山本太郎議員の行動に対して私感 | なぜぼくらはおいていかれたの 

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このブログは、福島の置き去りになったどうぶつのことなど、どうぶつ問題に関わることを中心に書いていますが、気になったニュースやその時々の出来ごと、体験に対する感情や感想や愚痴なども書いています。

なぜそういうことも書くかといいますと、私がやっています給餌、表現活動(これについては現在停滞しておりますが)は、ご支援者の方々の力をお借りしてやっております。

活動に対する支援金、フードをお送りいただくからには、私の人間そのものを伝える全般的な考えや思想や感情などをありのまま書き、それに基づいて読まれた方が、『こういう価値観、考え、人間性の人なら支援しよう』とか、『こうした生き方や思想は自分はよく思えない、支援したくない』など、判断して下さればいい、と考えるのです。

特に年を経るごとに、『正直に率直に生きていこう、そうやって天の示すままあの世への川を渡って行こう』という思いにひたされています。

現在は入院中の母を自宅に迎える準備等がそれはめちゃくちゃいろいろあって、私自身もわさわさ疲れきっていますので、活動は停止中で、ご支援のお願いも休止しておりますが、給餌、表現活動とも諦めずしつこくやっていきますので、ブログやこれまで執筆してきました本や雑誌などがお目がとまりましたらぜひ読んでいただき、その上で、ご支援、応援をしていただきたく思っております。

そうした思いを前提に、今回自分の考えを書きたいのは、タイトルの通り、山本太郎議員が、秋の園遊会で天皇に手紙を渡された、ことについてです。

私はこのことをラジオで聞きました時、”山本太郎議員は、福島の原発問題、こどたちへの心配の思いを、まだ議員として非力な自分にできることは何かと必死に探ったあげくの行為だったんだろう。そういう意味で、この行為は、彼の今できる最大の英知であり行動力であったのだろう”と思いました。

そして、私の知る限り、政治家、マスコミ人は、彼の行為を、”憲法を知らない、天皇を政治的に利用しようとしている、たたの話題つくり”と決めつけ、批判をしていますが、私はそうした政治家、マスコミ人に落胆しております。

『山本議員の行為は、”憲法を知らない、天皇を政治的に利用しようとしている、話題作り”と解釈され得る行為ではあるが、彼の思いの強さを否定してはいけない。彼の思いの前に、多くの政治家やマスコミは虚心坦懐に現状のままでいいか考え直すべき点があるのではないか、と我が身の処し方を知ることも大事だ。また、憲法をどれだけの人が知っているのか、これまで天皇を利用して日本が成り立ってきた時代をきたことをどう考えるか、にも考えを及ぼしてもみると、ただただ彼をバッシングしていけばいいのではないことがわかる』と、そんな声が政治家、マスコミ人から出ることを期待しているからです。

でも私が知らないだけで、公正な声は出ているのだと思います。

山本議員が、今後政治家として成熟され、思いと力がいかんなく発揮される日がくることを心から祈っています。