出雲のたび ~ モーレツなデトックスで終了(◎_◎;)編 ~
またものすごくのんびりと、
思い出したことを書きたいタイミングで振り返っています。
(実は、前回のモーレツデトックスで終了編を書いた直後から
久々風邪ひいて熱出していた。
解熱後もけっこうグズグズしつこくて時間かかっていましたが
ようやく馴染んできたかなあと。。。
まさしく、まだまだデトックスは続いていたのかもしれないなあと思う。。)
流れの中で、
そうだ、じゃあ出雲に行こう
と決めてから
どこにどんなふうに行こうかなあとなんとなく考えていた頃。
なぜどうしてこの神社を知ったのかも
もうあんまりよく覚えていないのです。
とはいえ、有名なとこなんですよね。
えびす様の総本宮とかなんだから。。。
(それも最初全然知らなかった、、、)
出雲大社とともに両参りするのがいいのだ
なんてことも、もちろんよく知りませんでした。。。
実は、
毎月7日が月次祭(つきなみさい)の日なのだ、
と知ったから、じゃあその日に行ってみよう
とするプランから周囲のもろもろを決めていったというのが
ほんとのところのような。。。
こうやって車じゃなく公共交通機関を乗り継いでで行くのは
けっこう時間がかかるのだけど、
その点は移動時間いっぱいでもへっちゃら。
1日に数本の地元のコミュニティーバスに乗客が私ひとり、でも、
運転手さんとの会話も楽しいもの~。
だんだん海が見えてきて光る景色。
そこは、
もちろんなんだか確かな氣配を感じさせてはいながら、、、
表向きには今はただ静かな漁村という趣で、
昔、それほど繁栄したところだったなんて、
私はまたまたちーっとも知らなくて、
なんなら、いろんな情報は帰ってきてから読んだもの。
美保関町(みほのせきちょう)
(ウィキペディアより抜粋)
古くからの海上交通の要所、風待ちの港として栄えたまち。朝鮮半島等との環日本海交易の拠点であった美保関は、たたら製鉄による鉄の輸出港として繁栄し、室町時代には将軍の直轄領になる。江戸時代には北前船交易の要所としても繁栄し、多くの廻船問屋などが存在した。現在も多くの古墳が発見されている。
はー、えー、そうなの
そうなのね。
まいったなあ、まあ、はあ、そりゃそうか。。。
だから、
こちらが、鳴り物の神様ともされているというのも
そんなにはわかっていなくて、なんでなんかなあ、、、
なんて思いつつ、
でも、、ごあいさつしようと参拝中、
自分が柏手をパン、パンと打ったと同時に
目の前の薄暗い拝殿の中から
パン、パンと、どなたかたち(?)の柏手の音が聴こえたと思ったら、、、
(ほんとに、同時か、連続でパンパンパンパン~くらいのタイミングだったのです。。。)
急にその音が鳴りだしたときは、
ほんとにびっくりしてしまった。
笛と神楽太鼓。
なに
なにが始まったか全然わからなくて
でもひとしきりその響きを聴いていて。
うーん、いい。かっこいいですね。
何度か始まったり終わったり繰り返されるうちに、
拝殿と本殿をぐるりと1周しておまいりしている自分。
いやあ、、、、
とても荘厳で美しいところでしたよ。
その音。
あまりにもさりげなく普段モードみたいな軽やかさ(?)
で、おふたりだけで演奏されているんで、
これはなんだったん
おけいこなのとか思いつつ、
あとで社務所の方に伺ったら、
「はい。御神楽です。
何時にやるかとかは決まっていないんですけれど。
今日は月次祭でもありますので、盛り上げようということで。。。」
などというおことば。。。
盛り上げ、って。。はあ。。
月次祭のご神事などはたぶん朝行われていたと思うので、
その時はもっとたくさん人がいらっしゃったのかもしれないのですが、
えーっと、今はどう見ても人影、まばら。
でも、
私の中は確かに
大いに盛り上がったですっ、
ありがとうございます。
いやあ~、すごいタイミングだったなあ。
これって歓迎されてるやんね、
とおめでたく単純によろこんだんだあ。。。。
その後、また、
グッと来ることなどもあったんだけど、
つづく。。。
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【2016秋・出雲のたびシリーズ】
出雲のたび ~ モーレツなデトックスで終了(◎_◎;)編 ~
出雲のたび ~美保神社 おかぐらのひびき編~ (この記事)