週刊朝日「ハシシタ」問題の誤謬を指摘する(1) 佐野眞一氏の状況対人論証 | 西陣に住んでます

週刊朝日「ハシシタ」問題の誤謬を指摘する(1) 佐野眞一氏の状況対人論証

西陣に住んでます-週刊朝日


橋下徹大阪市長を対象とした今週発売の週刊朝日のトップ記事、
「緊急連載ハシシタ」には心の底から仰天させられました。
この週刊朝日の記事には、論点相違(論点すり替え)の誤謬である
「状況対人論証」の最たる例が含まれています。
このような記事を含む雑誌が白昼堂々と日本全国で販売されているのは

極めて憂うべき状況であると考えます。


・・・というわけで、私も「週刊朝日「ハシシタ」問題の誤謬を指摘する」

なる記事を今日から3回(予定)にわたって緊急連載したいと考えます。


このシリーズでは、週刊朝日「ハシシタ」記事および

この記事に対するメディアのレスポンスに内在している
論理学的誤謬(logical fallacy:論証の誤り)を指摘することで
ロジカルに日本のマスメディアの問題点を明らかにしたいと考えます。


ここで、最初に断っておきますが、
私は橋下大阪市長の政策は

現在の日本にとって最悪の政策だと思っています。

デフレ下における新自由主義政策はデフレをさらに拡大し、
消費税地方税化による道州制導入は日本の農村を滅ぼし、
国会定数半減などの場当たり的なポピュリズムは
日本を再起不能な状態に貶めてしまう可能性があると思っています。
そのため、次回の選挙において日本維新の会の立候補者には
できる限り当選してほしくないと思っています。


ただしこの私の個人的願望が、これから書こうとしている記事に
影響することはないと思っていますし、
これから書こうとする記事の結論がどうであろうと、
私の橋下氏の政策に対する低評価は変わらないことを断っておきます。


さて、プロローグはこのあたりにしておいて、
シリーズ第1回目の今回については、
佐野眞一氏と週刊朝日取材班が書いた「ハシシタ」記事そのものについて
論理学的誤謬を明らかにしたいと考えます。


週刊朝日の表紙(冒頭の写真)を見ると、

次のようなセンセーショナルな言葉が書かれています。


緊急連載スタート 佐野眞一
「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」
橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す


そして、実際の記事のイントロダクションを見てみると
次のようになっています。


緊急連載ハシシタ 奴の本性


第1回「パーティーにいた謎の人物と博徒だった父」
大阪府知事になって5年弱、橋下徹は一気にスターダムの座をもぎ取った。だが、彼への評価は賛否に分かれ、絶賛と嫌悪の感情は決して混じり合わない。彼の本性をあぶり出すため、ノンフィクション作家・佐野眞一氏と本誌は彼の血脈をたどる取材を始めた。すると、驚嘆の事実が目の前に現れた。第1回は、彼の実父の話から始める。


執筆:佐野眞一氏+週刊朝日取材班(今西憲之氏、村岡正浩氏)


まず、議論の当事者である橋下氏の個人名を故意的に誤読して

「ハシシタ」と呼ぶとともに、三人称を「奴」呼ばわりすることは、

論理学的に問題となる行為ではありません。

ただし、このような社会通念上のマナーから大きく逸脱した稚拙な演出は、

相手を侮蔑してその価値を低めようとする執筆者の悪意と、

それを許容する週刊朝日の編集ポリシーの非常識さを

読者に感じさせるに足るものであると考えます。

もっと言ってしまえば、橋下氏の本性をあぶり出すにあたって、

けっして頭の良いストラテジーとは到底思えず、

逆に執筆者と編集者の本性をあぶり出す結果となっているかと思います(笑)


また、「大阪府知事になって5年弱・・・」以降の文書は、

「佐野眞一氏と本誌は彼の血脈をたどる取材を始めた」と書いてある以上、

週刊朝日取材班が書いた文書であり、執筆者のみならず、

「週刊朝日」を出版している朝日新聞出版社自体が合意して、

いわゆる会社ぐるみで「血脈をたどる取材を始めた」ことがわかります。


ここで、私が問題としたい核心部分は次の一連の文書です。



はじめに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。


(中略)


もし万が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない。


(中略)


平成の坂本竜馬を気取って維新八策なるマニフェストを掲げ、この国の将来のかじ取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。



発言が論理的に正しいかどうかを判定するにあたっては、
その論理構造を把握することが重要です。
以上の発言のうち不要な修飾語を取り除けば、
論理構造を構成する論点を次のように整理することができます。


(1)橋下氏の政治手法を検証するつもりはなく人間そのものを解明したい。
(2)橋下氏が日本の政治に影響を持つとき、人格と本性が一番の問題になる。
(3)人格と本性を把握するには、橋下氏の両親やルーツを知る必要がある。
(4)解明されたくなければ、総理を目指さずにタレント弁護士に戻るべきである。


ここで、それぞれの論点について検証してみたいと思います。



1橋下氏の政治手法を検証するつもりはなく

  人間そのものを解明したい。


政治家というのは、公共の政策と意思決定に影響を与える人物と

定義することができます。

したがって、政治家はその政策の内容によってのみ評価されるべきであり、

その人間性を問題にして政策を評価するというのは、

その言葉通り「対人論証」に他なりません。


対人論証は、主張の真偽と直接関係がないにもかかわらず、

主張を行った人物の属性(例えば性格や能力など)を根拠にして

主張の真偽を論証しようとする論理的誤謬です。

そしてこの属性として先祖・出身地・出身母体などの「状況」を問題視する

場合には、「状況対人論証」と呼ばれ、

本人の責任に関わらないさらに不条理な論証となります。

今回の記事「ハシシタ」は、「対人論証」と「状況対人論証」が

合わさったケースと言えるかと思います。

対人論証は、TVのワイドショーなどで頻繁に使われている誤謬であり

[→過去記事] 、日本の多くの自称ジャーナリスト(例えば鳥越俊太郎氏)が、

そのことが誤謬であることを知らずに論理の根拠として使っています。


そしてこの記事を書いた佐野眞一氏こそ、

日本の状況対人論証の大家と言えます。

政界人や財界人(中内功氏、小泉純一郎氏、鳩山一族、孫正義氏など)の

出自を調べては、それを根拠に人物を評価して本を書いています。

そんな本が売れているということ自体あってはならないことなのですが・・・



2橋下氏が日本の政治に影響を持つとき、

  人格と本性が一番の問題になる。


ここでいう人格というのは敵対者を絶対に認めないということのようですが、

実際に橋下氏の行動を見ていると、

むしろ敵対者を簡単に認めてしまう(笑)妥協の連続であるかと思います。

政策が観点であると言いながら、公明党と選挙協力したり、

一度反駁したみんなの党と再び協力したり、

政策を異とするTPP反対の議員を党に入れてしまったり、

反対をしていた原発再稼働をしたり、

橋下氏はここ3~4ヵ月でどれだけ妥協したかわかりません。


さて、論理学的に問題なのは、

日本の政治を左右する場合にはその人格や本性が問題になると

何の説明もなく断言していることです。

論証の根拠となるには十分でない根拠を前提として立証を行うことは、

「論証不足の誤謬」と呼ばれます。



3人格と本性を把握するには、

  橋下氏の両親やルーツを知る必要がある。


一般に人格形成には遺伝的要因と生後の教育・経験による環境的要因

カップリングして作用すると考えられていますが、

たとえルーツがすべてわかって(実際上不可能であることは明白ですが)、

それまで受けた教育や経験がすべてわかったとしても、

そのことで人格や本性がわかるほど

人間の内面は単純でないことは明白です。


つまり、人格に及ぼす要因のうち遺伝的要因の一部を把握したことで、

その人物のパーソナリティーを推定することは

現在の科学的レベルでは不可能です。


そんな中、佐野眞一氏と週刊朝日取材班は、

人間の尊厳を冒涜しつつ無意味にインプットデータを調査して

人格や本性を探ろうとしているわけです。


個別の要因をすべてピックアップすれば、

その個別の要因が集合したとき、すべて合わさった形で発現する

と信じているのでしょうけど、

少し人間観察をすれば必ずしもそうならないことは自明です。


このような論理的誤りを「合成の誤謬」と言います。



4解明されたくなければ、

  総理を目指さずにタレント弁護士に戻るべきである。


これは、論理とは無関係に脅迫・実力に訴えて主張を承認させるもので、

「威力に訴える論証」と言います。まさに言葉の暴力と言えるかと思います。



メモメモメモメモメモ



以上、週刊朝日「ハシシタ」記事の主要な論点について、

その論理的誤謬を指摘しました。


この「ハシシタ」記事には、
証明が必要なことを前提とし(論証不足の誤謬)、

証明が不可能であるにもかかわらず(合成の誤謬)、

一部脅迫的な方法(威力に訴える論証)で

論点と異なる形の人身攻撃をする(状況対人論証)

というマスメディアとしては絶対に犯してはならない誤謬を含んでいます。


こんな記事を書く人物がジャーナリストを名乗るなどもってのほかであり、

マス・メディアのクライアントである私たちは、

このような悪質な記事に対して、たとえ声は小さくても

強く批判することが重要であると考えます。


なお、このブログ記事では論理的誤謬を指摘することを目的としたため
一切触れていませんが、「ハシシタ」記事には同和問題に対する
極めて悪質なスタンスも同時に認められます。


次の2回目記事は「ハシシタ」記事に対する
TVのコメンテイターのスタンスについて例をあげて述べたいと考えます。