厚労省第三次試案の法的弱点(その2)-井上清成氏の意見 | kempou38のブログ

厚労省第三次試案の法的弱点(その2)-井上清成氏の意見

厚労省第三次試案の法的弱点(その2)

                                井上清成(弁護士)

1 従来の警察捜査と検察処分

(1)警察の捜査開始

警察は犯罪らしき情報が入れば捜査を開始する。医療過誤の業務上過失致死罪(刑法211条1項前段)について、捜査開始の端緒(きっかけ)は、患者遺族の刑事告訴、病院内からの告発、医師法21条の異状死届出が主なものであった。

とはいっても、捜査開始直後に医師を容疑者扱いで取り調べる訳ではない。まず、カルテ等の医療記録を患者遺族などから入手して検討し、警察の協力医に相談して見解を聞き、時には鑑定意見書などをもらって準備する。そうしてから医師を呼んで、任意での取り調べを開始し、自供をとったら、検察に回したり、時には強制捜査(捜索差押、逮捕)に移行した。

この過程で鍵を握っていたのは、警察の協力医の鑑定意見、そして容疑者の医師の自供の2つである。


(2)検察の刑事処分

検察の主たる役目は捜査ではない。捜査結果を検討して、刑事処分を決めることであった。主な処分には、起訴処分(公判請求と略式罰金請求)と不起訴処分(有罪相当の起訴猶予と無罪相当の嫌疑不十分)がある。

まず、鑑定と自供により有罪相当か否かを検討しなければならない。自供があっても公判で翻されることがあるので、鑑定が頼りとなる。少なくとも自供がなければ、起訴処分たる略式罰金と不起訴処分たる起訴猶予にはできない。最もきわどい決断は、起訴処分たる公判請求にするか、不起訴処分たる嫌疑不十分にする
か、の二者択一が迫られる場合である(弁護士の立場からすれば、起訴前弁護の真骨頂である。ただ、水面下での攻防なので、一般には目立たない)。検察にとって究極の拠り所は、鑑定にならざるを得ない。

次に、有罪相当だとなると、起訴するか否か、起訴するとしても公判か略式罰金かは、法的には検察の裁量である。結果は患者死亡で重大に決まっているので、情状によりけりとなろう。医療行為自体の情状の中心は、過失の程度が重大か否かである。患者死亡後の情状の中心は、自供して反省しているか否か、被害補償
して示談したか否か、犯罪を隠ぺいしていなかったか否か、初犯かリピーターか、行政処分をはじめとする社会的制裁を受けたか否か、などというものになろう。


2 厚労省第三次試案による変化

(1)警察捜査と検察処分のポイント整理

以上、長くなったので、主たるポイントを整理する。

1)警察の捜査開始のポイント
(a)患者遺族の刑事告訴
(b)病院内の告発
(c)異状死届出
2)検察の刑事処分のポイント
(a)有罪相当か無罪相当か
自供
鑑定
(b)起訴か不起訴か
過失の程度
自供・反省
被害補償・示談
隠ぺい行動
初犯かリピーターか
行政処分などの社会的制裁


(2)厚労省第三次試案との比較

厚労省第三次試案によって、どの部分が変わるのか比較してみよう。

1)警察の捜査開始について

(a) 患者遺族の刑事告訴は、従来と何ら変わらない。

(b) 病院内の告発も、従来と何ら変わらない。なお、主治医が過失を認めていないのに、病院自体が独自に当該主治医の過失を認めて公表してしまうのも、警察捜査との関係では実質的に病院内の告発と同様であろう。

(c) 異状死届出は医療安全調査委員会からの連絡に変わるので、一見すると大きく変わるように見える。確かに、軽度の過失であり、隠ぺいもなく、初犯の場合は、医療安全調査委員会から連絡が行かないので、その限りでは大きく変化するであろう(なお、重大な過失の範囲は、ここでは論じない)。

しかしながら、軽度の過失で隠ぺいもなく初犯であっても、患者遺族からの刑事告訴や病院内の告発があった場合には、警察が捜査を開始するのは、既に述べたとおりである。

2)検察の刑事処分について

(a) 有罪相当か無罪相当かに関しては、医療安全調査委員会の調査報告書(実質的には鑑定書である。)があるので、検察としては非常に頼りになるであろう。何といっても「国家の事実上の確定的判断」だからである。従来の警察では、権威もあって信頼に足る当該分野の本当の専門の医師による鑑定が、必ずしも得られるとは限らなかった。このことが最大のネックであったところ、医療安全調査委員会の創設によりそのネックが解消されるのである。

今までは、十分な鑑定が得られなかったために、立件を見送ったこともあったかも知れない。反対に、鑑定が得られたと思って立件したところ、思わぬ不十分さが公判で露見し、苦渋を味わったこともあったであろう。今後はそのようなブレは無くなるのである。

(b) 起訴か不起訴かの判断も、検察はクリアーになるであろう。医療安全調査委員会からの連絡があれば、過失の程度、隠ぺい行動、初犯かリピーターか、の必要的要件は充足しているので、安んじて起訴に踏み切れるし、お墨付きを得ているので社会的非難も起きないからである。むしろ検察が時の勢いで、連絡を
受けた事例を全件起訴しても構わないとなりかねない。つまり、検察が暴走した時の歯止めがないのである。

反対に、検察は医療安全調査委員会からの連絡がなくても、起訴処分に踏み切ることは法的に妨げない。だから、おかしいと思えば、別個に、より有力な鑑定を得て起訴処分をする。もちろん、尊重をすることはするであろう。以上述べてきた警察・検察の従来のあるべき実務運用は、検察にとって今後も何ら変わるところがないからである。この微妙なニュアンスを表現した一文が、「刑事手続の対象は、故意や重大な過失のある事例その他悪質な事例に『事実上』限定される『など』、謙抑的な対応が行われることとなる。」(別紙3・捜査機関との関係について・問1・答3.なお、『 』は筆者)なのであろう。


3 結論と重大な疑義

1)結論

以上の次第であるから、医療安全調査委員会の創設は、警察・検察にとって実現しにくかった、本来あるべき実務運用を実現させようとするものである。したがって、警察・検察にとって不服な点は何もない。せいぜい心配な事は、医療安全調査委員会が警察・検察の期待するように、本当にうまく機能してくれるかどうかぐらいであろう。

もともと医療者の期待と警察・検察の期待には溝がある。だから、結論として、医療安全調査委員会は警察の捜査開始と検察の刑事処分をうまく制御できない、と評さざるを得ないであろう。

2)重大な疑義

ここまで考察した結果として当然に生じて来る重大な疑義について、最後に補足したい。

(1)奇妙な文章?

別紙3・捜査機関との関係について・問1及び問2に奇妙な文章がある。

「委員会の調査結果等に基づき適切な行政処分を実施することとしている。医療事故についいてこうした対応が適切に行われることになれば、刑事手続については、委員会の専門的な判断を尊重し、委員会からの通知の有無や行政処分の実施状況等を踏まえつつ、対応することとなる。その結果、刑事手続/……は、……謙抑的な対応が行われることとなる。」

「医療機関に対する医療安全に関する改善命令等が必要に応じて行われることとなる。この場合、検察の起訴や刑事処分は、行政処分の実施状況等を踏まえつつ行われることになる。したがって、現状に比べ大きな違いが生ずることとなる。」
行政処分と謙抑的対応の因果関係?

警察・検察の見方からすれば、従来と今後では謙抑的な実務運用に何ら変わりはない。ただ、重要な証拠資料である「鑑定」が補強されただけである。そうだとすると、警察・検察が「改善命令」その他の行政処分の拡大強化を要望し、その要望が通るならば刑事処分を謙抑的にしてあげるなどと、厚生労働省に申し入れるはずがない。

ところが、上記文章は、あたかも警察・検察が改善命令等の導入を取引条件として刑事を謙抑化しようと申し入れたかのように読める。しかし、もしかすると、厚労省の一人芝居ではないのだろうか?改善命令等の行政処分の拡大強化と、刑事手続の謙抑的な対応との間には、果たして因果関係はあったのであろうか?

重大な疑義である。検証を要することと思う。