新島八重展とマリー・アントワネット展 | 西陣に住んでます

新島八重展とマリー・アントワネット展

西陣に住んでます-新島八重&マリー・アントワネット


四万十市40010℃!・・・じゃなかった(笑)41℃の気温が観測される昨今、皆様におかれましても暑いお盆休みを過ごされていらっしゃることと存じます。私はこのお盆休み、読書三昧をして過ごしていますが、読んでいる本の中には、新島八重マリー・アントワネットに関連する本も含まれます。

今、京都では新島八重の生涯を紹介する「八重の桜」展(京都文化博物館)が、神戸ではマリー・アントワネットの生涯を紹介する「マリー・アントワネット物語」展(兵庫県立美術館)が開催されています。実は先月これらの展覧会を訪れてめちゃくちゃディープに感動したことが彼女たちの関連本を読むモティヴェイションとなっています。

新島八重とマリー・アントワネットといえば、まったく違った二人のように思えますが、実は、それぞれ明治維新/フランス革命が勃発した大きな歴史の転換期に、その歴史の流れをしっかりと受け入れて堂々と生きたというマクロスコーピックな点が共通しています。

以下、それぞれの展覧会についての感想を書きたいと思います。




女の子新島八重展女の子

今年の1月に数量化理論Ⅰ類という統計学的手法を用いてNHK大河ドラマ「八重の桜」視聴率予測を行いました[記事]。その結果、平均視聴率が15.12%という予測値が得られましたが、31話までの平均視聴率は15.2%だそうです[スポニチ]

現在のところかなりいい線いっているのですが、ドラマの内容を観る限り、このドラマはもっと視聴率を稼いでもよいと私は個人的に思います。ここのところ一話一話が感動的で毎回毎回涙があふれちゃってます(笑)

NHK大河ドラマ「八重の桜」展は、ヒロインの新島八重とその関係者にフォーカスをあてた感動的な展覧会でした。特に印象深く心に残ったのは会津藩の子供たちのグループである什(じゅう)に課されていた什の掟(じゅうのおきて)です。

什の掟

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ→①
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ→②
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ→③
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ→④
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ→⑤
一、戸外で物を食べてはなりませぬ→⑥
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ→⑦
ならぬことはならぬものです→⑧


このうち③④⑤は現代にも通じる社会的常識です。それに対して、①②⑦については社会的地位を規定する観念、⑥は礼儀を規定する観念であり、現代には通じないクラシカルなコンセプトです。そして⑧はまさにA=Aという同一律であり、自明な論理によって上記の掟にそむくことを禁じていたわけです。ここで、この現代には通じないコンセプトは当時も不合理であったかとなると、逆に合理的であったかと思います。儒教が定着していた江戸時代の武家社会の中、とりわけ義を重んじた会津藩のシステムにおいて、このようなコンセプトは、社会秩序を守るための子供の心得として極めて重要であったと思われます。

櫻井よしこさんの本で知ったのですが、この什の掟が現在の会津若松市によって「あいづっこ宣言」として生まれ変わっているようなんです。

西陣に住んでます-新島八重

[あいづっこ宣言]

一 人をいたわります
二 ありがとうごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯なふるまいをしません
五 会津を誇り年上を敬います
六 夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです


この宣言を作った人を心から尊敬します。過去の歴史が生んだ什の掟という貴重な財産を現代に通じるように見事に書き換えていると思います。何のゆかりもない私ですが、会津若松市のことが大好きになってしまいます。

なお、この会津藩の「ならぬものはならぬ」という同一律は、適正な理由がある場合に正しく機能するものであって、適正な理由がない時にスローガンとして使われると非常に危険なものとなります。その昔、社会党の土井たか子氏は合理的な理由を述べることなしに「ダメなものはダメ」と言って大ブームを起こしました。「ダメなものはダメ」という言葉のインパクトを利用して政策に合理的な理由がなかったことを隠したのです。この「ダメなものはダメ」路線を続けてきた「理由なき反抗」政党の社民党が、その後没落の一途をたどり風前の灯火となっている現況は、至極妥当な結果といえるかと思います。

八重の兄の山本覚馬が学問的な才覚に優れていたことも新しい発見でした。ただのお兄さんではなかったんですね(笑)。また八重もかなりの勉強家であったこともわかりました。

そして、最も感動して思わずもらい泣きしてしまったのは、藩主松平容保の命を助けるために罪状を引き受けて切腹した萱野権兵衛にあてた照姫(容保の義姉)の率直な謝罪の手紙でした。

夢うつヽ 思ひも分す惜むそよ
まことある名は 世に残るとも

偖此度ノ儀誠恐入候次第全御二方様御身代ト存自分ニ於テモ何共申候様モ無ク氣毒絶言語惜シキ事ニ存候右見舞之為申進候

このたびは誠に恐れ入ります。お二人の殿の身代わりと存じておりますが、私としても何とも申し訳なく、お気の毒で言葉にもできないほど惜しいことと存じております。お見舞いのため歌をおくらせていただきます」


手紙を受け取った萱野権兵衛は手紙を名誉に感じて泣いたそうです。この手紙から推察される関係こそ、今は無き武家社会の美しい主従関係の最終形であったのではと考えます。本当に貴重な史料であると思います。



女の子マリー・アントワネット展女の子

ブルボン王朝からフランス革命を介して共和制に移行した激動の時代のフランスで、政略のため14歳でオーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットが、王族と貴族と民衆が複合的に織りなして形成されたさまざまな陰謀渦巻くシチュエーションに立ち向かった生涯を追うことができる興味深い展覧会でした。
マリー・アントワネットのステレオタイプな浪費イメージについては、ある部分は真実であり、ある部分は悪意ある創作であることが後世の研究によって明らかになっています。ただ、マリー・アントワネットが死を迎えた時点では、明らかに過剰な風評被害を受けていたことと考えられます。実は、メディアリテラシーが存在しない時代、マリー・アントワネットは、当時の主要な媒体であった「噂話」の最大の被害者の一人といえるかと思います。そしてそのような「噂話」が容易に伝達する情報ネットワークがプロパガンダを容易にして、それがフランス革命の隠れた原動力になった可能性もあるのではと推察する次第です。無実のマリー・アントワネットを巻き込んだ有名な首飾り事件やマリー・アントワネットの発言ではないと考えられている「パンがなければケーキを食べれば」発言など、ブルボン朝のシンボルを貶めるスキャンダラスな噂が飛び交いました。このような傍証が多々存在することから帰納的に考えれば、マリー・アントワネットは[プロパガンダの各種手法]の格好の餌食となっていた可能性があるものと思われます。

とても印象的だったのは、わずか14歳で単身で異国に嫁いだマリー・アントワネットがパーティーの女王になったのはティーンの時代であって、子供を産んだころには比較的落ち着いて、しかもどうやら悪い母ではなかったということです。やはり歳を重ねるごとにまともになっていくということでしょうか。

めちゃくちゃ大笑いしたのは、パーティーの時に頭にかぶった帽子です。
な・・・なんと、京都の祇園祭船鉾にそっくりなんです(笑)

西陣に住んでます-マリー・アントワネット

きっとパーティーフロアを「巡航」していたものと思われます(笑)
歴史を今の感覚で評価してはいけないのですが、
この帽子はちょっとばかりやり過ぎだと思います(笑)

そして、悲しいフィナーレに向かっていくマリー・アントワネットの上品な姿です。

西陣に住んでます-マリー・アントワネット



以上、新島八重とマリー・アントワネットの展覧会、本当に素晴しかったです。