宮古島のユタに逢って・・・
宮古島滞在中のクルル三愛自然塾の近くには、宮古島温泉という名前の温泉があった。
地下から湧き出る温泉をそのまま利用しているようで、茶色の湯で塩分を含んだ弱アルカリ性の温泉だった。
大きな湯船にゆったり浸かり、サウナにも入って、リラックスできた。
歩いてでも行けると言われ、帰りは歩いたのだが20分はかかった。
1人滞在の時にはテント泊にし、
外にあるテント
その日からヒーリングルーム・サンガのスタッフのYさんが合流だったのでファミリールームに移った。
この部屋は奥平さんが一人で作ったものだった。
流木や廃材や、拾って来たサンゴなどで飾られていた。
横には台所もある
見た感じは手作り感が満載で、素晴らしかった。
証明も間接的で雰囲気があった。
虫が入らないようにカヤが張ってある
ただ夏の事を考えて作ったと言うだけあって、隙間だらけで南の島と言っても2月であれば、やはりあちこちから風が吹き込み、ヒーターをつけても寒かった。
丁度、風雨天気と重なりYさんの滞在中は、どこにもいけない状況となってしまった。
奥平さんの手作り朝ご飯をご馳走になる
この宮古島の目的の一つに、ユタの人に逢う事でもあった。
ユタとは
琉球の民間社会において、御嶽(ウタキ)やグスク等の聖地や御願所とか拝所(ハイショ)で共同体の公的祭祀・祈願行事の司祭をする民衆の宗教的機能を担う職能者の女性司祭者の祝女(ノロ)、根神(ニーガン)、サス・司(ツカサ)等の神人(カミンチュ)がいる。
又、個人の運勢(ウンチ)、吉凶の判断(ハンジ)、禍厄の除災(ハレー)、病気の平癒祈願(ウグヮン)など私的な呪術信仰的領域に関与しているユタとがおり、民俗学・シャーマニズム分野でユタは「召命型のシャーマン」となる。「神に召されて」狂気のような巫病状態を経て、請われるまま仕方なくなるという。
「ユタになる運命は生まれたときから定まっていると、かたく信じている沖縄の人々は少なくない」と言われ
ユタは入巫や成巫の過程で創出した特殊な神を奉じ、それが生涯にわたる守護神として信仰の対象となるので、ユタごとに、それぞれ専門領域が限定され、先祖の系統を捜すのが得意なユタ、死んで間もない人についての判断(ハンジ)が得意なユタなど、その専門分野が分かれている
宿の予約のメール交換時に、奥平さんは(御嶽・ウタキ)のサスであると知らされ、知人にユタもいるので希望であれば、紹介して下さるとの事だった。
Y さんとユタにお逢い出来るのを、楽しみにしていた。
奥平さんは、その人は「物凄く、当たる」という言い方をしていた。
約束の時間に、キャンピング・カーでマクドナルドに行った。
逢う場所がそこだったのだ。
ユタの人に逢うのに、公然の場所と知り愕然としたが、
それが宮古島流なのかと、ついて行った。
事前に、「お逢いするためのお礼は、どうしたら良いか」と聞いたが、お金はいらないという事だったので、手土産だけにした。
店内に入ると、一人の男性の前に行った。
ユタと聞いて、てっきり女性と思い込んでいた。だが宮古島では男性もいるとの事だった。
話の内容は、ユタの一般的な説明だった。
途中、店内が騒がしく聞き取れにくかったので、海の見える静かな場所に移動した。
キャンピングカーの中で、話は続いた。
ユタになった神との啓示の場面
ある時、天から神の声が聞こえ「真っ直ぐに歩け」と言われ、歩き続けていると前が崖だった。
それでも進めと言われ、決心して歩くと崖から落ちたが、お尻を着いた所にはくぼみがあった。
そこを掘れと言われて、掘ると短剣が出て来た。それを使って人を治すように言われた
という話で、それ以後はその短剣を使った治療の話も聞いた。
神の啓示の内容は素晴らしかったが、私たちに対する個人的なものはなかった。
質問はないかの問いに、Y さんが質問したが、
その答えは、普通の正論だった。そこに神的な要素はなかった。
いわゆる「凄く、当たる」という表現の内容ではなかった。
時間の制限もあり、心の中では納得いかないままで別れた。
それが彼に通じたようで、部屋に戻り Y さんとレイキマッサージの練習をした時にも、翌朝の瞑想の時にも、彼が出現した。
そして、電話もかかってきて、もし希望であれば、時間をとるので来てくださいと言われた。
だが、彼と話してもその内容は霊界止まりであるとわかっていたので、遠慮した。
ユタは霊界との通信をするという事は、知っていた。
だが、それ以上の話もできるのではないかと期待したのだが、それはないとの判断だった。
だが、最後の日に再度訪れた久高島では、答えが用意されていた。
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