悲劇のへび | なぜぼくらはおいていかれたの 

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地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

数日前のこと。

リーとチータの柵の中に、大きく成長した蛇が死んでいた。ひどい傷を受け、明らかにリーとチータを相手に死闘を繰り広げての無残な死だとわかった。


それでももしかしたら生き返るかもしれないと、西側の庭を花壇にして犬が入らないように柵をしているので、そこに連れていって柔らかな草の中に置いた。蛇はずっしりと重く、何年も生き抜いてきたんだなぁという感慨をもたらせてくれ、私は犬二匹に咬まれ振り回されたときの蛇の苦痛と恐怖を思い可哀想でならなかった。

だが犬を悪いとは思わない。犬は自分の居場所に異種の生き物が来ればそうするのが普通なのだ。

だから、蛇の不運を哀れに思い気が沈んだ。


だが、後日もっと気分が沈んだ。

近所の方に蛇の話をしたら、「ああ、うちの庭の雑草の中にいた・・・」とそこまで言って、はっとしたように口を閉ざされたのだ。

この瞬間察した。

『蛇はこの方の家の主がうちの犬の柵に投げ込まれたのだ』と。そして蛇が緑色がかっていたことも納得がいった。私は蛇を西側に運んだ時、犬のいる庭は泥の平地なのに、この蛇は草地にいたような色をしていると不思議だったのだ。


以前にもあったのだ。別の家の男性が、庭の裏手の柵内に蛇を投げ込んでいかれたのを、そこが見える位置の洗面所の窓際にきた私は見てしまったのだ。犬は怯え激しく吠えて蛇に咬みついた。私はすぐに外に飛び出て犬をひっぱり離し、蛇はどうにか生きて塀の底を這って逃げていった。



私は辛い気持ちになった。庭に蛇がいたら、それがいやだったら追ってそこから逃げ出させばいいではないか。犬が二匹いる中に投げれば、犬は当然それを襲い殺戮するだろう。それを痛みに思わないのか。

そしてなお思った。『この人たちは隣人への友愛心も人権もなにも思っていないのだ。もしかしたら、私の生き方や私自身を馬鹿にしておられるのかもしれない』と。


それはいいのだ。その人たちの生き方だ。ほかの人の群れる中でも、こうしたことはよくある。



いつぞやは、跳んでいるアゲハチョウを足で叩き落し、踏みつぶしている老婦人を見た。


何を言うのか・・・自分だって蚊を叩き殺すではないか・・・やれやれとエレジーな曇り空。