2010年7月から296回にわたってご愛読いただいて参りました大阪日日新聞の週刊コラム『金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ』がリニューアルされ、2016年5月より『金井啓子の現代進行形』として、新たにスタートを切りました。
これまで以上にさまざまな事象に目を向け、より深く考えながら発信していきたいと考えています。

新コラム
『金井啓子の現代進行形』

旧コラム
『金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ』

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
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2016年4月25日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第296回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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報道も一種の災害支援 被災者への視点忘れずに

4月14日夜、突如として熊本県を中心に襲ったマグニチュード6・5の地震。16日未明には阪神淡路大震災と同じ規模のマグニチュード7・3の巨大地震が発生した。熊本や大分は大きな被害を受け、不幸にも亡くなった方は48人となり、いまなお避難している人たちは7万人にも上るという(23日現在)。

政府も災害支援に乗り出し、人命救助のために警察官や消防隊員が全国から駆けつけた。また、自衛隊は救助に加えて食料や生活用品の輸送、また仮設のトイレや風呂の設営も行っている。個人でもボランティアで食料や水を運ぶ人が、また避難所の近くで牛丼の炊き出しに乗り出す外食チェーンまで現れた。

一方、マスコミは震災直後から地元の新聞やテレビを中心に速報を流し、その後は東京や関西のマスコミも被災地の様子を伝えている。

ただし、残念な出来事もあった。関西テレビと毎日放送(MBS)である。ガソリンが極端に足りない熊本県内で、ガソリンスタンド前にずらりと並ぶクルマを尻目に関西テレビの中継車が割り込んで入り、とっとと給油して立ち去る問題が発生。MBSは、現地で取材する同局のアナウンサーが被災地で弁当を買い、これをツイッターで「やっと今日の1食目。食料なかなか手に入りにくいです」とのつぶやきを書き込んだ。これらがツイッターで大騒ぎとなり、二つのテレビ局は公式に謝罪することになった。

関西テレビとMBSは被災者の様子を伝えようとしながら、肝心な部分で被災者への視点が欠けていた。食料も水も、ガソリンも手に入りにくい被災現場であることを知りながら、両局は貴重なガソリンと食料を被災者から奪った。MBSのアナウンサーに至っては、必然性のない話をツイッターで得々と書き込むデリカシーのなさまで披露してくれた。いずれも報道姿勢より以前の話、人としての常識と優しさがないのだ。

だからといってマスコミ全般を批判する必要はない。政府や行政、警察や消防、ボランティアなどに災害支援の使命があるようにマスコミにも災害報道という使命があるからだ。事実、現地の具体的な様子を報じることで政府も支援の具体的な内容を決断できる。各国から支援の申し出があったのもニュースで報じたからだろう。

もちろん「ヘリの音がうるさい」「被災者に情け容赦のないコメントを求めてくる」といった苦情など、個々の問題点については反省と改善の余地はある。しかし、大地震でのマスコミ報道も一種の災害支援であることは忘れてはいけない。

(近畿大学総合社会学部准教授)
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2016年4月18日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第295回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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子ども無料の地下鉄はいかが 民営化は客のためになるか

筆者も毎日利用している大阪市営地下鉄御堂筋線は、朝になれば通勤の人々や通学の学生などで猛ラッシュ。この御堂筋線は1933年に大阪で初めて誕生した公営の地下鉄で、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」でも計画から設計、誕生までの経緯が描かれていた。

ドラマの中では太平洋戦争に入って米軍機が大阪を火の海にしたとき、猛火の中をかいくぐり御堂筋線の構内に逃げ込んで多くの市民が一命を取りとめたという話が描かれていた。当時を知る人によるとあれは実話なのだという。

さて、その市営地下鉄を民営化すべきかどうかが大阪市議会で議論されている。大阪市交通局のホームページ(HP)「民営化のメリット」を読むと、民営化すれば経営体質が強化され、サービス改善で客の満足度を高めたり、ホテル経営など鉄道事業以外の多角的な経営もできるとしている。ただ気になったのは、誰が株式を持つかという点だ。当初は大阪市が100%を保有し、その後は上場を目指すとしている。

これは大阪市の外郭団体化であり、市議会のチェックを受けないことを意味している。市交通局はこれまで、土地信託方式による複合ビル「オスカードリーム」などの大失敗で巨額の損失を抱え、大阪市民にツケを回したことがあった。この上、議会のチェックを受けないと、いずれ暴走しないかという一抹の不安が残る。

上場後も、その上場会社の目が向く先は客ではなく株主であることが多い。「客のため」とは言いながら、株主に気を使って客のためにならない事業を起こすことなどよくあることである。

ただ、地下鉄が公営のままなら、例えば子ども料金を無料にすることも可能なのではないか。市交通局の決算を読むと、2014年度の鉄道事業の経常利益は約348億円。トンネルの掘削作業に要した借金は既に返済を終えており、極端に客が減らないかぎり利益も減少することはないはずだ。

大阪市の関係者の話では12歳以下の子どもの料金を無料にしても、そのコストは約30億円ほどで、350億円近い利益があれば十分にまかなえ、お釣りもくる。しかも地下鉄は子どもだけが乗るのではなく大人も一緒だろうから、ある程度の波及効果も望めるだろう。わずかではあっても養育費の軽減につながって、少子化の歯止めに貢献する可能性もあるかも知れない。

どうせ大きな打ち上げ花火を上げるなら、これくらい大胆なことをやって大阪市民だけでなく全国の人を「あっ」と言わせてほしいものだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)
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2016年4月12日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第294回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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隠したい情報はバレる パナマ文書とジャーナリズム

今年の夏に行われる参院議員選挙への出馬が取り沙汰されていた人物の不倫問題や、政治資金収支報告書に膨大なガソリン代が計上されていた衆院議員の件。大きな影響力を持つ人や権力に近いところにいる人がこのように情報を隠蔽(いんぺい)しようとして、それが漏れてしまった場合のリスクは非常に大きい。

隠されていた情報が漏れると言えば、「パナマ文書」がいま大きな話題となっている。租税回避地への法人設立を代行するパナマの法律事務所の金融取引に関する過去40年分の内部文書が流出したのだ。世界の要人やその親類・友人の名前がかなり挙がっており、アイスランドでは首相が辞任に追い込まれた。これは、アメリカ国家安全保障局による個人情報収集の手口が暴露されたスノーデン事件と同じように、各国を揺るがす大問題にさらに発展する可能性が高そうだ。

いくら秘匿しようとしても、情報というものは必ず漏れるという意味では、パナマ文書、スノーデン事件、ウィキリークスも、そして冒頭に書いた不倫やガソリン代の件なども本質的には同じであることが示されたと言えるだろう。

情報が外部に漏れることに関しては、アナログ時代と違って情報のデジタル化が進んだ現代は漏えいがしやすくなったとも言える。たとえばパナマ文書のデジタルデータは2・6テラバイトもあり、その文書を印刷すれば膨大な量となり、これをいちいちコピーして持ち出すことはほぼ不可能だ。しかしながら、コンピューター上のデータならコピーすることもメールで送信することも容易である。

ただし、流出が容易になったとは言え、なんとかして隠そうとされている情報を暴き出すにはまっとうなジャーナリズムの手を借りなければならない。事実、今回のパナマ文書の件でも国際的なジャーナリスト集団が大きな威力を発揮している。ジャーナリズムが権力を監視していなければ国家はいずれ暴走し、結果として国民が不利益を被ることになってしまう。

これまでのところ、今回のパナマ文書の件では日本や日本人への影響がどれほどあるのか現時点では全貌が見えていない。だが、仮にこの国にも強い関係があることが見えて来た際には、日本のマスコミの出番である。遠慮することなく隠された情報を暴き出せるような健全なジャーナリズムがこの国にも発展していることを望みたい。その状況は、何もパナマ文書に限らずさまざまな場面で必要になってくるだろう。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年4月4日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第293回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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新しい環境の「同調圧力」 友達は新学期だけ作るもの?

新年度に新学期。多くの人が新しい環境でのスタートを迎えたことだろう。勤務先の大学でも華やかな入学式を経て多くの新入生を迎えた。

新しい出会いに胸をふくらませる人も多い一方で、友達ができるのかと不安を抱えている人もいるだろう。新たな環境を目の前にすれば、ごく自然な心境だろうと理解できる。

ただ、最近学生たちが書くものを読んだり話を聞くと、その不安が過度に大きいのではないかと、それこそ不安になってしまう。

筆者は日本語の作文を書く授業をずっと担当しているのだが、近年とみに「大学に入学する時、友達ができるかどうか心配でならなかった」と書く学生が本当に多いのだ。そして、「友達ができて、楽しい大学生活を送れるようになって本当にほっとしている」と書く学生がいる一方で、「結局誰も友達になれなかった。既に出来上がったグループに今更入れないし、これからもひとりだろう」と記す学生もいる。会員制交流サイト(SNS)上で「◯◯大学◯◯学部に入学する人たちのコミュニティ」が立ち上げられているのを入学前に目にして、「もう仲良くなっている人たちがいるのに、自分は間に合うのだろうか」と焦ったりもするらしい。

上の学年に進級してからも、筆者がよく昼食を買いに行く学内の食堂の話をすると、「あそこは華やかな雰囲気の女子のグループがいるところだから行けない」と話す女子学生がいるかと思えば、「そういうグループに入るには、髪の色を染めないといけないだろうか」と考える人もいたり、逆に、少人数クラスでの授業でみんなが仲良くなろうとする雰囲気になじめず、ちょっと距離を置こうとして浮いてしまっている学生もいる。

筆者自身の人生を振り返ってみても、友達から得る刺激は大きい。友達がいればこそ味わえる楽しみもある。だが、友達が一定数いること、定まったグループの中に自分の位置があることに、学生があまりに大きな価値を置くことにはちょっと違和感を覚えるのだ。自分が他の人と同じであろうとすること、同じでないといけないと感じる、いわゆる「同調圧力」という言葉がふさわしいだろうか。

新しい環境になったから友達をつくらなければいけない。それは本当だろうか。本当に気の合う人は、新学期ではなくある日突然現れるかもしれない。そこそこの「友達もどき」と無駄な時間を過ごすぐらいなら、その出会いをひとりでゆっくり待ってもいいのではないだろうか。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年3月28日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第292回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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「非常識」な訪日客と国際化 目の前で知る異文化

政治・経済・文化など、日本が国際社会の主役の一員であることに疑いはない。私たちも「国際化」という言葉を日常的に使い、国際社会の一端を担っているとの自覚がある。しかし、日本はいま本当の意味で国際化の波にもまれているのではないかとつくづく思う。

日本政府観光局が今月半ばに発表した2月の外国人観光客数(推計値)は、前年同月比で36・4%増の189万1400人に上ったという。円安に伴う割安感や、格安航空会社(LCC)路線の拡大などの背景に加え、春節休暇で中国や台湾などから日本を訪れる観光客も追い風になった。

海外からの観光客は年々増え続けており、これからもしばらくこの傾向は続くと予想される。大阪でも中国や韓国、マレーシアなどからの観光客を見ない日はない。ミナミなどでは観光バスが列をなして止まっており、街を歩けば大きな買い物袋を抱えた一群に出会うことがある。「爆買い」のおかげで繁華街の小売店や一部の量販店は大いに潤い、観光客を運ぶバスや電鉄などの輸送会社は大幅に利益を上げているという。

その一方で、「外国人観光客はマナーがなっていない」「そこらじゅうにごみを平気で捨てて困る」「トイレの使い方が汚い」といった批判的な声を聞くことも多くなった。筆者も知っている老舗ホテルの幹部スタッフも「爆買いで買って来られた電化製品などの箱を部屋に捨てて帰られるため、お客さまがホテルを退去した後、山のように積み上がった箱の処分に担当者が追われています」と困った顔で言われたことがある。「郷に入れば郷に従え」という言葉はあるが、なかなかそれを受け入れてもらえないのが現実だ。

だが、国際化というのは本来、そういう側面も併せ持つのではないのか。「英会話を学んで外国人の方々とコミュニケーションを図る」のも国際化のひとつだろうが、文化が異なれば生活習慣や社会通念が異なってくることを理解することも、国際化とは何かを学ぶ上で大切なことだろう。日本人には当たり前だと思っていた常識やマナーが他国では決して当たり前ではない。日本人には眉をひそめる行為も、他国では常識だったりする。外国人観光客が大挙して押し寄せている現在、それを目の前で知ることも本当の国際化ではないだろうか。

海外からの観光客が増えるのは日本経済にとって非常にありがたいことである。と同時に、異文化を理解し、受け入れることも私たちは忘れてはいけないのだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年3月21日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第291回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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地元を照らす新しい試み ローカル番組終了を惜しむ

関東で生まれ育った筆者が、記者時代も含めて関西に住んでいる期間が、通算すると今月で丸12年を迎えた。関東に帰った時に友人に「ねぇ、関西弁しゃべってみてよ」と言われても口をついて出てこない。だが、関西でできた親しい友人たちを目の前にして気が緩むと、つい怪しげな「関西弁もどき」が出てしまう。それを周りの人がどう思っているのかはともかくとして、それだけ関西での生活が身体にしみ込んでいるのだろう。

そんな自分が関西をさらに広く深く知ることになったきっかけの一つが、ケーブルテレビ「J:COM」の『関西TODAY』という番組にコメンテーターとして出演したことだった。月曜から金曜にかけて夜に30分間放映されるこの番組が2014年6月に始まった当初から、隔週水曜日に出演してきた。

海外や全国レベルのニュースももちろん扱うのだが、より重きを置いていたのは、その日に大阪・京都・兵庫・和歌山で起きたトピックを取り上げるコーナーと、地元の人々が関わっているさまざまな活動を時間をかけて取材したものを扱う特集コーナーだった。時には「こんな超ローカルなネタ、よく見つけてきたなぁ」と感心するものもあり、それだけ地域に住む人たちの目と同じような見方で、物事を見ていたということなのではないだろうか。

昨年の統一地方選挙を扱った選挙特番もひと味変わっていた。多くの放送局は、大阪府、大阪市、堺市の議会選挙が行われた4月12日に力を入れていた。だが、『関西TODAY』が選挙特番を放映したのは4月26日の統一地方選後半戦で、筆者も出演した。吹田・八尾・寝屋川といった政令市以外の一般市の選挙結果に力を入れていた。そのため、番組では画面上にL字型にあらわれる帯の部分を活用して、放映エリアごとにその地域で行われた選挙の開票の模様を時々刻々と伝えた。

さて、その『関西TODAY』が25日で最終回を迎えることになってしまった。筆者が最終出演を終えた先週、在阪の放送局で記者として働く友人から「丁寧な番組で、本当に勉強になるライバル番組だった」という褒め言葉をもらった。他局が扱うローカルニュースより細かいネタを追って、新しいものを作り出す姿勢を持ったこの番組に、1年10カ月にわたって関わることができたことを誇りに思っている。

番組終了まであと数日。みんなで育ててきたこの番組を、最後まで応援していただけるとありがたい。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年3月14日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第290回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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猫の目の原発仮処分 原発ないとなぜ値下げ先送りか

美しい若狭湾に面した福井県高浜町は人口1万人ほどの小さな地方都市だ。筆者も夏になると海水浴などで訪れることがあり、高浜原子力発電所の威容は湾越しに何度も見ている。地元の人たちが原発と共生せざるをえない状況についても一定の理解はしているつもりである。

その高浜原発について大津地方裁判所は先週、3、4号機の稼働を差し止める仮処分を命じた。決定の理由は、原発の安全性の立証責任は関西電力にあり、十分な説明を尽くしたとは言いがたく、また大地震が発生したときの対策についても十分証明されていない等とした。今回は仮処分とはいえ、稼働中の原発の停止を求めるなど前代未聞。それだけに再稼働を進める政府の原発行政や他の電力会社に一定のブレーキをかけることは間違いない。

東日本大震災で福島第一原発の大事故が起こり、いまも約7万人もの被災者が政府の指示によって避難を余儀なくされている。安全・安心と言われる原発がいったん大事故を起こすと取り返しのつかない事態になることを多くの日本人は嫌というほど実感した。

だから、仮に原発を再稼働させるにしても、安全対策のために用心の上に用心を重ねるのは電力会社に求められた最低限の義務であり、立地地区はもちろん、少なくとも近隣の町にその対策と説明がないまま再稼働することは困難であることを知るべきである。

しかし、その一方で司法判断が揺れ動いているのも事実だ。高浜原発については福井地裁が再稼働停止の仮処分を出したかと思えば、一転して稼働を認める判断を下した。そして今回の大津地裁の仮処分である。司法の態度が猫の目のようにクルクルと変わることに原発立地地区などが困惑していることは事実であり、そのような混沌(こんとん)とした状況を避けるためにも政府は何らかの決断をしなくてはならない時期に来ていると思う。

また、高浜原発の停止で電気料金の値下げは先送りになると関電は説明した。だが、大事故が起これば経営の屋台骨が傾きかねず、稼働中でも安全対策や放射性廃棄物の貯蔵施設などで火力発電以上に莫大(ばくだい)な金がかかるのが原発の宿命だ。だったら、稼働停止によって値下げが先送りされる理由をわかりやすく説明してほしい。また、停止と引き換えに仮に値上げが実施されたとしても、少なくとも筆者はお金よりは安全を選びたい。合理的な根拠があるのなら、値上げも甘んじて受け入れるだろう。5年目の「3・11」を迎え、つくづくそう思う。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年3月7日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第289回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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トランプ旋風見守る有権者 初の女性大統領への思い

「過去の大統領選のように国民が『この人に大統領になってもらいたい!』と願うポジティブなムードはなく、『この人が大統領になるのは嫌だ』というネガティブな考えが先行しているような気がする」。「トランプ氏が出ていなければ、ここまで盛り上がらなかったと思う」。

11月の大統領選に向けた民主・共和両党の予備選が集中する「スーパーチューズデー」を終えた米国。その様子は日本でも盛んに報道されている。でも、さらに生の声を知りたくて現地の米国人や日本人の知人6、7人に話を聞くと、冒頭の答えが返ってきたのだった。

スーパーチューズデーを終え、共和党ではドナルド・トランプ氏、民主党ではヒラリー・クリントン氏が首位を走っている。なぜ彼らを支持するのかは、報道されているように多様な理由があるのだろう。知人たちは独自の見方や周辺の人たちの様子を教えてくれたのだが、中でも印象に残る話が2点あった。

一つめはトランプ氏を支持する人々の特徴だ。米国は経済面でも軍事面でも世界でトップの超大国。誰が新しい大統領になるかによって、その影響は全世界に及ぶと言っても大げさではない。だが、当の米国には、生まれてから一度も国を出たことがなく、自国以外にはほとんど興味がないという人も少なからずいるらしい。そういう人たちにとって、移民が入らないようにメキシコとの間に大きな壁を築こうなどと威勢のいいことを言ってくれるトランプ氏のような人物は、「力強い」「われらの大統領」という単純なイメージが浮かぶようなのだ。米国という超大国の中にいる人たちが、自国の持つ巨大な力に気づかずにいるということが衝撃で、強い印象に残った。

二つめはクリントン氏が女性であることの意味である。米国にはいまだかつて女性大統領が誕生したことがない。先進国でも英国やドイツでは既に女性首相が出ているが、あれだけ男女同権をうたう米国でまだだということを「恥」だと感じている米国人もいるのだという。ようやく女性大統領が実現に近づいたが、この機会を逃すとまたしばらくは強力な候補者が出てこないかもしれないという危機感もあるようだ。ただ、女性という意味では新鮮さを感じさせるはずのクリントン氏も、政治経験が長すぎるために「またあの人か」と若者には不人気なのだとか。

両氏いずれが当選しても日本にも大きな影響が及ぶため、その行く末は米国人だけでなく日本人も気になるところである。

(近畿大学総合社会学部准教授)
2016年2月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第288回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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ゼミ旅行で感じる多様性 30年ぶりの北海道は厳寒

受験生だった頃、勉強に飽きると分厚い列車時刻表を開いては旅を「妄想」するのが常だった。晴れて大学生になってようやく妄想を実現できるようになって訪れたのが北海道だった。上野駅を夜行の急行列車でたち、翌朝着いた青森から青函連絡船に乗り、北海道内に入るとたまにしか来ない列車を乗り換えて移動。夜はユースホステルを泊まり歩いた。

初回は友人数人と共に訪れたが、翌年にはひとりで行くことにした。生まれて初めてのひとり旅は心細かったが、同じような大学生たちとの出会いも多かった。中には卒業後に就いた仕事で会社を超えて助け合ったりしながら、いまだに友達付き合いが続く人もいる。

大学時代の旅は初秋だったが、約30年ぶりに先週訪れた北海道はどこもかしこも真っ白だった。来月卒業する4年生のゼミ生たちが旅行先に選んだのが北海道だったのだ。関西空港から新千歳空港まで飛び、札幌市内に2泊した総勢約10人が、雪が降りしきる中で北海道大学構内を散策したり、札幌市内を見下ろす展望台から夜景を眺めたり、ラーメンを食べたり、小樽の運河沿いを歩いたりした。

大阪から札幌までは空路でたったの2時間弱。夜行列車と連絡船を乗り継ぐ旅とは比べものにならないほど近い。宿泊先もシティーホテルで、仲の良い友達同士の2人部屋か3人部屋。ユースホステルでどんな人がいるかわからない相部屋に泊まるのは、楽しみな半面で緊張感もはらんでいた。

だからと言って「あの頃の大学生はたくましかった」「今の子たちは軟弱だ」と決めつけようとは思わない。時代によってはやりすたりはつきものだからだ。きっと筆者よりも前の世代の人たちは違うスタイルの旅をしていただろうし、今の学生たちが50代になる頃にはまた変わっているだろう。

むしろ、どんなスタイルであれ、日常を離れて旅をすることの大切さを今回の旅を通じて感じてもらえれば、それで十分だと思う。それは「普段と違った時間が楽しい」と感じられるだけではない。自分が当たり前と思っている日常生活が、たった2時間移動しただけで全く異なると知ることで、日本、そして世界には、いろいろな生活があることが体感できる。たとえば、日中でも氷点下のままの気温、雪道を転ばず器用に走る人たち、凍えるほど寒いのに薄着の人たちは、関西から訪れたわれわれには驚きの連続だった。大げさかもしれないが、違いを知ることは多様性を認め合うことにもつながると思うのだ。

(近畿大学総合社会学部准教授)