白鵬62連勝!相撲のルーツ | 西陣に住んでます

白鵬62連勝!相撲のルーツ

西陣に住んでます-白鵬

(産経ニュースより引用)




大相撲白鵬の大記録が進行中です。


この秋場所千秋楽の勝利で62連勝! 4場所連続全勝優勝です。


白鵬の優勝インタビューでの謙虚な発言と表情は
日本の伝統的なスピリットとよく合致していると思います。
日本への帰化を念頭に置いているモンゴルの25歳の青年を
心情的にも大いに応援したくなります。


さて、日本の国技として一般的に認められている相撲ですが、
「相撲は日本の国技ではない」とか、「国技ではなく神事」とか
色々と言われています。


実際どうなのでしょうか。


日本書紀垂仁天皇記に次のようなエピソードがあります。


垂仁天皇7年7月7日
当麻の村に当麻蹴速(たぎまのけはや)という
勇敢でめちゃくちゃ力が強い者がいて、
「強いものを見つけて生死を問わずに力比べをしたい」
と言っているという報告を天皇が受けました。
天皇は側近に誰かいないか聞いたところ、
出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)という勇士がいる
ことがわかったので、早速呼びよせて二人に角力(相撲)をさせました。
互いにキックしあって闘った結果、
野見宿禰が当麻蹴速のあばらを踏み砕き、腰を踏みくじいて殺しました。
天皇は、当麻蹴速の土地を没収して野見宿禰に与えました。


この生死をかけた力比べが一般的に相撲のルーツとされています。
記述をみると、ルールが細部まで規定されている
現在の大相撲とは大きく異なっているようです。

力比べというのは、いわゆる運動エネルギーの大小を競い合うのではなく、
総合格闘技的な能力を競い合ったと思われます。
そして、完膚無きままに相手にダメージを与えて殺してしまうところは
古代ローマ剣闘にも引けを取りません。


また、ファイトマネーとして敗者の財産をもらっていたようです。


第11代垂仁天皇は、実在すると考えられている第10代崇神天皇の子で
最近、巻向遺跡で注目されている三輪山の西北地域の
纒向珠城宮を都としました[→関連記事]


その纒向珠城宮にあるカタヤケシという地で

野見宿禰と当麻蹴速の「バトル」があったようです。

↓こちらがその纒向珠城宮の周辺です。


西陣に住んでます-相撲神社


そして↓こちらが相撲発祥の地とされるカタヤケシです。


西陣に住んでます-相撲神社


現在では野見宿禰を祀る相撲神社となっています。


西陣に住んでます-相撲神社


相撲神社の奥には祠があります。


西陣に住んでます-相撲神社

西陣に住んでます-相撲神社


↓こちらは境内にある野見宿禰と当麻蹴速が戦ったとされる四角い土俵です。

4本の木に囲まれています。


西陣に住んでます-相撲神社


相撲神社は、奈良でも最も古い歴史を持つ↓こちら大兵主神社の摂社です。


西陣に住んでます-大兵主神社

ちなみに野見宿禰はその後は垂仁天皇に仕えました。
この時代には貴人がなくなると、その貴人に仕えた人物を
生きたまま墓の周りに埋めてしまうという制度がありました。
野見宿禰は、この制度の残酷さを悲しんでいた天皇に対して、
生きた人間の代わりに土で造った人形を埋めるアイデアを出しました。
天皇は喜んでこのアイデアを採用しました。


これが埴輪のルーツです。

以降、野見宿禰の子孫は土師という姓をもらって天皇の喪葬を司る
スペシャリストの家系になりました。


大相撲で69連勝をした双葉山がこの地を訪れていたというのも
ちょっぴり嬉しくなってしまうようなエピソードです。


西陣に住んでます-双葉山

(Wikipediaより引用)


今こそ相撲協会の方々は、
初心に戻って相撲神社を訪れるべきなのではと思います。


さて・・・


バトルであった相撲は奈良時代平安時代になると神事となり、
旧暦7月7日(七夕)に相撲節会という形で
天覧相撲が宮中で行われるようになったようです

(節会というのは季節の節に行われるイベントのことです)。


そのような意味からすれば、平安宮があった京都の西陣

相撲のメッカでもあったと思われます。


ところで、旧暦7月7日というとお盆(旧暦7月15日)の直前です。
神事としての相撲は、死者の鎮魂であったという説があります。


私もそんな気がします。

大相撲で土俵の上部の陰陽道四神の色を示しています。
(青緑:東、赤:南、西:白、北:黒)


西陣に住んでます-大相撲

(Wikipediaより引用)


そして、東の力士(一般に西よりも番付が高い、強い力士)は
鬼門の東北を通って土俵に上がります。
これは、鬼門方向にいる怨霊が怨念を捨てて御霊となってくれるよう、
「強い力士を鬼門の方向から土俵に入れて勝たせる」という
鎮魂の方法なのではと思ってしまいます。


当麻蹴速の出身地の当麻の村が相撲神社から見てほぼ真西に位置する

という事実も気になります。

東の垂仁天皇が呼びよせた野見宿禰が生き残って

西の当麻蹴速が亡くなったというのはお盆のコンセプトにも合致しています。


西陣に住んでます-当麻


当麻の地は葛城の中心地でもあり、当麻蹴速の敗北は、

天皇家に対する葛城氏の影響力が弱まった当時の時代背景を

暗に示しているのかもしれません。


一方、相撲の勝ち負けによってその年の収穫を占ったということも

あったようです。
この際には、絶対に不作という結果が出ないよう、
あらかじめ勝ち負けを決めておくという地域もあったようです。


・・・というわけで


相撲が神事であることは明白です。
そして、たとえ法律で認められていなくても
垂仁天皇の時代から続く相撲は明らかに国技であると思います。


なお、念のために書きますが、
大相撲は、神事であり国技である相撲を現代に強く存続させている興行です。
つまり、大相撲の力士はプロフェッショナルな力士ということになります。


さて、来場所に白鵬は、双葉山が昭和14年に記録した69連勝に挑戦します。
1年に2場所しかなかった時代の双葉山は69連勝するのに3年を費やしました。
なんと3年間も負けていなかったのです。


そして双葉山の前の連勝記録は江戸時代の1782年に
偉大な横綱の谷風が4年を費やして打ちたてた63連勝です。
当時存在した大阪場所と京都場所の勝利を含めると98連勝だそうです。


双葉山も谷風も偉大です。その記録は永遠に残ると思います。


ただし、平成の白鵬も偉大な横綱です。
9割を超える横綱勝率は驚異であることは自明です。


そんなこともあり、

私は十分に日本人のスピリットを持った25歳のモンゴル人の青年の挑戦を
粛々とウォッチングしようと思ってます。


そして記録を更新したあかつきにはもちろん心から称賛しようと思います。

合衆国がイチローさんを称賛するのと同じように・・・