今朝の日経新聞朝刊コラム春秋の記事が「サモア」の話でしたので、すぐに反応してしまいます。
もう二十数年前になりますが、1年ほど、サモアで空港建設に従事した経験があり、とても懐かしくなりました。

サモアは戦時中、直接戦場にならなかったせいか、非常に親日的です。当時から優秀な学生や若手官僚の中には、日本に留学する機会もあったようです。中には日本でお嫁さんまで見つけてくる方も何人もいました。

以前も書きましたが、私が駐在していた頃にも既に中国からの援助は始まっており、地政学的な観点から日米欧と中国・旧ソ連との援助競争といった感じでした。
でも、青年協力隊やJICAの専門官の方々による草の根的な支援や、無償援助や円借款等による支援等で培われた絆は強いものだったと思っています。今はラグビー等でも交流が進んでいます。(体力の違いで日本は簡単には勝てませんが)。今年1月には在サモア日本大使館が開設された由。人的な絆は、物質的な絆とは違う意味合いがあるはず。両国間で、渡航も増え、人的交流も深まることでしょう。

そういえば、サモアにも南洋桜と呼ばれるきれいな花が6月頃、咲いていました。ちょうど乾季に入る頃で、朝晩は涼しく、海の見える高原にいるような気持になります。

私の職業人としての原点、サモア。 あの当時は、箱物を基点としておりましたが、今の私の仕事は、「人」「組織」が基点。その観点で、改めてあの国を見ることができたら、新たな発見があるかもしれません。