2015年10月30日 楢葉給餌のご報告 | なぜぼくらはおいていかれたの 

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地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

体調不良などいくつかの事情が重なって給餌活動ストップしていました。
ほぼ半年ぶりの楢葉給餌です。

半年ぶりの楢葉給餌場はさまがわりしていました。

猫たちが住処として私たちが持っていくごはんを待っていた建物の多くはきれいになくなり、荒涼とした平原風景が広がっている、という状態になっているところが何箇所もありました。

原発事故の現実、置き去りにされ飢えと寂しさと闘って必死で生きていた猫たち動物たちのことがなければ、その平原の風景はこうまで痛みにはならなかったでしょう。

そうした津波地区に立ちつくして、これまでの五年近くのまるで彷徨うがごとくにごはんを置いてまわった日々と時に姿を見せてくれた猫たちのことを考えていると、またも涙ばかりが込み上げてきました。

『辛い目にあった人たちはみんな幸せを取り戻していかなくてはいけないはずだ』
『置き去りにされ極限のひもじさと寂しさに苦しんだ猫たち、動物たちは守られなくてはならないはずだ』

だるたにあんさんから、現在の楢葉の変化した様子を知らせていただいていましたので、建物がなくなり平原状態になったところにはもはや猫が日常的にいついていることはないだろう、それなら猫たちはだるたにあんさにゃネコネコさんが常時まわっておられる餌場に辿りつき集まっているはずだ、そこにいつでもごはんがあるようにしておくのがいいに違いない、と考え、フードを置く場所を選択ていました。
給餌場所を整理しようと決めたのは、自分の体調の悪さも考え、負担を少し軽くしていこうというつもりもありました。ひょっとしたら、建物のなくなった場所にもごはんを探して来る猫がいるかもしれない、とも思い辛かったですが、せめて週一ででもごはんを置いてやれるならともかく、そうはできない今、確実に猫が待っている場所に絞ろうと考えたのです。
猫たちごめんね。私はリッパソウなことをアピールしながら、こうやって結局は自分の都合に合わせていくね。惨めな私だ。ほんとにごめん。


↓フードも以前に比べるとこんなに少なくなりました。今現在ストックしてある以前いただいていた皆様からのご支援がまだあるのですが、いっぺんに使いきるよりも長く行けることを思って量を制限しています。その後は完全に自力になりますので、そのことを視野に入れ、資金確保のために働くことも努力しています。(※ナンチャッテこと言うと、助けようとして下さる方がおられますが、それは感謝してお断りしまする。・・・やれる。手ぐすね引いているだけの自分じゃない。自力でやれる。やる。・・・と、日夜強い気持ちでおりまする。笑)



↓以前は黒い袋でしたが、今はこのような形になっている汚染のゴミ。どんなに着飾って若く見えても本当の若返りはない人のようです。どんなにしても汚染ゴミは汚染ゴミです。



ネコネコさん、だるたにあんさんたちが心をこめて猫たちの安住の餌場を作り守って下さっている貴重な場所。・・・ここも近々なくなるそうです。真冬に取り壊されるのでしょうかね。・・・私に力があったら、楢葉に家を買い永遠の安住の猫たの住まいを作りたい。・・・どんな大きなことを言う私でも、そこまでは言葉にできません。自力で給餌用のフードを買えるようになりたい、ということだけでせいいっぱいでする。
アメリカでは普通になっていて、現在日本でも利用されている目的達成のために寄付を募る方法がありますね。取り残された福島の猫たちのシェアハウスを作りたい、というプロジェクトを立てるのは、単にカンパを求めるというレベルのことではなく、人間の英知のひとつであるような気がしますね。・・・どうよ。







↓この茂みの向こうの餌場に来て、家があったのでほんとにほっとしました。



↓ある倉庫の床下に置く給餌場。許可もいただいており(写真家のOさんが何箇所もの許可場を提供して下さっているようです。熱意と誠意が住民さんに伝わるんですね。感動します)





↓とあるトイレの裏手の給餌場。この樹は椿です。満開の赤い椿の花が咲くと、しばし見とれます。お弁当のおにぎりを齧りながら見とれることもありました。花への敬意の気持ちです。ありがとう、猫たちを見守ってくれて。疲れた私を休ませてくれて。



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この楢葉給餌の日、家に帰ったら、大事な大事なアバちゃんが息をひきとっていました。
具合が悪いのはわかっていました。苦しそうな息をしながら私を追うアバを置いて出るのが辛く辛く、私は一度は早朝に家をでて福島に向かったのですが、常磐道の石岡で引き返しアバのところに戻りました。9時を過ぎ、アバが落ちついて眠ったのを見定めて再び福島に向かいました。

遅く行ったので帰宅したのはもう真っ暗な夜間で、靴も脱がずアバの寝ていたコタツに駈けつけましたが、もう遠いところにいってしまっていました。