今日も、新しいお仕事の打ち合わせをしてきました。

色々な所からジャンルの違ったお仕事が、次から次へとオファーが絶えません。
本当に有り難い事です。

実績を重ねて、世間に私の過去のお仕事が認識される量が増えたために
今まで直接の知り合いではない方や、お仕事を一度もした事のない方からの
注文も激増しています。


しかし、この頃特に感じるのは、クライアントさんの私に対する期待値が
メチャクチャ高い事です。

田中公平なら、こちらの期待以上のこれくらいの良い曲を書いてくれるだろう!
書いてくれるに違いない!

と言う、思い込みを非常に感じます。


その都度、凄いプレッシャーが両肩にズシリとのしかかります。


顔は笑って余裕こいているふりしていますが、心の中では、凄く心配しています。

私の書いた過去の曲は、それはきっと相手側の心の琴線に触れたものが
たくさんあったのかもしれない。

しかし、これから書く曲が、相手側を十分に満足させられる物が
出来るとも限らない訳でして、
そもそも、『ウィーアー』とか『ゲキテイ』なんかを書けたのも
自分に奇跡が起こったようなものなので、
その奇跡がまた今度も起きる事を望むのは、少しあつかましい気がします。


そうなんです、創作と言うものは
『過去にどれだけ実績があっても、next oneは全く予想出来ない』
ものなんです。

つまり、私のような30年選手も昨日今日出て来た新人さんも
創作と言う点では、同じ土俵上のガチンコ勝負なんです。
(名前の出ている分だけ私の方が少し有利かもしれませんが)


もちろん、曲の良さだけが正当に評価されるとも限りませんけど。


で、何が言いたいかと言うと、
毎回毎回、もの凄い”産みの苦しみ”の最中に、
『もう書けないかもしれない』
と、感じる事があるのですが、
その時は、もう自己嫌悪に陥ってしまって、本当に苦しいのです。


そう言う場合、決まって私は
『過去の自分を信用する』事にしています。

”あんなに時間がなかったのにあんな良い曲が書けたじゃないか”

”まだまだ、あんな曲が書けるのなら今回も大丈夫だ”

なんて、自分を励ましつつ、自分の潜在的に持っているはずの能力に
一縷の希望を託すのです。



また、一曲が完成しました。

きっと、過去の自分に恥ずかしくない曲です。


そして、未来の自分にも期待しながら、、、、毎日、頑張っています。