正直言って、私は大変な我侭女だったと思われます。


小さい頃、どうしても欲しいおもちゃを泣きじゃくりながら、床に転げまくりながら「欲しい!欲しい!」と繰り返し、親に買ってもらった程の我侭な気性でした。

親には本当にお金の無い中、申し訳ない事をしたと思いますが、正直色々ありまして……そのまま我侭を押し通せない環境ばかりで、正真正銘の我侭にならなくて本当に良かったと思います。


お金に関して、両親は常に喧嘩をしていました。

大人になった私が「じゃあ、働きに行けば良かったんじゃない?」と言うと。

母親は幼い頃、両親共働きで大変寂しい思いもし、私を含め、姉妹弟全員、登校拒否を起こした為、働きにいくのも心配で、とうとう外へ働きに行く行為と意志を姉妹、兄弟で封印してしまったようです。

原因は私達にありました。申し訳ないことをしました。


話は戻って、私の本性です。本当は他人を見下し、笑い、自分が優位な立場を満喫したかったタイプだったと思っています。

が、他人に誇れる程の頭脳も運動神経も持ち合わせていなかったので、常にコンプレックスと他人の見下し行為に悩まされる青春でした。

また両親はクソ真面目だった為、冗談を言う行為を覚えたのは大人になってから……。


冗談や言葉遊びを覚えたのは芸者になってからでした。

結構厳格に育てられてた為、芸者時代はしがらみがあった為、その言葉遊びが生かされたのは芸者辞めた後でしたが。

私の置屋のおかあさんは芸者組合の組合長でした。が、顔はそんなに美しいというほどではありませんでした。

年末のある時、置屋のおかあさんを慕うお客さんの集まる会に置屋メンバー全員でわいわい接待をしていたら、おかあさんはサービスで着物からおっぱいの片方をさらけ出し、場を盛り上げました。

超ピンクの乳首にプリンとした張りのある胸……60歳すぎとは思えぬ乙女のおっぱいでした。


が、別の集まりにお客の一人が「おかあさんて、乳首ピンクなんだって?俺達にも見せてくれよ」と不躾な態度で置屋のおかあさんにリクエストしました。

その時、私はその場所にいなかったけれど、そ知らぬ顔して言いかえしたそうです。

「お中元にはまだ早いよ」と。



「うまい!!!」

その場にいたのは私の先輩です。良いエピソードを聞けました。

言葉の遊びの奥深さ、経験が間髪入れず言わせた言葉はさぞ、場を盛り上げた事でしょう。


本当は我侭だった私。

現実は先輩方をお世話する側の仕事が多かった私。

苦労も多すぎて、悪いお手本見てきて、ああ、なりたくないと思った為……。

本来の自分が変われてよかったと思います。


「ブス!」と言われても「そうですね、面白い顔してます」と言い切れる自分がいます。


本当は誇り高かったのだけれど、つまらない誇りを捨てる事が出来ました。


だから、今まで苦労して、生き易くなりました。

生きにくいより、生きやすい……。そんなライフスタイルになれて本当に良かったと思います。

だけど、本来の私に似た人に出会うと疲れますけどね~(+_+)