この日、初めて「時刻」というものを知らせたことによる記念日です・・・・・・5 | KEIのブログ

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ちょっと気になることを書いています。

今日は時の記念日ということですが、続いては、「時物語」というのがございますので、「時の誕生日」から順にお話をしていていきたいと思います。



参考までです。




時の誕生日―。



待ち合わせや約束 、お店の開閉店時間、そして出勤・登校時間など、私たちは時間の概念のない生活など考えられない暮らしをしています。そして、忙しさのあまり時間に縛られるように生活しているのも事実ですね。ところが、私たち人間にはもともと、時間という概念がなかったのです。

その人間が作り、ともすれば現在の私たちの生活まで左右する時間。いったい、どのようにして私たちの暮らしに入り込んでいったのでしょう。

日本で初めて 時が刻まれたのは、西暦671年。天智天皇が漏刻(水時計)を使って、民衆に時を知らせたのが始まりと言われています。それは一部の地方に限られたことで、ほとんどの人は、日が昇れば仕事を始め、日没とともに家へ帰る、そんな暮らしをしていたようです。それぞれの人がそれぞれの時間を計っていたということですね。その後も、特に定まったものはありませんでしたが、各地方のお城やお寺で、鐘や太鼓を鳴らして民衆に時を知らせていたということはあったようです。
同じ日本でも、地方によって太陽の出没時間が違うので、それぞれの時間(地方時)が存在していたのです。


やがて、時は流れて 1873(明治6)年、太陽暦の使用とともに、ようやく日本でも時刻制度が法制化されました。とは言うものの、東京は東京の時刻、大阪は大阪の時刻、気象台は京都の時刻、そして各地方には依然として、地方時が根強く残り続けていたようです。


そして1888(明治21)年、世界標準時に合わせて、日本標準時を設定しました。明石の地方時がイギリスよリ9時間早い日本の標準時と定められたのです。


このようにして、時間はわたしたちの生活にはいってきたのです。
社会はより高度になり、1日単位の時間さえ分かればよかった時代から、1分1秒を争うような時代になりました。


複雑化した 私たちの社会を、より円滑に進めるために作られた時間。そして、時間に縛られるように暮らす私たち。ここにおかしな逆転現象が生まれたのです。昔の人は”早起きは三文の得”と言いました。今のように時間に縛られることがなかった昔の人から私たちは、「時間にゆとりをもつこと、時間とうまく付き合うことは、ゆとりある暮らしには欠かせない」ということを教えられているような気がします。


普段私たちが 使っている腕時計や掛け時計、電気製品に付属している時計などは、長い間に必ず誤差が生じてきます。
もちろんそれは承知のうえで、その誤差をアバウトに計算に入れ、私たちは毎日時刻を計っている訳ですが、では、日本で一番正確な時刻、今の標準時はどこで計られているのでしょうか?
NTTやテレビ局と思われている方が大半だと思います。実際、NTTの時報は有料ですし、テレビは公共の電波を使って多くの人に伝えている訳ですから、間違った時刻を流していることはありません。しかし、NTTやテレビ局で使われている時計は、水晶発振式。私たちの腕時計などと同じ仕組みです。精度もあまり変わりませんので、同じように進んだり遅れたりします。



では、一体どこで? 


実は、(独)情報通信研究機構がセシウム原子時計を使用して計っているのです。


セシウム原子時計は、3000年~30万年に1秒しか誤差が生じないという超高性能。日本の標準時はそこで刻まれているのです。NTTやテレビ局もそこにつないで、誤差の積み重ねを無くし私たちに正確な時間を伝えているのです。



時の記録―。


私たちは 、大昔から太陽の動きとともに生活をしてきました。お陽さまが昇れば朝、真上にあればお昼、沈みかければ夕方、沈んだら夜という1日の流れは今も昔も変わりません。1日というのも、お陽さまが地球を1周する動きが基本の単位です。時間も時計も、そうした太陽の動きをもとに生まれました。日時計の発明がそうです。しかし、時が発見されて以来長い間、私たちは各国、各地方によって異なった時間を使用していました。これは、地球の表と裏では昼夜が逆転するように、それぞれの土地での太陽の動きをもとに、時間を設定していたためです。
では、私たちの 生活に決まった時間が取り入れられたのは、いつからでしょうか。19世紀末、欧米諸国の間で、時間に国際的な統一性をもたせる気運が高まりました。それは、当時の産業革命による急速な近代化にともない、発達し始めた交通網や通信システムに不都合が生じてきたためです。そこで、1884(明治17)年にアメリカのワシントンで「本初子午線並計時法万国公会」が開催され、世界中の経度と時刻の基準となる子午線(本初子午線)に、イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線が選ばれました。


現在、世界で 運用されている時刻の国際的な基準は、この会議で決められたものです。この会議により、本初子午線を0°とし、経度を15°隔てるごとに、1時間刻みの時差が設定されました。地球は球体ですので、360度を1日24時間で割ると、15度で1時間の時差ということになるわけですね。360°(地球の回り)÷24(地球のおよその自転時間、つまり1日)=15° また、その15°ずつの子午線の中で、その国を通るうちの1つを、その国の標準時子午線とすることなどが決められました。子午線(経度)が何本も通るような東西に広い国でも、基準となる標準時子午線は1つだけです。(ただ、国内を通るどこの経度を基準にするか、また、その国の中で時差を使うかどうかは各国の国内の問題であり、他国が干渉することはできません。)


日本でも 、この決議にもとづき、1886(明治19)年7月12日に、明石市を通る東経135度の子午線を、日本の標準時子午線と決定しました。そして、1888(明治21)年1月1日午前0時より、標準時が使用され始めました。これにより、明石の地方時間が日本の標準時間となりました。現在、私たちが何気なく使っている時間は、この時が基準となっています。この時から、明石市の街は「時のまち」としての歴史を刻んでいます。



時の豆知識―。



日本国内で1時間20分ずれ?!
日本に時差は、なぜないの?!



今の日本では時差を設定していません。東京が夜の7時なら大阪も夜の7時ですね。しかし、実際は北海道と沖縄県との間には、約1時間20分ものずれがあります。これは、同じ時刻でも、その地方ごとに太陽の位置が違うからです。例えば、午後6時に北海道では暗くなっていても、沖縄県ではまだ太陽がのぼっているということがありますね。実は、100年以上昔の日本では、各地ごとに地方時間が使われていました。東京と京都の時刻に差があるのは不都合だということで、1878(明治11)年に一旦京都の時刻が標準時に定められたのです。



1日中スポーツ生中継観戦もOK?!
アメリカ本土で4つの時間帯



通信技術の進歩によって、テレビの衛星生中継も当り前になりました。深夜や早朝のオリンピック等の衛星生中継で、寝不足になった経験をもつ人も少なくないことでしょう。もっとも、時差のない日本では、国内で開催されるスポーツの生中継で、寝不足になるということはまずありませんね。ところが、アメリカでは、本土だけでも4つの時間帯があり、東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルス(L.A.)とでは、3時間もの時差があります。例えば、東海岸のマイアミで正午にゲームが始まるとすると、L.Aではまだ午前9時、朝食の時間。ですから順に、次はシアトルのデイゲーム、夕方はニューヨークからの中継、そして晩は地元L.A.でのナイトゲーム、と朝から夜中までテレビの生中継で、一日中スポーツ観戦を楽しむことができますね。



えっ、夜明け前に通勤ラッシュ?!
中国の不思議な時間設定…



中国の国土は世界の陸地の約1/15、アジアの約1/4を占め、東西で5,200キロの広大さです。実に、経度にして60°もの幅があります。15°につき1時間の時差ですから、本来ならば、時差が4時間あるはずなのです。しかし、中国では現在、北京の時間だけを標準時間として使っていて、国内での時差はありません。例えば、朝の出社時刻に東の上海では太陽がのぼっているのに、冬の西部地区ではまだ夜が明けていないこともあります。つまり、夜明け前に通勤ラッシュが始まることになりますね。太陽の高さに一致しない時刻制度は、時差のない日本の私たちにも不自然な感じがしますね。



今日から昨日へタイムスリップ


日本から太平洋を横断し、アメリカ大陸へ行く場合、途中に日付変更線があって、前日に戻りますね。1日だけですが、若返ったような得をした気分になります。日付変更線は当然1つしかないわけですが、なぜ太平洋上にあるのでしょうか。それは、時間の決められ方に関係があります。世界の時間はロンドンの本初子午線を0°として15°ごとに1時間の時差ということが決まってます。ロンドンを基準として、東はプラスの時間、西はマイナスの時間ということです。ロンドンのちょうど反対側の太平洋上の子午線は、プラス12時間(東経180°)とマイナス12時間(西経180°)が重なる訳です。つまり、今日の午後12時と明日の午前0時とがぴったりと重なり合います。ここが、昨日と今日、今日と明日の境界線、日付変更線なのです。この線がなければ、私たちは今日から昨日だけではなく、明日へもいけないのです。



花も時間を
教えてくれる


この花、何かに似てませんか?
そうです、その名もずばりトケイソウ。この花、花弁が時計の針に似ていることからこの名がつけられています。トケイソウ科のつる性常緑多年草で、ブラジル原産です。日本には亨保年間(1716~1736)に渡来しました。



世界で一番早い朝と遅い朝


日付変更線は、東経180°西経180°の重なるまっすぐな子午線上にあるはずなのですが、実際には1つの国の中で日付が分かれないように、海の上の国境で調節してあります。そのために、トンガ王国は世界で1番早い朝を迎え、西サモアのサバイイ島西端ファレアルポ村の岬は世界で1番遅い夕暮れを迎えます。両国の間は、わずか200kmぐらいしか離れていませんが、ロンドンを基準とした理論上では、地球1周分も異なるために、1日違ってくるのです。アメリカ大陸やヨーロッパ大陸を日付変更線が横切っていたら、たしかに不便かもしれません。しかし、南太平洋の人々は、そんなに問題にはしていないようです。現代社会においては、1分1秒を争い、細かく刻んだ時間に追われる毎日ですが、南の島の人たちにとっては、「そんなに焦らず、もっとのんびりしようよ」と言いたいところかもしれませんね。



ロンドンに響く鐘の音はいつかのメロディ


学枚のチャイムとして聞き慣れた♪キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン♪。こう書いただけで、メロディが思い浮かびますね。このメロディのタイトルは、ウェストミンスター・チャイム。しかし、このメロディは、ロンドン・ウェストミンスター寺院の鐘の音ではありません。実は、このメロディ、寺院の西のイギリス国会議事堂にある大時計のもの。
高さ98mを誇り、4つの面に文字盤を持っているこの大時計塔こそが、テムズ河畔のロンドン名物ビックベン。もともと、ビックベンとはこの塔に取り付けられた巨大な時鐘の愛称で、鐘の初代設置委員長のあだ名からきています。ビックベンの鐘の音は毎日正午に鳴らされ、ロンドン中に響きわたります。このメロディをウェストミンスター・チャイムというのは、塔時計ビックベンがウェストミンスター地区にあることに由来します。



時の微調整、
1分が61秒の謎。


”閏年”というのはよくご存じだと思います。地球の中途半端な公転周期のために、4年に1度、2月を1日多くする年のことですが、私たちが使っている現在の標準時には、“閏秒(うるうびょう)”なるものも存在するのです。1900年の初めに合わされた現在の標準時と、微妙に変化しながら回る地球の自転速度の間には、ずれが生じてしまいます。
そのずれは、閏秒年間で0.9秒以内に収まるように決め、それ以上のずれが生じるようになれば、”閏秒”が実施されているのです。
たかが1秒のこと。でも、“閏秒”がなければ遠い未来には、正午に日が沈んでいたり、“丑三つ時(午前2時)が明るかったりしてしまうのです。



中途半端な1日24時間、
1時間60分のわけ。


12・60進法とは、古代人が生活に基づいて作り出したものです。月の満ち欠けは30日のサイクルで、それが12回来るとまた同じ季節が来る。数字的に見ても、整数で1日をいくつも分けるには、この12・60進法が、都合がいいのです。紀元前3000年頃のエジプトでは、すでに昼と夜とをそれぞれ12分割していたようです。今の時刻体系が10進法を採用していたら、時間の計算はずっと楽になるでしょう。でも1日を、例えば10時間サイクルで基準にしていれば、1時間は非常に長いものになってしまいます。
やっぱり、一日24時間とは、私たちの肌に合った時間のサイクルなのですね



時を計る”時計”は、
当て字。


私たちがふだん使っている”時計”。言葉で見ても、腕時計、掛け時計、目覚し時計、腹時計、水晶時計、機械時計とありますが、実はこの“時計”は当て字なのです。
語源は、中国で使われていた”土圭”。圭は影のことで、土の移る影、つまり日時計を指しています。日本でも、江戸時代にこの文字が使われていた記録があり、この説の信憑性は高いのです。

”時を計る”という意味で、”時計”の方がしっくりするのですが・・・。



時間と干支


中国では、古くから図のように方位や時刻を十二支で表わしていました。これは昔の日本でも、よく使われていましたね。例えば、真夜中を「丑三つ時」という言い方はご存じの方も多いでしょう。方位については、真北を「子」、真南を「午」と呼びます。
つまり、子午線とは、「子」と「午」の方角、真北と真南を結んだまっすぐな線という意味です。
このように、子午線はある場所を基準として、その場所を通る南北の線のことを指しますので、一つではなくどこにでも無数にあります。ただ、子午線は地図上のことですので、実際には目で見ることはできません。明石市は、「子午線の通るまち」といわれますが、正確には「日本標準時の基準となる東経135度の子午線の通るまち」という意味です。この日本標準時の基準となる東経135度の子午線は、丹後半島の西部から紀伊水道を南北に通っていて、その上には明石市を含む11市があります。


つまり、「日本標準時の子午線が通るまち」は、明石市だけではなく、12市があるのです。



時計回りって
どうして右なの?


時計の針は普通、右回りをします。そして、私たちがよく使う運動場のトラックなどは左回りです。人間の構造から見ると、実は左回りのほうが自然なようです。では、なぜ時計は右回りなのでしょう。私たちの住む北半球では、日時計の影は右周りをします。機械時計は、昔からあった日時計を参考にして造られたので、文字の配列、針の動きなどには、日時計の動きが受け継がれたのです。さらに時計が発明された当時は、北半球に文明が集中していたので、時計の動きは右回りで統一されたと言われています。もし、当時の南半球に文明が発達していたら、時計は左回りになったかも知れませんね。




こちらを参照いたしました。
http://www2.city.akashi.lg.jp/sangyou/kankou_ka/tokimono/index.html




明石市ホームページ
http://www.city.akashi.lg.jp/index.html




参考までです。