花の幻 - 原民喜の 『碑銘』 | 映画探偵室

花の幻 - 原民喜の 『碑銘』

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久世光彦のエッセー「泰西からの手紙」より

 私には、街のあちこちに火を放ってローマを焼いたネロの気持ちがよくわかる。若かったころ、ネロは小さな町を焼いたことがあったのかもしれない。だから、もっと大きな町が燃えるのを見たかったのだ。歴史に残る悪名と引き替えに、彼は自分の中の熱い欲望を解き放った。ローマの街も静かに崩壊していったのだろう。火焔が街の辻を走り、人々が声もなく逃げ惑い、いま天空に天動説が蘇って大きく揺れ - それを見ているネロの冷えた頬に、至福の微笑が湖のように広がっていく。

 昭和二十六年に、四十五歳で自死した原民喜という詩人がいる。あの日、広島で原爆に遭い、その見たものを執拗に書きつづけ、歌いつづけ、もうこれ以上歌う歌がなくなって死んだ。作品の多くは被曝地の悲惨な人と情景を歌ったものだが、その中に「碑銘」という短い詩(注1)がある。

遠き日の石に刻み
 砂に影おち
崩れ堕つ 天地のまなか
一輪の花の幻

 この人の詩には、「碑銘」にしても「風景」にしても、最終の一節でそれまでのイメージを逆転してみせるものがよくあるが、「碑銘」の《一輪の花の幻》の一行は、みごとに大きく鮮やかである。その花を白と見るもよい。焔に負けないくらいの赤と見るもよい。私はあの夏の夜(注2)、火柱の群れの上に開いた、忍冬(にんどう)の貧しい薄着色を想う。原民喜の空を一瞬過って消えた花の幻は、どんな色をしていたのだろう。彼の見た花は、数え切れない死者たちへの弔花でもあったろうが、美神が天から降らせた快楽の匂いを放つ幻花だったのである。ほかにどんな凡作があろうと、詩人は奇跡の歌がたった一つさえあれば、美神とまぐわったと言うことができる。原民喜が白昼の空に見た幻は、こうした悦楽の色に染められた大輪の花一輪だった。やがて更に歳月が経ち、私たちがおなじ作者の「夏の花」を忘れ、「原爆小景」を忘れてしまっても、「碑銘」の一篇は、空に不幸が訪れる度に、私たちの上に蘇ることだろう。
(中略)

 そのメロディは、昭和四十一年三月の終りに俳優座小劇場で上演された「自由少年(花の幻)」という芝居のなかで歌われたものだった。田中千禾夫の作で、演出が千田是也、俳優座養成所十五期生の卒業公演である。その年のメンバーは逸材ぞろいといわれ、男は原田芳雄、高橋長英、地井武男、林隆三、小野武彦、村井国夫などいまを盛りの俳優たちが並び、ほかにも「上海バンスキング」の斎藤憐の名も見える。女は栗原小巻、青木一子、三田和代 - みんな若く、野心に目が炯り、ひとりでに体が弾むのをもて余しているような若者たちだった。私は隅の客席で、獣が吠えるみたいな彼らの声を快く聴いていた。黒いタイツ姿の栗原小巻の手足が長いのに目を瞠っていた。- そして《遠き日の石に刻み...》が聞こえてきたのである。きれいな女性コーラスだった。私は舞台の上に、銀色の爆撃機の編隊がゆっくり舞うのを見た。涙はいつまでもかわかなかった。

八月になると、いつもこの歌を思い出す。

注1:広島の原爆記念館の片隅にこの詩を刻んだ詩碑が立っている。
注2:この「花の幻」というタイトルのエッセー冒頭で、久世光彦は終戦間近に富山で受けた大空襲の想い出を語っている。