継母の記憶 | なぜぼくらはおいていかれたの 

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地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

今一緒に暮らしている継母は、私が二十歳の時に父が結婚した人で、家が世田谷の太子堂、三軒茶屋の商店街近くの住宅地にあって、そこで父と継母と私が三人で暮らした時期があった。

今夜、その頃のことを継母が話しだした。


「和恵さんが幼稚園に勤めていて、いい友達がたくさんいてよく遊びに来られたわよね」と、継母は何がきっかけだったかそう話し始めたのだ。

「そういわれるとそうだったかも。私は今は動物たちを抱えてすっかり人生がかわってしまったけれど、あの頃は毎週日曜日に友達がきて楽しかったんだ」

「そうよ、同じ年ぐらいの男の子が三人、時々きてたわよね。夜だっていうのに、門の外から、”なかむらくーん”と和恵さんを呼んで、お餅をたくさん焼いてノリでまいて出してあげたら、あの子たち泣くほど喜んでくれて・・・・・・」

継母は懐かしそうに話す。

「そうそう・・・あの人たちは同人誌で詩を書いていた仲間だったんだけど、みんな地方から出て貧乏で、今思うと、ほかに行き先がなくてああしてうちに来て、お母さんがその時その時に何か出してくれるから、救われていた気がする。あの頃はただ遊びにきたって思っていたけど」

私も思い出した。

「和恵さん、その子たちにも幼稚園の友達にもわけへだてなくいつも気持ちのいい迎え方をして、私、感心してたのよ。だから私は何か見繕っていたの」

継母は次々に思い出していく。


そう・・・私は誰にでもその日に合った人にも同じく家に来た人を何の警戒もなく迎えた。誰にも心を開いていた気がする。

「あの頃は優しかったんだ、私・・・今はすごい人間嫌いで、偏屈な引きこもりになってしまった・・・」

と言ったら、継母は、「和恵さんは、今も一つも変わってないわよ、ほんとよ。ほんとにそう思ってるのよ」とほほ笑んだ。


ふいに泣けてきた。ほんとに今は人との付き合いが辛い。みんな、欺瞞の花園を躍起になって咲かせて、それを自分の飾りにしている。・・・・そう感じて、その辛さがおもりのようになって自分の肉体も精神も、魂さえも衰えさせている。・・・・・一度泣くと、その辛さが増大して自室に立てこもるように入り泣きt続けた。

結局は私は何も成熟せず成り行きにまかせて茫々と醜くなるままに生きているだけだ。

無能もの、役立たず、能無しの馬鹿年寄り、と自分を心中で罵る。



ま、いいか。こういう夜があっても。ほんとのことだし。(笑)


明日、生きていたら、ケロリと継母のごはを作り、猫たち犬たちのごはんを用意するだろう。もし、目覚めなかったら・・・・・それはそれで神の最良の決定ということになるだろう。