何が変わったというのだろう・・



結局のところ



年食った



ってことだろうな(苦笑)



データを色々見てたら昔のウェブサイト(マメにリニューアルしてたので)をチェック・・



しかしオレ何も変わってないっつか・・



結構エラそうだなぁ・・



と思います・・スイマセン・・でも一生懸命頑張って「裏づけ」を取ってやってきてるので許してください(苦笑)


あとやっぱりアメリカ帰りなモンで・・向こうでは根拠のない自信までもってないと潰されてしまうんですよ・・



そんなオレの10年前のプロフィールを紹介します。今現在のものはかなり簡略化されてますからね・・

デビュー前の事が詳細に書いてあるので面白いのではないでしょうか?


■1970、大阪に生まれる(実際は奈良県の大和郡山市、当時父親の転勤が多くその間に生まれたとのこと、かなり巨大な(4000gオーバー)赤ちゃんだったそうです)


■1973~3歳からはずっと大阪府内を転々とするがギターを始めるまでは特に音楽はしていない。唄うことは家族全員が好きらしくカラオケボックスなどが流行る前から酒も飲めないのに両親にスナックなどについていっては歌を唄っていたという、なかでもKELLYはかなりシャイだったそうだ、この時から兄は歌が大好きで後にシンガーとしてバンドて活動していくことになる・・。


■1984、エレキギターを兄に教わり始める、この時数ヶ月にしてアメリカへ渡米する決意を固める。理由としてはラウドネスの海外進出や憧れのイングヴェイが単身渡米したという話を見てというごく単純なものだったらしい・・


■1987、ラウドネスのオープニングアクトオーディションに合格、神戸文化ホールにてラウドネスのナンバーをプレイ、見事に大役を果 たす。この頃からケリーのプレイはずば抜けていたという。これを機に彼自身の中でさらなる自信をつけることになる。


■1988~89、日本の某レコード会社よりギターインストアルバムの話がもちあがり、レコーディングを一週間程度で済ませあとは発売のみというところでディレクターの失敗によりあえなくお蔵入りに・・このころケリーは真剣に人生の進路について考えたが、既にアメリカへ下見も済ませていたことから、ただ一心に渡米を決意する。

■1989~、ハリウッドのMI(ミュージシャンズインスティテュート)にはいるもあくまで「ヴィザ取得の目的」からあまり真面 目な生徒とはいえなかったようだ。出席日数はともかく学期末のテストでは90ポイント以下はまったくないというハイアヴェレージで卒業をしている。この頃クラブに通 い、ピアニストのジャック氏と出会う。


■この時期ケリーはもう一つビッグチャンスをものにしようとしていた、兼ねてからあらゆる所にデモテープを送っていたところ、大物アーティストのツアーメンバーの最終選考に彼のテープが残ったと連絡をもらったのだ、その時はそれだけで夢見心地だったと語る。結局10人選ばれていたメンバーからは誰も決まることはなく既に大物のギタリストが参加する事で終わってしまったが(そのギタリストも結局もともとカラーがあっていなかったのでアルバムとツアー一回だけの参加で終わってしまった)、本人に会えなかったのが残念!との事。


■1990~この頃からレーベルや仕事の関係でオハイオでも仕事をするようになり、ジャック(Bs &Key)とマーク( Ds)で組んだトリオバンド"the FAITH"もバンを交代で運転しながらのツアーを何度も敢行、その日暮らし的な生活で半年以上を過ごし、一日最低一本というノルマをかせていたという。


■一年後、契約の話が持ち上がったのだが、どれだけ待ってもリリースしてくれない事に皆がやる気を失いドラマーが生活のためと脱退、ジャックもセッションプレイヤーに戻りケリーもソロ活動を余儀なくされる。結局日本人一人になってはリリースできないと言う事で仕方なく断念。


■セッションプレイヤーとしてようやく頭角を現して来た矢先に実兄が26歳の若さで逝去、長男であった兄がいなくなった事を考えてケリーは帰国を決意する。

■1995~日本に戻ってきても当然ロックシーンは低迷していて、単にライブ活動を行っていては埒があかないとケリーはアルバム作りに専念、プロモーションをかけるがほとんど相手にされなかった。ハードロック自体をやめるべきかと真剣に考えたそうだ。


■1998~色々と考えてアメリカに戻ることも考えたが、それでもハードロックをやって日本にもそういたシーンが復活してくれればと考えた彼は自費でアルバムを制作、リリースし予想以上の反響を得た。ただこの「ライブで地道に活動してブレイクする」方法とは逆の方向から攻めたため、なかなか難しい問題も数多く生じることになる。しかし多くのリスナーやスタッフのサポートを受け見事にセールスも残しあくまで、「一つの方法論」として明確に打ち出すことになる。


■1999~ドイツの新進レーベルであったインヴェイジョンからリリースする予定であったK.S.B.Fも突然の会社倒産の波にもまれ行き場を失ったケリーが、とある人物の紹介でロードランナージャパンの社長を紹介され、話が意気投合し念願のメジャーリリースを達成、日本で自主制作CDをリリースしてわずか一年でこの栄光を勝ち取ったのである。


「俺が自分の夢を叶えるという事自体が、ファンにとっても大きな支えになりやる気になると思っている。俺はロードランナーからリリースする事により"自分のやりたい事をすべてやれる環境"でメジャーデビューをしたいとい幼い頃の夢は叶えたし、この国でそれをかなえるのがいかに難しいかは誰もがしっているはず・・でもその夢はもう叶ったわけで、あとは「現在」の自分が置かれている立場やこれからもっとさらに飛躍するためにはということをよく考えて行動していきたい」・・KELLY


ん~やっぱ


何も変わってないんだけどね(苦笑)


まぁやはりオレは大器晩成と言うことで自分を納得させてます(笑)


結局のところ自分が好きなようにやってきてるからダメのは解っていてもいまさら、


馬車馬のように細かい仕事をこなし、毎年ノルマの如くアルバムをリリースし、段々枯れ行く才能をケミカルなものや何かで紛らわせ自らを天才と思い込ませる


人生は考えられませんよ(苦笑)


一応普通に飯食えて後輩に奢れるぐらいの金があればいいのです。


というわけで結構色んな事がありましたが結局ものを言うのは


音楽


ですからね。


オレはそのクオリティアップにかけては人生をかけて取り組んできましたから。


チャンス到来!!


というわけです。


その前に・・


超絶がオレの前を阻んでいるので乗り越えたいと思います☆


しかし野郎でもコメントしづらいってのは残念です(苦笑)


オレも上地クンのように意味不明なまでなコメントが沢山付くのを夢見てるんですがね(笑)


ギター凄い~とかカッコいい~とかそんなのは夢で寝てみるしかないようです・・


オレにとってはそっちの方が音楽よりも不可能に近いかもしれませんね(笑)


もちろんクソコメントはアメーバ管理人以上に厳しい検閲をかけてハジかせて頂きます!!