金井啓子ブログ

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2014年9月5日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第211回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/140912/20140912033.html


 「維新の名は残す」「いや、新しい名前で」と双方譲らない。結局、多数決で決まったのは「維新の党」。合流を決めたのに、最後の最後になって新党名は何にするかでもめた日本維新の会と結いの党のことだ。名前の決着が付いたことで、両党は今月21日に結党大会を開き、維新の橋下徹代表、結いの江田憲司代表が「維新の党」の共同代表に就く予定である。


 ところで江田代表は今回の騒動の最中、「名は体を表す」という表現を使って維新側をけん制していた。「維新」と「結い」の名は取り払い、別の党名に生まれ変わって心機一転、民主党に次ぐ野党第二党としての存在感を示したいと考えていたのかもしれない。


 確かにモノの名は体、つまり実態や本質を表すことが多い。例えば「維新の会」という名前にしても、これまでの行政組織や議会にはびこる古くさい慣習や権益を壊し、新たな制度を一からつくり直すという意味と目的を持つのだろう。実際、名前の通りの政治活動を行っているのだと思う。これが「保守の会」では、おそらく実態に合わずしっくりこない。雨上がりの「虹」も、この名前だから美しく思う。もし「ムカデ」だったら興ざめだ。


 一方、名は体を表していないものとして、話題の大阪都構想がある。なぜなら、大阪市が持つ広域行政機能が大阪府に吸収され、代わって複数の特別区に再編されても、国で法律の改正でもない限り「大阪都」という名の地方自治体は誕生しないからだ。名称は依然として大阪府のまま。名は体を表すというのなら、本来、大阪都構想は大阪府構想と呼ぶのが正確である。


 さて、その“大阪府構想”の協定書をめぐり、大阪府議会と大阪市議会では今月からの議会で熱い論戦が繰り広げられる。協定書は認められるのか否決されるのか。大阪府民、大阪市民が関心を持って見守る府市の両議会。その「議会」は議員が集い、法律や条例などを討論によって決める場である。名は体を表すにふさわしい議論を望みたい。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年9月5日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第211回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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待望の環状交差点導入 周知で嫌悪感除けるか


筆者の自宅の近所には、車を運転していて通りづらい小さな交差点がある。信号がなく、四方から車が来た時ににらみ合ったり、譲り合い過ぎて四すくみになったりする。事故が起きたこともあった。

 そんな状況に解決策をもたらしそうな動きが出てきた。「環状交差点(ラウンドアバウト)」の導入と新ルール運用開始である。改正道路交通法が施行され、全国のいくつかの環状交差点で新しい通行ルールの運用が始まった。「時計回りの一方通行」「環道内の通行の優先」「環道外に出る際は左折ウインカーで合図」などと決められている。

 筆者がかつて住んだ英国では至るところに大小の環状交差点があった。今回日本で導入されたものと同様、信号機がない。英国にいた時も筆者は車を運転していた。ただ、それまで10年ほど全く運転しない時期があったため、当初は運転そのものにてこずったが、環状交差点にはさらに戸惑った。交差点に入るタイミングが分からない、環道外に出るべきところで出られるのか不安、といった具合だ。だが、周囲から「右から車が来ている時は入っちゃダメ」「うまく出られそうもない時は、何回もぐるぐるまわっていればいつか出られる」と言われるうちにコツをつかんだ。と同時に、よさが見えてきた。信号機がないために停電は関係ないし、交差点に徐行して入るため事故を減らしやすい、車が流れやすく渋滞が起きにくい。

 ただ、この新しい環状交差点、日本ですぐになじむとは考えにくい。実際、数年前に英国訪問中にレンタカーを運転したという友人は「環状交差点は訳が分からず嫌だった」と今でも顔をしかめる。日本でもおそらく当面は戸惑いが大きく、嫌う声も出るだろう。そこで必要になるのが、環状交差点の使い方や新しいルールを周知徹底させる警察やメディアによる努力である。

 いつの日かわが家の近所にも小さな環状交差点ができる日が来るだろうか。そのような環境が整う日を心待ちにしている。

 (近畿大学総合社会学部准教授)

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2014年8月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第210回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。


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http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/gendaikou/140829/20140829041.html

ハザードマップと初対面 英語やめ「災害予測図」に

 数日前に筆者は自分が住む自治体のハザードマップ(災害予測図)を初めて見た。これまで見ようとしなかったのは、関西地方が風雨や土砂の災害にさらされる時にも大阪は比較的被害にあいにくかったことがある。だが、今月10日の豪雨で土砂災害警戒情報の緊急速報がスマホにけたたましく入って肝を冷やしたり、先週の広島の土砂災害で想像を絶する数の犠牲者が出て、気持ちが変わってきた。

 ハザードマップを見てまず感じたのは、これまで筆者は自分の町の地形をいかに理解していなかったかということだ。町のどこに川が流れているかも把握していなかったし、川の数の多さに驚いたほどだ。

 これまで筆者は災害に遭遇した経験がない。だが、被災した人々の言葉を聞くと、「その瞬間」は強い驚きで混乱状態に陥っていることがわかる。だから、いざ災害が発生した場合にどう行動するのか、普段から計画を立てておくことが求められる。

 その一助となるのがハザードマップである。川の氾濫時に自宅や周辺が浸水する可能性はどれほどあるのか、土砂災害警戒区域が自宅の近くにあるのか、避難所はどこにあるのか、行政機関や病院、ガス・電気・水道関連の電話番号は何番かといった情報が、通常から手元にあれば心強い。災害が発生する時間帯は自分で選べるわけではない。無防備になりやすい真夜中などに起きても、備えがあれば減災につながる。

 ただ、ハザードマップという言葉には違和感を禁じ得ない。英語を日常的に使っている筆者はハザードが危険を意味することを知っているので、なんとなく危険や災害に関連する地図と推測することができる。だが、英語になじみが薄い人は何を意味するものなのか、わからないまま手に取っていないケースもあるだろう。単純に「災害予測図」と言えば済むものをあえてわかりづらくするのは納得できない。どんな人にもわかりやすくしてこそ減災につながり、より多くの命が助かるのではないだろうか。

 (近畿大学総合社会学部准教授)
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2014年8月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第209回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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報道に添える名前の重み 「世界報道写真展」を見て

 梅田で「世界報道写真展」を見た。世界の5700人を超えるプロの写真家が前年に撮影した10万点近い写真を対象とした「世界報道写真コンテスト」の入賞作品が世界中を巡っているのだ。


 技術の進歩で、誰でもスマートフォンなどで手軽に撮影できるようになったが、メッセージを伝えるという点において、この仕事で「メシを食っている」プロたちの力量をあらためて痛感した。


 また、自分の日常とは大きく異なった世界があることが実感できる力強い写真の数々に圧倒された。特に、米国のジョン・スタンマイヤー氏が撮影して 大賞を受けた写真には目がくぎづけになった。何か光るものを手に持った7、8人の人たちが暗闇に立つ写真は一見幻想的な風景に思えた。だが、アフリカから 欧州や中東に向かう移民の通過地点であるジブチで、近隣のソマリアからの弱いが安い携帯電話の電波をとらえて、祖国の家族と連絡を取ろうとしている移民を 写したものだと知った時、風景が全く違って見えた。


 ところで、ひとつ残念に思ったのは、隣接する会場でやっていた日本の新聞社による東日本大震災の写真展についてである。写真そのものは力強いもの ばかりだが、撮影者の名前が添えられていなかったのだ。プロのカメラマンや記者たちが、時には危険と隣り合わせで、またさまざまな思いを持ちつつ撮影した であろうことは、世界報道写真展の入賞作品と同じはずである。


 日本のメディアでも署名記事が増えつつあるものの、欧米メディアに比べてまだ組織名だけを出す傾向が強い。組織の一員ではあるが、それぞれの思いや責任を強調するためにももっと個人名を出すべきではないだろうか。


 さて、梅田での世界報道写真展は既に終了してしまった。だが、これから京都や滋賀を含め6カ所を巡る。仮に今年は無理だとしても、いまこの瞬間に世界のどこかで起きている出来事が撮影され、来年もおそらく新たな力強い写真の数々が展示されることだろう。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年8月15日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第208回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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反省示す丸刈り時代錯誤  変化遂げる本物の反省を

 反省を示すポーズとして頭髪をそるのはいつから始まったのだろうか。全国的に有名になった丸刈り姿を思い浮かべると、少し前なら週刊誌で恋愛問題 が報道されたAKB48の峯岸みなみさん、そして最近では大阪維新の会の山本景府議だろう。府議の場合は無料携帯アプリの「LINE」で交流した中学生か ら「キモい」などと言われたことに腹を立てて威嚇的な言動を発し、それがマスコミに取り上げられたことで問題が表面化。政治家というより、30歳を超えた 大人とも思えない行動が世間の反感を買い、府議は頭を丸めて反省の意を示した。


 そもそも頭を丸める行為は仏教に由来する。悟りを開く第一歩として修行者が髪の毛をそったと言われている。宗派によって異なるが、日本においても 仏門に入る際に剃髪(ていはつ)といって頭を丸める。明治時代には丸刈り頭が軍人の基本となり、戦時下の学校現場でも男子の頭髪は丸刈りが一般化した。 ちょうどこの時期なら高校球児の丸刈りを目にする機会も多い。


 しかし今の時代、頭髪をそって反省の意を示すことに筆者は大いに違和感がある。仏門に入って世俗を断ち切るのならいざ知らず、ほんの少しの間の体 裁を取り繕うポーズにしか見えないのだ。頭髪をそって反省の姿勢を示すのもいいが、大切なことは二度と同じ過ちを犯さないように努力することではないの か。例えば山本府議の場合なら、誰からも信頼される政治家として研さんを怠らず、人間的にも大きく成長することだろう。


 頭を丸めるだけなら2、3カ月もすれば頭髪はほぼ元通りに戻る。だが、反省のための自己研さんと自己抑制は数カ月で終わるものではない。何年もの年月を必要とする。こちらのほうが丸刈りよりよほどの精神力が求められる。


 頭髪をそることが反省の意を示すことなら、街中にはスキンヘッドの数だけ反省中の人がいることになる。それこそ、反省だけならサルでも、いやテルテル坊主でもできるだろう。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年8月8日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第207回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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水辺の飲酒に潜む危険 水の恐怖知って遊ぶ知恵


 暦の上では秋を迎えたとはいえ、まだまだ暑い。さわやかな風に吹かれながらアルコールを飲むのは気持ちいいものだ。筆者はよく川べりでキャンプをするのだが、そこで飲む冷えたビールは最高である。


 ただし、その際に筆者が自分に厳しく課しているルールがある。それは、いったんアルコールを身体に入れたら決して水には入らないというものだ。飲 酒したら入浴しないのと同様、身体への悪影響が予想されるからだ。しらふの時ならば動くはずの身体が、水の中で思い通り動かない事態もありうる。


 アルコールを大自然の中で飲んだ時、解放感のあまり水に飛び込みたくなる気持ちはわからなくはない。これはあくまでも自らの意思で行うものであり、万一これで事故にあったとしてもまあ自業自得としか言いようがない。


 だが、海や川に筆者が遊びに行くたび、気になる光景を目にする。それは、子どもを水の中で遊ばせながら、そのかたわらアルコールを飲む保護者や引 率する大人たちの姿である。自分自身は泳ぐ予定がなくても、一緒に連れてきた子どもが水の中でトラブルになったらどうするのか。ほぼ間違いなくその大人は 水に飛び込んで子どもを助けようとするだろう。アルコールを飲んでいてとっさに水に飛び込めば、しらふの時よりも数倍危険は増す。


 先週の当コラムでも書いた通り、水辺で遊ぶ子どもたちに関してはライフジャケットを着せるなど危険への配慮が確実に進んでいる。だが、その一方 で、大人の多くはライフジャケットがないまま水に入るし、飲酒する人も少なくない。子どもに何か危険なことが起きた際に守るべき大人たちがこんな状態で大 丈夫なのだろうか。


 楽しい水遊びに関して、あれこれ口うるさいことを言うのは野暮(やぼ)だとも思われかねない。でも野暮は承知である。楽しんでいると思っているうちに周囲の子どもたちを危険にさらしている。水のこわさ、アルコールの力強さをもっと自覚して、臨むべきではないだろうか。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年8月1日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第206回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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大人の水難事故減らしたい 油断せず楽しむ水遊び

 筆者は泳ぎが苦手である。いまだに平泳ぎしかできないし、泳いでも25メートルがやっと。でも、アウトドアの遊びは大好きで海や川によく行く。水 に入る時に欠かせないのがライフジャケットだ。ガッチリと分厚いタイプで色が似ていることもあり、装着した姿を友人たちが見て「(『ドラゴンボール』の) 亀仙人にそっくり」と笑うが、命を守りつつ楽しむためには気にしていられない。


 つい最近も三重の銚子川や和歌山の古座川で泳いだ。いずれも清流である。水中をのぞくと、アユやウグイ、手長エビなどさまざまな生き物が活発に動 き回る美しい風景が広がる。特に銚子川は、プールの中で泳いでいるのかと錯覚するほど透明度が高い。水面をわたる風はさわやかで、水につかっていると身体 がほどよく冷えて涼しくなる。どちらの川にも多くの家族連れが来ており、小さな子どもたちが歓声をあげていた。その子どもたちの比較的多くが、ライフジャ ケットを身につけていることに正直なところ驚いた。昨今の水難事故の多さや教育の充実がその背景にあるのだろうか。だが、その一方で、かなり幼い子がライ フジャケットはおろか浮輪すらつけず水に入っているのを見るとひやひやする。


 もうひとつ気になったのが、ライフジャケットを使用している大人の少なさである。川岸から見ると穏やかな流れにしか見えないが、抗しきれないほど の強い流れのこともあるし、ついさっきまで1メートルあるかなしかの深さだったのが、急に5メートルほどまで深くなっている場所もある。筆者は、水底の石 がぬるぬる滑ってバランスを崩しそうになった。カヌーを楽しむ人たちは例外なくヘルメットとライフジャケットをつけているのだが、水辺で子どもの水遊びに つきあっている大人は「これぐらいの流れなら大丈夫」と思うのだろうか。


 暑い夏はまだまだ続く。命あってこそ楽しめる水遊び、油断をせずにいい時間を過ごしたい。備えあれば憂いなしである。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年7月25日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第205回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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泣いて「コミュ力」発揮? 逃げない対話に涙は不要

 コミュニケーション能力のことを近頃は「コミュ力」と略すらしい。学生の間では就職活動に欠かせない能力だとされている。学生に限らない。自分の考えや希望を相手にわかりやすく伝え、望ましい方向に進めたり妥協案を打ち出すには、誰にでも必要な能力だろう。


 「号泣県議」の話を当コラムで3回も続けて取り上げるのは申し訳ない。だが、さまざまな面で興味深い事例なので、今回はコミュ力の観点から見て泣くという行動を考えてみた。


 あの会見の現場にいられなかったことは、元記者の筆者としては残念である。通常ではありえないようなことが起きた場所に、自分も居合わせたいとい う気持ちが他の人よりも強いからだろう。と同時に、自分の嫌疑を晴らす記者会見という、コミュ力を最大限に発揮しなければならない場で泣きわめく姿を見た 時、記者としての自分がどんな気持ちになるのかということに強い関心を持っているからでもある。


 筆者自身、仕事の場では泣かないと決めているし、泣いたことは一度もない。時には涙を浮かべた方が女らしくて愛らしく、強い女は興ざめだと思われ るかもしれないが、仕方ない。泣かない理由、それは、涙を見た相手がもはや対等に論理的に話し合える人間ではないと見切りをつけた時点で、仕事が滞るから である。泣いて切り抜けようというのは、議論をせず逃げるということであり、醜くてひきょうでうっとうしい。


 だが、たまたまなのかどうか、少なくとも筆者の周辺では以前よりも泣く人がやや増えた気がしている。感動や悲しみの涙はかまわない。だが、話し合いをしようとして泣かれると、対話が成立しなくなる無力感にさいなまれる。


 ただし、今回の件はあの号泣があったからこそ多くの人々の関心を集め、政務活動費不正使用への対策が打ち出されるという思いがけない副次的な効果があった。だから、あの号泣もコミュ力を発揮したことになるのかと、ちょっと皮肉な気持ちにもなってくる。


 (近畿大学総合社会学部准教授)



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2014年7月18日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第204回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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職に要する倫理を学べ 有権者が納得する政治を

 記者が取材先から「報道する前に記事(または映像)を見せて」と頼まれたらどうするか。答えは「見せない」である。取材先にとってありがたくない 報道内容の時に、報道機関に圧力がかかりかねない。だから、ごく一部の社を除き、報道機関はそう定めている。報道機関が守る倫理規定は他にもあるが、筆者 は記者になった時から研修などで「記者としてやってはいけないこと」をたたき込まれた。


 さて、先週は、政務活動費問題の解決にはさらなる情報公開が必要だと書いた。それに加えて必要なのが、政治家が守るべき倫理を学ぶ場である。政治 にはお金がかかる。まじめに政治に取り組む議員たちにとって、兵庫県議会の野々村竜太郎元議員の一件は迷惑でしかない。彼らの活動に欠かせない政務活動費 のイメージが悪化し、政治家はカネに汚いという印象が増幅されてしまっているからだ。大金を目の前にすれば誰だって欲が出る。だからこそ、どう正しく使う かという教育は欠かせない。会派によっては新人議員向けの研修を行うところもあるらしいが、今回のように無所属の場合もあり、当選後には一律に受けさせる のが最適だろう。


 そして、いざ規範を守れなかった場合には罰則も厳しくする。今回は今のところ、県議会の各会派が、野々村氏を虚偽公文書作成・同行使容疑で県警に刑事告発するにとどまっているが、税金を「盗んだ」のだから詐欺か業務上横領でその手口や原因を捜査すべきだ。


 野々村氏以外にも怪しげな例は多い。中には不明朗な使い方をして、明るみに出た途端にお金を返す議員もいる。「バレたら返しさえすればいい」とい う感覚では、有権者は納得できない。また、前払い制度でまとまったお金をもらって後から報告するという、民間企業の感覚からすると「天国」のようなシステ ムも、もはやありえない。


 いい政治にはお金がかかる。でも、正しく使ってもらえるならば、そのための税金を納めようと有権者は納得できるはずだ。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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2014年7月11日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第203回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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“号泣県議”に学ぶ知恵 政務活動費をどう守るか

 あぜんとした。兵庫県議会の野々村竜太郎議員の号泣会見である。まさに前代未聞の記者会見だった。

 発端は政務活動費の使い方。県議の政務活動費の収支報告書によると、昨年1年間で福岡と東京、兵庫県の城崎などを日帰りで約195回訪れ、計300万円もの交通費を請求していたが、カラ出張ではないのかという疑惑が飛び出した。


 そして冒頭の記者会見である。具体的な点を質問されても「記憶にない」と答え、最後は大泣きして記者をけむに巻く始末。これ以外にも切手を大量購 入したり、日用品を政務活動費で賄っていたりと、どう考えても正当な政治活動に使ったとは思えない事案が大量に出てきた。県議が使途を明確に説明できない 以上、不正があったと言われても仕方ない。


 ただ、今回の問題は県議の一種独特なキャラクターに目を奪われがちだが、本質はそこにはない。貴重な税金である政務活動費を領収書なしでも使えて しまう甘さが、今回のような疑惑を生んだのだ。仮に県議がカラ出張を繰り返していたとしたら、不正を許してしまう土壌が議会や議会事務局の側にもあったと いうことだろう。収支の報告に甘さがあるのは、議員は不正を働かないという性善説に立った考えがあるからだが、政務活動費をめぐってはあちこちの議会で不 正が目立つ。ならばいいかげん、不正を防ぐ効果的な方策を考えなければならない。


 一つの方法は議員の収支報告書や領収書を議会事務局での閲覧だけでなく、議会ホームページ、広報誌などで公開してしまうことだ。事実、大津市など 複数の自治体ではホームページなどで広く情報を公開しており、税金の使い道の透明性を確保している。領収書が有権者に公開されるとなると、不届きな議員も 不正使用をためらう。誰も見ない、誰も関心がないから悪事が起こるのだ。人の目が光っていれば不正は起こりにくい。これには大した経費も要らない。大阪 府、府内の市町村の各議会も考えてはいかがだろう。


 (近畿大学総合社会学部准教授)


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