『ぬら孫』の劇伴制作も一息ついた訳ですが、
私なりに色々実験をさせてもらった結果、得るものが
大きかったお仕事となりました。


今回は、サウンドも”パラレルワールドな日本”と言うテーマで
ただ単に和風なだけではなく、今現在の目に見える日本に
裏の日本が存在したらどんな日本だろうか?

そこにはどんなサウンドが合うのだろうか?

と、深く考えて導き出した音楽ですので、当然一筋縄では行きません。


すべての音符に意味があり、すべての音符が生きていて、
すべての楽器が勝手に動き、
そしてその音の一つ一つがぶつかり合い、押し合いへし合い、
好き勝手に自己主張をする。

そこに生まれるカオスを、交通整理するのが今回の私の役目でした。


結果として、血の香りがする、妖しい、濃厚なサウンドになりました。

何か、作曲作業中は、憑かれたように深く深く思考の海へ、
ダイブしようとする自分がいて、少し恐かったのを覚えています。

テクニック的に半音のぶつかり合いは半端無く、プレイヤーさんも
「果たしてこの音で良いのだろうか?」
と、疑いながら演奏しているのが、指揮をしていた私にビシビシ
感じられて、なかなか面白かったですよ。

なんせ、ある箇所では、半音で3つの音がぶつかり合う
均衡を失えば全てハラハラと消えてしまうような、危うい和声も
あったりして、
ちょっと聴いただけでは現代音楽か?と思わせる曲もあります。



しかし、
私はつねづねアニメの音楽と言うものは、現代音楽のように
独りよがりの方向性を持ってはいけない!
と、思っていました。

つまり、現代音楽のような無調の音楽は、作曲家の自己を芸術的に
表現する事が最大の目的であって、
そこには聴き手側の都合が一切考慮されてはいません。

考慮する事自体、芸術性から離れるので当然と言えば当然ですが。


翻って、アニメの音楽はどうでしょう?

かつて私はNHKさんのアニメギガと言う番組の中で、
こんな風に発言しました。

「アニメの音楽と言うものは、お母さんの子守唄の次に聴く音楽だ」
と。

だから、この世に生まれて来た子供が絶対に聴くべき音
『美しい音楽』をアニメの作家は提供すべきだ!
と、ずっと考えていてそれを実行して来ました。

『美しい音楽』には、単に美しい音楽と言うものや、
ウキウキワクワクさせる冒険の音楽、
悲しくて切なくなる音楽なんかも含まれます。

つまり、子供が人間として持つべき感情や感性を育てる手助けになる
ような音楽であるべき!
これがアニメの音楽の一番の役割だと思っていました。

だから、私はいつもここにいて、毎年毎年生まれて来る
子供と言う新しいユーザーに向けて、このような音楽を書く事こそ
使命だと思っていました。

実際、今でもそう思っています。



しかし、一人のアーティストとして自分を顧みた時、
それだけで良いのだろうか?
と言う疑問をいつも感じていました。

もう少し、自分を表現する事に特化した作品を作るべきでは?
と。


ココロネもその一環でしたが、私は本来オケが書きたくて作曲家に
なった人です。


そんな事を考えながら、試行錯誤の上に生まれたのが
今回の『ぬら孫』の音楽なのです。


あくまで作品のテーマに寄り添いながら、アーティストとしての自分を
最大限に押し出す。


そんな作品なのです。


田中公平も少しづつ進化をしているのですよ。