東日本大震災?

東北地方太平洋沖地震?
よく分からないが、被災して1週間。
これまでの状況をかいておきます。
思いつくままにかきますので、内容にまとまりがありませんが、ご容赦を。

3/11(金)
知り合いの会社で仕事が忙しいので、4月まで手伝ってほしいとのことで、木曜日から事務所に伺っていた。
金曜日は、仕事があわただしく、1時半頃に昼食。
昼食後、2時頃に午後の仕事に取りかかる。
ホームページに掲載する写真の元画像をサイズ変更しようかとデータを取り込み、約100名分のデータをチェック。
写真ファイルが、どの人なのか、添付されてきたパンフレットのPDFファイルと突き合わせを始めたそのとき。
大きな揺れを感じた。
いつもより長い。
そして何よりも、強い。
30数年前に経験した宮城県沖地震が頭をよぎる。
ミニタワーのマシンが倒れないように押さえる。
事務所内のキャスター付きの脇机が暴れる。
応接の間仕切りのパーテーションが倒れる。
そして、明るかった事務所が暗くなる。そう、電気が遮断された。
3分近く揺れたのだろうか。とにかく長かった。

幸い、オフィス内のメンバーはけがもなく、予備電源の電気の薄暗い中、UPS(予備電源)で稼働している各マシンの電源を切る。
状況がつかめないので、9Fのオフィスから階下を窓から眺める。
近くの大手企業のビルから、大勢の人が駐車場に降りてきている。

余震が続く。
しばらく放心状態。
しばらくしてメンバーの一人が携帯電話のワンセグTVを付ける。
仙台の震度が7だと確認。
外出しているメンバーと連絡を取るが、携帯電話の回線が、規制のためにつながらない。

すると、津波が来ているらしいとメンバーがつぶやく。
津波の映像がワンセグに映る。
別のメンバーが言葉少なく見入る。実家が津波の被災地だとのこと。

それでも、オフィス内の復旧を急ぐ。
すぐにでも作業をしなければ行けないスケジュールだという緊張感が強かった。

しばらくすると、外出していたメンバーの一人が戻ってきた。
メディアテークでガラスが割れた。ダイエーは全館から水があふれ出している。とのこと。
ビルのエレベータはもう使えない。
とにかく、あちこち渋滞だ。とのこと。

外出しているもう一人のメンバーとの連絡が取れない。安否が気になる。
メンバー一人が老朽化したアパートが気になるとのことで、帰宅。

しばらくすると、外出しているメンバーから電話が入る。
渋滞がひどいので、事務所には戻らず、外出先から帰宅することに。

その間、自宅に電話、メールするも、連絡が取れない。
夕方、5時頃、すでにビルの予備電源も切れており、日没になる。
作業も出来ないので、帰宅することに。

くらい非常階段を、自転車用のライトを照らしてもらいながら降りていく。
帰り際、メンバーからバスは動いているようだと言うので、とりあえず雪降る中、仙台駅に行ってみる。

ペデストリアンデッキは、仙台駅方面へは通行止めとなっている。
バスターミナルに降りてみる。
バス待ちの人が溢れている。
時刻表をみると5時4分頃にバスが出発の予定なので、行列に並んでみる。
夕方の駅前からの放送のためのTV中継車がいる。
駅構内からお客さんなどが外に出てくる。

15分ほど待ってみる。
大通りを見ると、バスは走っているが、すべて回送。
理由は分からないが、バスターミナルにはバスは入ってこない。

もしかしたら、安全確認出来ないから、バスプールに戻っているのでは?そう思った。
歩くことに決めた。
3時間から4時間あれば自宅に着くと、勝手に思いこみ歩き出す。

人混みの中を、ノートパソコンの入ったバック片手に歩く。
車はほとんど渋滞で動かない。
帰宅する方角に進むバスを1台抜く。さらにしばらく行くともう一台バスを抜く。

1時間ほど歩くと、予定していた場所よりだいぶ先にいる感じがした。
気がつけば雪はやんでいた。
自宅に電話をすると、連絡が取れる。歩いて帰っていることを伝え、家族の無事を確認して電話を切る。
少し休憩したが、足を止めると、汗があふれ出てくる。
これでは、風邪をひいてしまうと思い、また歩き出す。

途中、ガスのにおいがする場所が合ったり、ディーラーの窓ガラスが割れていたり、
さらには店の軒先にあったと思われる自動販売機が歩道にある。

さらに30分くらい進むと、いつも利用している駅のバスターミナルが見えてきた。
橋の部分の段差が大きく、土嚢で段差を埋めている。
自宅に電話してみる。後もう少し。迎えに来ると言うが、路面状況が分からないので、やめるように伝える。

車の灯りで気がつかなかったが、自宅近くになって、車の渋滞もなくなる場所があった。
足下がくらい。
ふと空を見上げるとと、月明かりが、足下を照らしてくれていた。
そして、北極星、北斗七星、オリオン座が見える。

携帯電話の小さなワンセグTVの画面で映し出された津波に流される家が頭をよぎる。

「生きている」

小高いところの団地にたどり着く。
自宅まであと少し。
家路の方角を見つめると。。。
幹線道路に向かうための車の渋滞が目に入る。
車で迎えに来させなくて良かったと思う。

あと少し。
丘を下り、さらにもう一つの丘を登る。
流石に、足に疲労が来ている。アキレス腱を伸ばすのがつらい。

さらに上り坂。
いよいよ。我が家だ。

ついに到着。2時間ちょっとの道のり。
当初は4時間と見積もっていたが、相当早歩きだったようだ。

あたりは真っ暗。
家ではろうそくの灯火を便りにがんばっていた。

懐中電灯を手に、服を着替え、各部屋の状況を確認。
本棚の本が、地震の揺れの向きが良かったのか、崩れ落ちておらず、ホットした。

家族から地震の際の状況を聞き、食事をして、余震の中、家族4人でリビングで眠りについた。

今日は、日頃、バスケをやって走っていたから、体力的、筋力的、精神的に耐えられたと感じました。
頑丈な体に生んでくれた両親に感謝。バスケを教えてくれた恩師に感謝。
そして、家族や周りのみんなに感謝、感謝。

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3/12(土)

前夜近くの集会所に灯りがついていたので、朝起きて、状況確認のため出向いた。
非常食用のラーメン、パンをもらう。
水道水が出ていたが、水圧が下がってきているので、水を確保した方がよいとのこと。

暖かいラーメン2つを持ち帰り、家族4人で分けて食べる。
浴槽に水は確保していたが、さらに給水用20リットルを確保。その他、クーラーボックスにも水を確保。
非常食は、3日分ほど用意していたが、週末に購入予定だったトイレットペーパーがないとのこと。
近所のDIYセンター、ドラッグストアで探すために家を出ようとしたところ、近所の人がコンビニが販売をしているとのこと。
早速、食料を購入に子供たちと走る。
1リットルのお茶5本、1.5リットルのサイダー2本をまずは確保。
さらに、乾電池も確保。
パン類などはすでに完売しており、スナック類(ポテトチップス、チョコレート類)をとにかく確保。
チーズ蒲鉾、サラミなども購入。(酒のつまみではなく、塩分や肉類の変わりとして購入)
レジに並んでいる途中、ハイチュウが目に入り、2つほど購入。
子供たちは躊躇していたが、こういう時こそ、子供が食べるものが1つあると、子供たちも安心ではと思って購入した。

いったん家に戻り、トイレットペーパーの購入に走る。
車のガソリンは幸い、前の週の週末に子供のバスケの遠征で使い切ったので、満タンにしたばかりだった。
DIY2件を回ったが、すでに入場制限で入られず。
通りから少し入ったドラッグストアがあいているので、そこの行列に並ぶ。
トイレットペーパー、食料品、飲料水、カイロなどを購入。
灯油もゆとりはあるが、確保したいと思っていたが確保できず。

午後には、水道が断水。

夕方、近所の方と情報交換。
海岸沿いの津波による被害が凄いとのこと。
内陸のほうが生活環境が良いとのこと。

夜は、ろうそくの灯火の中、早めに食事をして就寝。

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3/13(日)

あさ、冷え込む中ストーブの熱を利用し、お好み焼きを作って食べる。
子供たちは、温かい食事に世ロブ。

その後、近くのスタンドが開いている噂を聞いていたので、灯油の購入のため朝早く向かうが、すでに大渋滞。
無駄な時間を過ごしたくないので、近くのスーパーへ向かう。
食料、飲料などを購入。

午後になり、ある程度、生活できる状況が確保できたので、仕事関係のところに連絡を携帯電話から行う。
しかし、住んでいる場所では電波の送受信状態が悪く、隣の団地まで出向く。
安否確認のメールが多数入っており、感謝、感謝である。
携帯電話のバッテリーも残り少ないので、乾電池式の充電器を差し込みながら、メモ帳でメールの原稿を入力。
仕事関係についてはメールを一斉配信で送付する。
友人関係については、短い文ではあるが1件、1件送付。
月曜日の東京行きの新幹線の予約も4月に変更。
月曜日宿泊先のホテルの予約もキャンセル。
月曜日訪問先のクライアントにも、事情を説明し、お詫びのメールを送付。

ようやく、仕事関係で気になるところは解消できた。

夕方、近所の方と情報交換。
近くの駅までは電気が復旧しているとのこと。

3日目のローソクの生活。
だいぶ、ローソクの生活にも慣れてきた。

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3/14(月)
朝、小学校にて、パンとペットボトルのお茶をもらう。
公民館にて、情報収集を行う。
ご近所の方で、単身赴任のご主人が週末帰ってきて、奥様と一緒に赴任先に戻ったとのこと。

昼は近所で震災後もメニューを限定して営業しているファミレスにて食事。
暖かいご飯とスープをいただく。暖かい食事は本当に大事なものだと感じる。

午後、停電が復旧。
震災後、車のポータブルナビを家に持ち込みニュースを見ていたが、家のテレビでニュースを見る。
電気カーペットのぬくもりに、電気のありがたさを感じる。

手伝いをしている事務所のメンバーから連絡が入る。
全メンバーの家族などの安否確認を行ったが、1名と連絡が取れないとのこと。
そう、実家が津波の被害にあったメンバーである。
これからほうもんするとのこと。

夕方、集会所にて野菜を頂戴できるとのことで、レタスをいただく。
夕食は、久々に、温かいご飯とみずみずしい野菜をいただくことができた。

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3/15(火)

朝、集会所に出向き、食料、野菜を確保。
少し早めについたので、準備の手伝いを行う。

その後、灯油の確保に少し遠出をしてみるが、確保できず。
しばらくは、長距離の移動はやめることにした。

午後は、久々に自宅で仕事。
地震に被災したときの仕事の続きを終わらせた。

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3/16(水)

朝、近くの施設の温泉で入浴ができるとのこと。
オープン前にすでに並んでいるとのことで、灯油缶、飲料水確保のためのペットボトルを積みながら、早速家族で移動。

到着後、列にかない、子供が並ぶ。
その間に、飲料水を確保。
整理券を配るとのことで、整理券を受け取る。
夕方に入浴出来ることに。

帰り道、近くの大手スーパーの前を通る。1件目はひどく人が並んでいる。
2件目。比較的、並んでいないようなので、家族を車に乗せて並んでみる。
しかし、長蛇の列。混乱が起きないように、入店数を制限しているとのこと。
並んでいる人の話を聞くと、3時間待ちらしい。すかさず携帯電話で連絡し、家族をいったん家に帰らせる。
さらに、近くの大手スーパーは、9時開店に対して、すでに8時20分頃に入場者数に達したとのこと。
つまり、営業終了。

待っている間、雪が降る。体温も下がってくる。
しかし、人の流れが速い。
一人あたりが購入していく量が多い。ショッピングバック2袋が当たり前。
1時間半くらい経ったところで、これはまずいと思い、ショッピング用のかごを持ってきてもらうように家に連絡。
入店出来るぎりぎりのところで、到着。一人あたり購入できる数があるので、家族にも列に加わってもらう。

留守番をしている家族のために、いろいろな物を購入。
大量の食料品、飲料が確保できた。

午後、近所で灯油が購入できるところがあるとのことで、向かってみるがすでに販売終了。
翌日も販売するとのことで、販売時間などを確認して帰宅。

夕方、温泉に向かう。
久々の入浴。気持ちいい。しかし、蒸し暑く、のぼせそうなので、早めに浴室から出る。
帰り道飲料水を確保し、近くのファミレスにて食事。

久々に贅沢をしたので、早めに就寝。

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3/17(木)

朝早くから灯油を購入にするために出かける。
交通渋滞を起こすので、車による待機はだめだとのこと。

徒歩で購入に来ている人が、近くの公園で待っている。
仕方なく、近くの公園の脇に車を駐車し、車の中で待つ。
しかし、考えるのはみんな一緒。次第に車の列が出来る。
徒歩で来た人に声をかけるように、車から降りている人もいる。

親切な人が、店の人に確認に走る。
どうやら、順番待ちについては、お客さんの方で対応してほしいとのこと。

店が開く。
一斉に人が入っていく。
順番なんてお構いなし。
中には、ちょうどお店の前に来るまで通りかかった人は、その場に駐車し、並びはじめる。
「おいおい!」と心の中で怒りを感じながら、車を店の駐車場に移動し、並ぶことにする。
車を路上に放置して並ぶ人だかり。
30名ほどだろうか。
先ほど、順番待ちで並ぶと伝えていた人も、我先と急いで並んでいる。
中には、列に並んだ後に、車を持ってきたいから、この場所を確保していてほしいと頼んでくる人がいた。
流石に、「申し訳ないですが、貴方より先に来て待っているんです。私も後ろの人も」と伝えた。
後ろの人は、女性で1歳5ヶ月と3歳くらいの子供を連れて来ている人だ。
自分より20分ほど後に来た人で、順番からすれば5番目のはず。
しかし、すでに30番目くらいだ。

事前に灯油券を購入。
後ろの女性は、子供をだっこして、灯油缶を持っている。
給油までの時間、少しだけ話をする。
給油の際、給油したタンクは重いだろうと思い、一緒に給油をしてもらった。
そして、車のところまで運んだ。
たいしたことをしていないがお礼を言われた。

何だか、さっきは別の人に怒りを覚えた自分が情けなく思った。
お礼を言われる人間と、怒りを覚える人間の両面があることが、自分自身複雑である。

とにかく、灯油は確保できた。
これで、暖房に感する不安がまた一つ解消できた。

午後は、仕事をしたが、疲れがたまってるのか、うたた寝。
あまり、進捗なし。

外は、深々と雪が降っていた。
津波の被災地では、この寒さがより厳しいと思うと、胸が痛かった。

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3/18(金)

朝、雪が積もっている。
生活用水が減ってきているので、車につもった雪を集めて浴槽に入れる。
少しは足しになるだろう。

お昼頃から、ブログを書いている。
本当は、仕事をするつもりだったが、とりあえず、1週間の記録を残しておくかと思った。

現在、水道は月末に復旧の見込み。
ガスは復旧に1ヶ月以上はかかるとの見込み。
さらに、福島の原発は水蒸気爆発などで、放射能災害の危険にさらされている。
電力不足のため東京電力は計画停電を実施している。
東京では、過剰に反応しているのか、物不足になっている。

地震、津波の被災地は、電気、ガス、水道のライフラインはもちろん、灯油などの燃料、食料も潤沢には確保出来ていない。
テレビでは、被災地の映像、原発のニュースが流れている。
現地で頑張っているボランティアの方、はるばる遠くから見えられて頑張っているボランティアの方には、感謝、感謝です。


このブログを読んで、贅沢な生活だと思う人もいるかもしれない。

でも、地震の被災地の生活。それも比較的被害が小さいところではあるが、その生活の状況を知ってもらうべきだと思った。
もっと、もっと大変な生活をしている人のことを知ってほしい。
大変な生活をしている人たちは、インターネットなんて見ることは出来ない。
それなのに、インターネットを使って様々な情報を確認しろとか、テレビで言っている。
テレビも満足に見れないはず。ラジオが一番の便りというところもあると思う。
何もかもがデジタル化され、そこでコミュニケーションを図る方向に向かっているが、実はリアルな人と人のコミュニケーションがとても大事だと思う。

僕にも見えない視点があると思う。
でも、政府や中央官公庁の人は現地の状況を理解すべきだ。
どう見ても、暖かい部屋で、しっかり食事を取り、短い睡眠時間でも暖かい布団で眠っていると思う。
被災地では、寒さに震え、食事もままならず、余震におびえながら、寒い中で浅い眠りしか得られていない。
シャワーもできないし、頭を洗うことも出来ない。
トイレだって、落ち着かない。

それがどれだけの苦痛なのか分かってほしい。

現場からの数字だけの報告を、記者団に話しているだけじゃ、意味がない。
現場の支援部隊が迅速に対応できるだけの行使をしてほしい。

被災地の人たちは、これからの生活にも不安を抱えている。
最後は、自分たちで復興していくことになるのだけれど、
自分だって、これからどうやって収入を得て生活していけば良いか考えるときがある。

政府や官公庁、政治家も課題が山積していると思うが、原発問題もあるので、それぞれの使命をかけて任務を全うしてほしい。


これから暖かい春に向かいます。
しかし、合格発表は延期になり、卒業式も、入学式もどうなるか分かりません。
早く東北にも明るい笑顔が戻ってきますように。