2016年8月25日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第17回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

4年後へのカウントダウン リオから東京につなぐ

リオデジャネイロ五輪が閉幕した。さすが世界のアスリートが活躍するだけにすばらしい場面が多かったが、中にはメダルを獲得しながらも金メダルではなかったためにテレビカメラの前で仏頂面だったり号泣したり謝罪までするような選手もいた。この姿を見て、勝たねば許さないという「空気」や「圧力」があるためだと批判する声も耳にした。私も率直に言って、選手のそういった表情は見ていてあまり心地よいものではなく、もう少しすがすがしい表情が見られないものかと思ったりもした。だが、私のような凡人には想像もつかないような過酷な練習を乗り越えた彼らにとって、五輪という世界最高の舞台に立ったからには、世界一の座に登りつめたいという欲求は限りなく強いのだろうし、あの表情もやむを得なかったのかもしれない。

さて、競技後の選手たちへのインタビューで、今回ほど「次の五輪ではこうしたい」と具体的に語る日本の選手が多かったことはない。日本選手団にとって、4年後に母国で開かれる五輪における自分自身の姿はきっと思い描きやすいのだろう。

4年後に国の内外から多くの人々を迎えることになる東京は今後どう変わるのだろうか。東京近郊に住む友人によると、五輪のための設備の建設など大規模なものに加えて、身近なところではさまざまな言語による掲示板が増えてきたという。

日本を訪れる外国人が年々増えていることはご存じの通りである。大阪も例外ではなく、梅田や難波で外国人観光客に出会わない日はないと言っていいほどだ。五輪の閉会式で世界中の多くの人々に強烈な印象を残したであろう東京という街、そして日本という国は、今後4年間ますます注目を集めるだろうし、たくさんの観光客が訪れるだろう。

そのような多様な人々が日本を訪れるのは、単にモノが売れたり観光地が潤うといったおカネの面での貴重な機会であるだけではない。普通に日本で暮らしていたらなかなか出会わないような文化を持つ人々と触れ合う刺激的なチャンスでもあるのだ。

そう言えば、しばらく前に当コラムで「海外に行きたがらない若者が増えていることを耳にする」と書いた。すると、その一節を私の授業で読んだ何人かの学生たちから強い抗議を受けた。「行きたがらないのではなく、行きたくても行けない」のだという。それは、経済的な理由が最も大きいのだと説明してくれた。そういった彼らにとって、海外に出て行かなくとも異文化と触れ合える貴重な機会があと4年でやってくる。

海外から多くの人を迎え入れるからには、心地よい滞在時間を過ごしてもらわねばならない。また、五輪には多額の資金が投入されるのもまぎれもない事実である。やると決まったからには成功させねばならない。世界最高の演技や競技を最善の状況で観客が楽しめる五輪を待ちたい。

(近畿大学総合社会学部准教授)

AD
2016年8月18日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第16回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

自然界の”ポケモン”もいかが 夏休みに広がる世界

大阪市北区にある扇町公園は「ポケモンGO」の“聖地”の一つらしく、近くに住む知人によると、午前3~4時ごろに通りかかっても多くの人たちでごった返しているそうだ。路上駐車が大幅に増えたりごみの放置が目立つといった課題が表面化する一方で、公園内で物売りが出たりごみを自主的に拾うグループが現れたりするなど、人々の行動にいろいろな影響を及ぼしているようだ。

私が住む大阪府北部でも自宅のすぐそばにある大きな公園を夜に通りかかると、スマートフォンの青白い光がそこここに浮かんでいて、幻想的な趣を感じる。夏休み中だからということもあって、夜にそのようにして歩きまわる人たちがなおさら多いのだろう。小さな子どもを交えた家族連れも見かける。

そういった人たちを見ていると、幼い頃に私が住んでいた東京郊外の自宅の近くにあった雑木林に暗くなってから両親や弟と共に行って、鳴き声を頼りにスズムシを捕まえたことを思い出す。家に連れ帰ったスズムシが羽をこすり合わせてあの美しい音を出すのを観察しながら、餌のキュウリなどを与えた。ヤブカに何カ所も刺されたかゆみはいつまでも残ったが、自然と触れ合う楽しさを味わったことは今も鮮明に覚えている。

そう言えば、6月初めにたまたま通りかかった滋賀県にある余呉湖に立ち寄ったところ、毎年恒例だという外来魚駆除釣り大会がちょうど始まるところだったので、さおを借り餌ももらって飛び入り参加したことがあった。たくさん釣り上げた人には賞品が出るとのことでがんばったが、ブラックバスは釣れずじまい。それでも、ブルーギルを8匹釣り上げた。外来魚がもたらす問題点を学びつつ、魚を釣り上げる手応えそのものを楽しみ、あたりに広がる緑濃い山々を眺めながら水のそばにいる涼しさを味わうひとときだった。

また、先週は兵庫県にある猪名川天文台を訪れた。夜まで開館している日もある天文台はちょうどその日は閉館していたが、付近の駐車場に止めた車の中に泊まりながら、満天の星空を眺めた。ペルセウス座流星群がやってくる期間にちょうど差し掛かっていたこともあって、大きな流れ星を眺めては何度も歓声をあげ、何時間にもわたって夜空を見上げ続けていた。そこには、車やバイクでやってくる人たちがたくさんおり、中には小学生らしき子どもたちを交えたグループもあったが、「ポケモンGO」のプレーヤーはどうやらいないようだった。

「ポケモンGO」そのものについては数回前の本コラムで書いたように、現実世界と仮想世界が接触しているかのような距離の近さや不思議さに私自身も魅力を感じている。ただ、夏まっさかり、せっかくなのだから、バーチャルな“昆虫採集”ばかりに熱中せず、自然界のさまざまな“聖地”も訪れてその不思議さに触れる時間を大切にしてはどうだろうか。

(近畿大学総合社会学部准教授)
AD
2016年8月11日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第15回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

「全身全霊」で考える「総意」 生前退位の議論進むか

誰もが厳粛な気持ちでこの放送に目を向け耳を傾けたのではないか。平成28年8月8日午後3時に放送された天皇陛下の国民向けビデオメッセージのことだ。先月13日のNHKによる特大級スクープで報じられた通り、10分間にわたるメッセージの内容は陛下自らが生前退位を望む意向を強く示唆したものだった。

ある識者らは今回の陛下の放送を指して「平成の玉音放送」と評していたが、確かに同じ印象を私も持った。天皇が生の声で国民に語りかけ、ある種の驚きと感慨をもって迎えられたことは昭和の玉音放送とよく似ているだろう。ただし、同じ「玉音放送」でも昭和と平成とでは大きな違いがあると思っている。

昭和のそれは日本が太平洋戦争に無条件降伏したことを「現人神(あらひとがみ)」だった天皇が国民に初めて肉声で語りかけ、その後の「人間宣言」へとつながった。一方、平成の玉音放送では、天皇も生身の人間であるとは具体的にどのようなことなのかを、私たち国民があらためて知るきっかけになったように感じる。

人間であるとは、笑いもすれば怒りもするし、歳を重ねて病気にもなるし、そしていつかは死に向かうということである。その至極当たり前すぎる自然の摂理は天皇といえども例外ではないのだが、私たちはこれまであまりに無頓着すぎたのではないか。あまり深く気にもとめなかったからこそ今回のメッセージに驚いた人もいたのではないのか。

とはいえ、私も日ごろから陛下や皇室について強い思いを抱くものではない。ただ、8日のメッセージにあった「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていく」という言葉には圧倒され深い感銘を受けた。東日本大震災や熊本地震などの自然災害が起こるたびに天皇陛下は皇后陛下とともに被害に遭った方々のもとへ向かい、つねに膝を折り同じ目線に立って温かく励ましておられた。これまで全身全霊をもって象徴の務めを果たしてこられたのも国民に対する信頼と敬愛を陛下が持たれていたからこそであり、だからこのような言葉が出てきたのだと私は思っている。

日本国憲法の第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と明記されている。これは日本国民の総意によって象徴天皇の地位があるということで、ならば同じく生前退位というご進退も国民の総意に基づくものであらねばならないとも読める。

終戦から71年。これを機に一人一人の国民が象徴天皇や生前退位、そして陛下も生身の人間であることを考えるきっかけにすればどうか。次は国民の側が憲法に示された「総意」の意味と天皇陛下のお気持ちを「全身全霊」をもって考えるべき時ではないだろうか。

(近畿大学総合社会学部准教授)
AD
2016年8月4日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第14回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

企業に欠けている”就活準備” 学生をふみにじる言動目立つ

就職情報大手のリクルートキャリアによると、2017年卒業予定の大学生の就職内定率は7月1日時点で71・1%だった。採用活動が今年は2カ月早まったこともあってか、前年の同時点より21・5ポイント上昇したという。

こういった数字は労働市場の現状を知るという観点では、大切なデータだろう。だが、当事者である学生たち、特に内定をまだ手にしていない学生にとっては、ときに「自分は内定をまだ手にしていない3割弱の少数派に入ってしまっている」という焦りを感じさせる材料のようだ。私のゼミに所属する学生たちも4年生になって大半の時間を就職活動に費やしてきたが、まだ半分近くが今も内定をもらうことができずに就職活動を続けている。

ところで、就職活動を行う学生たちは、服装・髪形・言葉遣いなどあらゆる点に気をつかい、「自己分析」を入念に繰り返し、エントリーシート記入に膨大な時間を使い、筆記試験や面接のために会場に向かう。

ひるがえって、採用を行う企業側は採用活動にあたって十分な準備を整えて「あるべき姿」で臨んでいるのだろうか。どうもそうでもないのではないか、と思えてならない部分が見え隠れする。不採用を知らせるメールの末尾に書かれている「~をお祈り申し上げます」からとった「お祈りメール」という言葉は、その言葉遣いが学生の気持ちを逆なでしていることから生まれたようだ。また、不採用を知らせる連絡すら送らない企業がかなり多いことに端を発して生まれた「サイレント」(不採用の連絡を取らず「だまっている」の意)という言葉を使う時、学生たちはちょっと不機嫌そうな表情をしている。いくら企業が「選ぶ側」だとはいえ、もう少し心配りがあってもよさそうなものだ。

ただ、これぐらいはまだ仕方ないと思えるほど、ひどい事例も耳にした。私はゼミ内に限らずさまざまな学生たちと話をする機会が多いのだが、ある学生からは「面接に行ったら、きょうだいの高校名とその学校の偏差値を尋ねられた」という話を聞いた。また、別の4年生は両親の勤務先を聞かれたという。有名な大企業であると知った採用担当者は「親が甘やかして育てたのだろうね」と決めつけた上で「家事もできないんでしょ」と言い放ったのだという。いまどき、学生本人の大学すら履歴書に書かせない企業もあるほどなのにである。そのような「基本のキ」すら備えていない職場で仮に働くことになった時に、プライバシーや人権はきちんと守ってもらえるのか不安である。

学生たちは真剣勝負で就職活動に臨んでいる。企業側もその熱意に応えてほしい。必要以上のプライバシーにまで踏み込むなどもってのほか。学生の心を傷つけない言葉遣いなどにもっと配慮すべきだ。仮に内定をもらったところで、そんな企業では誰も働きたいとは思わない。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年7月28日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第13回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

遊び心で遊びたいポケモンGO 危険回避は自分の責任で

世界各国で大きな話題となっていたスマートフォンゲーム「ポケモンGO」の配信が、ようやく国内でも始まった。そして、予想通り大きな人気を博している。ポケモンのお膝元である日本での配信がなぜこれほど遅れたのか、現時点で私は知らない。でも、焦らして盛り上げようという故意だったのであれ、予期しなかった理由によるものだったのであれ、結果的にこれほどうまく当たった作戦はないだろう。

私は昔からゲームと名のつくものはほとんどやらない。それもあって、恥ずかしながら、ポケモン、つまりポケットモンスターというのはピカチュウのことだけを指すのだと長らく思っていたほどだ。

そんな私であったにもかかわらず、今回のブームにははまってしまった。配信開始の翌日に友人のスマホを借りたのが始まりだった。居酒屋で見つけたポケモンを捕まえようとするがうまくボールが当たらない。その日は諦めたが、翌日には自分のスマホにダウンロードして最初の1匹を捕まえた。以来、職場の研究室など数カ所で捕らえることに成功した。

私たちが生きているこの現実世界に、普段は目に見えないポケモンたちがたくさんいて、スマホという“魔法の虫めがね”のようなものをのぞくとその姿が目に見える。私はそんなイメージに魅了されたような気がしている。

ところで、配信開始と同時に、さまざまな問題が起きていることも報道されている。プレーに夢中になっているうちに徒歩で高速道路に入り込んでしまった人もいたという。私の周りでも階段で足を滑らせてけがをした人がいたらしい、という話を聞いた。

こういった問題はある程度予想されていたことではある。ただ、政府の内閣サイバーセキュリティセンターが、遊ぶ際の注意事項を配信開始前にツイッターやLINEで流したことには、はっきり言ってあきれた。転ばぬ先の杖(つえ)とは言え、いくらなんでも過保護ではないだろうか。「偽アプリに注意」「歩きスマホは×ですよ」といった注意はまだしも、「熱中症を警戒しよう」「予備の電池を持とう」に至っては、いくら主な対象が子どもだとは言え、おせっかいの範疇(はんちゅう)すら超えている。安全に遊ぶ方法ぐらいは自分で責任を持って考えさせるべきだろう。

それから、ポケモンGOのユーザーが入り込んでは困る場所の運営者の対応が大きく分かれている。その中で伊勢神宮は今回株を上げた。「森の中にいるポケモンは捕まえずにできればそっとしておいてあげてほしい」と呼びかけたのだ。また、鳥取県はブームに乗る形で鳥取砂丘を「スナホ・ゲーム解放区」というダジャレをきかせた名前の場所に指定して観光客誘致に乗り出した。プレーを禁止するにせよ奨励するにせよ、ユーモアを含んでいるところに余裕を感じる。しょせんお遊びなのだから、できるだけ遊び心を大切にしたいものだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年7月21日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第12回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

国民が積極的に憲法知る意義 生前退位の報に触れて

久しぶりに日本国憲法を読み返してみた。理由は、7月13日にNHKが報じた天皇陛下による「生前退位」のニュースに触れたからである。

日本は立憲主義国家だ。だからこそ天皇陛下も憲法の制約からは逃れられない。もちろん政府も国会、裁判所もである。では、その憲法とはいったい何であるのかをあらためて確認したかったのだ。

日本国憲法の第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と明記されている。戦後の天皇は日本の象徴であり主権は国民にあることを冒頭から強調しているのだが、明治憲法が天皇を国家元首としていたのに対して現憲法が国民主権に大きく力点を置いたのは戦前戦中の反省もあってのことだと理解している。いや、頭で理解しているだけではなく、この条文は素晴らしいものだとも素直に感じている。

東日本大震災や熊本の大地震などで日本が大きな危機に見舞われるたびに、天皇陛下は皇后美智子さまとともに被災地などを訪問された。そこでは自ら膝を折り、それこそ被災者と同じ目線に立って一人一人に言葉をかけられていた。ご高齢にもかかわらず精力的に活動される様子が新聞やテレビで報じられ、今も私の脳裏に焼きついており、なんと優しい方なのかと感銘を受けることが多かった。憲法第一条で明記された国民の統合である象徴天皇とは、まさにこのようなお姿なのだと天皇陛下ご自身が示されたと言えるだろう。

その天皇陛下は生前退位をお決めになるに際して、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」とのお考えを持たれていると新聞は伝えていた。この報道が事実なら、立憲主義国家だから当然だとはいえ、天皇陛下は率先して日本国憲法を順守されている。

さて、参院選を経て自民党などの改憲勢力が衆参ともに3分の2以上の議席を獲得し、戦後初めて改憲される可能性が出てきた。どの条文を変えるのか、あるいは変えないのかは今後の国会で議論されるだろう。だが、最後に決めるのはあくまでも国民の側である。

その国民が憲法に何が書かれているかを知らないでは、やはり困る。それでは改憲の是非も判断できないからだ。きっかけはなんでもいいし、どの条文からでもいいと思う。私の場合は生前退位のニュースで憲法をあらためて読みなおし、その意義や意味を大いに考えさせられた。

天皇陛下は象徴天皇のあり方を自ら示されている。ならば国民も積極的に日本国憲法を知り、今こそ国民主権の何たるかを示す必要があるだろう。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年7月14日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第11回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

“素人”の新人議員は困る 政策持つ人を政治の場に

暑い夏の熱い戦いが終わった。10日投開票の参院選は与党の圧勝で幕を閉じ、憲法改正に必要な3分の2以上の議席を改憲勢力が占める結果になった。

一方、民進党などの野党は共産党との共闘もむなしく、こちらは惨敗。とはいえ、世の中はバランスが大切である。旧民主党政権が国民から反発を招いたように、現与党にもいつか大きな反動が襲ってこないとも限らない。その時に備え、まともな政策の議論ができる「大人の政党」へと野党も脱皮しておいてほしいと願うばかりである。

さて、今回の選挙では与野党の力の差だけではなく、新人候補の資質についても考えさせられた。一例を挙げれば元アイドルグループ「SPEED」の今井絵理子さんだ。シングルマザーとして、先天性の障害を持つ息子とけなげに歩んできた今井さん。その経験を自民党から買われ、比例で当選したのはご承知のとおりである。

今井さんはその知名度を生かし、選挙期間中の遊説では多くのファンや支援者から大きな喝采を浴びていた。それらはほほ笑ましい光景だとして、問題は、彼女の政治的主張は何であるのか、さっぱり見えてこなかったことにある。

毎日新聞などが憲法改正の是非や原発問題、子どもの貧困や格差社会などについて候補者インタビューを行ったのだが、毎日新聞が示した全24質問に今井さんはすべて無回答。何も語らなかった。当選後、テレビ東京の特番で池上彰さんから沖縄の在日米軍の基地問題について問われても、「現状が分からなかった」と答える始末。ちなみに彼女は沖縄出身である。

今井さんにすれば、自分は政治の素人だから政治家になってから勉強するというスタンスなのかもしれない。しかし、これでは本末転倒だろう。政治の課題や社会の問題を解決したいから政治家になるのが本来の姿であり、政治家になってから何が問題かを考えるのでは、胃薬を飲んでから胃痛を待つようなものでしかない。有権者にしても今井さんの知名度だけではなく政治公約を知りたいはずなのに、全国紙の質問にすべて無回答では彼女に投票してよいかの判断などつくはずもない。

だが、これは今井さんの問題というよりも彼女を公認した自民党にこそ大きな責任がある。中身よりも見た目、政策よりも知名度で彼女のような候補者を選んでいるからだ。そういえば、これまでにいくつかの選挙の候補者選びの際に「女性候補を出せば勝てるのに」という声を時々耳にしたことを思い出した。政治家は男性が多いから、女性なら新鮮な感じに有権者に映るという考えらしい。女性だから、有名人だから、といった理由で候補者を選んでいるようでは、「女性が輝く社会」と言いながら本音の部分で女性軽視があるのが透けて見えるような気がする。こんな発見ができたのも今回の参院選のオマケだったのかもしれない。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年7月7日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第10回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

闘病生活で奏でるピアノの音 モーツァルトが与えた力

2年に1度のピアノの発表会に出演するようになって6回目。今回は、小学校の時以来、実に40年ぶりに弟との連弾まで果たした。2人で弾いた『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は幼い頃に就寝前に毎日のように親にせがんでレコードで聴かせてもらっていた曲。もとは弦楽曲だが、ピアノ連弾用に編曲されたこの曲でもなつかしい思い出が十分によみがえった。

そして、今回の発表会の楽しみは他にもあった。それは、70代半ばのTさんとの2年ぶりの再会である。60歳ごろからピアノを習い始めた彼女は、2年前の発表会ではショパンのワルツを弾いていた。

Tさんの今年の曲目はモーツァルトのソナタ。今回もおしゃれな衣装で身を包んでいた。藤色の帽子、白いブラウス、青い花模様のロングスカートといういでたちだった。ただ、表情は2年前より少し弱々しげだった。前回の発表会の直後に病気にかかっていることが判明し、1年10カ月に及ぶ闘病生活が今も続いているのだという。毎月治療を受けながらピアノの練習をして先生のもとにレッスンに通うという生活は、かなりしんどかったらしいことが彼女の話しぶりからうかがえた。

控室でしゃべっていると、2年前の発表会の直後に当コラムの前身の『なにわ現代考』でTさんについて私が書いた話になった。「2年後はまだまだ現役でいるに違いない。再会が今から楽しみである」と私が書いたそのコラムに、彼女は「励まされてがんばってきた」のだという。自分のコラムを読んだ人に感想を聞くのはいつもとてもうれしいことだが、今回は格別だった。彼女がこの1年10カ月にわたって治療を受けながら歩んできた道のりに思いをはせて胸が詰まるような思いがして、すぐには言葉が出てこなかった。

彼女の本番がやってきた。暗くなった客席に座った私が、まばゆい照明に照らされた舞台を見つめていると、終始ゆったりとしたしぐさで現れ、ピアノの前に座った。そして、落ち着いた様子で柔らかさと力強さをあわせもったモーツァルトを弾いた。舞台を去る足取りもやはり堂々としていた。

2年前にTさんから聞いた「私、いくつまで弾けるか、挑戦してみようと思ってるの」というような力強い言葉は、今回は聞けなかった。病のことを考えればそれもやむを得ないことなのだろう。でも、2年前の発表会で聞いたその言葉がこの2年間私を励まし続けてくれていたこと、そして、今回の発表会に彼女が出演していたことが私に大きな力を与えてくれたのはまぎれのない事実だ。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年6月30日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第9回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

投票率低い若者の声が届かず 英国民投票が決めた将来

国民投票の結果、英国が欧州連合(EU)から離脱することが決まった時、21年前に私がロンドンに転勤した際のことを思い出していた。私は東京でロイターの日本支社に入社し、6年目になって当時の本社があったロンドンへ異動することになったのだった。

日本人である私が外国で働くためにはビザがいる。それでも、同じ社内の異動であり、それほどの手間はかからないだろうと考えていた。しかし、ビザの手続きをしてくれる同僚から、「EUの中にいる人たちの中で、あなたと全く同じ能力を持っている人がいれば、そちらの人を優先する。それがEUというものなの。だから、あなたがEUの中の誰よりもこの仕事にふさわしい能力と経験を持っていることをきちんと書面で示さないといけないというわけ」と言われた。その“競争相手”のあまりの多さに気が遠くなりそうな思いだった。それと同時に、国境を越えて多くの国々が経済面で結びつき合うEUの広がりをあらためて実感した瞬間でもあった。

だが、今のまま進んでいけばそういった状況はもはやなくなり、労働市場は英国の中で閉じることになる。英国の若者にとって、これから生きていく未来はこれまで思い描いていたものとはかなり大きく変わることになるのだ。

当の若者たちだが、英国の新聞によると、今回の国民投票で投票した18歳から24歳のうち、EU残留と投票したのが75%にのぼったのだという。だが、その一方で、その世代の投票率は36%。上の世代に比べてかなり低い投票率だったようだ。つまり、やや単純化した見方かもしれないが、若者たちの多くが投票しなかったがために、自分たちよりも余命が短い人たちの希望が通って、若者たちが生きていく未来の流れが決められてしまったということになるだろう。

私が大学で担当している授業の中に、2年生のための講読という少人数クラスがある。私のクラスではさまざまなニュースサイトに載っている英語の記事を読んで話し合うのだが、国民投票が終わって数日後の授業で「自分にとって最近気になっているニュース」を持ち寄ることにしたところ、そのうちの半分が国民投票に関するものだった。

英国の若者の投票率の低さについて話しているうち、いつしか来月の参院選の話になった。そのクラスには、選挙権を得たばかりの19歳の学生も数人いる。クラスの学生の中からは「私も投票に行って少しでも若者の投票率を上げて、もっと若者に対する政策も考えてもらいたいと思う」「今回の授業を機に投票してみようと思う」といった声が出た。英国の国民投票では若者の参加が少なかった。だが、せめて私たちは、自分の将来を自分で決める手段や力をできるだけ自分の手元に残しておきたいものだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年6月23日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第8回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

↓↓↓↓↓

大阪風味の番組がネットにも 柳本前市議の番組出演終えて

東京と大阪の両方の番組に出演する人たちの中には、大阪で出演する時の方が言いたい放題に話す傾向があると聞いたことがある。全国放送に比べ視聴者数が少ないから気楽に話せることがあるのだろう。だがそれ以上に、大阪独特の自由な雰囲気がそうさせるのではないだろうか。

先日友人と話していた時に、その大阪特有の自由さが如実に表れた番組の話になった。彼が特に挙げたのは『夜はクネクネ』と『たかじんnoばぁ~』だった。前者は、角淳一さんと原田伸郎さんが予定を決めずに夜の街を歩くという内容。そして、後者は、故人のやしきたかじんさんがバーのマスター役、トミーズ雅さんがマネージャー役を務め、ゲストと共にお酒を飲みつつ話すという番組だった。

今でこそよく似た形式の番組を見かけるようになったが、斬新な発想で先駆的な番組を大阪のテレビ局は作ってきた。その流れは今後インターネット番組にも引き継がれていくのではないか。

先週の当コラムでも書いたように、17日に『アキラズバー』というインターネット番組にジャパンタイムズ紙の記者と出演した。前大阪市会議員の柳本顕さんが生まれ育った『柳本酒店』で、彼が“マスター”として迎えてくれたのだ。

柳本酒店は、2階建ての家が立ち並ぶ、いかにも「昭和っぽい」町並みの中にある。柳本さん自身も幼い頃に、客のコップにお酒をなみなみと注ぐ手伝いをしていたというこの立ち飲み屋で、当日は箕面ビールを飲み、大阪名物のお菓子「満月ポン」を食べながら、「18歳選挙権」や「ジャーナリズム論」などを語り合った。

開始当初こそやや硬さがあったものの、番組が進むにつれてカメラの存在をほとんど忘れ、まるで飲み会でしゃべっているような楽しい気分になり、気づくと放送終了予定時刻を大きく過ぎていた。前回の番組ではスーツ姿だった柳本さんも、今回はTシャツに前掛けという酒屋にふさわしい姿で登場。プレゼントされた前掛けには「馬鹿正直」「糞真面目」と書かれており、いかにも彼らしくて笑った。

この番組は形こそ『たかじんnoばぁ~』に似ているが、司会を務めているのはプロの語り手ではなく、前議員として人前で話す機会は多くてもあくまでも素人だ。また、政治のプロである柳本さんが、いわば畑違いのメディアの問題について、ジャーナリズムのプロと互角に語り合ったりする。これからのゲストもできるだけ意外性のある人を招いていくようにすれば、ゲストと柳本さんの双方から面白い話が聞けるだろう。

店の前を通る車の音や散歩する犬の鳴き声が、時折番組を邪魔するのはご愛嬌(あいきょう)。今後も月1回の頻度で続くこの番組が、既存の枠にとらわれない大阪らしいものとなっていく可能性を十分に秘めているように思えて楽しみだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)