2017年2月16日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第42回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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「あなた、昭和っぽいねえ」と友人が笑いながら私に言った後、追い打ちをかけるように「アナログっぽいというか」と続けた。「なんで」と聞いた私の表情がやや不機嫌そうだったのに気づいたのか、友人は「悪い意味じゃないよ」と慌てて言った。ある店で売られていた布製の手作りポーチを買い求めた時のことである。

 

私はこういう手作りの小物を買うのが好きなだけでなく、幼い頃から自分でセーターやマフラーを編んだり洋服や袋を縫ったりしてきた。料理も好きだ。近頃は手頃な価格でさまざまな洋服や小物、お総菜やお弁当をどこでも簡単に入手できるが、あえて時間をかけて手を動かすことを好む私の趣味を知っている友人が、「昭和っぽい」と評したのだった。かく言う友人も、プラモデル作りや木工工作を好む。他にも、季節ごとにさまざまな保存食品作りに精を出す友人もいる。

 

「昭和っぽい」というのは今回の場合、手間を惜しまないというような、前向きな意味だったのである。だが、私が当初むっとしてしまったのは、「昭和っぽい」という言葉が一般的に「古くさい」「現代の流れについていけていない」というように後ろ向きに使われることが多いからだろう。歳を重ねればやむを得ないことなのかもしれないが、自分の生まれた時代がそんな呼ばれ方をするのは愉快ではない。

 

ところで、2025年に開催を目指す大阪万博のテーマが、大阪府が掲げた「人類の健康・長寿への挑戦」から「未来社会をどう生きるか」に修正される可能性が出てきたらしい。経済産業省がまとめた報告書骨子案が報道されたのだ。発展途上国では現時点では「健康・長寿」には程遠く、世界において普遍的なテーマにはなりにくいから、という理由のようだ。報道された骨子案によると、日本での開催意義として「最も高齢化が進み、iPSなどの生命科学の最先端を走る」「東日本大震災と原発事故を経験した日本だからこそ、人類の生命・生活について議論できることがある」という2点を掲げており、これを海外に向けてアピールする考えらしい。

 

だが、いま世界を見渡すと、新大統領が誕生した米国は分断が深まっており、欧州も英国の欧州連合(EU)離脱や極右勢力の台頭で混乱の極致にある。そして、中東やアフリカでは多くの難民が発生している。大阪万博が「未来社会」をテーマにするなら、SF映画のような未来の科学技術だけではなく、混乱や分断から調和へと導く人類の英知を示すことができれば、各国から歓迎されるのではないだろうか。

 

そう言えば、昭和真っ盛りの1970年に行われた大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、こちらには「調和」が含まれていて現代社会を先取りしていたとも取れる。「昭和っぽい」もあながち捨てたものではないのかもしれない。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

 
 
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2017年2月9日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第41回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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「ほいけんた」という芸人をご存じだろうか。よく知っているという人はまだ少ないかもしれないが、日本テレビ「行列のできる法律相談所」の再現ドラマで明石家さんまさん役を演じている人と言うと、認識できる人もいるだろうか。

 

実はほいけんたさんは私の幼なじみだ。東京の郊外に昭和30年代に建てられた団地群の中で、私は生まれ育った。250棟近くあった建物のうちの4階建ての一室に住んでいたのだが、同じ棟にほいさんも赤ちゃんの頃に転居してきて、小中学校時代を共に過ごした。

 

その彼と中学卒業以来約35年ぶりに再会したのは、昨秋地元で開かれた小学校時代の同窓会でだった。芸人として活動していることは他の友人から聞いていたし、テレビでも見ていた。でも、仕事ではなくプライベートな場で“商売道具”を披露してくれるのだろうか、私から「物まねやってよ」とは言いづらい、などと考えていた。だが、心配無用、みんなに囲まれた彼は惜しげもなくすばらしい芸を披露してくれた。

 

ひょろりと背が高く丸顔の中学生だった彼が特にさんまさんに似ていた記憶はない。久しぶりに会っても顔が少し面長になった程度でそれほど大きく変わってはいなかった。でも、“さんまさん用”の出っ歯の入れ歯を入れた途端、変化が起きた。それまでの低音の東京弁がウソのように消え、高くしわがれた関西弁に切り替わっただけでなく、表情や顔のシワまでもが一気にさんまさんのそれになったのだ。憑依(ひょうい)とはこんなことなのか、という言葉が頭の中に浮かび、思わず鳥肌が立った瞬間だった。その後もさんまさんだけでなくさまざまな有名人になりきって話す姿に、私も同級生たちも大喜びだった。

 

さて、今回のコラム、同級生を自慢してほいけんたさんを宣伝したいという下心ももちろんある。だが、同窓会出席をきっかけにもうひとつ考えていたことがある。それは学校における居場所の話だ。

 

というのは、私は小学校だけでなく中学校、高校時代の同窓会にも参加している。だが、ある同窓会に友人を誘った時に「あのクラスにはいい思い出がないから行かない」と断られたことがあった。私も似た思いをしたことがある。

 

中学時代にいじめに遭った私は、大人になってからも長い間「中学時代は暗黒時代」だとして封印し、ごくわずかな同級生としか会おうとしなかった。何かをきっかけに吹っ切れた私は同窓会に出るようになったが、“暗黒時代”を封印している人は今も少なくないだろう。

 

教員となった私は、授業を欠席する多くの学生に遭遇している。単なるサボリならば尻をたたけば済む。だが、“居場所がないために行けない”学生たちにも出会った。彼らが大学時代を“暗黒時代”として封印せず将来の同窓会にも参加できるようにするために、いま私は何ができるのだろうか。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

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2017年2月2日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第40回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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トランプ米大統領が就任してまだたったの2週間。それなのに、次々と出される大統領令や、彼の発言やツイッターでの書き込み、政権内の人事の揺れなど、あまりに強烈な出来事が多すぎて、私が就任式当日に自分の目で見たはずのワシントンDCの光景が既にはるか遠い昔のことのように思えてくる。

 

だが、あるひとりの男性のことは今もはっきりと覚えている。白いタートルネックセーターに真っ赤なパーカーを羽織り真っ白なヒゲを豊かにたくわえた彼はおそらく60代だろうか。あと少しで連邦議会議事堂で就任式が始まろうとしている時に、白亜のドームを遠くに望む大きな公園で出会った。「私の大統領ではない」と書かれたプラカードを掲げた彼になぜ新政権に反対するのか尋ねると、総投票数ではクリントン候補が上回ったにもかかわらず選挙人団制度のためにトランプ氏が当選したのは「不公平でありおかしい」からだと答えた。

 

彼以外にもプラカードを持っている人たちは数多くいた。その主張は、中絶の権利を求める、女性差別に反対する、移民や難民を歓迎したい、トランプ氏とロシアとの不透明な関係を解明すべき、トランプ氏の税をめぐる情報公開を求める…などさまざま。恥ずかしながら私はこういった抗議活動に関する米国のルールをあまりよく知らなかった。だからその男性に「こういうプラカードを持って抗議活動をする時は誰かに許可を取るのですか」と尋ねた。すると彼は「そんな必要はない。憲法修正第1条があるのだから」と即答した。修正第1条とは、言論の自由や集会の権利、政府に請願する権利を定めたものである。失礼ながら私の目に「ごく普通のおじいさん」にしか見えなかった彼の口から即座に憲法の話が出て来るとは予想もしていなかった。

 

ただし、彼は続いて、「15分たってトランプ氏が大統領に就任したら、このプラカードは下ろすんだ。あとはどんな大統領になるか見守るだけだ」と言った。いくら自分が就任に反対している大統領ではあっても、今の米国で定められた方法にのっとって選ばれた大統領であれば、彼に投票した人々の意思と権利を尊重するということなのだろう。

 

あの日あの公園にいた人たちは、その男性のように年齢が高い人だけでなく、かなり年齢層が幅広かった。高校生や大学生らしい集団をいくつも見かけた。帰国してから教え子たちにその話をすると、若者が政治に強い興味を持っていることに驚く声があがった。日本と違って直接選挙だからという見方もできなくない。だが、米国の小学校ではかなり小さい頃から学校で政治について、自分と他人が持つ権利についてしっかり学ばせていることも大きいようだ。

日本国憲法第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と書かれている。あの男性との出会いは、私に与えられた権利を自分自身がどれだけ認識しているのだろうと振り返るきっかけとなった。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

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2017年1月26日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第39回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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私はほとんど人前で泣いたことがない。特に、仕事では絶対に泣かないと決めている。だが、そんなこだわりが破られたのは先週20日、ワシントンDCでのことだった。私がいたのはナショナルモールと呼ばれる広大な公園である。公園の各所に大きなスクリーンが置かれ、数百メートル先に見える連邦議会議事堂で行われたトランプ大統領誕生の瞬間を、その場に集まった賛成派、反対派の人々とともに生中継で見守った。

 

これだけ議論を巻き起こしているトランプ大統領が就任する場所に近づくことに、興奮だけでなく実は恐怖も感じていた。支持者と反対派の衝突に巻き込まれたら怖いという気持ちである。当日は自分の主張を大きく書いたプラカードを掲げている人たちをたくさん見た。賛成派と反対派が言い争いをしている場面にも遭遇した。だが、私の見た限りそれはごくわずかで、暴力に発展することもなかった。

 

そんな時に目に入ったのが「私はイスラム教徒です。何でも尋ねてください」と書かれたプラカードを掲げた20歳前後の男性2人だった。1人は米国で生まれ育ち、もう1人はパキスタン出身だという。「なぜここに来たのか」と聞くと、「大統領選挙が進むうちにイスラム教徒は憎しみを持っている人たちというイメージが強くなった。イスラム教徒は平和と愛を大切にしている。それを知ってほしくて来た」と答えた。

 

彼らと話していると、トランプ氏への支持を示すバッジや帽子を身に着けた40~50代の白人男女2人が近づいてきた。どんな罵声が飛び出すのか、暴力沙汰かと、思わず身構えた。だが、次の瞬間耳を疑った。青年たちに「きょうはここに来てくれてありがとう」と声を掛け、握手をしたのだ。それまで話を聞きながら一緒にいた友人の日本人記者に通訳をしていた私は声が出なくなり涙がこぼれた。

 

気分を落ち着けてから、私には予想外だった行動の理由をその男女に尋ねると、「トランプ支持者はイスラム教徒に批判的だとマスコミは言うけれど、みんながそうというわけではないということを知ってほしかった」と答えた。フロリダから連れてきた子どもたち2人にもその様子を見せたかったのだという。

 

夜になって郊外の友人宅に戻ってテレビを見ると、ワシントンの街でビルのガラスが割られる事態もあったと報じられていた。同じ街を歩き回っていても目に見えるものが全く違う。

 

今回の旅で新大統領誕生を取り巻くすべてを私が見られたとは思っていないし、“分断”された国の新政権誕生後の行く末も全く楽観していない。だが、自分の目で見たことも事実の一つであるし、大切にしたい。仕事中に泣いたことはやはり恥ずかしいことだったと思っている。それでも、現場で予想外のものを見なければ、そんな予想外の自分にも出会わなかっただろう。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2017年1月19日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第38回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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大学の後期の授業も終わりが近づいた。私が勤務する大学では年末年始の冬休みをはさんで1月中旬から授業が再開されたのだが、最近は病欠者がとみに多い。毎年恒例とも言えるのだが、この時期はインフルエンザや感染性胃腸炎、風邪などで出席できないという学生からの連絡がメールなどで舞い込むことが続いた。成人式を期に集まった若者たち三十数人がその直後に一気にインフルエンザに倒れたという話も聞いた。

 

寒い時期であり乾燥も激しくなるため、さまざまな病気にかかりやすいのはやむを得ないことなのだろう。私はここ数年痛みをこらえながらインフルエンザの予防接種を受けている。受けていても罹患(りかん)すると聞くが、これまでのところ予防接種を受け始めてからはかからずに済んでいる。

 

インフルエンザや感染性胃腸炎にかかってしまえば、自分がしんどいだけではなく周りの人たちにうつさない配慮も必要になってくる。数年前の冬にあるイベントで知人に会うと、「実はインフルエンザにかかって、まだ自宅にいないといけない時期なのだけれど、どうしても出席したかったので来てしまった」と言われて、まるでその知人そのものが“細菌兵器”になって周囲を攻撃しているようだと、強い怒りが湧いたこともあった。

 

病気になって大切な用事をキャンセルしなければならないつらさはもちろんわかる。それがたとえば大学入試センター試験となればなおさらだろう。長い時間をかけて勉強してきて迎えたその日、体調にも万全を期したつもりが具合が悪くなって試験が受けられない悔しさはいかばかりのものだろうか。

 

数日前に終わったセンター試験で私は監督業務を行ったのだが、担当した教室でも何人かが欠席していた。理由をはっきりと確認できたわけではないが、突然の病気で涙をのんだ人も少なからずいただろうと推察される。

 

そういえば、あの2日間は本当に寒かった。日本の各地で雪が降って、例年はめったに雪を見ない東大阪のキャンパスでも雪が舞っていた。全国でセンター試験が行われたが、雪による影響を受けた受験生の数は2日間で1万人を超えたとも報じられた。

 

センター試験が行われる時期は毎年かなりの冷え込みとなり、雪による影響が懸念されることもしばしば。おまけにインフルエンザや感染性胃腸炎にもかかりやすい季節だ。一生を左右すると言っても過言ではないセンター試験の時期を変更することは無理なのだろうか。または、せめて一発勝負ではない日程に変えられないのか。

 

2020年度からはセンター試験に代わって新共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)が登場する。まだ全ての中身が固まってはいないようだが、内容だけではなくその方法にも踏み込んで、“主人公”である受験生のためになるシステムの誕生を待ちたい。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2017年1月12日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第37回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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東京都文京区の自宅で昨年8月に妻を殺害したとして、警視庁捜査1課は殺人容疑で講談社の青年コミック誌「モーニング」の編集次長を務める朴鐘顕(パクチョンヒョン)容疑者を逮捕したというニュースを読んだ。ただし、この原稿を書いている時点では、本人は容疑を否認しているという。

 

当の講談社からは広報室名で逮捕について「このような事態になり大変遺憾です。本人は無実を主張しており、捜査の推移を見守りつつ社として慎重に対処してまいります」というコメントが出された。推定無罪の原則に基づいて考えれば至極まっとうな言葉選びと言えるだろう。

 

もっとも、その他のメディアは原則とは無関係。逮捕当日の夜のニュース番組ではトップで報じたり、8月の事件発生以降これまでに撮りためていた容疑者を直撃する映像を流し、あたかも犯人確定かのように報じるテレビ局もあった。また、新聞社も紙面やウェブサイトで大きく扱っていた。おそらくこういったたぐいの事件の例にならって、これから発行される週刊誌でも、親戚や近所の人、知人・友人、警察関係者などへの取材を尽くして、夫婦の関係や2人の人柄、事件の概要を微に入り細にわたり伝えることになるのだろう。

 

ところで、ご存じの通り、講談社は『週刊現代』や『フライデー』という週刊誌を発行している。この2誌が今回の事件をどう報じるのかが気になる。いや、そもそも報じるのだろうか。「無罪を主張して」いるため「慎重に対処して」掲載を見送るといったことはないだろうか。両誌ともこういった事案が発生した場合、エグいと思われるほど取材対象に迫った記事を書くことでも知られている。つい先ごろも、フライデーは俳優だった成宮寛貴さんのコカイン吸引疑惑を報じ、それが彼の引退発表のきっかけとなった。ちなみに成宮さんは現時点では同疑惑で逮捕すらされてはいない。こういった報道姿勢を見せている講談社が自社の社員である“身内”には甘いとなってしまえば同社が発行する週刊誌は“ダブルスタンダード”ということになる。

 

今回の事件の容疑者と亡くなった妻の間には4人の子どもがいるという。夫婦の年齢から推測してまだ幼い子どももいると思われる。一部報道によると、子どもの証言によって容疑が固まったとも聞く。心に傷を負うような経験をした子どもにとっては、もし仮に父親が無罪であればわずかな希望を与える話にはなるだろう。また、彼らにとって両親の関係を暴くような報道が少ない方が傷は少なくて済むのもわかる。さて、講談社の2誌はどう出るのか。無視か、それともイケイケドンドンか。同社のジャーナリズムに対する姿勢が問われている。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2017年1月5日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第36回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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駅伝に感化されて“一年の計” 心身をリフレッシュする年に

 

東京・大手町から神奈川県の芦ノ湖までを往復する箱根駅伝。私はほぼ毎年おせち料理やお雑煮をつつきながら何げなくテレビの画面で見ていたが、往復で200キロを超す長い距離をたった10人で途切れさせることなくタスキでつなぐというのは、本当に偉大なことだ。特にそれを強く思うようになったのは、10年ほど前に駅伝の経路の近くに住んだ時だった。

 

1月2日の朝に箱根方面に向かう選手たちを沿道から応援したことが幾度かあった。最初に生で見た時に印象的だったのはその静けさである。もちろん沿道の人たちが応援する声は響いている。でも、その他に聞こえるのはアスファルトを小気味よく蹴ってゆく選手の足音と、かすかな息づかいだけ。しかも、選手の姿が見えるのは一瞬のみ。あっという間に走り去る。あの静けさ、力強さ、速さにはただ圧倒された。

 

各選手が担当する距離はフルマラソンに比べれば短い。それでも、あの2日間に照準を合わせて調整してきたチームのメンバーの中から選ばれた10人の選手が、驚くほどのスピードで、わずかな例外を除いて担当区間を確実に走り切る。レースの総時間数は11時間余り。身体面でも精神面でもよほど鍛え抜かなければ達成できない偉業だ。

 

今年もまた箱根駅伝で年が明けた。1年前の自分が打ち立てた新記録を更新する快走を見せる選手がいる一方で、脱水状態で苦しそうに走る選手もあったが、出場全20校と関東学生連合チームが無事に走り抜いた。

 

今年の私はテレビ観戦だったのだが、「とても人間業とは思えない」といういつもの感想が湧き上がると同時に、「でも同じ人間なのだから似たようなことはできるかも」という気持ちもうっすら浮かんだ。

 

私は大学まではスポーツを定期的にやっていたが、社会人になってからはそういう習慣がなくなったし、飽きっぽい性格だ。それでも、新年を迎えて何か新しいことをしたくなる“魔法”のようなものがかかったのかもしれない。少しだけ、いわゆるウオーキングらしきことをやってみた。普段は離れて住む弟はよく歩いており、最近は山登りまで始めたという。正月に会った彼がウオーキングをするのについて行ってみたのである。弟はほどよい“ペースメーカー”となってくれて、私は普段より速く歩いたがさほど疲れを感じなかった。と言っても、弟にとっては普段より遅めの速度だったらしいのだが。

 

三日坊主になるかもしれない。でも、ならないものだってあるはずだ。「一年の計は元旦にあり」ともいう。箱根駅伝に触発されたのは元旦より後だが、まあいい。1年後の私はこの誓いを振り返ってどのように感じているのだろうと、少し心配しつつもとにかく新しいことを始めてみた。

 

読者の皆さんは何か今年の誓いを立てたのだろうか。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年12月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第35回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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今年の漢字「金」は世界映さず 来年は暴力減って良い年に

 

日本漢字能力検定協会が「今年一年の世相を表す漢字一字」を公募するようになって約20年。第1位の漢字が清水寺で披露される様子と合わせて、年の瀬の風物詩となった感がある。今年はリオデジャネイロ五輪での金メダルラッシュや、政治とカネに絡む問題が次々に浮上したことなどが理由で、15万票余りのうち4%超が「金」に投じられて1位となったそうだ。

 

他にはどんな漢字が入ったのか気になった。「世相を表す」ことをうたっているのだから、上位に入った漢字を見れば、人々が世の中をどうとらえているのかを知る手がかりになると思ったためだ。2位は米大統領選や18歳選挙権施行を反映した「選」、3位は熊本地震などの天変地異や初の女性都知事誕生による都政の変革にちなんで「変」。4位以下20位までを並べてみると、「震」「驚」「米」「輪」「不」「倫」「乱」「災」「神」「揺」「新」「五」「騒」「地」「大」「動」「愛」となる。

 

理由は、前述した出来事の他に、天皇陛下のお気持ち表明や、オバマ米大統領の広島訪問、著名人の不倫騒動、人気アイドルグループの解散発表、英国がEU離脱を決めた国民投票などが並んでおり、こういった出来事に対する関心が高かったのだと納得する。ただ、国内で起きたこと、報道される回数が多かったものに偏っており、それが本当の「世相」だったのかと考え始めると、ちょっと違うのではないかと思えてきた。とはいえ、遠い所で起きていることやあまり詳しく報道されないことが意識の中に残りにくいのは、日本人に限ったことではないだろう。おそらくどの国に住む人々も、自分の身の回りの出来事に大きな関心を寄せながら2016年を終えようとしているに違いない。

 

ただ、あまり詳しく知らないということが、知ろうとしない行動へとつながり、無関心を生む可能性については危機感を覚える。

 

たとえば、地中海を渡る途中で死亡した移民・難民の数が今年に入ってから5千人に達し過去最悪の規模となった。11年からこれまでに40万人以上が死亡しているシリア内戦の惨状をツイッターで伝えていた少女が、アレッポから無事避難したことが分かった。また、民族大量虐殺が始まる可能性が懸念されている南スーダンへの武器禁輸決議案が国連安全保障理事会で否決された。

 

ごく最近入ってきたニュースばかりを挙げたが、「今年の漢字」を選ぶ前の段階と状況が大きく変わってはいない。世界全体を見渡すとこの1年は「暴」という文字が如実にその世相を表していると思えてならない。来年の今頃もまた「今年一年の世相を表す漢字」が発表されていることだろう。その頃には「暴」の根源となる出来事により多くの人の目が向いているだろうか。それとも、暴力行為そのものが劇的に減っているのだろうか。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年12月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第34回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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ドラマで時代の空気切り取る テレビ復権につながるのか

 

ドラマが不調と言われる中、TBS『逃げるは恥だが役に立つ』は異例の高視聴率を取った。エンディングの「恋ダンス」も流行し、ついにはケネディ米国駐日大使まで踊る様子を動画サイトに投稿している。

 

高視聴率の理由はなにか。1年前のNHK紅白歌合戦で歌って踊る姿の躍動感に一瞬でとりこになった私としては、NHK大河ドラマ『真田丸』の徳川秀忠とは全く違った演技を見せた星野源が一番の要因だと思いたい。だが、やはり新垣結衣の魅力や初々しさは何より大きい。そしてもうひとつ、ドラマ全般にわたり視聴者に強く訴えかけ共感させる要素が随所に盛り込まれていたことも成功の秘訣(ひけつ)だったのではないだろうか。

 

35歳まで恋を知らない男性が主人公だが、今の若い男性は「草食系」と呼ばれるように恋に奥手な人が多いとされている。一方、最近はさまざまなことに女性の方が積極的で、恋愛に関しても一昔前のように男性からのアプローチを待たず女性側が自分の気持ちを率直に伝えるようなところが、ドラマと現実がシンクロしているのではないか。

 

また、ヒロインのセリフも面白い。先週などは、ボランティアで彼女をこき使おうとした商店街の若い経営者らに対して、「人の善意につけこんで労働力をタダで使おうとする。それは、やりがいの搾取です!」とタンカを切るシーンがあった。笑う半面、「なるほど」と思わざるを得ないものもあった。大学を卒業して就職したのにすぐに辞める学生を筆者は何人も見てきたし、相談にも乗った。ひどい会社になると「試用期間」という名目でこき使うだけ使って、正社員になれるかどうかの見込みもないものすらあった。そんな会社が新入社員に言いがちなセリフが「やりがいがある」「頑張れば報われる」だ。だが実際は社員を大切にしようとしないそんな企業は、まさに「やりがいの搾取」をしているといえる。

 

また、『逃げ恥』のヒロインは、なんでも先回りして理屈っぽく言い抜けてしまう自身の性格を「小賢(こざか)しい」と卑下して苦悩する。その彼女の姿には、従来の日本の女性らしさが依然として求められている現状への皮肉も感じられる。また、「小賢しく」していなければ生き抜いていけないのが今の社会でもあり、ある意味、社会への当てつけかもしれない。だが、最終回で夫から「小賢しいなんて思ったこと、一度もありません」という言葉をもらった妻が、夫に思わず抱きつくシーンについては番組終了直後からSNSに「感動した」などの言葉が飛び交った。

 

軽やかなタッチながら、この時代の「空気」を鮮やかに切り取った『逃げ恥』。こんな切れ味鋭い番組が続けて生まれるようになれば、テレビ復権もあるのかもしれないし、メディアの世界で働くことを強く願う教え子たちにも明るい未来が訪れるのだろう。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年12月15日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第33回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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研究者つぶしか英断か 関西大学が軍事関連研究を禁止

 

関西大学は、防衛装備庁が防衛装備品に応用できる研究を公募して資金提供する「安全保障技術研究推進制度」について、学内の研究者が申請することを禁止する方針を決めたという報道を見た。このニュースを見た私には一瞬迷いが生じた。

 

まだごく数年前からとはいえ研究者の道に進んだ私は、勤務先の大学の内や外で文系・理系問わず多くの研究者たちと出会い、彼らが極めるべきと信じた分野を突き進もうとする熱意にじかに触れてきた。その道を恣意(しい)的に閉ざしていいのかというのが、迷いの理由のひとつである。でも、その一方で、人を殺すことにつながりうる可能性は少しでもつぶしておくべきであり、それを決めた今回の方針は「英断」だと考える気持ちも強くあった。

 

安全保障技術研究推進制度は2015年度に開始されたもので、防衛省では「装備品への適用面から着目される大学、独立行政法人の研究機関や企業等における独創的な研究を発掘し、将来有望な研究を育成する」ことを目的としているという。また、「防衛省が行う研究開発フェーズで活用することに加え、デュアルユースとして、委託先を通じて民生分野で活用されることを期待して」もいるとしている。

 

そもそも軍事関連の研究においては一般的に、新たな素材の開発や効率的な通信方式など軍事とは直接関係のないものも研究対象とされている。実際に安全保障技術研究推進制度で2016年度に採択された研究課題もそういったものが多く、新型のミサイルや爆弾を研究しているわけではない。軍事関連の研究からは、日本に限らず世界各国で新しい科学技術や高性能な民生品が生まれ人々の生活や社会に多大な貢献をしたことは否めない。たとえば私たちの日常生活に今や欠かせないものとなっているインターネットだって、元はと言えば軍事関連の研究から生まれてきたものなのだ。

 

しかしその一方で、軍事関連の研究が兵器や装備の充実に一役買い、結果として戦争の道具になってきたことは無視できない。戦争とはとどのつまり、人を殺すことである。研究者は新素材の開発などの研究に携わっているつもりでも、結果として人殺しに一役買うことになる。

 

世界に紛争が絶えないのは悲しい現実である。だからこそ流れを軍縮に持っていかなければならない。そう考えると、人殺しにつながる研究は芽のうちからつぶさなければならないことになる。やはり、関西大学の今般の判断は、研究者がそんな人殺しの“道具”に使われることを高い倫理観から意識し拒否したものであり、英断と断じざるを得ない。

 

研究者たちの熱意を肌で日々感じている私としては、人類が平和裏に恒久的に繁栄する方向に向けて、研究者の熱意が損なわれることなく英知が生かされることを願わずにはいられない。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)