前に、コンペの弊害について記事を書いたところ、凄い反響がありました。

色々な御意見も頂戴して、この問題の根が深い事も良く分かりましたし、
勿論、良い点と、悪い点のご指摘も当然の事と思います。

少しでも音楽界が良い方向に向かって欲しい、との思いは
今も変わらないでいます。


で、このコンペと言うやり方で、一つ面白い現象が露呈して来ています。


先日の記事でも書いたように、今や日本の楽曲作りは
曲が先の歌詞があとの、いわゆる『曲先』で制作されています。


つまり、曲選びがまず最初と言う事ですね。

そうなるとどうなるか?

必然的にコンペを行うと、『曲のコンペ』になります。

そのお仕事のニーズに合わせた歌詞無し楽曲が、何100曲も集まる事に
なります。

その中から、仮に一曲が選ばれたとしましょう。
その曲が選ばれるまでに、何100曲もあるから、
それを聴くだけでも大変な時間と労力がかかってしまうのは、
容易に推測出来ます。

日本では、楽曲作りにかける時間そのものが、短い事が多い。

とすると、その楽曲のオケ録り、歌入れ、ミックスなどの行程にかかる時間を
逆算してみると、
まだ決まっていない『歌詞』について、とてもコンペをやっているヒマはない。


必然、歌詞は『名指し』になります。

この結果、名の知れた、お仕事の速い特定の作詞家さんに集中する事となり、
逆に、作詞家の新人が出にくくなる、と言う現象が起こっています。



昔、日本の楽曲作りは歌詞が先の『詞先』でした。

この時代には、歌詞のコンペが普通でした。

と言う事は作曲家は『名指し』が多かった記憶があります。


コンペが多くなると、
必然的に、優秀な才能を持った作詞家さんの登場があり、
(阿久さんや松井さんや荒木さん、、、などなど)
もの凄く歌詞の内容が多岐に富んでいて、面白かった印象があります。

彼らの歌詞は歌詞と言うより、『詩』でした。


今は、シンガーソングライターと言われる人達が音楽界を席巻し過ぎたせいで、
歌詞の内容が自分の喋る言葉の延長にしか過ぎない印象があります。


そして、『詩』は前記の特定の作詞家さんの努力で支えられています。


話が逸れましたが、
前記のような理由で、作曲家は『コンペ』作詞家は『名指し』と言う
昔とは全く反対の逆転現象が起こっています。


これが、良い方向なのかどうなのか。

私の個人的な意見は、詞先の曲先は半分半分が良いと
思っていますので、
もっともっと作詞のコンペがあっても良いのかなぁ、と。

しかし、この方向へは行かないだろうな、止められる流れではないな、
とも悲観していますけど。