ペリーの黒船来航の地を巡る | 西陣に住んでます

ペリーの黒船来航の地を巡る

西陣に住んでます-久里浜

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ここんところ用事があって、

週末に数度にわたり横須賀の義母のもとを訪れていました。

そして用事の合間、ちゃっかり幕末の舞台を巡っていました(笑)。


そろそろ京都で龍馬ゆかりの地を巡り始めようと思っていた矢先、

東京&神奈川方面の結構有意義な場所を訪れることができたと思います。


まずは幕末の最初を飾ったペリー艦隊の来航の地から

アップしたいと思いま~す。


アメリカ合衆国海軍の東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー

1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に横須賀の浦賀に入港し、
1853年7月14日(嘉永6年6月9日)に浦賀の南にある久里浜に上陸しました。
そこで、合衆国大統領親書を日本側の代表に手渡すと、

1年という期限を切って親書への回答を要求し、浦賀を離れました。


この上陸を記念して1901年に建造されたのが↓こちらの記念碑です。

字はなんとあの伊藤博文首相が書いたそうです。

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↓こちらは裏っ側です。

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表側では、「北米合衆国」という名称を使っていますが、

英語名は、普通に"United States of America"ですね。


ペリー記念碑のすぐ横には、ペリー記念館があります。


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↓記念館の中には、こんなジオラマがありました。


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中央にある浜が久里浜で、向かって右側が浦賀、

左側には富士山が見えます。


↓こちらは、ペリーの上陸時の様子を描いたものです。

マッカーサーよりは礼儀正しそうですね(笑)。


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↓こちらは当時の瓦版ですけど、絵とは全然違っていて

合衆国側が浦賀奉行に対してカンペキにひれ伏しています。


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当時の瓦版はまるで東スポですね(笑)。


また、当時は黒船見物が盛んで、

多くの日本国民が物見遊山で浦賀を訪れたようです。


ちなみにペリーは↓こんなオジさんです。結構えばっていたようです(笑)。


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↓こちらは記念碑の前の久里浜の様子です。

房総半島がすぐそこに見えます。

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さて、ペリーは翌年3月、親書に対する回答を得るため横浜に上陸しました。

こちらがその時の様子を知ることができる横浜開国資料館です。

西陣に住んでます-横浜


中に入ると中庭に大きな楠の木があります。


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そしてペリー上陸の様子を示した絵のレプリカがあります。


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実は、この絵の右側に描かれている木がこの楠の木なんです!


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生き証人が「ある」なんて結構感動しました。


そして、こちら日本大通りは、絵に描かれている場所です。


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↓こちらが絵に描かれている海岸です。


西陣に住んでます-横浜


ペリーが上陸した2つの場所を訪れましたが、

なんとなく上陸の様子をイマジンできたような気がします。


もっぱらペリーは、

「スタートレック」カーク船長のような気分だったのではと思います。

それに対して吉田松陰

「未知との遭遇」リチャード・ドレイファスって感じでしょうか(笑)。


ところで、ペリーは日本に開国をもたらしましたが、

けっして日本の将来のことを考えてのことではなく、

捕鯨基地&中国進出への物資の補給基地として、

日本の港を使いたかったというのがモチベーションだったようです。


武力を見せつけることにより、幕府にプレッシャーを与え、

その結果、めちゃくちゃ不平等な条約である日米和親条約

締結しました。


そんなとき、坂本龍馬は米艦隊をいつでも攻撃できるように

江戸の海岸で供えていたようです。


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来週末には、江戸での龍馬ゆかりの地をアップしたいと思いま~す。