小豆雑煮@出雲地方のお雑煮とお雑煮文化圏 |   + Mother Lake +

  + Mother Lake +

著作権は放棄していません。写真の無断引用はおやめください。

みなさま今年もよろしくお願いいたします。

さて、去年も一昨年もまったく同じお雑煮の記事だったような気がしますが.............笑
毎年ウケルので今年もまた..........金箔まで一緒やし。笑
あ、記事の内容は違いますよ。1年間それなりに勉強してまいりましたので。

わが家のお雑煮はこれ小豆雑煮です。



甘く炊いた小豆に茹でた丸餅。

甘くといってもぜんざいほど甘くはなくあっさりとした甘さに仕上げてあります。
ちなみに金箔は10月の越前・加賀の旅のお土産、本来は入るはずもありませぬ。

下の写真は妻が間違って焼いた丸餅を入れてしまった小豆雑煮。

焼いた餅を入れるのは本来の小豆雑煮ではありません。
まぁ白味噌雑煮の京都人にはムリもないことですが......いや京都でも餅は煮るはずなのに!
焼いた餅をお雑煮に入れるのはそもそも東日本の文化なのです。



お雑煮は、
①角餅・丸餅②焼く・煮る③あん餅を煮る④白味噌仕立て⑤赤味噌仕立て⑥すまし仕立て⑦小豆汁
これらの組み合わせによって文化圏ができるのだそうです。

ちなみに丸餅と角餅の境目は、石川県加賀市⇒福井県大野市⇒岐阜県不破郡⇒三重県名張市⇒
和歌山県白浜町を結ぶ線で東西に分けられるそうです。これより西が丸・東が角というわけ。

日本の東西はよく関ヶ原が境目といわれますが、これもやはり関ヶ原あたりですな。

いや実際には東西文化の境目は、関ヶ原の東隣の岐阜県不破郡垂井町だと言われています。
うどんのだしの味、エスカレーターの右乗り左乗り、マクドorマックなどほぼこの町が境目だそうです。

注目すべきは石川県、金沢市は角餅、加賀市は丸餅ということになりますが実際どうなんでしょう?



小豆雑煮の分布は、島根県東部を中心に鳥取県、兵庫県北部の海沿いから能登半島や新潟、兵
庫県の揖保川流域などに点在しており、新潟や能登半島というのが国引き神話で、八束水臣津之
命に引っ張られてきた土地に共通するところから、ボクは出雲神話との関連を疑っています。

さて、もうひとつ気になるのは兵庫県の揖保川流域。

時代は変わって戦国時代の末期、織田信長公の中国方面軍羽柴秀吉の先鋒として、出雲の戦国
大名尼子氏の末裔尼子勝久とその家臣は、播磨国上月城で最期を迎えました。
尼子氏とその家臣の子孫が、ここ上月城のある兵庫県佐用町周辺に住み着いたと考えても不自然
ではありません。

などと、雑煮ひとつにもいろいろな歴史が隠れていそうです。

正月2日のお雑煮は、すまし仕立てに天然の岩海苔を載せたもの......ですが、今年は岩海苔
が手に入りませんでした。市販の板海苔でも雰囲気は味わえますが....やっぱりねぇ。泣