思いもよらない才能が自分の前に出現した時、人はどうすれば良いのでしょうか?

#敵と見るか?

#ライバルと見るか?

#自分は自分、他人は他人と無視するか?

私の取った行動はその3つのいずれでもありませんでした。


正解は『師と仰ぐ』でした。


将棋の世界の話で恐縮ですが、

今は将棋連盟の会長をしておられる米長邦雄さんは、数々のタイトルを取りながら
将棋の最高峰の”名人位”には手が届かないでいた40代後半の時期に
当時の若手で、どんどん頭角を表して来た現名人の羽生善治さんの存在を驚異に感じていました。


私と同じで、米長さんは菅野ショックならぬ『羽生ショック』を受けたのです。


その時、彼の取った行動は、はるか20才以上も年下の羽生さんを『師と仰ぎ』
ベテランのプライドを捨て、これも羽生さんよりもっと若い棋士達の勉強会にも
参加して、羽生さんの棋譜(将棋の記録)の研究を始めたのです。


「羽生みたいな若造に何が出来る?」
何て思わずに、謙虚に現在の自分の実力を知り、新しい才能の出現に畏怖すると同時に
尊敬する事によって自分のスキルアップを目指したのです。


実力本意の世界では、今までの実績やプライドにしがみつく事は、自分の未来に
何も良い事はありません。


それよりも、自分より優れている者を素直に認める事が一番大事だと、
彼は気付いたに違いありません。


その結果、50才を過ぎての名人位奪取!と言う誰も成し遂げた事のない快挙を
達成されたのです。


しかし、皮肉な事に
その名人位も、彼が師と仰いだ羽生さんによって奪い取られるのですが、、、、




私も『菅野ショック』を受けた時に羽生さんの棋譜、と同じ意味を持つ
菅野さんの楽譜を徹底的に研究、分析を始めました。

もちろん、耳コピーで。

それと同時に今までの自分書いたの作品の分析と総括を行い、今の私に足りない部分の
捜索も始めました。


直接、彼女に”先生と呼ばして下さい”などとヤボな事を言いません。

『師と仰ぐ』のは、自分の心の中だけで十分なのです。

この文が彼女の目に留まる事があれば、私が彼女の事をそんな風に思っていた事を
始めて知る事になると思います。


この行動で、より一層彼女の音楽の凄みが分かり、なるほど!と気付く瞬間が
何度もありました。


この時の研究が、後にNHKの番組に出演した際に私が解説した
『菅野よう子音楽徹底分析』に大いに役に立っているのです。


しばらくそんな事を続けて行くうちに、どんどん自分のスキルもアップ
していくのが分かって、自分の書く曲もどんどん質が上がって来ました。

ただ、それに伴い、昔は作曲の速さを自認していた自分ですが、密度とレベルアップにより
前のように”速く””たくさんの量の”曲を書く事が出来なくなりました。


つまり、一曲一曲に全力投球せねば自分のレベルを
すでにアップしてしまった世界レベルに合わせて保てなくなって来たのです。

簡単に言うと『手が抜けない』状態になったと言う事。

今までも手を抜いていたつもりはありませんが、より一層そうなった、と言う事です。



彼女を勝手に『師と仰ぎ』リスペクトする。
この気持ちは現在でも、微塵も変わっていません。


(続く)