ここは島根半島東端にある松江市郊外の美保関。
中世以降の美保関は西廻り航路の風待ち港として、奥出雲産の砂鉄を原料とした鉄製品の積出港として栄えました。
奥出雲で産出された砂鉄はたたら製鉄によって鋼に加工され、安来から中海をわたって美保関に送られた後、全国に出荷されます。
安来には出雲の鋼文化を今に伝える日立金属安来工場があります。
戦国時代、美保関はこれら利権を狙う尼子氏と毛利氏との争奪戦の場となりました。
また、えびす信仰の総本社、美保神社の門前町としても知られています。
「出雲だけでは片参り。」 出雲大社に参拝したなら必ず美保神社も参拝することとなっているくらい有名な神社。
主祭神の事代主命は大国主の長男で、国譲り神話の主人公の一人です。
物流や参拝のため全国からの人々が行きかう美保関には、北国さんや太鼓さんといった珍しい苗字が残っています。
そんな1軒だけある太鼓姓の太鼓醤油店さんにお刺身用のお醤油を買いに出かけました。(過去記事はこちら。→★★ )
そのついでと言ってはなんですが、ここまで来たら美保関灯台にも足を伸ばさねば。
美保関の町から海岸沿いをさらに東へ3kmほど、島根半島最東端の地蔵崎に到着。
島根半島東端地蔵埼には山陰最古の灯台、美保関灯台があります。
スキンにも使ってるあの燈台ですよ。
1898(明治31)年、フランス人技師の指導によって、私の地元片江の石工石橋常太郎によって建設されました。
今は寂れた片江ですが、機船底曳網漁の考案者渋谷兼八・都田久次郎など時代の先駆者を多く輩出した土地柄だったようですな。
美保関灯台は「世界の灯台100選」・「日本の灯台50選」に、2009年にも選ばれています。
2007年には国の登録有形文化財に、2009年には近代産業遺産にも指定されました。
さてさて、抜けるような青空の地蔵崎。
いつも曇り空と思われている山陰ですが、こんなきれいな青空ものぞめるんですよ!!笑
リアス式海岸の島根半島北海岸は、湾が入り組んでいる上に山が海のすぐ近くまで迫っています。
なかなか果てしなく続く水平線を拝めないところが多いのですが、ここだけは別。
視界は200°以上、彼方には60km海上に浮かぶ隠岐諸島も見えております。
青い空に群青色に広がる海、白亜の燈台がよく似合いますな。
燈台の脇に鳥居が建っています。
鳥居の向こう、高さ90mの断崖絶壁の直下に浮かぶのが地之御前、かなた沖合いに浮かぶのが沖之御前。
この2つの島が国譲りの舞台といわれる島で、どちらも島そのものが美保神社の御神体です。
神々の集う出雲の国にはパワースポットが数ありますが、私の一番のおススメはここ。
大国主に国譲りを迫った大和の神々は、その息子事代主に再度国譲りを迫りにここ地蔵崎にやってきました。
沖之御前で鯛を釣っていた事代主は国譲りを承諾すると逆手で拍手を打って海にお隠れになったといいます。
大和の使者が船に乗って沖之御前に向かう様子は諸手船神事として。
事代主がお隠れになる様子は青柴垣神事として今に伝わります。
事代主が鯛釣りをしている姿が今の七福神の1人、えびす様の姿になったと伝えられます。
何度か書いていますが、えびす信仰には2種類あります。
西宮神社を総本社とする蛭子信仰、イザナギ・イザナミの不具の子、蛭子神が常世から流れ着いたという神話に基づくもの。
そして、美保神社を総本社とする事代主信仰があります。
あの沖合に見える小さな島がまさに神々が釣りをし、国の行く末を話し合った場所。
これ以上のパワースポットはありませんな。ただし...ご神体なのに航路標識が建っています。涙
地蔵崎と沖之御前の間は隠岐航路のルートにあたっているのです...この狭い海域をわざわざ通らんでも...ゴホゴホ。
雄大な景色も神々しさを感じますな。
しかし...いくら最強のパワースポットでもおなかは減ります。爆
このあと松江に帰ってお楽しみの晩御飯です。
■美保関燈台
島根県松江市美保関町美保関
日本の燈台50選
世界の燈台100選
登録有形文化財・近代産業遺産
位置 北緯35度34分03秒 東経133度19分31秒
実効光度 490,000カンデラ(車のヘッドライトの約33倍)
光達距離 23.5海里(約44km)
高さ 14.0m
標高 82.91m
JR山陰本線松江駅から50分
JR境線 境港(ねずみ男)駅から20分