金井啓子ブログ

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2015年2月23日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第235回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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「わからない」言える記者 情報の信頼性高める道筋

 自分が知らないことを「わかりません」と言うのは難しい。認めてしまえば相手に弱みをさらけだしてしまう気がするからだろう。だが、知ったかぶりのまま進むことほど怖いものはない。特に正確な情報伝達を使命とする記者ならなおさらだ。

 筆者も記者時代に取材先の話が理解できないことがあった。だが、「そんなことも知らないのか」とあきれられることが怖くて何も言い出せないままインタビューが終わり、いざ記事を書く段になって慌てて調べ直したりした。そんな失敗を繰り返すうちに、恥をしのんで「わかりません」と少しずつ言えるようになってきた。

 そういう苦い思い出をたどりつつ、ジャーナリズムに関する筆者の講義で、「記者はわからないと言える能力が必要」と話した。すると、学生たちから「記者というのはなんでも知ってる人たちだと思っていた」という声が上がった。一方で、「自分もわからないことはわからないと言ってみようと思う」と語る学生も出てきた。

 知人とこの話をした。彼は仕事柄、新聞記者に取材される機会が多いらしく、「わからないと言えない記者っていますよねえ」としみじみ漏らした。知人が何かを説明しようとすると、ある記者は「それはもうわかっていますから結構です」とさえぎり、自分が聞きたいことを尋ねる。しかも時間などおかまいなく何度も電話をかけてくる。完成した記事を見ると誤解した内容になっていて、それを指摘するとしばらく音信不通になる。その繰り返しなのだという。この記者は極端な例かもしれないが、「わからないと言えない記者」がこの人だけとは思えない。近ごろ知人は、文字で書いたコメントを渡すようにしているのだという。記者への信頼に関して諦めムードを漂わせる知人の口ぶりになんだか悲しくなった。

 記者は自分が発する情報の正確さが生命線である。マスコミへの不信感が増大する昨今、自らのクビを絞めることがないよう記者も正直になるべきだろう。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年2月16日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第234回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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殺害画像見せる意義とは 荘厳な死が晒される屈辱

 いわゆる「イスラム国」に拘束された日本人やヨルダン軍パイロットを殺害した際の画像がネット上に公開された。だが筆者はどれも見ていない。ジャーナリズムの研究者である以上見たほうがいいのかという迷いもあるが、見ることができない。見てしまうと自分の心が壊れるかもしれないと恐れる気持ちが半分。残り半分は「死」に対する捉え方にある。「死」とは「生」と同様に最も荘厳な瞬間であり、人の好悪や興味に、ましてや公衆の面前に晒(さら)されるものではないと考えるからである。

 メディアの中でもこの画像をどう扱うかが問題となっている。たとえば米国では、フォックスニュースはサイトに公開し、「残虐さを自分たちで判断してもらう選択肢を読者に与えることの方が、ビデオの生々しい内容への懸念より重要だと判断した」との見解を示した。一方、CNNは「プロバガンダである画像」を放映して得られるものは何もないとして公開しない判断をした。

 ところで、国内のいくつかの小中学校で遺体の画像を生徒に見せたことが明らかになった。名古屋市の小学校では「どこまで真実を報道することがよいか」を議論させたらしい。また、栃木県では「時事ニュースに関心を持ってもらいたかった」、三重県では「国際情勢に関心を持ってもらいたかった」として、中学教諭が画像を見せたという。

 授業の中で似たようなテーマに取り組んでいる筆者としては、こうした同業者たちの意欲的な姿勢は評価したい。だが、その方法はあまりに稚拙だろう。画像を強制的に見せたわけではなさそうだが、何を見せられるのか十分に理解していなかった子どももいたはずだ。そう思うとそのショックは計り知れないのではないか。また、「イスラム国」があえてこうした画像を公開する意図も深く考えなければ、その術中にはまりかねない。授業の教材や内容を検討するにあたってはよほど慎重でなければならないと、自戒をこめて考えているところだ。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年2月10日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第233回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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「いい子」な報道機関 危険地の取材やめるべきか

 いわゆる「イスラム国」による後藤健二さん殺害を受けて、ジャーナリストは危険をおかしてまで紛争地に行くべきなのかという議論が起きている。だが、紛争地の取材をやめてしまえば戦争の実態は誰にもわからない。知っても政府発表のうわべだけの情報だろう。

 安倍首相は先月、中東における難民支援などのための2億ドル提供を表明した。言うまでもなくこれはわれわれの税金である。日本人としてこうした人道的な支援を行うことに異論はない。だが、より大切なことは、なぜ戦争が起こるのか、なぜ難民が生まれるのか、その背景を探ることではないのか。それを探ることがジャーナリストの仕事なのだ。

 ただし、「危ないところに行くのはやめた方がいい」という考えを一般の人が持ち、それを表明するのはかまわないと筆者は思っている。思想や表現の自由は尊重されるべきだからだ。

 それよりも筆者が気になるのは、一部の報道関係者の中に危険な場所での取材を続ける報道関係者を非難し排除しようとする気配が漂っていることだ。1991年6月に雲仙普賢岳が噴火し災害が発生した際、あるフリー記者が規制線を越えて危険地域に入ってルポを発表。その記事を読んだ大手メディアの記者が警察に密告するという出来事があった。「あそこは危ないから行かないほうがいいと政府が言っているのだから、みんな取材をやめなければならない」という言葉は、もっともらしく聞こえる。だが雲仙普賢岳の災害では、危険地帯から追い出された住民は自宅や畑の様子を切実に知りたかった。住民だけでなく国民も災害の本当の実態を知りたかったはずだ。だが、この大手メディアの記者は国民から知る権利を奪う行為に出た。あくまでも警察や政府に褒められる「いい子」な報道機関でありたかったようだ。

 本当のジャーナリズムは、国民の生活をつかさどる政府を監視し、国民が不利益を被りそうならばそれを報道するというのが、あるべき姿だろう。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年2月2日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第232回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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「イクメン」が消える日 子が育つ姿を男性にも

 中学時代の同級生が今年の年賀状に「まもなくおばあちゃんになります」と書いていた。娘が春に出産するらしい。同い年のおばあちゃんが誕生する時がいつか来ると思っていたが、予想よりやや早かった。保育の仕事に就く友人のこと、きっと孫の面倒も優しく見るだろう。

 さて、最近50代や60代の男性数人と食事をした。その中の60代半ばの2人はここ数年でおじいちゃんになったそうで、「孫がかわいくて仕方ない」と言う。最初は「そうか、ジジバカなのねえ」とほほえましく聞いていた。自分の孫は「責任がない分かわいい」だとか「自分の子どもが幼かった頃を思い出して懐かしい」と耳にすることもある。

 だが、その2人の「ジジバカ」はそんな理由ではないらしい。彼らが若い頃は仕事に忙し過ぎて子育ては妻に任せきり。自分の子どもがどう育ったのか全く知らなかったため、いま孫が育つのを見てかわいくてならないのだそうだ。親として経験するはずだった大切なものを、時間に余裕ができたいま取り戻しているのかもしれない。

 生きていれば70代後半だった筆者の父も若い頃は、仕事からの帰りが遅いことが多かった。筆者が幼い頃の思い出を両親と話す時、母はすぐに何でも思い出してくれたが、父は子ども時代の筆者について知らないことが時にあった。高度成長時代の「日本の父親」はそんなものだったのだろうか。

 筆者と同世代の友人で父親となった人たちを見ていると、子どもたちとの時間は明らかに増えた。彼らも仕事に忙しいが、時間を見つけては家族と過ごそうと努めているようだ。

 男子学生たちに30歳ごろの自分の姿を予想させたところ、多くが「結婚して子どもがいる」姿を中心に思い描いていた。男性が子育てに加わることは、女性の助けとなるだけではない。男性にとっても子どもが育つ姿を見る喜びは大きいはずだ。男性が自然に育児に関われて、「イクメン」という言葉がことさらに使われずに済む社会が待ち遠しい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年1月26日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第231回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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ハード面充実でおもてなし トイレと網棚に悩む外国人


 「ジャパニーズトイレット」と渋い顔でつぶやいて、外国人女性が筆者のそばを歩いて行った。先日信州で乗った特急列車での出来事である。彼女は英語を話す白人女性3人連れの1人だった。

 車両の隅にあるトイレに行ったが和式便器であったために用を足さずに座席まで戻ってきた時の会話を、筆者は耳にしたのだった。そのまま別の車両のトイレに行った彼女がしばらくして戻ってきたが、洋式便器があったのかそれとも我慢して和式を使用したのかは確認できなかった。

 彼女たちはまた、非常に大きなスーツケースをおのおのが持っていた。網棚には載せられない大きさだし、車両の隅にある小さな荷物置き場は他の客の荷物でいっぱいになっていた。やむなく二つ先の車両にある荷物置き場にスーツケースを置いてくる結果になった。

 そういえば2002年に日韓共催サッカーW杯の取材で来日した各国のカメラマンが、新幹線を極度に嫌がっていたことを思い出した。カメラマンたちが持ち運ぶ撮影機材はとにかく大きくて重い。にもかかわらず、新幹線の荷物置き場があまりにお粗末だと嘆いているわけだった。だから、どんな短い距離であっても新幹線ではなくなんとかして飛行機に乗りたがるカメラマンたちが多かった。

 普段日本の新幹線や在来線の特急を利用している多くの日本人にとって、巨大な荷物を運ぶことはほとんどなく、網棚だけで事足りる。また外国人観光客でも団体でバス移動ならばあまり問題ない。だが、個人旅行をしたい外国人には設備が足りない。

 外国人観光客は近頃増えているし、これからもまだまだ増えるだろう。日本政府としても東京五輪を5年後に控えてより多くの外国人にわが国を訪れてほしいと願っているはずだ。大きな施設を整えることも、こまやかな心遣いができるハートを培うことも大切である。だが、実際に日本を訪れる外国人にとって不便が少なくなるよう、ハード面での小さな「おもてなし」の準備にも期待したい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年1月19日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第230回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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無言で見守るネットの観衆 言葉を野に放つ重み
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/150119/20150119055.html

 年末年始は、しばらく会っていなかった友人たちと久々に顔を合わせたり年賀状をやりとりして旧交を温める機会が多かった。すると、すっかりご無沙汰だと思っていた人たちから筆者の近況を知っていると言われることが何度かあった。SNSやブログ、コラムに筆者が書いた内容を読んでいたからだそうだ。

 フェイスブックやツイッターには、コメントを書き込んだり「イイね」を押す機能がある。だから、そういう機能を頻繁に使用する友人や知人だけが自分の書いたものを読んでいると錯覚しがちだった。だが、もちろんそうではない。ひっそり黙って読んでいる人が実は多いということをあらためて実感した。驚いたし、「声をかけてくれてもいいのに」と思ったが、黙って読んでいることが悪いわけではもちろんない。ネットとはそういうもの、つまり一度ネット上に載せたならば誰の目にも触れるものと覚悟を決めなければならないのだ。SNSなどには自分が書いた内容を公開する範囲を制限する機能がついているが、基本的にこういう機能が自分を守ってくれるとは筆者は思っていない。

 しかし、ネットを身近なものとして育ってきた若者たちを見ていると、あまりの無防備さに時に驚く。社名は出さないまでも自分の職場の悪口をはっきりと書く、法律違反すれすれか悪くすると違法なことをやって喜々として報告する、周囲の人間に関する不満を並べる。匿名ならバレないと思うのだろうが身元特定は可能だそうだ。いくら「友達限定」にしたり「鍵」をかけても、周囲の誰かがコピーをして外の世界に流出させることがありうる。

 ネットの世界に書き込む作業は、誰もいない広場で大声で叫んでいるけれど実は広場には無数の監視カメラが仕掛けられているようなもの、というイメージを筆者は持っている。いったん野に放った言葉は多くの無言の観衆たちに見られている。だから、時に第三者からの批判や苦情が来ることも覚悟しなければならない。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年1月12日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第229回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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暴力に寛容な日本への変容 仏紙襲撃で襲撃者擁護も
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/150112/20150112049.html


 筆者は、世界中に支局を持つロイターに勤務していた。東京、大阪、ロンドンの勤務地で出会った同僚は数多い。また、サミットやG7などの国際会議の場で、日本政府代表を取材していた筆者と同様に、各国代表を取材するためにそれぞれの支局から来た同僚とも一緒に働いた。そんな彼らとのつながりを強く意識するのが、ジャーナリズムが危機にさらされる時である。

 仏週刊紙の襲撃事件が発生した直後から、ロイターまたは他の報道機関で働いていたり、既にジャーナリズムの世界から足を洗った元同僚たちの多くが、ネット上で事件を非難する声を上げた。新聞の内容が気に入らないからと暴力で封殺してしまえば、言論の自由、報道の自由が奪われるという、大きな危機感を抱えているからだろう。筆者も同じ気持ちである。

 ひるがえって日本はどうか。テレビや新聞紙面では大きく報じられた。だが、こんな大きな事件が起きた時ににぎわうネットの世界が予想外に静かで驚いた。対岸の火事ではないはずなのだが、遠い話と感じて無関心なのだろうか。

 もう一つ驚いたのが、週刊紙側を非難する論調が見受けられたことだ。つまり、宗教を風刺した新聞が悪いのであって攻撃されてもやむを得ないという考え方である。中には、この新聞の内容がヘイトスピーチと同じだととらえる発言まであって、心底驚いた。ここまで来ると無知は害悪でしかない。現在日本でも話題になっているヘイトスピーチは、相手側に死を迫ったり物理的な暴力をほのめかす内容であり、皮肉を利かせたこの新聞の内容とは全くレベルが違う。

 しかしながら、こういった認識が現在の日本の「空気」を体現しているのかもしれない。つまり、自分が気に入らない行動・言動を取る相手に対しては、暴力で封じ込めればいいと考える人が増えているのではないか。だが、相手を暴力で倒そうとする人は、いつか自分も暴力によって倒される。そう戒めておくべきではないだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2014年12月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第227回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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バイトへの不気味な忠誠心 仕事と生活の調和は来るのか
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/141229/20141229033.html

 今年もあと数日。忘年会シーズンも終わろうとしている。筆者も普段からよく会っている人たちやご無沙汰の知人たちとの時間を楽しんだ。

 その中に学生たちとの忘年会もいくつかあった。学生全員の都合が合う日を見つけるのは難しく、何人かは欠席となった。いろいろな用事があったようだが、中でも目立ったのが「アルバイトを休めないから」という理由だった。

 実は忘年会に限らずこんなケースは多い。アルバイトの予定が決まらない限り、それ以外の計画がなかなか進められない。シフト制をとっているところだと、雇用者側から「この日時に働け」と指定されたら拒否できないらしく、何をするにしても「まずはアルバイトのシフトが決まってから」と言うのだ。要するに彼らの生活のすべてにアルバイトが優先すると言っても過言ではない。

 アルバイトとはいえ、きちんと休まず働こうとする姿勢は評価したい。だが、授業には平気で遅れたり休んだり、出席しても眠っている学生が多いのに、アルバイトにだけはやたらと「忠誠心」を示すのは何か不気味さを感じる。ある時など、就職活動の大切な面接とアルバイトのシフトが重なった学生が、「アルバイトの代わりを見つけるのは難しいと思うから、面接を断ります」と言い出して、筆者が驚愕(きょうがく)しつつ激怒したことがあった。結局その学生はアルバイト先に事情を話して面接に行った。このような姿勢は、「断ればクビになる」ことが根底にあることはもちろん間違いない。

 さて、今は学生生活の一部として行うアルバイトだが、いざ社会に出て働くことが生活の中心となった時に、どんな働き方をするのだろうか。非正規雇用の多さが問題となっている現在、絶えず失業におびえながら雇用者側の言うなりに働く姿は想像に難くない。たとえ運良く正社員になれたとしても、自分の時間を大切にした働き方がどれほどできるのか不安を感じる。仕事と生活の調和が実現する社会はいつ訪れるのだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2014年12月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第226回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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今のシューカツは最適か 離職率下げ自立した大人に
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/141222/20141222032.html

 卒論を終えてほっとした表情の大学4年生たちと対照的に、3年生たちがそわそわし始めている。彼らの代から就職活動の解禁がこれまでより3カ月遅れることが影響しているようだ。

 今回の措置は、政府が主要な経済団体に対して採用広報開始を3年生の3月とするよう要請したことを受けたもの。こういった協定は長く存在しているがたびたび変更されている。つまり、いったん決めてもほとんど守られない「紳士」協定だからだろう。

 さて、今回はどうなるのだろうか。これまで3年生の夏に提供されることが多かったインターンシップが冬から春にかけても行われるようになり、今はその情報収集や応募にいそしむ学生がいる一方で、「出遅れるのでは」「どんな準備をすればよいのか」と不安にさいなまれる者たちもいる。

 たった48カ月しかない大学生活の相当長い期間を就職活動に割くことに対する異論は、昔から叫ばれてきた。今こそあらためて、こんな職探しの方法がこの時代の若者と企業に最適なのか考え直せないだろうか。

 単位をきちんと取得して大学を卒業することを採用の条件にしていながら採用活動によって授業の邪魔をする企業にも腹が立てば、当然の権利のように「シューカツだから授業休みます」と学生に平然と言われることにもウンザリ、授業に出ていても上の空の学生には落胆、というホンネは取りあえずおいておく。

 大卒の3年後離職率が約3割と高い状況が続いている。せっかく学生時代の貴重な時間を割いて就職しても、3人に1人は3年以内に辞めてしまうのだ。5月に当コラムでも書いたように、学生時代にみんな一斉に走りだして卒業までになんでもいいからと内定を取ろうとすれば、「ババ」をつかむ可能性も高まる。それならば、まずは学生生活を全うして卒業した後に、じっくりと腰を落ち着けて職探しをしたほうが、早期の退職も防げるはずであり、経済的にも精神的にも自立した大人になれるのではないだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)

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2014年12月15日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第225回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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海外経験で国家を裏切るか 新法が招く暗黒時代
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/141215/20141215052.html

 「希代の悪法」と1年前の当コラムで書いた特定秘密保護法が、選挙のドサクサにまぎれて施行された。後世に振り返って、12月10日が暗い時代へ転落していく大きな転換点だったと悔やむことになると危惧する気持ちは変わらない。

 時の権力者が恣意(しい)的に拡大解釈できる同法には、危うさしか感じない。特に政府が気に入らない内容を報じた報道機関がつぶされる可能性には、身の毛がよだつ思いである。

 さらに、施行直前に飛び込んできたニュースにも耳を疑った。同法の制定過程で、所管の内閣情報調査室が、海外で学んだり働いた経験があると国家機密を漏らす恐れが高まるという考えを関係省庁に示し、学歴や職歴の調査が必要と強調していたことが、政府文書で明らかになったのである。国内の外国人学校で教育を受けた経験、外国企業での勤務経験も挙げられており、「外国への特別な感情を醸成させる契機となる」「外国から働き掛けを受け、感化されやすい。外国の利益を優先し、秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」としている。

 筆者は海外の学校で学び、海外で働いたこともある。そして前職の勤務先は外資系企業だった。筆者の周囲にはそういう経歴を持つ人が多い。だが、そういう彼らとそうではない人を比べて、前者が国家に反逆する確率が高いと感じたことは一度もない。多様な価値観に触れた上で日本を深く愛し、日本を客観的に見る能力も有している。これは筆者のような一般人であろうが、国家機密に触れる可能性が高い公務員であろうが、異なるとは思えない。

 憂慮すべきは、こんな画一的なモノの見方しかできない人間が、これほど重要な法律の制定に関わったということだろう。偏狭な「ナショナリズム」こそが国家をむしばむという好例である。海外につながりがある人間を「差別」しようとするこの動き、今回は政府文書で明らかになった。だが、今後は悪法のせいでこれもまた「秘密」とされてしまうのだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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