金井啓子ブログ

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このたび私の初めての著書をようやく出版できる運びとなりました。

コラムで学ぶジャーナリズム グローバル時代のメディアリテラシー』(ナカニシヤ出版)というタイトルです。

「社会で必ず役に立つ、記者の“物の見方"を伝授! 大学で後進を育てる元ロイター記者によるジャーナリズム論に、大阪からの視点が新鮮なコラムと、記者志望者に贈る14のアドバイスをあわせた一冊」という宣伝文句は、編集者のかたが考えてくださいました。

この一節に全てが凝縮されていますが、記者志望の方々や研究者でなくても、楽しみつつ読んでちょっぴり役に立てて頂けるような内容です。地元の大阪日日新聞に5年間書いている週刊コラム『金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ』250本余りのうち約100本を収録した上で加筆してありますし、文章も柔らかめです。

書店に並ぶのはおそらく9月に入ってからですが、Amazonでは既に予約受付中となっています。


できるだけ多くの皆様がお手に取ってくださることを心より願っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。唐突な宣伝、失礼いたしました。
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2015年8月17日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第260回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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酷暑の五輪を見直せないか 選手の体調優先の運営を

 高校生のころ、筆者は女剣士だった。と言うととてつもなく強そうだが、残念ながら万年補欠。大会ではもっぱら大声で応援する係だった。それでもいまだに剣道部の同期の仲間たちとは頻繁に顔を合わせるほど仲が良い。

 そのつながりの濃さは、単に気が合うからだけではなく、あの厳しい練習を乗り切ったからという経験の共有によるところが大きいだろう。放課後に行う日常の練習に加えて、冬は寒稽古、夏は合宿で、先生や先輩たちから鍛えられた。その過酷とも言える練習のおかげで、下手は下手なりに技術を磨くことができた。

 その厳しさの中でも群を抜いてつらかったのが、夏の暑さだった。当時は自由に水分を取ることが許されていなかった。夏合宿の際には休み時間にスポーツドリンクで水分補給できたが、それがない放課後の通常の練習では、水道で顔を洗うふりをして口に水を流し込んだりしていた。今は水分補給に関してはだいぶ考え方が変わったようで、本当によかったと思う。

 ところで、夏の高校野球もいよいよ大詰めである。この夏も手に汗握る熱戦をテレビの前で応援している。以前は地方大会や甲子園の試合を現場で見たりもした。そこで気になるのがこの暑さだ。スポーツも何もせず、ただ外に出て歩いているだけでもぐったりするほどの猛暑の中で、彼らはプレーを続けている。いくら水分を補給しながらとはいえ、身体への影響はそろそろ限界に近づいているのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、5年後の夏に予定されている東京五輪のことも気になってくる。世間では国立競技場の成り行きが大きな注目を集めているが、筆者は開催時期の方が気になってならない。

 適切な温度に保たれた屋内で行える競技はいいだろう。だが、マラソンなどは間違いなく屋外で行われる。冬に開催されているマラソンですら、選手たちが汗を流していることを考えれば、酷暑の東京で屋外を走るのは狂気の沙汰とさえ言える。

 高い技術を持った選手たちが行うスポーツを観戦することは、とても楽しい。時には大きな感動すら与えてくれる。その喜びを生み出す主役の選手たちの環境をもっと整えることが、われわれ観覧者に与えられた義務と言ったら言い過ぎだろうか。暑さを「がんばって乗り切る」などといった精神論に頼ることなく、水分を取ることを推奨するようになった時と同様に、科学的な根拠に基づいて環境を整備することが、今後のスポーツ発展にも結びつくだろう。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年8月10日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第259回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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「背浮き」覚えて水辺へ 水難事故は「浮いて待て」

 毎日本当に暑い。こんな日は海や川で泳ぎたくなる。今年の夏、筆者は既に京都の上林川や高知の四万十川で泳いだ。しばらく水につかっていると身体が冷えてきてしびれるほど。一瞬だが暑さを忘れさせてくれる。

 ただ、“日本最後の清流”とも呼ばれる四万十川だが、地元の人によると以前に比べると随分水質が落ちてきつつあるそうだ。同行した友人は30年ぐらい前に泳いだらしいが、透明度が違うと話していた。生活排水の問題などが影響しているのだろうか。

 昨年は三重の銚子川でも泳いだ。初めてシュノーケリングをした時に、まるでプールの中でアユやウグイ、チチブ、手長エビと一緒に泳いでいるような気分になって驚いた。ここは今もまだそれほど透明度が高い。こういう川が日本各地に少しでも多くこれからも残ってほしいと願っている。

 さて、水辺で遊ぶ際の危険性については、これまでも当コラムで何度か触れてきた。繰り返しになるが、水のそばに近づく時は救命胴衣の着用を、特に小さい子には欠かさないでほしい。また、水辺で飲酒したら水には決して入らないこと。子どもが水で遊ぶかたわらで飲酒すると、いざ子どもを助けようとした時に大人の方が遭難する危険性があることを頭に入れておきたい。

 ただ、いろいろと気をつけていても「万が一」は突然やってくる。警察庁によると昨年1年間で水難事故にあった約1500人のうち半数近くが死亡。水難事故にあう時は洋服を着たまま水に落ちるケースが多いそうだ。J:COMチャンネルのニュース番組『関西TODAY』では、折よく筆者が出演する水曜日の特集コーナーで神戸海上保安部に取材して、そんな時の対応方法を教えてくれた。

 それが「着衣水泳」である。これはひとつの泳法だと誤解されがちだが、服を着たまま水に落ちた場合に身に着けているものの浮力を利用して呼吸を確保しながら救助を待つ方法だ。最近では「着衣水泳」の代わりに「背浮き」という呼び方もするようになっているらしい。具体的には、体温低下と体力消耗を防ぐために泳がず着衣を脱がずただ浮く。アゴを上げて真上を見て呼吸を確保し、手足は「大の字」に広げ、手は横に広げて水面より下、浮力をもたらす靴ははいたままだそうだ。

 異常とも思えるこの暑さ、あとどのぐらい続くのだろうか。たとえひとときでも暑さを忘れるために水に入る時は、水難事故で助かるための合言葉「浮いて待て」を忘れないようにしたい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年8月3日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第258回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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今に適した“大阪万博”とは 「夢よもう一度」を脱して

 万博といえば1970年に開かれた「大阪万博」が思い出される。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた大阪万博には、世界各国から6400万人以上が来場した。まだ幼かった筆者は行けなかったが、足しげく通ったという知人たちに話を聞くと、見るもの聞くものすべてが新鮮で、日本の科学技術と社会の未来に明るい光を見いだしたという。

 当時の日本は高度成長期の真っただ中とはいえ、通信や交通の利便性は今より随分劣っていた。もちろん個人が使うパソコンや携帯電話などSF映画か小説の中でしか存在せず、海外旅行も今ほど気楽に行ける時代ではなかった。しかし、それら近未来の製品の到来を予感させる展示があったり、外国人が目の前を歩いていたり、あるいはアポロ11号が月から持ち帰った石が見られたりと、モノと情報が少ない時代だけに来場者の驚きと感動はかなりのものだったようだ。

 さて、あれから45年が経過した現在、大阪でもう一度万博を開こうと大阪府が検討していると聞く。時期は10年後の2025年。舞洲や服部緑地、りんくうタウンなど府内で6カ所が候補地として挙がっているという。

 しかし、大阪府の意気込みとは裏腹に、肝心のパビリオンを出す側の企業が乗り気ではない。府の検討会が実施したアンケートでは、回答した府内の企業111社のうち「参加したい」「どちらかといえば参加したい」は計18%しかなく、残りは様子見か参加の意思なしだったらしい。

 それも仕方がない。日本は経済成長期から安定期を過ぎ、これからは人口の減少や消費の停滞などが無視できない。経済や市場規模についても今後は衰退、縮小へと向かうと言われている。その中で「夢よもう一度」とばかり70年代の大阪万博の再来を期待する方がどだい無理な話だろう。

 候補地に挙がった服部緑地や鶴見緑地にしても、緑が少ない大阪にあって庶民の憩いの場なのである。わずか半年ばかりの開催期間のためにそこを掘り起こし、コンクリートで固めてしまうのは自然との共存が叫ばれる昨今の風潮とはそぐわない。東京五輪に続いて大阪の沈滞ムードを万博で吹き飛ばすという発想も分からぬではないが、しょせんは一発花火。その余波が継続するかも不明である。

 とは言いつつ、筆者も万博を全て否定するわけではない。けれど、それが企業パビリオンや遊園地、世界のグルメだけで果たしていいのか、今の時代にふさわしい博覧会とは何かをいま一度考え直してもらいたいのだ。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年7月27日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第257回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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自民のねじれと大阪市長選 地元を知る候補者立つか

 いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票から2カ月余りが過ぎた。大阪を二分する激しい戦いは、大阪維新の会に対して、その他の全党派という構図だったのだが、状況を複雑にしていたのが自民党の中の“ねじれ”だった。ねじれとは、国政レベルでは憲法改正などをめぐって維新の党の協力を得たい自民党本部、特に官邸が維新と対立していた大阪の自民にちゃちゃを入れたことを指す。

 さて、そのねじれが今年後半に向けてまたもや大阪に影響を及ぼす可能性が出てきた。

 大阪では、11月22日に大阪府知事・大阪市長のダブル選挙が行われる予定となっている。最近になって一部の新聞で、自民党大阪市議団の柳本顕幹事長が市長選の有力な候補として浮上したと報道された。だが、自民党本部は「維新からも支持される人物を」と念を押したらしいのだ。柳本氏と言えば、住民投票で大阪都構想反対の論陣の旗頭のような存在として、広く知られるようになった人物である。維新との対立イメージは、おそらく今も市民の間で強いはずだ。その柳本氏が党本部の“おめがね”にかなうのだろうか。

 もし仮に党本部が、柳本氏を推したいという地元の意思を無視して、別の人物を候補として推薦なり公認なりをしてきた場合、その候補が大阪という町をきちんと治めていける保証はあるのだろうか。

 このコラムでも既に書いたとおり、筆者は自民党大阪市議団からの委託研究を行っている。住民投票に関する聞き取り調査を筆者のゼミの学生たちが行い、最終的に筆者が報告書を監修するという作業に携わっているのだ。その作業の中で、柳本幹事長と直接お目にかかって話を伺う機会を何度か得た。大阪市内で生まれ育った彼は、当然のことながら大阪を取り巻く環境には造詣が深い。また、愛着もひときわ強いようで、低迷が続く大阪の町をなんとかしたいという思いが言葉のはしばしにあふれ出るような人物である。

 さて、ここまで持ち上げておいておかしいと思われるかもしれないが、筆者としては、柳本氏が何がなんでも市長にならねばならないと思っているわけではない。乱暴な言い方だが、とにかく大阪のことをよく知っている人物ならば誰でもいいのである。逆に言えば、大阪のことを知りもせず愛着もないような人が、単に党本部の意向のみを受けて“落下傘”として送り込まれることだけは避けてほしい。

 選挙まであと約4カ月。大阪の人々の方向を向いている市長の誕生が待たれる。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年7月20日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第256回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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安保法案で広がる学生運動 おとなしい若者の導火線に火

 集団的自衛権を柱に据えた安保関連法案が衆院を通過した。法案は参院に送られ、おそらく最終的には可決、成立すると思われる。

 集団的自衛権は憲法9条の規定から、これまで歴代の内閣法制局からも「憲法違反」とされてきた。国内の多くの憲法学者も同じく「憲法違反」と断じ、各紙の世論調査でも「反対」が「賛成」を大きく上回っている状況だ。

 15日の衆院平和安全法制特別委員会で自民、公明によって強行採決され、16日の本会議でも可決させた理由について、与党は「審議時間が110時間を超え、論点は出尽くした」からと説明する。だが、この法案は議論を重ねれば重ねるほど矛盾が山のように現れ、とても納得できる内容にはなっていない。米軍などの後方支援とはいえ、時の内閣の勝手な判断で自衛隊を海外の紛争地に派兵すれば、戦闘に巻き込まれる可能性は決して小さくないだろう。憲法の改正があればまだしも、政府の思惑だけで将棋の駒のように使われる自衛隊員もこれでは浮かばれまい。

 さて、今回の法案可決は安倍内閣と与党の強引さをあらためて世間に知らしめたが、これまでとは違う動きも現れた。学生運動である。「SEALDs」(シールズ)という学生グループが自然発生的に現れ、安倍内閣の動きに「NO」を突きつけている。

 学生たちは連日のように国会前で「憲法守れ!」「戦争など望んでいません」といったプラカードを持って抗議活動を続け、梅田のヨドバシカメラ前でも大勢の群衆の前で街宣行動を行っていた。その数は日を追って増え、国会前では常に万単位の学生らが集っているという。

 60年や70年の安保闘争では学生たちが反対運動の担い手だったが、時代の流れとともに学生たちは牙を抜かれおとなしくなった。今の大人も、現代の学生たちは新聞も読まず社会問題にも関心がないという先入観を持っているのではないか。

 だが、今回の安保関連法案だけは、おとなしいはずの学生らの怒りの導火線に火をつけたようだ。それもそうだろう。法案が成立し日本が“戦争国家”になれば、苦労を押しつけられるのは彼ら若い学生たちだからだ。この新世代の学生運動に共感する国会議員や学者なども増え続け、東京や名古屋、大阪の都市部だけでなく全国的な広がりも見せている。

 「今の学生はおとなしすぎる」と勘違いしていたのは私たち大人だが、「若者には人気がある」とほくそ笑んでいた安倍内閣も手痛い誤算だったことだろう。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年7月14日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第255回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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適切に使われない優先席 廃止して「譲る心遣い」学べ

 ガラガラにすいている電車やバスに乗り込み、一瞬の迷いもなく優先席に座る中学生や高校生に近頃よく遭遇する。そのたびに、バカな中高生が…と舌打ちしたいような気持ちになる。若者は席に座るべきではないと思っているわけではない。席があいていればかまわないのだが、普通の席と優先席のいずれもあいているにもかかわらず、率先して優先席に座ってしまうのでは、何のためにわざわざ設けているのかわからなくなるということだ。

 ただ、よく考えるとバカなのは彼らではない。むしろ問題なのは親の方で、きちんと教えていないから、子どもは社会のルールが守れないだけだろう。親の教育のせいで恥をかく子どもに対しては、バカだとさげすむよりも哀れだという気持ちが強くなってくる。

 ただ、優先席をめぐって困惑するのは、子どもたちの利用ぶりに対してだけではない。これもまたたくさんの席があいている時の話なのだが、年配の人であっても、優先席には座らず普通の席に座ってしまうことがよくある。筆者から見れば「優先席に座ってもおかしくないほどにはお年を召している」と見える人でも、自分としてはそれほど年を取っていないという気持ちなのかもしれない。

 だが、その結果、優先席だけがあいたまま周囲には人が立っているというシーンが生まれたりする。筆者だって優先席に座ることはある。たまたま優先席があいていて、周囲に誰も立っていなければ、ありがたく座らせてもらう。だが、優先席がぽつんとあいていて、周りに人が立っている状態でその席に座るほどの勇気はわかない。そんな時、普通の席に座った年配の人に「頼むから優先席に座ってくれ」とお願いしたくなるような気持ちにもなる。

 ただ、これほど優先席が機能していない情景を何度も見かけると、本当に優先席は必要なのだろうかという疑念が浮かんでくる。むしろこの際、日本中にある電車やバスから全ての優先席を取っ払ってみてはどうだろうか。

 その代わりに、高齢者、身体が不自由な人、妊婦、病気の人には席を譲らなければならないということを、家庭のみならずさまざまな場所で幼い頃からしっかり教えるのだ。実際、幼稚園児らしき集団が電車に乗り込んできて、席があいていても全員足を踏ん張って立っている場面に遭遇したこともあった。知らないからできないだけで、知っていれば、強い立場に立った自分が弱い立場の人に席を譲ることはできるようになるはずだと信じたい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年7月6日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第254回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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言論で”メシを食う”重み 百田・大西発言を考える

 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」

 これは日本国憲法第21条である。筆者が毎週このコラムを書けるのも、表現の自由があるからこそである。

 自民党の国会議員の勉強会で報道機関を圧迫しようとする発言が出たことが注目を集めた。

 大西英男衆院議員は「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」と発言。党から処分された後も、自らの発言が「問題があったとは思いません」とし、「安全保障法制について事実無根の『戦争に導く』という報道をしている一部マスコミを懲らしめなければいけない。いい知恵はありませんかと(講師で作家の百田尚樹氏に)尋ねた」と説明、「誤った報道をするようなマスコミには広告を自粛すべきだと、個人的には思う」とも述べた。

 安保法制が内包するであろう危険性を危惧し批判するのは報道機関として当然の責務ではないか。むろん安保法制の整備で「国が安全に守れる」という考えもあるし、そう報じる報道機関もある。だからといって、自らと異なる考えを持つ者だけを「懲らしめる」という考え方は、憲法を順守すべき国会議員として持つほうがどうかしている。それは言論封殺すると宣言しているに等しいのだ。個人的な見解だとして発言を続けているが、それならばその発言が大きな影響力を持つ議員を辞してから発言してはどうだろうか。ちなみに、自民党は今後どう対応するのか。

 さて、大西議員もひどいが、百田尚樹氏にはもう目も当てられない。同じ勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言。同氏は人気番組の放送作家で、多くのベストセラー小説も生み出した。つまり、言論で“メシを食って”いる人間だ。それが、言論機関である新聞をつぶせという。自分自身の言論が封殺される可能性には想像が及ばないのか。

 今回の問題に対して、日本新聞協会や日本記者クラブが声をあげたことにはやや安堵(あんど)した。普段は安保法制や原発の問題などに関する見解ではかなり足並みが乱れるが、こと報道機関の存続の話となればそんなことは言っていられないのだろう。こういった問題は放置すれば悪い方向にどんどん転がる。筆者も言論で“メシを食う”人間のひとりとして、微力ながら声をあげ続けたい。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年6月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第253回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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住民投票で自民に聞き取り 学生が市議に聞く現場の声

 筆者のゼミでジャーナリズム論を学んでいる3年生たちが、5月に大阪市で実施された住民投票について自民党大阪市議団に聞き取り調査を行うことになった。これは、市議団からの委託を受けたものである。基本的な共通項目を中心に住民投票での活動内容について、議員20人に学生が聞き取り調査を行い、最終的に筆者が監修を行って報告書を自民党大阪市議団に提出する。

 当初この依頼があった段階では、地方自治を専門とするゼミでもないのに調査が可能なのかという不安があった。だが、今般の住民投票はこれまで各地で行われた条例によるものと違い、法律による拘束力を持つ。そういう転換点に立った出来事の歴史的な意義をまとめるというジャーナリスティックな観点からぜひ関わってみたいと考えた。

 市議団の柳本顕幹事長はブログで「この貴重な経験を記録として残さなければならない」と書いている。この思いが今回の依頼につながったようだ。

 わがゼミでは、「実践的な取材活動を通じてジャーナリズム論を学ぶ」ことを旨としている。4年生は、いま社会で起きている出来事の中から伝えるべき重要性があるテーマを選び、テーマに関係する人たちにインタビューして記事を書き卒業制作の作品として提出する。3年生も別の記事の取材、執筆を行う課題が与えられるのだが、その合間に今回の聞き取り調査の依頼が入ってきた。

 ところで、「なぜ他の党ではなく自民党の調査委託を引き受けたのか」という疑問を感じる人もいるだろう。これは「たまたま依頼があったから」ということに尽きる。今後、仮に他党からも同種の依頼があれば引き受けるのにやぶさかではない。もちろん学生たちに十分な時間があって協力を得られるという条件つきだが。仮に依頼がなくても、住民投票を取材テーマとするゼミ生は出てくるかもしれない。

 ちなみに、学生たちには「中立な立場で取材にあたること」を特に強く求めている。今回の住民投票はご存じの通り賛否が拮抗(きっこう)した。学生の中にも賛否いずれかの意見を持っている者がいるだろう。だが、あえてその意見を封印して平板な気持ちで自民市議たちの声に耳を傾けてほしいと学生たちに話した。

 さて、議員という人たちに会うのはほとんど初めてという学生たちが、強い緊張感を抱えながら精いっぱいの準備を重ね、聞き取り調査を始めた。歴史的な出来事の現場に居合わせた議員たちの生の声をどれだけ拾い集められるだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2015年6月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第252回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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18歳の有権者どう育てるか 若者の目が政治に向かう教育

 来夏の参議院選挙から、18歳や19歳の人も投票できる見通しとなった。参院本会議で選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が全会一致で可決、成立したからである。

 これは、若年層の政治参加を目指したものと言われている。だが、政治に対する若者の関心は総じて弱く、国政選挙での20代の投票率も低い。この状態のまま、単に選挙権年齢を引き下げただけで10代の若者の目を政治に向けさせられるのか、どうも疑問がぬぐえない。

 そんなことを考えているうちに、もしかしたら、精神的に未成熟な若者世代の投票人数を増やすことによって有権者をだまくらかして、トンデモない政策を掲げた候補者でも当選できるようにしているのではないか…。そんな妄想が浮かんできてしまった。だが、今のように若年層が政治に無関心なままなら、これを荒唐無稽と笑ってもいられない。

 でも、ただ暗い気分に浸ってばかりもいられない。既に決まったことをひっくり返すのは容易ではないからだ。今回の決定を受け入れて次の手を打たねばならない。その答えは教育だと筆者は思っている。つまり、自分が投票所に足を運ぶことの大切さ、何の政策に対して票を投じているのかを知ることの重要性を、若者に理解させたうえで選挙権を与えるべきなのだ。

 そんな教育が不可欠だと実感する場面がつい最近もあった。筆者が預かっている教え子たちは政治や法律を専攻しているわけではなく、政治には疎い。だが、とあることがきっかけで、筆者が担当するジャーナリズムの少人数クラスに政治記者や政治家を招いて、先月の大阪市の住民投票についてかみくだいて話していただいたのだ。

 二人の話が始まる前はなんとなく不安そうだった学生たちの口から、話の後には質問が飛び出したのである。それも、いかにも幼い内容ではなく、結構核心を突くような疑問が出てきた。後で感想を聞くと、「まだ若く政治について考えなくていいだろうと思っていたが、将来必ず私自身に影響を及ぼす政治に無関心でいいのだろうかと考えた」「知らないまま放っておくことの恐ろしさを感じた」「この私が政治の話を面白いと感じていることに心底驚いた」といった声が出た。

 18歳の人たちが自分の票を投じる初めての選挙まであと1年余り。政府にも動き始めてほしいが、民間レベルでも、政治が自分の生活を作っているという意識が広がるように努めなければならない。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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