あの大雪、猫たちやほかのどうぶつにどんなダメージを与えたか、ずうっと気がかりでした。行けなくてごめん、の思いを抱いての給餌でした。
まわったポイントは43か所。
43か所を回るのにどうしても6時間の時間を要します。行く前と帰宅後には我が家の犬たち(昨年ノノが病死して9匹です)、猫たち(3年前に病気が入ってしまい、昨年マルやギンを見送り、現在17匹です)と、複数の森の猫たち(二階の一室と納屋が彼らのねぐらです。自然にこのまま家に慣れて完全に家の猫になる子が多いです)の世話がありますから、時間の余裕が欲しいのですが、福島に行く日は4時から動き始め、家を出るのは5時、向こうい着くのは9時頃。(体力不足のせいか途中のパーキングで休まなくては睡魔に果てなき地に連れていかれそうになるので時間がかかります)。
帰宅してからのみんなの世話がなかなかきついので、43個所をできるだけはやく回ろうと努力するのですが、パトロールのおじさんにつかまっちゃったり、気がかりなどうぶつを見かけるなどしますと、姿は隠してしまっても大丈夫かなぁとしばらく様子を見たりしますから、6時間はかかるのです。
以前に双葉に行っていた時は60か所を6時間内で回れたのですが、あれは道順がよかったからなのですね。
↓この日のフードです。
前回に給餌を心良く思わない派のパトロール氏につかまってしまい、撤収するとか警官を呼ぶとか言われたのですが、最終的には量をほどほどにするなら許す、という流れの話し合いになりましたので、1ポイントに3k前後しか置かないことにしました。撤収されては一番よくないですからね。量は減っても確実に食べさせたい。・・・この日は、いつもに増して、フードを置く場所、置き方などいろいろ考え、時間がかかりました。
いつも言いますが、国や自治体が給餌組織を作り、ボランティアが合理的に回れるようになればいいのですが・・・・・ただただ給餌を目のかたきにするのは残念でなりません。
↓いつものスタート地点。前回、小さな可愛いボックスをどなたかが設置して下さっていたのですが、今回はもうありません。
除染の人たちが大勢で作業をされている中、木の根元にこのように置きました。
作業の方が、「箱が見つかったら置いといてあげますよ」と労わって下さいました。
除染やほかの工事の人たちは皆さん好意的です。猫たちの情報も時々伝えて下さいます。
↓神社の森。こうして遠目に見ると、まるで神さまが、「どうぶつたち、私の緑の翼の下においで。みんなで集まれば少しは寒さもしのげよう。そして人間の誰かがきっとごはんを運んでくれる。みんなでいただこう」と言われているように感じませんか。
私はまわるたびに、神さまはきっとそう思っていらっしゃる。・・・でも現実は人間が神社を管理しているから、どうぶつたちを締め出してしまうのです。残念です。
↓除染の終わった元田んぼはこの前の大雪のあと沼のように泥水がたまっています。そこに鳥たちが、すぐそばでうなりをあげているブルドーザー等の重機に気にもとめず群れをなしています。・・・・・この鳥たち、白鳥? 白鷺?
↓高床式給餌器の設置してある建物の隣りの犬用の檻からのぞく猫ちゃん。私が遠ざかると、給餌器のある建物にむかって小走りに行く。
↓こっちの猫ちゃんは、前回パトロール氏に捕まった場所で見かけた。明らかに私がごはんを運んできたとわかっている感じである。溝からこちらを覗っている。もう一匹白茶の猫ちゃんがいたが撮影はできなかった。
必死な表情。こちらの胸は『早く食べさせてやりたい』という緊張でパクパク。
↓上の猫ちゃんのいたすぐ近所の家の前に犬の死骸が。
『ここにたどり着いて力尽きたのか・・・』と、せめて葬ってやりたく抱き上げたら、ぬいぐるみであった。
↓ある集合住宅の一軒のお宅の前の庭に置いてある木製の給餌器。前回は雪の塊がどかっと入っていたのでそれを取り除き、タオルで水気を拭き、かなりの量のフードを入れておいたのだったが、今回もこうして転がっていた。
フードを2.5キロ入れておく。
Hやさんの前の駐車場にある給餌器。Hや夫人が猫を見るとフードや缶詰をやって下さっている。とても素敵な方である♪
津波地区のあるお宅。
狸が横たわっている。大人の狸は殆ど毛が抜けているから、個の狸は身体も小さいしまだこどもなのではないだろうか。
傍に寄って見ると、息をしている。抱き上げると枯れ草の塊のようい軽く痩せている。口から泡が出ている。瞳孔も開きおそらく手当をしても助かることはないだろう。車に乗せ、病院を探し、診察を受ける恐怖や苦痛を受けさせるより、もう誰にもほかのどうぶつにも触られず、静かな場所に寝かせるのがいいのではないか、と決心をする。
この狸の傍にボックスがころがり、中に入っていたらしいフードが散らばっていた。
乏しい知識をもとにして想像するに、この狸はボックスのなかに入って夢中でフードを食べていた時に、別のどうぶつに襲われたのではないだろうか。外傷はわからなかったが、左わきには古い大きな傷があった。
とにかくひと目につかないところに横たえてやりたかった。
この日に限って大きなタオルを忘れている。柔らかい布で出来た袋に乗せ、フードとバナナとミカンをのせて、物置の床下におく。
本当は木の洞や深い茂みのなかなどのほうがいいように思ったが、回り除染中で、木々も茂みもはだかんぼである。
なっとうやさんの納屋で猫ちゃんにあう。ここではこれまで何匹もの猫にあった。除染の作業員さんがイノシシも来ていたと。それでも餌をやるな、と言われないお宅である。ご家族いもお会いすることがあるが、「お疲れ様です」とねぎらって下さる。
↓このボックスはフードの入れ口は私の頭より高い位置にある。つまり箱の中が見えない。だから箱のふたをあけて、手を入れ、フードが手にさわらなければもうフードはあまりない、と判断して、写真のような形でフードを中に入れる。
↓なっとうやさんの梅の花と・・・えー、なんだっけ? 蕾がいっぱい。初夏の候に大輪の艶やかな華が咲く・・・えーと、なんだっけ、度忘れ。
スーパーの倉庫部分に置かせていただいている高床式ボックス。今日はたくさん入っていたので、フードは入れなかった。
↓とあるスタジオのような建物の前に、また狸が!
毛色といい大きさといい、津波地区で瀕死の様子でいた狸とそっくりだったのでびっくり。
私が車から降り、建物のなかにフードを持って行こうと近づいたら、狸はいかにもヨタヨタとして逃げようとする。
「狸さん、あわてないで大丈夫だよ、何もしないよ」と声をかけると、立ち止り、じいっとこちらを見ているのでまた驚いた。まるで私を知ってるようではないか。
それにしても、痩せて傷だらけのどうぶつとここでこうして出合う、そこに立ちあがる寂しさのなんと深いことだろう。
こうして報告を書いていると、あの町で人々に迷惑がられながら生き、私たちがはこぶわずかの餌をかすかな喜びとしているのだろう、猫や狸の顔や姿を思い出しながら泣いてしまう。
私たち人間の誰に、被災して見捨てられ必死に生きはては枯れ葉のよういなって死ぬ生き物を、迷惑がる権利や資格があるというのだろう。誰にもない。私たちは地球の同胞として少なくとも飼っていたどうぶつは救わなければならなかった。
懸命に救おうとしなければならなかった。
見捨てた。餓死をさせた。時間が経てば経つほど、この事実に傷ついていく。
↓運動公園近くの高床式ボックス。
空っぽだったので2.5キロ入れておきました。
↓アパート階段下の木製ボックス。カラスよけにネットが張ってありました♪