『時の鳥籠』 浦賀和宏 | たまらなく孤独で、熱い街

『時の鳥籠』 浦賀和宏

時の鳥籠 浦賀 和宏
時の鳥籠
(講談社ノベルス)
初版:1998年9月5日
 
 
 
 
タイムマシンやら、タイムトラベルやら、タイムリープやら、タイムボカン(意味不明)やら、過去や未来へ行く物語は多いですね。
もっとも最近は「時間」をメインで描くのではないので、どんな方法であれ自由に行けますね。
単なる小道具扱いですから。
でも一応、どう処理するのかな~と「パラドックス」は気にします。
こんなこと書くとSF原理主義者とか言われるのかな(笑)。
 
「親殺しのパラドックス」というのがあります。
自分が生まれる前の過去に行き、親を殺したらどうなるか?
親を殺す→自分は生まれない→すると親は殺せない→すると自分は生まれる→すると親を殺す・・・・・・。
と、無限ループに陥るわけですね。
今はそんな「パラドックス」を誰も気にしませんが、昔は色々な解決法(?)が書かれました。
「親に会えない」「自分は消滅する」「本当の親ではなかった」「宇宙が消滅する」「時間が永遠に停止する」「夢だった」「戻ってきたら、世界がすっかり様変わりしていた」等々。
タイムトラベル自体が机上の空論ですから、なんでもアリですが、私が気に入っているのは「パラレルワールド」ですね。
つまり、この世界と並行している世界が無数にある。
この世界をAとすると、過去へタイムトラベルをしたつもりでもA世界の過去へ行くのではなく、並行しているB世界の過去へ移動。
A世界では自分は消えたまま進み、B世界では自分が現れて進む。
このときからAB両世界は違う歴史を歩むわけですね。
B世界で親を殺そうが何をしようが、A世界には無関係。
B世界に自分がいても、同じ自分なんだけどAとB違う世界の自分だから、共存してもOK。
なんとなくこの考えに破綻はないようだ(笑)。
 
さて、安藤直樹シリーズ2作目ですが、今回は安藤直樹は出てきません。
その代わり、過去へタイムトラベルした(?)浅倉幸恵がメインです。
そして、安藤裕子と出会います。
いや、浅倉幸恵を過去へ送った(?)人は安藤裕子を救えと言い残します。
タイムトラベル?
うっそー。
なぜ?
どうやって?
疑問は尽きないと思いますが、それは読んでのお楽しみです(笑)。
 
ラストで明らかなる、「メビウスの輪」のような浅倉幸恵の行動。
これこそ「パラレルワールド」でなければ、パラドックスが生じます。
宇宙が消滅しちゃいます(笑)。
だって・・・・・(中略)・・・・なんだもの。
なんでもアリとは言え、普通に考えればそんなことは無茶苦茶でんがな。
でも、物語的には「なるほど」と辻褄が合ってるような気もしますが。
 
 
 
「静かで、そして、冷たい」(森博嗣)。
たしかに、言い得て妙ですね。。
しかし、あえて言うならばミステリにする必要があったのか。
メフィスト賞作家としては、仕方なかったのか。
まあ、浦賀和宏が本格派のミステリ作家でないことは救いだけどね。
 
最後に。
正直、読みにくかったです。
浅倉幸恵がやたらとメソメソするので。
「いいかげんにしろ」と本を投げたくなった。
「それがいいんだよー」という萌えの人もいるかもしれませんが。
私はダメだったな。
 
さて、次を読むか。
すっかり浦賀和宏にハマってしまった今日この頃(苦笑)。