2016年12月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第34回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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ドラマで時代の空気切り取る テレビ復権につながるのか

 

ドラマが不調と言われる中、TBS『逃げるは恥だが役に立つ』は異例の高視聴率を取った。エンディングの「恋ダンス」も流行し、ついにはケネディ米国駐日大使まで踊る様子を動画サイトに投稿している。

 

高視聴率の理由はなにか。1年前のNHK紅白歌合戦で歌って踊る姿の躍動感に一瞬でとりこになった私としては、NHK大河ドラマ『真田丸』の徳川秀忠とは全く違った演技を見せた星野源が一番の要因だと思いたい。だが、やはり新垣結衣の魅力や初々しさは何より大きい。そしてもうひとつ、ドラマ全般にわたり視聴者に強く訴えかけ共感させる要素が随所に盛り込まれていたことも成功の秘訣(ひけつ)だったのではないだろうか。

 

35歳まで恋を知らない男性が主人公だが、今の若い男性は「草食系」と呼ばれるように恋に奥手な人が多いとされている。一方、最近はさまざまなことに女性の方が積極的で、恋愛に関しても一昔前のように男性からのアプローチを待たず女性側が自分の気持ちを率直に伝えるようなところが、ドラマと現実がシンクロしているのではないか。

 

また、ヒロインのセリフも面白い。先週などは、ボランティアで彼女をこき使おうとした商店街の若い経営者らに対して、「人の善意につけこんで労働力をタダで使おうとする。それは、やりがいの搾取です!」とタンカを切るシーンがあった。笑う半面、「なるほど」と思わざるを得ないものもあった。大学を卒業して就職したのにすぐに辞める学生を筆者は何人も見てきたし、相談にも乗った。ひどい会社になると「試用期間」という名目でこき使うだけ使って、正社員になれるかどうかの見込みもないものすらあった。そんな会社が新入社員に言いがちなセリフが「やりがいがある」「頑張れば報われる」だ。だが実際は社員を大切にしようとしないそんな企業は、まさに「やりがいの搾取」をしているといえる。

 

また、『逃げ恥』のヒロインは、なんでも先回りして理屈っぽく言い抜けてしまう自身の性格を「小賢(こざか)しい」と卑下して苦悩する。その彼女の姿には、従来の日本の女性らしさが依然として求められている現状への皮肉も感じられる。また、「小賢しく」していなければ生き抜いていけないのが今の社会でもあり、ある意味、社会への当てつけかもしれない。だが、最終回で夫から「小賢しいなんて思ったこと、一度もありません」という言葉をもらった妻が、夫に思わず抱きつくシーンについては番組終了直後からSNSに「感動した」などの言葉が飛び交った。

 

軽やかなタッチながら、この時代の「空気」を鮮やかに切り取った『逃げ恥』。こんな切れ味鋭い番組が続けて生まれるようになれば、テレビ復権もあるのかもしれないし、メディアの世界で働くことを強く願う教え子たちにも明るい未来が訪れるのだろう。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

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2016年12月15日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第33回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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研究者つぶしか英断か 関西大学が軍事関連研究を禁止

 

関西大学は、防衛装備庁が防衛装備品に応用できる研究を公募して資金提供する「安全保障技術研究推進制度」について、学内の研究者が申請することを禁止する方針を決めたという報道を見た。このニュースを見た私には一瞬迷いが生じた。

 

まだごく数年前からとはいえ研究者の道に進んだ私は、勤務先の大学の内や外で文系・理系問わず多くの研究者たちと出会い、彼らが極めるべきと信じた分野を突き進もうとする熱意にじかに触れてきた。その道を恣意(しい)的に閉ざしていいのかというのが、迷いの理由のひとつである。でも、その一方で、人を殺すことにつながりうる可能性は少しでもつぶしておくべきであり、それを決めた今回の方針は「英断」だと考える気持ちも強くあった。

 

安全保障技術研究推進制度は2015年度に開始されたもので、防衛省では「装備品への適用面から着目される大学、独立行政法人の研究機関や企業等における独創的な研究を発掘し、将来有望な研究を育成する」ことを目的としているという。また、「防衛省が行う研究開発フェーズで活用することに加え、デュアルユースとして、委託先を通じて民生分野で活用されることを期待して」もいるとしている。

 

そもそも軍事関連の研究においては一般的に、新たな素材の開発や効率的な通信方式など軍事とは直接関係のないものも研究対象とされている。実際に安全保障技術研究推進制度で2016年度に採択された研究課題もそういったものが多く、新型のミサイルや爆弾を研究しているわけではない。軍事関連の研究からは、日本に限らず世界各国で新しい科学技術や高性能な民生品が生まれ人々の生活や社会に多大な貢献をしたことは否めない。たとえば私たちの日常生活に今や欠かせないものとなっているインターネットだって、元はと言えば軍事関連の研究から生まれてきたものなのだ。

 

しかしその一方で、軍事関連の研究が兵器や装備の充実に一役買い、結果として戦争の道具になってきたことは無視できない。戦争とはとどのつまり、人を殺すことである。研究者は新素材の開発などの研究に携わっているつもりでも、結果として人殺しに一役買うことになる。

 

世界に紛争が絶えないのは悲しい現実である。だからこそ流れを軍縮に持っていかなければならない。そう考えると、人殺しにつながる研究は芽のうちからつぶさなければならないことになる。やはり、関西大学の今般の判断は、研究者がそんな人殺しの“道具”に使われることを高い倫理観から意識し拒否したものであり、英断と断じざるを得ない。

 

研究者たちの熱意を肌で日々感じている私としては、人類が平和裏に恒久的に繁栄する方向に向けて、研究者の熱意が損なわれることなく英知が生かされることを願わずにはいられない。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

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2016年12月8日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第32回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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景気をばくちに託せるのか カジノ頼みの成長戦略

 

カジノの本場といえばラスベガスやマカオを思い浮かべるが、実はその他にもアジアやヨーロッパ、アフリカ、オセアニアなど世界ではその数130以上にのぼる国々でカジノが合法化されている。意外にグローバルかつメジャーな娯楽のようで、その世界的な広がりに釣られてか日本もついにカジノ国家の仲間入りをしそうな気配である。カジノを含む「統合型リゾート施設(IR)」整備推進法案(カジノ解禁法案)は6日の衆院本会議で、自民党と日本維新の会などの賛成多数で可決した。

 

安倍晋三内閣はIRを成長戦略に位置づけている。カジノや娯楽施設で外国人観光客を日本に呼び込み、カジノのほかにも宿泊や食事、お土産などでお金を使ってもらおうという計画だ。

 

今でも円安や格安航空(LCC)の増便の効果によって外国人観光客は年々増えている。一部量販店やホテルなどが多くの恩恵を受けていることから見ても、カジノという仕掛けがあればさらに観光客が増える可能性はあると思う。IRは豪華なホテルにショッピングモール、アミューズメントパークなども同居するので雇用も増えるだろう。しかし、なんだか釈然としない。胸がつかえたようにモヤモヤする。

 

カジノの推進者は「カジノは全体の一部。IRは老若男女が楽しめる健全な娯楽」と訴えている。だが、マカオやラスベガス、シンガポールにしても全体の収益のかなりの部分をカジノで稼いでいる。カジノの入るホテルが全体に占める割合は少ないとしても、IRの本質はばくち。おそらく私のモヤモヤは、ばくちが経済成長戦略になっているというチグハグ感にある。

 

しかも世界的に見てカジノの収益は落ちている。昨年1月には米カジノホテル運営大手シーザーズ・エンターテインメント(ネバダ州)のカジノ運営子会社が経営破たんし、マカオでは2015年のカジノ総収入が前年比34・3%もの大幅減になったと報道されている。

 

マカオの場合、原因は中国の景気減速と、習近平国家主席が続けてきた反腐敗闘争で本土の旅客が大きく落ち込んだからだ。マカオにとって最大の顧客は中国人富裕層。これは日本でも同じで、今後の中国の経済の成り行きや国内政治によって富裕層の動きが鈍り、カジノの収益に影響が出ることも考えられる。しかも世界130カ国以上にカジノがあって客は奪い合い。そんな不安定な要素のあるカジノを成長戦略に据えるというのも危なっかしい話ではないか。

 

カジノはギャンブル依存症や多重債務者が増える心配も指摘されているが、景気をばくちに託そうとするわが国のいびつな精神はもっと深刻だろう。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

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2016年12月1日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第31回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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あの歌声はまた聞けるのか 初犯の執行猶予に一考を

 

『はじまりはいつも雨』を初めて聴いたのは、約25年前にカラオケボックスで友人が歌った時だった。美しいメロディーにひかれて誰の歌なのだろうと調べてみると、時折耳にしていたCHAGE&ASKAのASKAが作詞作曲をして自分で歌っているのだと知った。甘めの歌詞は友人が歌った時から魅力的だと思っていたが、ASKA本人が伸びやかな高音で歌うこの歌は格別だった。それに、こんなことをここで書くのはかなり恥ずかしいのだが、彼の容姿にもまさに一目ぼれだった。

 

2年前に彼が覚醒剤を隠し持っていたとして警視庁に逮捕された時の衝撃は忘れがたい。これであの美しい歌声が聴けなくなるのか…と暗たんたる気持ちになったのだった。そして、美しい詩とメロディーを作り出す彼の力が表舞台に出る時ももうなくなるのかと、惜しくてならなかった。

 

その後、覚醒剤や合成麻薬のMDMAを使った罪などで懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受け、執行猶予中で現在を迎えていた。

 

そこに飛び込んできたのが今般の再逮捕のニュースだ。CHAGE&ASKAの熱狂的なファンは私の知人をはじめとして非常に多い。私などよりよほど強い思いで復帰を待ちわびていた人たちの落胆と怒りはいかばかりだろうか。

 

再逮捕を耳にした瞬間に私の心によぎったのは「まさか」と「やはり」という二つの言葉だった。まだ現時点では事実関係は全て明らかになっていない。それでも、薬物関連の罪を犯した人の再犯率が高いことはよく知られている。

 

そもそも薬物に手を出したのは彼本人の責任である。だが、その後に繰り返し薬物に手を出すのは、もはや彼自身の“責任”を問えない状況に陥っているのかもしれない。なぜなら、彼の“やる気”や道徳心などではもうどうにもならない状態なのだろうと思うからだ。ならば、“病人”となってしまった彼をただ責めても仕方ない。前回の逮捕では初犯の“相場”として執行猶予がついたようだが、薬物中毒となってしまった人間に対して適切とは思えない。

 

多様な薬物の入手が容易となっているこの社会で、いったん中毒になった人間には自ら民間施設に頼るしか手がないというのは、あまりに心もとない。単に逮捕して判決を下すだけで済ませず、治療にも国家が積極的に関わることが、薬物犯罪を根本から断つことにもつながるのではないだろうか。

 

「僕は上手に君を愛してるかい 愛せてるかい 誰よりも誰よりも」という箇所が、あの歌の中では最も好きな部分だ。甘やかな気持ちでこれを聴いていた四半世紀前、こんなやるせなく悲しい気持ちになろうとは想像もしていなかった。今回は実刑判決が下ることはほぼ間違いないだろう。数年間は彼の歌声を聴けない覚悟はもう決めた。でも、諦められないファンのひとりとしてあの歌声を聴く日を待ちたい。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

 

 

2016年11月24日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第30回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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災害情報をどんな人にも届ける ひらがなや英語でおもてなし

 

まだソ連のもとにあったモスクワを私が訪れたのは1980年代の終盤だった。閉じられた国というイメージがまだまだ強かったかの地を訪れた20代前半の私は、冒険心がいつになく旺盛になっていたのだろうか。夜になって同行の友人たちとホテルを抜け出して、特に行くあてもなく地下鉄に乗ってみた。そろそろ降りようとして車内にある路線図を見るが、表記はキリル文字のみ。私はもちろんのこと、一緒にいた友人たちも誰もロシア語がわからない。自分たちがどの駅から乗ったのか、今どこにいるのか、どの駅で降りれば何があるのか、よくわからないあの心細さは30年近くたった今も鮮明に覚えている。

 

外国にいて言葉がわからない、文字が読めない時の心もとなさは、そういった平時よりも災害時には大幅に増すだろう。そんなことを考えたのは、今週22日に福島県沖で発生した地震の影響で出た津波警報を報じるテレビ番組を見ていた時だった。

 

地震が発生してまもなくまずNHKを見て驚いた。画面の中央に赤い大きな字で「すぐにげて!」とひらがなで書かれていたのだ。その後も「つなみ!にげて!」に変化したり、ふりがなのついた「津波!避難!」に切り替わったりしていた。また、それよりは小さい文字だが、「TSUNAMI」と赤い文字で示し、情報がサブチャンネルやラジオで得られることも英語で表示してあった。

 

民放テレビ局はどうなのだろうとチャンネルをかえてみると、確かに地震と津波について報じている局がほとんどだった。だが、ある局はふりがなつきの「津波観測」の下に「いますぐにげて」と示されていたが、別の局はふりがなナシで「津波!にげろ!」、さらにまた別の局は「今すぐ避難を」(「避難」にふりがな)という状況だった。もうひとつの局は特に目立った表示はされていなかった。

 

今回の状況を見ると、いざという時に情報を受け取る力が弱い、いわゆる情報弱者への対応は、NHKが群を抜いていたと言えるだろう。民放にはもう少し頑張ってほしいと思う。だが、それでも、これまでの被災経験を経て積み上げてきたものがこうして生かされているとも見ることができる。

 

日本を訪れる外国人の数は、1月から10月までの累計で2011万3千人。年末まであと2カ月残しているにもかかわらず、過去最多を記録した去年1年間の1974万人を上回った。伸びは緩やかになりつつあるとはいえ、多くの外国人が訪れる状況がすぐに変化するとは思えない。

 

当たり前のことだが災害はいつ襲ってくるか予測不能である。自国を離れた観光客たちは高揚感と緊張感をあわせ持ちながらわが国を訪れてくれている。そんな彼らに心細い思いをさせないことこそが、日本人の多くがこだわる「おもてなし」の第一歩ではないだろうか。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年11月17日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第29回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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維持できるか米国社会の多様性 トランプ次期大統領を迎えて

 

今から約30年前に生まれて初めて飛行機に乗って最初に訪れた外国が、私にとって2年間にわたる米国の女子大での生活の始まりだった。キャンパスに着くとそこにいる人たちの多様性に驚いた。もちろん米国籍の人が一番多かったが、彼らにしても肌や髪の色はさまざま。外国人も日本からの留学生が私の他に数人いたほか、ジャマイカ、ハイチ、インド、韓国、カンボジア、ベトナム、イタリアなどから来た学生がいた。カンボジア人の学生は、戦火の中で母国を命からがら抜け出したが、彼女は米国、母親はフランスと、別々にならざるを得なかったそうだ。

 

米国人の中にもさまざまな背景を持っている人たちがいた。寮で隣の部屋に住んでいたポルトガル系の学生の母親は、米国に住んで長いのにポルトガル語しか話せないという話を聞いたことがあった。また、学生仲間ではないが、大学の近所に住んでいて私をコンサートや食事に連れ出したり家に泊めたりしてくれた女性は、両親がアルメニアから米国に渡ってきたと言っていた。

 

つい数日前に母校の学長が来日し、大阪で夕食を共にした。9年前に共学になったこの大学には今では男子生徒が3割もいるのだという。性別だけでなく、人種も国籍も以前よりさらに多種多様になったが、カトリック系の学校であることは変わっていない。それでも、イスラム教徒の学生も一緒に学んでいるのだという。

 

多様性の実態とありがたみを私に身をもって体験させてくれた母校は、ドナルド・トランプ氏が次期大統領となることによって、何か影響を受けることになるのだろうか。トランプ氏と言えば、当選後に従来の激しい発言をやや軌道修正したりもしているが、排外主義的な人々から大きな支持を集めていることはご存じの通りだ。

 

ちなみに、自分たちの国を守るために「異物」を入れず取り除くという考えが広がっているのは、米国に限ったことではない。私が20年前に住んでいた英国を5年前に久しぶりに訪れると、レストランや高級ホテル、観光バスのチケット売り場といったところでポーランドやポルトガルなど英国人以外の人たちが働いているのが目についた。以前ならば英国人が独占していたような職場に外国人が進出していたのだ。そんな英国で行われた国民投票でEU離脱が賛成多数となったのは記憶に新しい。

 

他国との関わりをできるだけ避けて自国に引きこもりたいと願うような動きが、世界のいろいろなところで起きている。日本だって人ごととして傍観してばかりもいられない。引きこもれる母国がある人たちはいいだろうが、そうではない人たちはただはじき飛ばされるしかないのか。でも、外へ追いやられる立場に、自分もいつ立つかわからないのだ。そういう想像力を働かせ、多様性を受け入れることが今こそ求められている。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年11月10日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第28回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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大阪府の万博開催の能力は? 誘致準備委に課された使命

 

2025年の誘致を目指す大阪万博について、「2025日本万国博覧会誘致準備委員会」が9日に発足した。この万博については本紙のコラムで昨夏にも書いたが、実現に向けて一歩踏み出した今、あらためて触れておきたい。

 

高度成長期に開催された1970年の大阪万博は見るもの聞くものがすべて珍しかった。携帯電話の原型やコンピューターなど、新しい科学技術が国民と世界の目を引いた。また世界中のパビリオンがお目見えし、当時の日本人の大半は「世界」「外国」というものに初めて触れたといっても過言ではない。

 

一方で、2025年の大阪万博では、交通機関や通信、流通、またインターネットの発展などで世界が狭くなった分、1970年当時のような目新しさを感じることは少ないのではないか。

 

また、1970年と2025年の万博とで決定的に違うのは、前者はこれから伸びていく前向きな日本の姿を象徴していたのに対し、後者は万博をきっかけに落ち目の日本をいかに立て直すかという、いわば後ろ向きの姿勢にある点だ。事実、松井一郎大阪府知事が大阪万博の開催を言い出したのも、今ひとつパッとしない大阪経済を発展させる狙いがあり、そのため「全国への波及効果は6・4兆円」という大風呂敷を広げ、安倍晋三首相も地域経済への起爆剤になることを期待している。

 

日本や大阪の経済が成長することに異論はない。だが、大切なのは万博期間中だけ一時的に盛り上がるのではなく、景気が継続的に発展することだろう。しかしながら、これまで世界の例を見渡しても、万博をきっかけに開催国の国内経済が持続的に伸びたという例はあまり耳にしない。

 

大阪府と大阪市はかつて、大阪湾のベイエリアに一大企業拠点を作るとして土地を整備した。だが、フタをあければ人も企業も集まらず、そのため府も市も莫大(ばくだい)な借金を背負った過去がある。万博も結局、箱モノによって景気を刺激しようという、大阪府や大阪市の昔の発想と大差ない。しかも大阪府は実質収支こそ黒字だが内実は火の車であり、地方債を発行するには総務省の許可が必要な起債許可団体に陥っている。現状を見れば新しい事業を起こす余裕はとてもなく、そのため万博の開催に必要な自治体負担分の経費の大半は起債でまかなうことになるだろう。

 

一発逆転のためにばくちで大穴を狙うが、元手は友人からの借金。大阪府がやろうとしていることは、とどのつまりこういうことである。2025年の万博が成功すればまだしも、失敗すれば大阪府の財政は破綻するかもしれない。その危険性を頭に入れた上で、大阪のためになる万博を提案して誘致することが、準備委員会に課された使命である。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年11月3日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第27回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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人を傷つけた結果のミュート 発信する側は心遣いも

 

「ミュート」というのは英語で「音を消す」という意味である。インターネットのSNSには「ミュート」という機能がある。これは、SNS上で「友達」や「フォロワー」といったつながりを持つ人が書き込んだ内容を見ないで済むように、自分の見える場所から「消す」機能である。似た機能に「ブロック」もある。だが、ブロックをすると、先方の書き込みが自分に見えないだけでなく、自分が書いたものを先方が見えない機能もついており、相手を「拒否」していることが先方にはっきり伝わってしまう。その点、ミュートは穏やかでひっそりとしている。自分が相手の書き込みを見ていないことは相手には伝わらない。

 

2週間前の本コラムで、フェイスブックとツイッターに触れるのをやめ、SNSのうちで使うのはラインだけに絞ったという男子学生の話を書いた。その学生とミュート機能についても話した。彼はサークル仲間のX君とツイッターでフォローし合っていたが、ミュート機能でX君の書き込みを読めない状態にしたのだという。X君の書き込みは攻撃的で読むと不快なことが多いためだそうだ。例えば、ある製品の不具合に関する報道があると、X君は「◯◯を使ってる奴はバカだ」と書く。私と話した学生はその製品を使っており、あまりいい気持ちがしなかったためX君に注意したが、「俺の書きたいことを書いて何が悪いのか」と聞き入れてもらえなかった。そんなことが重なり、ミュートしたのだという。

 

だが、驚いたのはその後だった。サークル内でX君のツイッターの話になった際、ほとんどのメンバーが彼とツイッター上でフォローし合っているにもかかわらず、ミュートしていることが分かったのだという。自分をフォローしている人たちが読んでいると信じて書いた書き込みが、実は誰にも読まれていない。なんとも寂しい、そしてちょっと怖い話ではないだろうか。

 

実は私もミュート機能を使っている。ふとしたきっかけでSNSの友達やフォロワーになり、諸般の事情で付き合いを断てないが、できることならその相手の書き込みはあまり読みたくない場合だ。例えば、お店の経営者がお客さんのふるまいのあれこれをあげつらって書き込んでいる時。書いている本人は、顧客の「非常識さ」を訴えたいのかもしれないが、読んでいてあまり気持ちの良いものではない。だから私はひっそりとミュートしている。

 

インターネット全体もそしてSNSも元来は、自分が今いる場所から遠く離れたところにいる誰かに自分の声を届かせることができる魔法の道具だったはずだが、案外、声が届いていないことも多い。自分の主張を声高に叫ぶことも大切だが、誰かを傷つけていないのか、その書き込みを終える前にもう一度立ち止まって考えるべきではないだろうか。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

2016年10月27日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第26回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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土人発言の警官は“被害者”か 「あっちも悪い」はピント外れ

 

沖縄県東村の米軍ヘリパッド移設工事で、警備中の大阪府警の警察官が抗議する人たちに「土人」「シナ人」などと発言したことが波紋を広げている。これは明白な差別用語であり、警察官が使うには不適切というだけではすまない問題がある。

 

そこへ“参戦”したのが大阪府の松井一郎知事。知事はツイッターで「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と書き込んだ。この文章のどこがダメかというと、問題発言を「不適切」と斬って捨てるより、全体の重点が「ご苦労様」とねぎらいの言葉で締めくくっている点にある。これでは差別への非難は薄められ、差別した側の警察官を擁護するようにも受け止められてしまう。案の定、この書き込みは“炎上”し、翌日、松井知事は釈明に追われる事態となった。

 

だが、知事は「警察官の表現は不適切」としながらも、「相手もむちゃくちゃ言っている」と発言を撤回しないとした。だが私が驚いたのは、「警察も被害者」というような、いわば両論併記的な考えに同調する人が少なくないことだった。これは大きな間違いである。

 

警察官は人を逮捕し、拘束できる公権力を持っていて、この権力は法にのっとって行うものだ。仮に反対派の人たちが「むちゃくちゃ」やっているのなら法に従って公権力を行使すればいいだけの話。警察官が暴力を受けたのなら公務執行妨害で逮捕すればいいのだ。

 

一方、差別用語やヘイトスピーチは無法者や卑怯者が発する“言葉の暴力”だ。ならば「土人」と発した府警の警察官は法によらない言葉の暴力を実行したことになる。このように考えると、今回の問題は「反対派も悪い」といった話ではなく、警察官が“無法者”に陥った点にこそあるのだ。

 

さらに新聞記事などによると、府警本部の聴取を受けた問題の警察官は「『土人』という言葉の意味を知らなかった」と言い訳していたというが、だったらなぜ知らない言葉を発することができたのか。この警察官の言葉が事実だとすれば、「土人」という差別用語は警察内部で日常的に使われていたからではないのか。だからこの警察官も普段耳にしている言葉が口から出てきたのではないかという疑念がわく。

 

今回は大阪府警の不祥事がクローズアップされたが、警察も全体として差別問題には取り組んでもらいたい。なお、松井知事はつい最近も、同じくツイッターで「痴呆」という言葉を使って今回のように炎上させた。知事もいいかげん、SNSの特性を理解し、かつ誤解されにくい日本語の使い方もしっかり勉強していただきたい。そうでなくても、「大阪だから仕方がない」といった偏見が飛び交っているのだから。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)

 

 

2016年10月20日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の現代進行形」第25回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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SNSで常時つながる人間関係 道具に踊らされない強さを

 

SNSの使用がますます盛んな昨今、私はフェイスブック、ツイッター、ラインを使っている。ミクシィはもうほとんど利用しなくなった。周囲の学生たちはあまりフェイスブックを使わず、主にツイッターとライン、そして写真が中心のインスタグラムを使っているようだ。

 

ツイッターは匿名で使用する人が多く、不特定多数の人たちに向かって自分が言いたいことを発言する道具というイメージをつい最近まで持っていた。それは私自身も実名ではあるものの、当コラムで書いたことを不特定多数の人たちに広める宣伝用という意味合いで使うことが多いのも影響している。

 

だが、日常生活の中で私が接している学生たちは、どうやら全く違うツイッターの使い方をしているようだ。ご存じの人もいるかもしれないが、ツイッターには“カギ”をかける機能がある。これは、自分がつぶやいた内容を見てほしい人だけに見てもらうためにカギをかけるというものである。だから仲良しグループのメンバーがおのおのツイッターのアカウントを持ち、カギをかけた閉じられた空間の中で日常生活について書いたものをお互いにたえず読んでいるらしい。数人の学生たちが集まると「◯◯ちゃんは昨日から就活で東京に行ってるらしいよ。ツイッターでつぶやいてたよね」「最近△△くんはあまりつぶやいてないけど、どうしたんだろう」「□□ちゃんは最近どうもいやなことがあったらしいね」といった会話が飛び交う。面と向かっている時だけでなく、遠く離れていてもたえず様子はわかる仕組みとなっているらしい。

 

ところで、ある男子学生が、ここ2カ月ほどフェイスブックとツイッターに触れるのをやめ、SNSのうちで使うのはラインだけに絞ったという。「なんだかスッキリしました。あれは中毒みたいなものですよね」との感想をもらした。ただし、ツイッターで行方がつかめない彼のことを心配してか、「“生存確認”のための友達からのメールやラインが増えました」と苦笑いした。

 

そう言えば、私もこの夏にほんの1週間ほどだったが、フェイスブックでもツイッターからも発信しない時期をなんとなく作ってみたことがあった。その時のなんとも言えない解放感は味わい深いものだった。しばらくたってネットの世界に復帰すると、そのまままた使い続けているのだが。

 

便利な道具を手にするとなかなかそれを手放すことができなくなる。それは前述の男子学生が言った中毒という側面もあるだろう。だが、どんな時にも絶えず誰かとつながり続けていることの“うっとうしさ”を感じられる感覚は持ち続けておきたいし、誰ともつながっていない瞬間があってもさびしがらずにいられてひとりを楽しめる強さも残しておきたいと思っている。便利ではあっても、その道具に踊らされしばられる状況にはなりたくないからだ。

 

(近畿大学総合社会学部准教授)