戦の映像を見て研究している」というアブ小プロは、ジャイアントパンダをボディースラムで投げ、ウェスタン・ラリアットで場外まで吹っ飛ばすと豪語するが、果たしてその首まで左腕が到達するのか。

 

「カギとなるのはパンダが十八文キック(アンドレザは二十八文あるとのこと)を出せるかどうか。ハンセンもアンドレのビッグブーツをかわしてラリアットを放ったから、そこが決められるチャンスだと思うんで。なんとか対策を練って伝説のシーンを再現させます。ただ、あの試合は両者リングアウトからの延長戦でアンドレの反則負けになったじゃないですか。今回の一戦はその決着戦だから、結末に関しては私が勝利をあげて田コロ決戦を超えます。そして釧路の中心…ではなく、丘の上で“ユース!”と叫びますよ」

 

当時、ハンセンが大巨人をボディースラムで投げたシーンで古舘伊知郎アナウンサーが「世界で5人目!」と絶叫したが、おそらくアンドレザを投げ切った人間はまだいないだろうから実現させれば「世界で1人目!」になる。その上でラリアットをブチかまし、バトル・オブ・スーパーヘビーウェートを制すというのだ。

 

これまで、闘うスーパー銭湯・お風呂の国で吸いつきタコ、マグロ、うなぎ、猛毒カニなどさまざまな相手と異生物格闘技戦をおこなってきたアブ小プロ。その中でもっとも大きかったマグロでさえ1メートル数十センチというから、間違いなく過去最大の相手となる。

 

プロのレスラーがアマチュアプロレス団体のリングへ上がるだけでも大きなリスクをともなうのに加え、アブ小プロは日本におけるデスマッチファイターの第一人者であり、現BJW認定タッグ王者。もし敗れるようなことがあればその歴史とタイトルの価値と、ついでにベルトを創ったグレート小鹿の顔に泥を塗りたくるのは必至で、勝負は時の運という言葉では済まないことになる。

 

「出る前に負けること考えるバカいるかよっ! これは大日本の人間として避けられない運命ですから。ウチは以前にレスリングベアーを上げようとしたり、テリブルテッド・ブラックベアーという熊レスラーを招へいしてきた。つまり、大日本はいつか熊との決着をつけなければならないプロレス団体なんです! パンダも熊じゃないですか。この試合に勝ってこの私が“熊殺し”の称号を襲名しますよ(まだ乗せる気満々)」

 

試合は通常ルールでおこなわれるため、凶器使用は認められない。3メートルのパンダを蛍光灯でぶん殴り、コンクリートブロックへ叩きつけ、竹串を全身に突き刺した揚げ句画鋲の海へ沈めたらどうなるかという竹田誠志的発想にも駆り立てられるが、あくまでもアブ小プロはそういったものは導入せず、正々堂々と“田園コロシ合い”を挑むのだという。

 

思えば日本のプロレスはパンダとともに歩んできたといっても過言ではない。1990年2月に大仁田FMWがメキシコからパンディータなるマスクマンを招へいしたのがはじまりで、その路線を受け継いだレイ・パンディータも登場。最近ではWRESTLE-1にパンニャン老師という中国拳法の達人が上がり、昨年7月8日はケンドー・カシンとパンディータ(何代目になるのかは不明)が新木場1stRINGでワンマッチ興行を強行。リングの中で観戦するリングインサイド席(10万円)が話題となっただけでなく、パンディータの正体が大仁田厚という禅問答的な結末に、週刊プロレスのカシン番・松川浩喜記者が歓喜した。

 

一時期はDDTに大中華統一中原タッグ王座があり、ベルトの中心へパンダの顔があしらわれていた。数え切れぬほどのメジャータイトルを獲得してきたザ・グレート・サスケでさえ、リッキー・フジとのコンビで巻いたさいは「いいねえ、最高だ! さっそく明日、盛岡へ帰る前に上野動物園に寄って、ベルト奪取をパンダに報告しますよ!」とドヤ顔で宣言したものの、0.5秒後には「上野動物園、明日は月曜なので休みなんですが」と記者団の突っ込みが入ったため「おおーっとぉ!? そう来たかい」と、その場を取り繕うかのようなバンプしかとれないという一幕もあった。

 

▲ムーの太陽のマスターを自称する前の時期にサスケが獲得した大中華統一中原タッグのベルト(2011年7月3日)

 

このように、屈強なプロレスラーたちでさえ無条件で気持ちが高揚してしまう存在がパンダであるのは、歴史も証明している。アブ小プロは、それとの闘いでもあるのだ。

 

▲パンダというだけではしゃぐプロレスラーの皆さん(写真はイメージ)

 

「東京に呼ぶのではなく、こっちから北海道へ乗り込むから意味があるんです。だから東京のファンにも見に来てほしいんで、東京組には特典をあげます…うーん、じゃあスタン・小林が試合中でも取らない魂のウェスタンハットを被ってもらってのツーショット撮影をやりましょう。会場で『東京から見に来ました』って言ってください」

 

熊猫山脈が新根室プロレスの看板を守るか、それとも不沈艦ならぬバカチン艦が大人げない勝利をあげてひとりほくそ笑むのか。アンドレザとすれば、単なる客寄せパンダとして片づけられるのはプロレスラーとしてのプライドが許さぬだけに、もはやシャンシャンで終わるような一戦を望むのは無理なところまで来てしまっている。これも何かの縁…せっかくだから小池都知事にも釧路まで見にいってもらい、アブ小プロとのツーショット撮影を実現させていただきたい。

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BGM:World Party『When you come back to me』

 

 

DDTが渋谷club ATOMにおける定期戦をスタートさせたのは旗揚げから3年が経過した2000年6月22日。それまでは北沢タウンホールを中心に活動していたが、前年12月に後楽園ホールへ初進出し、次なるステップを模索する中で高木三四郎の人脈によって発掘された会場だった。

 

大会タイトルの「NON-FIX」は当時、映像班ではなく外注の制作スタッフだったマッスル坂井紀元前の坂井良宏が手がけていた、CS放送のDDT関連番組からとったもの。週に一度の定期開催というのは日本のプロレスシーンにおいては画期的で、期間限定のイベント形式でもなければ一つの会場で続けるというモデルケースさえなかった時代。加えて新宿FACEがまだできておらず、渋谷という東京を代表する街へプロレスが進出したこと自体、快挙でもあった。

 

週に一度必ず興行をおこなえば週刊の専門誌へ毎週掲載されるし、当時のキャッチフレーズだった「闘う連続ドラマ」をそれまでより速いスパンで提供できる。かくしてclub ATOMを情報発信の拠点に据えたDDTは、他がやらないアプローチで団体としてのステップアップを見せていった。

 

今回、13年ぶりとアナウンスされていたが週プロモバイルの熱戦譜でさかのぼったところ2004年4月21日の大会を指しているのだと思われる。その日の公式記録は以下(赤文字は今回も出場した選手)。

 

★2004年4月21日=東京・渋谷club ATOM(観衆208人=超満員)

1、15分1本勝負

タノムサク鳥羽HERO!KUDO(10分43秒、片エビ固め)男色ディーノ&柿本大地&高梨将弘

※HERO!スプラッシュ

2、1対3ハンディキャップマッチ(30分1本勝負)

大家健&○石川修司&藤田峰雄(5分14秒、片エビ固め)三和太●

※ジャイアントブーツ

3、45分1本勝負

×マンモス佐々木(6分37秒、無効試合)諸橋晴也×

※セコンド・橋本友彦の乱入→レフェリー暴行

4、61分3本勝負

スーパー・スモー・マシン&MAX宮沢(2-1)高木三四郎&高偽三四郎

<1>○高偽(突き落とし)宮沢●

※相撲ルール

<2>○マシン(引き落とし)高木●

※相撲ルール

<3>○マシン(5分49秒、エビ固め)高木●

※維新力の乱入からスーパー・スモーボム。プロレスルールによるタッグマッチ

5、時間無制限1本勝負

佐々木貴&GENTARO(8分59秒、試合放棄)ポイズン澤田JULIE&猪熊裕介

※両軍和解による

◎ボーナストラックマッチ(時間無制限1本勝負)

佐々木貴&GENTARO&○猪熊裕介(4分32秒、体固め)MIKAMI&HERO!&KUDO●

※心霊治療所の先生のモアイ・オブ・イースターから

 

公式記録といったところで、当時の背景を把握していなければなんのことやらわかりづらい結果も多々あるので、ここは高名な神サイト「Extreme Party」に残されている貴重な当時のリポートをご覧いただいた上で、内観の変化等も含め感じていただきたい。ご覧の通り、当時を体感し今回の復活大会にも出場した選手は9名。高偽三四郎とか、今となってはたまらん字面だ。

 

意外とマッスル坂井はこの日、出場していないが当時は練習生の立ち場でありながら正式デビュー前に何百試合とこなしているといった時期。当然、ATOMにも毎週のように出ていたものの、この頃は一宮章一(高偽)社長に映像班へ専念するよう言い渡されていたタイミングだったはず。プロフィルにある正式デビュー戦は、この3ヵ月後の後楽園ホールだ。

 

また、アントーニオ本多が初登場したのは2005年1月の「マッスル2」だから、こちらもじつはATOM未体験組だった。また本体興行としては13年ぶりだが、翌年2005年の6月21日にMIKAMIプロデュース「CRUISER'S GAME」がスタートしており、厳密にはDDTブランドのくくりでいうと12年ぶりの開催となる。

 

この第1回大会ではHERO!が初めて素顔のHARASHIMAとして試合に出場し、現在もプロレスリングBASARAで時おり出没するMC.33も登場。飯伏幸太とHi69の一騎打ちにメインはMIKAMI&怨霊vsカズ・ハヤシ&石狩太一と、団体の枠を越えて軽量級の選手が集う画期的な試みだった。こちらもExtreme Partyさんで併せてご確認いただきたい。

 

私自身、週刊プロレス在籍時にDDT担当となって初めて書いた試合リポートがATOMだった。それだけにプレ旗揚げ戦の地・日比谷ラジオシティーや北沢タウンホール、さらにはATOM以後の週一開催会場となった新木場1stRINGよりも源流との思いが強い。毎週水曜、渋谷駅を降りて109を見上げながら道玄坂のゆるやかな傾斜を小走りで登ったものだった。

 

▲2000年8月10日のATOM大会が初めて書いたDDTの試合リポートだった

 

9月13日、JR渋谷駅を降りるとこの日も見えてきた109。当時は大会ごとのポスターなど作っておらず、年間通してのポスターで“109”のところを“346”にしパロったものを使っていた。これによってDDT=渋谷というイメージが浸透した。

 

 

109をはさんだ左側の坂を登り続け、右の小道を曲がり直進すると円山町の「ドクタージーカンズビル」が見えてくる。この5FがATOM。ちなみに2015年4月より名称が「ATOM TOKYO」に変わっている。隣はライヴハウスのTSUTAYA O-WESTで、道をはさみ向かいにある現在のO-EASTが、高木三四郎の公式プロフィル上のデビュー戦がおこなわれた会場。

 

 

1Fの入り口から続くコインロッカーがある細い通路は当時のまま。ここからエレベーターに乗り5Fへ。つまり、リング設営と撤収は一つずつパーツを運んでその間をいったり来たりしてやっており、大会が終了すると出待ちのファンもけっこういた。そうやって、リング屋のアルバイト時代のHARASHIMAやKUDO、ヤス・ウラノは、汗を流していたのである。

 

 

5Fのエレベータースペース。当時は画像右が入り口となっており、そのままオーディエンススペースへ直結するため、そこでチケットをチェックしていた。のちの三冠ヘビー級王者・石川修司も練習生時代、そこへそびえ立って一枚ずつチケットをもぎっていた。

 

 

現在の入り口は画像右のドア。受付スペースのところが当時、グッズ売り場となっていて、今とは比べものにならぬほどの限られた種類のグッズがひっそりと置かれていた。蛇界用のマラカスも売っていたっけ。

 

 

入って驚いたのは、内観がまったく変わっていたこと。バーカウンターも天井のゴージャスな照明も、左右のVIPシートも当時はなかった。記憶よりも広くなった印象。

 

 

開場前のFC撮影会でスーパー・ササダンゴ・マシン、大家健、男色ディーノが座っていたDJブースらしきところも当時はスタンディングで観客を入れていた。黒壁でもなかったし。

 

 

6Fが控室となっており、吹き抜けのためそこから試合を見ることができるのは当時のまま。

 

 

こういう感じで入り口のところに進撃の大巨人さんが立っていたんですよ、あの頃は。

 

 

開場後、前の方からどんどん埋まっていく。懐かしい“SECURITY 3:46”Tシャツを着てきた方も。今もDDTを見ていて元ネタを知っているファンはどれぐらいいるだろう。

 

 

この日は試合が組まれていなかったにもかかわらず、HERO!の試合を見るために来ていたHARASHIMAが試合前のサイン会へ。この日限定のHARASHIMA&HERO!寄せ書き色紙! これをもらえた方は貴重です。

 

 

スタート前、酒呑童子の3人が高山善廣さんへの支援募金を呼びかける。DDTでは誰よりも帝王とガンガンやり合った征夫さんが、率先して声掛けしていた。

 

 

オープニングの時点で立錐の余地がないほどパンパンに。当時は映像を使っていたもののスクリーンがなかったため、テレビモニターをスタンディングスペースに置いて流した。そのさい、みんなが見られるように映像が流れると観客はしゃがんでいたものだった。今だったら置けないだろう。

 

 

やはりclub ATOMにこの方の姿は似合う。オープニングにPSJが登場し、マラカスの音色が響き渡る。人垣を裂くようにして歩を進める入場シーンは当時のまま。スーパー宇宙パワーが姿を現したさいも、左右でオーディエンスが手をかざしていた。

 

 
バーカウンターのスタッフさんもスマホで試合を撮影。2000年~2004年は当然スマホなどありませんでした。
 
 
試合中の風景は当時のままだが、男女の比率が完全に逆転していた。リングの向こう側のスペースに置かれていた本部席が、今回は画像左側のDJテーブルに設置。毎週取材に来るのは週プロと週刊ゴング誌だけだったから、記者席なんつーものもなかったなあ。
 
 
これが現・ATOMにおける入退場花道。左がVIPシートのイス席。スペースが確保されている分、当時より入退場しやすかったかもしれない。
 
 
高木vsディーノvs坂井&大家の4WAY戦で入場してきた男色P(画像左下ピンクのTシャツ後ろ姿)は、例によって花道を通らず群衆の中へ突撃し狩りにいそしむ。当時は逃げるスペースがあったが、今回は無理!
 
 
4WAY戦にはササダンゴ・マシンが乱入し、坂井とまさかの邂逅。大家が高木に勝って試合が終わったあともニラみ合いを展開しつつ「これは良いマシンです!」と、坂井がその存在を認める発言。
 

オープニングで蛇人間改造エキスを飲んだ竹下幸之介と彰人が蛇け下幸之介、蛇き人と化し試合へ。あの頃は、DDTにかかわった人間のすべてが蛇人間に改造されてしまうほどの勢いだった。
 
 
竹下がプロ入り初勝利をあげた時の相手が、引退試合におけるPSJだった。あの時「本当に大事なものをもらいました!」と目を輝かせていたが、それから5年経って蛇界入りし、勝利の喜びを分かち合えるようになるとは…プロレスはちゃんと線でつながっている。
 
 
セミの入江茂弘&樋口和貞vs佐々木大輔&マッド・ポーリー戦で繰り広げられた密集地帯における場外乱闘。「世界で一番間近で見られるケンカ」がATOMのウリのひとつだった。
 
 
乱闘中にバーカウンターでドリンクを注文したカリスマは、それを灰皿の中へ入れて樋口の口へ流し込む六本木スタイルでダメージを与えた。
 
 
ポーちゃんもひとしきり暴れるとドリンクをオーダー。カリスマの注文に続く無茶振りにもかかわらず、スタッフのお姉さんは冷静沈着な接客っぷりをいかんなく発揮していた。
 
 
メインで復活したHERO! もともとはこのATOMで流される映像(ロケ)内限定のキャラクターだったのが、最終的にはATOMで試合が組まれたのがきっかけで本格的にリングへ上がるようになった。それを思うと、club ATOMとHERO!は切っても切れない関係となる。
 
 
メインが始まった頃には選手たちも続々と出てきて観戦。そんな中、男色Pの思いつきで急きょ組まれたKO-D6人タッグ王座防衛戦にてMIKAMI&HERO!&鳥羽を退けV3を果たした(KUDOがダイビング・ダブルニードロップで鳥羽をピンフォール)酒呑童子が、13年ぶりのATOMを締めた。試合中、嬉しさがこみあげてきて抑えられずにいたMIKAMIの笑顔が印象的だった。
 
 
メイン後は高木三四郎…ではなく平田一喜が集会を決行。このバーカウンターあたりが、伝説の“菓子折り事件”のさいにたまたま取材にシフトされた若手時代の週プロ・市川亨記者が、DDTファンによって取り囲まれる前で大社長に詰め寄られたところ。
 
 
平田はこの日、東京へいきたくなる曲をアカペラで歌ってくれたマイク・ベイリーを呼び込み、再び『TOKYO GO!』で盛り上がったが、最終的にはよってたかってボコボコにされお開き。
 
 
客出しが始まると同時にリング撤収が始まる。これも当時と同じで、プロレス興行のあとに深夜のクラブイベントが入っていたから、毎回急いでリングを撤去していたのだ。
 
 
この空間で聴くガラスクラッシュからの『FIRE!』も、ディーノの登場で阿鼻叫喚状態となるのも、得意技なのに当たらない坂井のダイビング・ニードロップも、そしてオーディエンスが笑っても絶対に自分は笑わない(蛇界の王としての高笑いは別)澤田さんの徹底したプロとしての姿勢も…造りは変われどclub ATOMの情景はそのままで本当に懐かしかった。こうした形で20周年記念番外編として味わえるのも、まだ団体が小さかった頃に息を切らせながら道玄坂を登り、足しげく通っていたファンの皆さんがいたからこそ。DDTならば、それを忘れることなく今後も歴史を築いていくだろう。またいつか――。
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BGM:Drowning Pool『Step Up』

 

日本時間8月21日は、朝からWWE「サマースラム」が開催された。シンスケ・ナカムラがジンダ・マハルのWWE王座へ挑戦し、新チャンピオンになる姿が期待されたためニコニコプロレスチャンネルでは8時より見ながらトークをおこなった。

 

結果はご承知の通りと思われるが、この日よりWWEネットワークでは日本語実況によるリアルタイム配信が始まった。これまで英語以外はライヴ配信終了後、数時間のラグを置いてアップされていたのがより便利になったというわけだ。

 

おそらく、FUNAKI&シュン・ヤマグチのナビゲートでサマースラムを楽しんだ方が多くいたと思われる。私も見ながらトーク中は英語によるやりとり(主にバックステージのセグメント)を把握するべくそちらで視聴していたのだが、AJスタイルズvsケビン・オーエンズのUSタイトル戦の最中、一瞬「えっ!?」と思うことがあった。

 

開始から2分35秒あたりで、オーエンズがAJを倒すや馬乗りとなりパンチを振り下ろす。これを反則とみなしたスペシャルレフェリーのシェイン・マクマホンがカウントを数え始めた。

 

▲ナックルパートを放つオーエンズに、反則カウントを数えながら注意するシェイン

 

一見、なんの変哲もないシーン。オーエンズはカウント2あたりでパンチをやめ、次の攻撃へと移った。そこでコメンテーターのFUNAKIが「いや、パンチはいいはず…」とつぶやいた。いったん、試合展開に戻ったが、再び「WWEルールでパンチ、OKになってるんですよ」と説明したためシュンさんが「コーナーでですか?」と聞き返す。するとFUNAKIは「いやいや、パンチ自体がOKになったんです。だから最近、手を開けという指示がないんです」と加えたのだ。

 

▲WWE PPV日本語実況チームのシュン・ヤマグチ(左)&FUNAKI

 

プロレスのルールとは代々受け継がれてきた概念のようなものであり、半ば“常識”として見る側にすり込まれている。他の競技と同様、世界共通の機構があれば統一されたルールブックも作成されるのだろうが、そういったものは存在しない。

 

だから団体によってルールは微妙に違ってくる。わかりやすい例は、ほとんどが場外カウント20に対し全日本プロレスが採用しているPWFルールは10。あるいはメキシコにおけるツームストーン・パイルドライバー(マルティネーテ)のように、禁止技とされるものもある。

 

ルールを明文化している新日本プロレスは、平成13年(2001年)制定版を公式サイトに掲載し、閲覧できる。ただし、これも「本規約は新日本プロレスが認定したものであり」との記載が見られる。

 

古くから受け継がれてきたルールをもとに制定されているのは明らかだが、改訂される場合でもそのつどアナウンスされるわけではない。パンチが認められるというWWEのルール変更も、公式発表はなかったはずだ。

 

パンチが反則でありながら日常的に使われているのは、5カウント以内という解釈に当てはまるため。ハルク・ホーガンのスリーパンチやビッグショーのKOパンチ、ローマン・レインズのスーパーマンパンチも、それに該当するものと受け取っていた。日本ではアントニオ猪木の代名詞・怒りの鉄拳制裁や天龍源一郎のグーパンチが“市民権”を得た。

 

また、パンチは言語に変わる対話の手段というプロレスラーもいる。2011年1月30日、DDT後楽園ホール大会にて心の師であるディック東郷と一騎打ちをおこなったあと、アントーニオ本多はこんなコメントを残している。

 

「自分の好きなことってクラシカルで、完全に時代錯誤だとばかり思っていたんですけど、それは佐藤さん(東郷)と響き合うものであり、そういう部分で対話をすることが目標でした。殴るっていう行為は…野蛮なことじゃないですか。でもプロレスラーの不思議な感覚として、痛いんだけれどもビールをちょっとあおって『クーッ』ってなるような、そういう感覚で。あとは同じリズムですね。それが相まって…対話というよりやっぱりセッションですよね。痛みをともなうセッション。だんだん頭もクラクラしてくるし、音楽的な経験でした。今までもそういうのは部分部分であったんですけど、あれほどの手応えがある演奏は…ベストギグですね」

 

アメリカンプロレスの間合いを知る者同士に通じる共通言語としてのパンチ――反則とされながらもずっと昔から認知され、プレイヤーにも影響を与え続けてきたのが、プロレスにおけるパンチの価値ということになる。

 

サマースラムにおけるFUNAKI発言に引っかかった人たちは少なくなかったと思われる。「ネットプロレス大賞」を主宰するブラックアイさんもその一人で、8月24日のエントリーでとりあげている。

 

そのエントリーを受けて十人十色プロレス日和さんが、さらに検証。そこでは2008年9月にアップされた海外サイトWrestleZone.comの記事「Closed-Fisted Punches Now Legal In WWE」だけでなく、WWEの公式ルールブックが世の中に存在することも調べあげられており、心より敬服してしまった。

 

UWFを別とすると、今の今までプロレスのルールブックが一冊の本になっているとは思わなかった。十人十色プロレス日和さんが触れている通り、海外サイトの記事は「現時点ではコーナーでのパンチやマウントにおけるコブシによる攻撃に対し、レフェリーが反則カウントを5まで数えているが、1ヵ月前より合法となったため今後は全面的にパンチが認められることになる」という論調。

 

この2008年は、4月のレッスルマニア24でビッグショーがプロボクサーのフロイド・メイウェザーと対戦した年。この試合を機に、世界最大級のアスリートはパンチに開眼。その後もシグナチャームーブとして使い続けるようになった。

 

では、2008年がルールの“変わり目”だったのだろうか。そこでFUNAKIに聞いたところ、親切にも仲間のレフェリーに確認してくれた。

 

「正式なニュースとしては発表されていないかもしれないけれど、パンチがLegal(反則ではない)になったのは間違いないそうです。ただ、いつ頃からかはハッキリ憶えていないようで、そのレフェリーは2011年頃ではないかと言っていました」

 

なぜ現行のままでも支障がないのに、ルールとしてナックルパートを認めたのか。2011年は8月にUFCがFOXと放送契約を結び、11月には初の地上波放送を実現させている。

 

当事者たちが望むと望まざるとWWEとUFCが比較されるようになる中、打撃に関してもイメージ的に“見劣り”することを避けるとともに、表現の幅を広げたかったのではないか。あくまでも推測にすぎぬが、ルール改訂が2011年と仮定した上でそんなことを思った。

 

ちなみにシェインが一度WWEを去ったのは2010年1月で、カムバックを果たしたのは2016年2月。その間にルールが変わっていたとしたら、それを知らずに反則カウントを数えたのも合点がいく。

 

もちろんMMAのパンチとプロレス(WWEはそう称していないが)のそれは、前述のアントンの言葉にもあるように意味合いが違ってくる。そして、WWEで認められたからといって世界中が右にならえとはなるまい。

 

特に日本の場合、人の顔面を殴る行為に対する抵抗感から、コブシによるパンチ攻撃をヨシとしない点については根強いものがある。猪木さんや天龍さんの域にまで達すれば別モノとされるが、5カウント以内の一瞬の攻撃であっても反射的にブーイングを飛ばす観客は多い。

 

レフェリーが見ている前での凶器攻撃やセコンドの介入は即反則負けとなる。5カウントが数えられる場合との線引きはどこにあるのかというのも、レフェリーの裁量によるところが大きい。

 

今すぐ影響が出るとは思えないが、やがては日本においてもパンチに対する受け取り方が変わってくるのだろうか。最後に、FUNAKIが噛み締めるように語っていた言葉を報告する。

 

「パンチひとつに興味を持ってくれる方がいるとは…あそこで触れておいてよかったです。そういうリアクションを聞くと、WWEのコメンテーター冥利に尽きます。日本のファンにも楽しんでもらえる実況に努めますので、ありがとうございましたとお伝えください――」

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