医療裁判で真実が明らかになるのか 都立府中病院産婦人科部長 桑江千鶴子(1) | kempou38のブログ

医療裁判で真実が明らかになるのか 都立府中病院産婦人科部長 桑江千鶴子(1)

「医療裁判で真実が明らかになるのか」 
       ―対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するためにー

                          都立府中病院産婦人科部長
                           桑江千鶴子

 医療事故にあった方あるいはその家族が、異口同音に言うこととして「何が起
きたのか真実が知りたい」「二度とこのようなことが起きないようにしてもらい
たい」ということがある。この思いに対して異論のある人は医療提供者側にも医
療受給者側にもいないだろう。このことを深く考えるにあたり、今回無罪になっ
たとはいえ、福島県立大野病院事件は実にいろいろなことを提供してくれた。私
は、現在産婦人科臨床現場に身を置く医師として以下のように考えている。

 原点は、「どうしたらより良い医療を受けることができるだろうか。」「どう
したらより良い医療を提供することができるだろうか。」というのが医療受給者
・提供者の共通の思いであるということだ。およそ人間が生きている社会におい
て、病気や怪我は必ずあって、できればそれを治して寿命をまっとうしたいとい
う人間の欲望があり、それを治してあげたいと思う人間がいる限り、医療は存在
する。しかし、時代や国によってその医療内容は大きく変化している。根源的な
問題から考えない限り、医療提供者側と医療受給者側が寄り添うことはできない
だろう。本来ならば、共通の敵は病気であり怪我であって、協力して戦うべき同
志であるのにもかかわらず、現在の日本では、医者と患者は敵対していがみ合っ
ている。日常的にそうではなくても、少なくてもぎすぎすした関係であることは
間違いない。このような状況が、双方にとって良かろうはずはない。もう一度原
点に戻って、考えてみたいというのが私の提案である。

≪内容≫
(1) 現在とは―縦糸と横糸の交わるところ
(2) 医療とは何か
(3) 産科医療について
(4) 「何が起こったのか真実を知りたい」にこたえるために
(5) 病院勤務医師の労働環境の改善が急務
(6) 最後に・・信頼に基づいた医療を再構築するために

 前提と提案

≪本文≫
(1) 現在とは―縦糸と横糸の交わるところ

 およそ物事を理解する方法はいろいろあると思うが、縦糸である歴史的視点と
横糸である世界的視点は重要である。現在の日本は、その両方の糸が交わったと
ころであると考えれば、置かれた状況が理解しやすい。

 人類の歴史上で、麻酔薬が発見されて、痛みのない状態で手術が受けられるよ
うになったのも、気管内挿管という技術で全身麻酔がかけられるようになったの
も比較的最近のことである。このあたりの歴史的事実については、「外科の夜明
け」トールワルド著(現在絶版―新刊書としては「外科医の世紀 近代医学のあ
けぼの」)に詳しい。日本人として誇るべきだと思うのは、華岡青洲は、当時日
本は鎖国していたので世界的には知られていないが、アメリカのロング医師が
1842年にエーテルを用いて手術をしたその38年も前に、麻酔薬を自ら作成し、全
身麻酔をかけて乳がんの手術を行っていた天才であったということだ。1804年の
ことである。麻酔薬が使用できるようになっても、副作用も大きかった。華岡青
洲の母親と妻が人体実験として自らの体を提供して、妻が盲目になってしまった
のはその一例である。(「華岡青洲の妻」有吉佐和子著に詳しい。)麻酔薬もさ
りながら、気管内挿管という技術を確立するまでは、大変に苦労している。開胸
すると肺がしぼみ手術できなかったので、肺がんの手術はできなかった。手術す
る部屋を陰圧にしてみたが、開胸すると肺がプシューといってしぼんでしまい、
患者が死んでしまうというような試行錯誤を繰り返していた。気管内挿管という
技術を確立して、安全に全身麻酔をかけられるようになったのは、比較的最近の
ことである。1869年(明治2年)Trendelenburgが始めた時は、気管切開をして管
を気管に挿入して行った。その後1880年(明治13年)Macewenが経口的挿管をは
じめておこなった。日本で林周一らがはじめて気管内挿管を行ったのは、1949年
(昭和24年)つい60年前のことである。外科医が手術を比較的安全にできるよう
になっても、たとえば腸を縫合するという一例をとっても、いくら縫い方を工夫
して縫っても、縫合不全で腹膜炎となって死亡するという試行錯誤を繰り返し、
やっと「アルベルトーレンベルト縫合」を発見して腸の縫合が比較的安全にでき
るようになった。このような例は枚挙にいとまがない。医療は試行錯誤の歴史で
もある。どんな治療も試行錯誤なくしては発達してくることはできなかった。ど
んな標準的治療法であっても、その治療法が確立するまでには、大変な数の施行
錯誤があったであろう。ただ理解してほしいのは、ほっておけば確実に死んでし
まったり、苦痛からまぬがれ得ない患者を治そうとしての試行錯誤であったので
あり、治療法ができればたくさんの人の命が救われるということである。そして、
現在行われている医療も、その歴史の流れのなかのひとコマに過ぎないし、これ
からも医療は進歩し続けるということである。医療内容は変化し続けるし、新し
い病気は常に発見される。それに対して新しい治療法を施行錯誤して確立してゆ
くことは変わりない。すでに確立して今後も変化しないであろう治療法も多くあ
るだろうが、しかし、私が大学医学部で勉強した当時の治療法は、現在行われて
いないものも多い。治療法は変化してゆくので、常に最新の治療を提供するとい
うことは理論上の考えであって、それが最善であるかどうかは時がたって評価が
定まらないとわからない。出ては消えてゆく治療法もまた綺羅星のごとくある。
歴史的にあとから振り返って評価しなければ、わからないことがたくさんある。
人間のやることは不完全であり、現在目の前にいる医師もまた歴史に流されてい
る一人に過ぎない。医療の歴史への理解と、人間の不完全性への理解を共通認識
としなければ、医療提供者と受給者とは話し合いのテーブルにつくこともできな
い。

 医療が発達してきた歴史を無視することはできないし、これからも試行錯誤を
繰り返して医療は発達してゆくものである。それを理解しないでは医療の恩恵そ
のものが受けられない。現在でも手術は絶対安全というわけではまったくないし、
結果はやってみなければわからない。およそ外科系医師であれば、誰でもが思っ
ていると思うが、手術はやってみなければわからないものであり、絶対に治る
「神の手」は現実にはありえない。誠実で良心的な医師であればあるほど、謙虚
にならざるを得ないのは、相手は人間で自然そのものなので、我々人間の英知の
及ぶものではないからだ。現代でも「神がこれを治し、医者は包帯を巻く」こと
には変わりない。人間の体は複雑で、わかっていないことばかりである。例えば
私の専門の婦人科手術に関しても、骨盤内の解剖でも十分わかっていないのであ
る。それでも手術をしなければならない状況であり、実際に婦人科癌の患者さん
がいたとして、解剖が完全にわかっていないからといって手術しないということ
はできない。わかっているところまでで治療せざるを得ないし、それでも手術を
して癌が治ることも多い。医療はかくのごとく不完全なものであることを、医療
受給者側は理解してほしいと思う。

 また世界に目を転じてみれば、医療体制は「sicko」(2007年マイケル・ムー
ア監督アメリカ映画)を見てもわかるが、国によって全く違う体制をとっている。
アメリカは完全に資本の論理、保険会社の論理で医療提供を行っており、一度重
大な病気になったら破産することも多い。重大な病気でなくても、中産階級で保
険料を支払っていても、虫垂炎の手術や出産費用で破産して、路頭に迷うことは
多々あるということだ。「ある愛の詩」というアメリカ映画でも、白血病になっ
た妻の治療費を工面するのに、夫は仲違いしていた金持ちの父親にお金を借りに
行っていたが、夫は成功している弁護士であった。それでも白血病の治療費は出
せなかったのであろう。お金があれば、確かに最高水準の病院で医療を受けるこ
とができるので、お金持ちには良い制度と内容の医療であろう。反対に、医療は
国が提供していて医療費の自己負担は無いかほとんど無いという国も多い。先進
諸国と言われる北欧の諸国、英国、フランス、先進国ではないがキューバなど。
質に関しては、その国で医療を受けた人の書いた本などを読むと、医療費の自己
負担があるかどうかという問題は別として、日本と比較して羨ましいということ
はないし、平均的な治療という意味では、日本の医療はそのアクセスの良さもさ
りながら量・質ともに世界でもトップクラスである。日本は世界の中でも、「国
民皆保険制度」のおかげで、比較的安価で質の高い医療を受けられる良い国であ
る。近年WHO(世界保健機構)の健康指標で日本が第一位になったのは記憶に新
しい。女性の平均寿命が世界一で、男性は下がったとはいえ第3位であることは、
医療の水準や医療体制と無関係ではない。外来患者さんの中には、普段は外国に
住んでいるが、医療特に手術だけは日本で受けたいと言って、日本に帰国して受
診してくる人が結構いる。

 私の専門である産婦人科に目を転じてみれば、分娩で命を落とす母親は、ユニ
セフの統計によれば、世界の平均では250人に1人である。言い換えれば10万分娩
につき400人の母体死亡が世界の平均である。アフガニスタンでは10万分娩につ
き1900人、52人に1人であり、これは医療介入がなければこうなるという数字で
ある(最新の数字は8人に1人であり悪化している)。新生児死亡や死産はもっと
多い。母子ともに、いわばお産で死ぬのは自然現象であり、現地では誰も文句は
言わない。10万の分娩につき命を落とす母親は、アフリカ全体では830人、アジ
アでは330人、オセアニアでは240人、ヨーロッパでは24人という数字であるが、
日本では5~6人である。日本は、スウェーデンと並び世界で最も安全に分娩がで
きる国の1つであるのだ。しかし0人の国はない。母子ともに分娩で命を落とすの
は、いわば自然現象の一つであり、それを救えない医師のせいではない。日本で
はこの数字を実現するために、多くの人が長い間努力をしてきた。母体死亡の世
界の平均的数字は、日本では昭和の初期頃に相当する。歴史的にも、世界的にも、
日本の産科医療は進歩し続けて実力をつけ、世界のトップクラスの成績を実現し
てきたと言える。産科医が減っている現在でも、臨床医は母体死亡を0にするべ
く努力をしているし、新生児死亡や障害を無くしたいという思いで働いているこ
とは、現場にいる私は良く分かっている。しかし現実的には、今後これ以上の成
果を出すのはかなり困難であろう。産科医が減っていて産科医療崩壊が現実のも
のとなった今では、歴史が逆戻りすることも予想されていて、医療立て直しは待っ
たなしの状況にある。