ミュージカル『パレード』

日時:2017年6月9日13:00/18:00

会場:シアター・ドラマシティ



1999年トニー賞最優秀作詞作曲賞&最優秀脚本賞を受賞した作品

日本初演!

主演が石丸幹二さんということで拝見した作品

また  石丸さんに素晴らしい作品にいざなっていただいた

石丸さん!
良いお仕事に巡りあえて良かったですね!!

これは  まず作品として多くの賞をいただくだろうと確信したし
石丸さんも俳優として更に高評価を得ることは間違いないと心の中でガッツポーズをした

そう  
昨年  ミュージカル『ジャージーボーイズ』を観劇した時のような満足度!

この作品は  これからも再演されるだろう
そう思える素晴らしい作品だった!


物語はおよそ100年ほど前のアメリカが舞台

20世紀初頭のアメリカで実際にあった冤罪を題材に
20世紀の終わりに  そのアメリカで上演され
21世紀になって  この日本で上演される意味とは?

この作品の上演話
実は石丸さんの劇団四季退団後   第一作にお誘いを受けていた作品という話を思い出し

そして実際の復帰第一作だった『イノック・アーデン』(いまだ石丸さんの出演作品・第二章では私のベスト作品)を思うに

石丸さんご自身でも既に口にされていることだけれど
40代でも演じる可能性のあったこの作品を50代で演じること

その天命とも言える石丸幹二さん主演のこの作品
夫を強い絆で信じ続ける妻役が  劇団四季での同士:堀内敬子さんというのも運命のような

今  この作品を上演する意味を深く胸に刻んだ

その気持ちなどは後述


以下  作品背景は梅芸サイトより

<作>アルフレッド・ウーリー

<作詞・作曲>ジェイソン・ロバード・ブラウン

<共同構想およびブロードウェイ版演出>ハロルド・プリンス

<演出>森新太郎

<企画制作>ホリプロ

<主催>梅田芸術劇場

<出演>

石丸幹二   レオ・フランク(鉛筆工場の工場長、北部出身のユダヤ人)

堀内敬子  ルシール・フランク(フランクの妻、南部出身のユダヤ人)

武田真治   ブリット・クレイグ(新聞記者)

新納慎也   トム・ワトソン(政治活動家)

安崎求   ニュート・リー(鉛筆工場の夜間警備員、黒人)ほか

未来優希  ミセス・フェイガン(メアリーの母)ほか 

小野田龍之介   フランキー・エップス(メアリーの親友)ほか

坂元健児   ジム・コンリー(鉛筆工場の清掃人、黒人)

藤木孝  ローン判事(担当刑事)
  
石川禅   ヒュー・ドーシー(アトランタ州検事)

岡本健一   スレイトン知事(アトランタ州知事)

宮川浩   ルーサー・ロッサー(弁護士)ほか 

秋園美緒   サリー・スレイトン 

飯野めぐみ   ミニー・マックナイト(フランク家のメイド、黒人)ほか 

莉奈   メアリー・フェイガン(殺された鉛筆工場の女工)

<あらすじ>梅芸サイトより
物語の舞台は、1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタ。南北戦争終結から半世紀が過ぎても、南軍戦没者追悼記念日には、南軍の生き残りの老兵が誇り高い表情でパレードに参加し、南部の自由のために戦った男たちの誇りと南部の優位を歌いあげる。
そんな土地で13歳の白人少女の強姦殺人事件が起こる。容疑者として逮捕されたひとりは北部から来たレオ・フランク。実直なユダヤ人で少女が働いていた鉛筆工場の工場長だった。北部出身の彼は南部の風習にどうにも馴染めずにいた。もうひとりの容疑者は鉛筆工場の夜間警備員、黒人のニュート・リー。事件の早期解決を図りたい州検事ヒュー・ドーシーは、レオを犯人へと仕立てあげていく。新聞記者のクレイグはこの特ダネをものにする。無実の罪で起訴されるフランク。そんなフランクを支えたのはジョージア出身の妻ルシール、同じユダヤ人だった。「レオは正直な人だ」と訴えるルシール。裁判が始まり、ユダヤ人を眼の敵にしている記者ワトソンに煽られ南部の群衆はレオへの憎しみがつのっていく。黒人の鉛筆工場の清掃人ジム・コンリーの偽の証言もあり、レオの訴えもむなしく、陪審員は次々と「有罪!」と声をあげ、判事は「有罪」の判決を下す。
あのパレードの日から一年、夫の帰りを家でただ待っているだけの無垢な女だったルシールは変わっていた。レオの潔白を証明するために夫を有罪に追い込んだ証言を覆すため、アトランタ州現知事のスレイトン邸のパーティーを訪ね、知事に裁判のやり直しを頼む。彼女の熱意が知事の心を動かす。その結果、レオの無実が次々と明らかになっていく。二人の間の絆は、レオの逮捕により強く固く深まっていた。あらためて愛を確かめあう二人。だが、間もなく釈放されるというある日、レオは留置場から南軍の生き残り兵、メアリーの親友フランキーらによって連れ出される。
白人、黒人、ユダヤ人、知事、検察、マスコミ、群衆・・・・それぞれの立場と思惑が交差する中、人種間の妬みと憎しみが事態を思わぬ方向へと導いていく。
そして、また、パレードの日がめぐってくる。「ジョージアの誇りのために!アトランタの町の、故郷のあの赤い丘のために



















また客席には  このような用紙が置かれ作品への予備知識となった



観劇後の感想

ぐうの音も出ないとはこういうことをいうのだろう

それは劇場全てを飲み込んでいた

それは私にはとても心地の良いものだった

観劇中の拍手が無い
(いや拍手をする隙すらないというのが正解か)

この作品は場面転換に違和感がなく
音楽的にも( 静寂という無音も含めて)  淀みがなく逆らえない  そして抗えない流れがあった

まさに  その流れに観手は飲み込まれていた

観劇には  あるあるシーン
素晴らしいパフォーマンスに贈られる物語の途中での拍手がつきもの
それは時にショーストップをも生む
その拍手すら発生しない(出来ない)流れのある作品

これだ!
こういうエンタメを私は望んでいた

ミュージカルでもコンサートでも自然発生的に起こる喝采は良いにして
何となく  ここって拍手するところよね!?みたいなお義理拍手
そしてコンサート中の  あの手拍子が私は苦手だ
大事な歌詞が聞こえない
お願いだから歌声に心酔させてという曲調でも起こる手拍子
アーティストを盛り上げたいのだろうけれど(そういうことで盛り上がりたいアーティストを除く)これって違うよね  ほらやっぱり途中で立ち消えたみたいな
ああいう白けた  一瞬でも現実に引き戻されてしまうパフォーマンスは不用

この作品は  そういったものを与える余地のない聡明な作品だった

とともに深い恐怖心を覚えた
この流れ…
この一瞬の隙もない流れにレオ・フランクの人生もも飲み込まれていたのだということに…

絞首刑→終身刑に減刑→拉致→私刑(リンチ)で命を奪われるという重い物語

物語は実話  
しかも冤罪という あってはならない史実  そして事実

レオ・フランクが犯人に仕立てあげられていく様が繰り広げられる

無垢な妻が夫の無実を信じて強くなっていく
夫婦の絆が深くなっていく
だけど迎える結果は重い

事が理不尽すぎて  重大すぎて  恐ろしすぎて  悔しすぎて  観劇後  しばらく言葉出なかった
どんな言葉も軽はずみな言葉に思えてしまって…

 罵倒することも  歯噛みすることも  拳を振り上げることも  涙を流し続けることも何かが違う
うーんと唸るばかり


物語の背景は複雑
アメリカという大きな国の様々なことが生んだ事件
大きさゆえの人種差別  政治  戦争  くだらない私利私欲

大きさゆえの複雑さ…
複雑ゆえの根深さと…
ひとことでは言い表せぬもの

だけど言えること
やっていないことは  やってないのだ

逆に言えるのは  因果応報とでもいえばいいのか
やったことは(頑張ったこと)は自分に返ってくる
もちろん  やったこと(悪いこと)も自分に返ってくる
そこに嘘はあってはならないし  否定される存在など何もないということ

その大きさは時を経てではあるけれど  この事件にミュージカルとして真正面から向き合ったアメリカという国の懐の大きさでもあるのか

何故この作品が今まで日本で上演されなかったのか不思議でならない

今がその時だったということか
今の時代にも  そのままで警笛を鳴らすということなのか
そんな悲しいことを
そんな愚かなことを認めなければならない
それが今だということなのか
そうなのだ
一世紀過ぎたって人間は何も変わってないんじゃないのか…

こういうことは  形を変え今まで繰り返されてきたんだ
アメリカであれ  日本であれ  国も環境も違うのに  繰り返されてきたんじゃないか?

顔の見えない  どこかの誰かの思惑が
まるで大義名分のように塊となって刃をふりかざす
戦争もそんなもののひとつ

振りかざした間違った刃は  退くのか下ろされてしまうのか
今だってこんなこと  あるんじゃないのか?

国という単位ではなく身近にだって
いじめだって  そういうものじゃないのか?
それは大人の鏡じゃないのか?

間違っていると分かっているのに言えず流れに任せてしまう
保身が大きく心を支配し間違いを犯す
人間はある意味恐ろしい

それを受け止めて
だからこそ

利己と しかし 同時にそこに確かにあるだろう罪悪感をも消し去る集団心理の恐ろしさと愚かさを受け止めて
覚悟して観なければ  どの感情が最終的に観手の心を支配するのか

自分だったらどうしていたか
アメリカが南北に分断されていた頃のこと
巨大に翻る連合旗
シュプレヒコール

さあ  その渦中に居たら?
その渦に飲み込まれずに居られるのか?あの流れの中で  どうしていたのか…

そうして陥る

世論て何だろう
報道って何だろう
その根拠って本当に正しいのか
煽動されてはいやしないか
それはあなたの意見ですか
だれかの意見に左右されてはいませんか
だれかの言葉やだれかの考えが  あなたの都合に良いからと巣食っていませんか

そんな問いかけが心を覆う
なんだか  声高にそれを述べるのは嘘っぽく思えてきて   
うーんと唸る

こういうものこそ  時代や国を越えて上演されるに相応しいし
エンタメだけでない胸に迫るもの
問いかけるもの
そういうものこそが  このような事件を二度と起こさせない抑止力になると信じる

観劇後に我が家に戻り  もうすっかり大人の娘に  これは親として伝えなければならないと 久しぶりにそう思った作品だった

ここまでがこの作品で受け止めたもの

――――――――――――――――――――――――――

そしてこれからはこの作品に感じたこと

それは舞台美術
それほ演出
それは照明
それは物語
それは音楽
それは台詞


一瞬の隙もない完璧な作品と第一感想を置いた
それは  ~物語~

そしてそれは~舞台美術と演出~

まず舞台で気付くのが八百屋舞台(かなりの傾斜がある)の回り舞台

南北戦争の半世紀後
それらを表現しようとする時代背景と舞台美術の融合は本当に見事
南北戦争の血に染まった南部アトランタの赤い丘
その丘を  その歴史とともにずっと見つめ続けた大樹

夕陽のようにも見える真っ赤な丘の背景に影絵のように黒く佇む大樹
その冒頭の印象的なシーンは
トニー賞で同じく照明デザイン賞を受賞したミュージカル『アイーダ』のエジプトを彷彿とさせる色合い

印象的だった大きく翻る南北戦争の南部連合旗

一幕ラスト  裁判シーン
♪ありのまま僕を

と  最終陳述に舞台中央に立つ石丸レオは佇まいは『壁抜け男』デュティユルさんのようだ
ルシール(堀内さん)の強く夫を信じる表情は美しい

陪審員の評決  有罪(絞首刑)の宣告

ステージ中央にポツンと残されるブランク夫妻

刻まれるパレードのリズム
アメリカを象徴する混在するメロディ

そこに混在する様々に背負ったものや思惑のように
呼応するように降り注ぐ紙吹雪

まさに人種のるつぼといった感じ!
しかし超絶 絵画的で美しい

ブラボー!

八百屋舞台の回り舞台に
ステージ上に最初から最後まで掃き取られることなく存在する大量の紙吹雪
その上で演じられる俳優さんは大変だろうなぁと
この公演のお稽古中にぎっくり腰を患われた石丸さんを案ずる
が  そんなことが脳裏をかすめたのは一瞬のこと

裁判中に白昼夢のように証言内容が再現される演出!
素晴らしかった!!

3少女´sがドーシー判事(石川禅さん)に言いくるめられ不穏な音楽に乗せられて繰り広げる嘘の証言
それに基づき  悪いレオが舞台上に出現する
それは石丸さんのお仕事履歴の表出のようだった

前回の石丸さんご出演作の『キャバレー』MCよろしく妖しく
『エリザベート』のトート閣下よろしくパワフルな歌声が堪能できてニヤリとする

このシーンを代表に裁判中に時間を振り返り過去を演じるシーンが多用されているのだけど
舞台中央奥に高さ4~5mはあろうかと思われる鉛筆工場の工場長室や
上手には判事が鎮座まします小高い舞台装置が登場

石丸レオは所狭しとこれらの装置の上で踊り歌われるので  ぎっくり腰は完治なのだなと察する(苦笑)




~音楽~
それらの世界観を表現しようとアメリカらしい多種多様なミュージックが混在する
これがまた素晴らしかった!

何故にここまで難解にするのか?と思えるほどに複雑なメロディの曲ばかり
なのに素晴らしい印象が残るのは  見事に歌の上手い俳優さんばかりが揃ったということの証明

冒頭の兵士の歌♪「ふるさとの赤い丘」
小野田龍之介さんと  安崎求さんが南部の兵士として歌う  
その歌唱で一等最初から  もう既に劇場が飲み込まれた
掴まれている
パレードのリズムに乗せてしまっているのだ
ブラボー!

『パレード』と題する作品だけに冒頭からスネアドラムの刻む行進リズム
その行進リズムは流れに抗えないように所々に現れ物語を先へ連れ去る

そしてそのリズムに誘われ  見事に融合して次の音楽へと運んでいく
その先にあるのはアメリカそのものを表すような多種の音楽
ジャズ・ブルース・ソウルミュージック・ロックetc
それらが  これもアメリカらしく多重し融合していく

その多様性と多重はアメリカそのものを象徴しながら  重い物語の中にあって見せ場となったり  若干の明るさを与えたり  不穏へと導いたり

そう  所々に顔を見せる  この不穏メロディ
弦楽器やピアノ  そして木管楽器の音色と様々な音色で表現されていて
人間の恐ろしさの得体の知れなさのようで本当に見事だった!

~音楽~と~台詞~の融合

この作品はミュージカルであってストレートプレイのようでもある
場面転換に違和感がなく音楽的にも 淀みがない

その上に  がっつりと台詞を聞かせてくれる
これが良かったのかな!

石丸さんは  歌の人  のようなイメージかある
また全面にそう推しているのだけど  強調したい
石丸さんは台詞もいいのだ!

そして
悩み苦しむ役で石丸幹二は美しい空気をまとう

石丸さんの演じるレオに久しぶりに  それを感じた

それは劇団在団中  今もそのお姿が美しく蘇る  悩める『ハムレット』 
劇団在団中  最も衝撃を受けた大きな使命を前にした『異国の丘』のボチさんと
劇団在団最後の作品『壁抜け男』デュティユルさんの静けさと真面目さと
退団後の復帰第一作『イノック・アーデン』の清貧と清廉

それら全てがぎゅっと凝縮されていた

理不尽にも裁判の中に置かれて怯え背中を丸くしているレオ石丸さん
♪「ありのまま僕を」

どこを見渡しても敵ばかりの中で夫婦強く寄り添い固く手を握り群衆の中に飲み込まれているレオ夫妻

レオを信じる妻の働きかけで偽証が崩れていく
♪まだ終わりじゃない

束の間の刑務所の中のピクニック
♪「無駄にした時間」夫婦の分かりあえ通いあえた時間を包む空気は本当に美しかった
TV「ごご生」で歌唱披露された時よりも数倍良くって劇場全体ここで涙を誘われた

俳優・第二章を歩み出されて  
どんどん新たなことにチャレンジされて進化されれば良い
後ろは振り返らなくても良いと思って応援していた私だけれど
やはり今回のような素晴らしい作品に出会い
その中に居て  あのように美しい空気をまとった石丸さんを拝見すると
こんなにも喜びに包まれて大きな充足感に包まれるのだと
改めて そういう自分を知った

ごめんなさいね
ただ石丸さんが居るだけで良いのではなくて
やはり期待します!



石丸さん

出演者の皆さま

俳優とはいえ  かなり重いですよね    こういう作品を演じるのは

現に昨日のソワレ公演のカーテンコールではルシール役の堀内さんが役が抜けなくて  お苦しそうだった
それはそうよね
あのラストシーンで「ジョージアで生きる!」と宣言しパレードを睨み付ける堀内さんは  大丈夫?血圧上がりすぎてない?(苦笑)って心配してしまうほどの憤りと覚悟がビシビシ伝わってきたもの

石丸さんや堀内さんだけでなく
カンパニーの皆さま  本当にひとりひとりがの誰が欠けても成り立たないほどに
完璧なパフォーマンスだった

いつも一癖ありそうな役柄が多い石川禅さん演じる州検事
いつもに増して悪くてブラボー!

坂元健児さん!!
やってくれました~
歌上手さん代表!みたいな感じで  劇場の瞬間をさらっていったなぁ
一幕での歌も坂元健児ショーみたいで良かったけれど
サカケンさんが歌うブルース
えっ?これ  ほんとにサカケンさんよね?ってガン見した
まるで違う人のように思えるほどに表情も声も変化していて  改めて素晴らしい役者さんだなぁと
福井晶一さんとのコンサート共演では  もちろんお歌が上手いことは承知だったけれどコメディセンスの方が際立ったイメージがあったもので 笑

ローン判事な藤木孝さん
現在  シルバードラマ『やすらぎの郷』で渦中の人:貝田さん役でご出演中
舞台で拝見するのは  はじめまして
佇まいが素敵で不思議に響く良いお声
お歌も雰囲気があって良かった!
私の中では  なかなかの話題の人だったので舞台で拝見できてラッキーだった~
と  ちょっとミーハーに(笑)

武田真治さん
もしや舞台で拝見するのはミュージカル『モーツァルト!』以来かもしれない
チャラチャラした新聞記者役  頑張ってはりました

新納慎也さん
ビジュアルも歌声も素晴らしく政治活動家として民衆を煽動していく役柄にピッタリ

プリンシパル以外は数役をこなしておられたのは分かったのだけど
終わりに近いシーン
転所したのどかな刑務所で監守をしていたのが  誰だか分からなくて
マチネでご一緒したお仲間さんたちに  ソワレで確認してねというミッションを賜ったのに結局分からず終い
→中山昇さんとのこと

カンパニーの皆さま
今  この作品を届けてくださってありがとうごさいました

確かに心に響き  重すぎるほどに届き  受け止めました

本日  大阪公演千秋楽

名古屋公演も  無事に素晴らしい舞台となりますように

そして  再びお会いすることが叶いますように

東京:東京芸術劇場 プレイハウス 5月18日(木)~ 6月 4日(日)
大阪:シアター・ドラマシティ 6月 8日(木)~ 6月10日(土)
愛知:愛知県芸術劇場 大ホール 6月15日(木)