2014年4月4日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第189回分が掲載されました。


本紙のホームページにも掲載されています。


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“非被災者”の苦悩に目を 被災地との境界で


 東日本大震災で被害を受けた町の人たちは、何を思っているのだろう。3年前から折に触れそれを考えてきた筆者は、発生から1年後に石巻やいわきを訪れ、最近になって川俣にも数回行った。現場に行く前より今の方が、震災を身近に感じている。


 だが、筆者に見えていたのはわずかな断片であり、震災が人々の心に与えた影響の複雑さははかり知れないものだと思い知らされた。先月、川俣を訪れた時のことである。近畿大学が川俣の復興を支援していることは既に書いた。その日は、除染・心身ケア・産業振興の支援に携わる専門家たちが、これまでの活動に関する報告を町民に対して行った。報告の後に相談会の場を設けたところ、一人の男性が筆者に話しかけてきた。


 飯舘村に隣接する川俣町は、町の一部に居住制限区域や避難指示解除準備区域を設けている。こうした区域に自宅がある人々は、そこに住めない不自由さがある一方で、補償金が支払われている。


 問題なのは、そのすぐ外側、つまり境界近辺に住む人たちの苦悩だと、その男性は語った。放射線の懸念を感じながらも「被災者」と認定されず、経済的な補償がなく、移住もできずに暮らし続けている人たちである。また、自主的に別の土地に避難したものの、費用は全て自分持ちで、経済的に苦しんでいる人もいるという。


 経済的に潤ったように見える被災者を横目に、つましい生活を強いられる“非被災者”。被災者たち自身も、“優遇”されていることに遠慮して、自分の出身地を口にできない空気が生まれつつあるのだという。両者の間に溝が生まれた状況の中で生活する人々は、どれだけの息苦しさを覚えていることだろうか。


 「境界の外側にいる人たちのことを、政府にもっと知ってほしいし、マスコミにも見て報道してほしい」と男性は筆者に訴えた。震災で被害を受けた町の人たちの思いをもっと浮き彫りにするためには、より一層目を凝らし、耳を澄まさなければならない。


 (近畿大学総合社会学部准教授)