『人生はマラソンのようなもの』
良く聞く言葉ですね。
42.195kmにも及ぶこの過酷なレースは、山あり谷あり。
スピード、スタミナ、そして精神的にも強くなくては完走する事は
至難の技。
そして、そのレースに勝利するのは全てのうちに、たった一人だけ!
一番、才能があって、凄い努力をして、健康で、何より運に恵まれた者だけが
その栄光を掴む事が出来る。
非情ですが、正に『人生』に例えられるのは、無理のない事です。
勿論、人の人生はマラソンのように勝ちと負けだけで判断出来る訳はないのですが
負けるよりは勝った方が良い。
と言うより、負けても良いけど、勝つためのレースには最後まで参加した方が良い
と、思います。
とりあえずで良いから、勝つための努力をして勝利を目指す事は
そのレースの過程において、人間形成と言う観点からも
人間の魂のレベルを上げるためにも、絶対に避けてはいけない道だと
思うのです。
最初からチカラを抜いて、ただ完走を目指すだけのやり方も、無論ありますし、
そう言う人生を送るのも否定はしません。
ただ、あまりにも若いうちから、レースに非参加なのはいかがなものか?
日本の現況にもよるのでしょうが、今の若者には、早くして『世捨て人』
のようになってしまっている方々も多くなって来ている,と感じるのは
気のせいでしょうか?
私の業界のお仕事にこのレースを例えてみると
(作曲家やアーティスト全員のレースとすると)
この業界レースは
何と!
#老若男女全員参加
#いつの時点でも参加自由
#業界が続く限りゴールはなく
#勝ち負けはその時点時点で違う
#いつでもリタイアさせられてしまう
(本人の意志とは関係なく)
すっごい過酷!
つまり、老いも若いも男女の区別もなく、
突然若い才能が出現して先頭を走ったりしても挫けないで、
死ぬまで終わらないゴールを目指して走り続けなければならなく、
ちょっと勝利した!と、思っても、次の瞬間敗北感を味わい、
もっと仕事がしたい!と思っても、自然に本人だけが気付かない間に
強制的にリタイアさせられている、
と言う地獄のサバイバルレースなのです。
そして、つねに先頭集団に入っていないと、すぐに『過去の人』の
レッテルを貼られてしまいます。
そして、先頭を走るのも凄く大変。
私も少しだけ先頭を走った時期がありましたけど、もう風が強くて
倒れそうでしたよ。
今は、30km地点くらいで、20~30mほど先頭集団から遅れたけど
その後5kmほどの間で必死に巻き返して、
今はその集団の半ばで頑張っている所。
これが、私の位置。
周囲から見たら
『このオッサン、よう頑張るなぁ~。幾つじゃ?いつまで走るんかな?』
って感じかな(笑)
そりゃ、そのレースから降りて、自分だけの価値観で過ごせる世界に
行く事はいつでも出来るのですけど、
(そんな人もたくさん見ているのだけど)
私は、このレースに死ぬまで参加していたい!
それも先頭集団で。
そして、出来るなら、その位置のまま倒れ込むように、前のめりに人生を終えたい。
まだまだ、このレース、
諦めてはおりませんぞ!